第6話 愛が無くても生きていける
殴り倒したら、なんかオーガ族の少年が次郎に懐いた。
最初は適当に逃げていたのだが、どこまでも追ってくるので、その内、面倒になって好きにさせるようになった。
次郎が羅刹と出会ってからの一か月は、この程度の文章で説明できる程度の物だった。まぁ、途中で美少女盗賊とか、美少女に変身する魔物とかが二人に襲い掛かったりするイベントもあったといえば、あった。
ただし、容赦なく次郎が皆殺しにしてしまったのだけれど。
「主様。飯の準備が出来ましたぜ」
「おう」
魔物たちが跋扈するとある山の奥地。
そこで、悠々とテントを立てて次郎と羅刹はキャンプをしていた。
「今日の飯はレッサードラゴンのブツ焼きですぜ」
「またかよ、お前。なんだよ、お前。基本、お前の料理って焼くオンリーじゃねーか。たまには工夫を凝らせよ」
「んじゃ、生肉でいくかよ、主様」
「いかねぇよ。寄生虫とか普通に怖いよ」
ぱちぱちと適当な枝などを集めて燃やして暖を取りつつ、ついでに獲った肉も焼く。羅刹に料理係を任せてから、大体このパターンだった。朝から夜まで大体肉だった。
「もういい、ラセツ。今度から、俺が料理を作る。お前はその間、寝床の準備や周辺の魔物を狩っておくように」
「あいあいさ。へへ、主様の料理はうめぇからなぁ、期待できるぜ!」
「…………はぁ、俺はなぜ、むさ苦しい男と二人で飯を食わなければならないのだ」
癖の強い肉を齧りながら、次郎はかつての故郷を追憶する。
あの頃はまだよかった。あの頃は。口は悪いが、顔が良い幼馴染が居た。前に一度告白したら、手ひどく振られてしまったが……今思えば、もう一度ぐらい告白しておけばよかったかもしれない。
「どうしたんですかい、主様? そんな、昔振られた女に未練たらたらみてーな顔して」
「殺すぞ、クソ鬼…………まぁ、あれだ。故郷の事を思い出していた」
「ほほう。異世界にある、ニホンってー国のことですかい?」
「ああ」
羅刹は筋骨隆々で赤みかかった黒髪の持ち主。しかも、鋭い一本角が生えているという、完全に脳筋タイプの鬼という外見なのだが…………その実、口が上手かった。賢いのは知っていたが、その上、コミュ能力まであったのである。
なので、次郎もついつい、孤独から解放された嬉しさを隠して己の故郷のことなどを教えてしまっていたのだった。
「豊かな国らしいじゃねーですか」
「少なくとも、どこでも安全で綺麗な水が飲める程度にはな。後は、飯が美味い。この世界の平均水準とは比べ物にならないほどに、美味い」
「しかも、ガキは義務教育とかでガッコーに通えて、給食ってーのが出るんでしょう? なんだよ、その天国」
「ははは…………確かに、今思えば天国だったなぁ」
もうとっくに故郷へ帰ることは諦めていたはずの次郎だったが、ここで、帰郷の念が生まれてしまった。理不尽と孤独によって枯れた心が、羅刹とのコミュニケーションによって、いくらかまともになったのだろう。十四歳の子供らしい心を、思い出してきたのだった。
「なぁ、ラセツ」
「なんですかい、主様」
羅刹という名は、次郎が名付けた物だった。
元々は違う名前を持っていた羅刹だったが、次郎に倒された時、自分は死んだと主張。これからは、次郎の下で生まれ変わった自分として生きたいと乞うたのである。どうにも、羅刹が暮らしていた部族では、一生の中で『こいつには勝てない』と屈服した時、その者の下について忠義を尽くすのが本望、というはた迷惑な主義を持っていたらしい。
しかも、次郎が根負けするほどにその主義……否、信念は強く、だから渋々適当に名前を名付けたのである。次郎が、己の故郷で鬼に当たる言葉で――『羅刹』と。
それはある意味、次郎の自虐だったのかもしれない。人を殺し、生きるようになった自分の傍らにいるのなら、人を食う鬼で居ろ、という。
だが、自虐から生まれた名前だとしても、羅刹は己の名前を気に入っていた。
それこそ、次郎を『主様』と呼ぶようになるほど。
「お前さ、前に『かつ丼』とか『天丼』とか食いたいって言ってたじゃん?」
「そりゃ主様が涎垂らしながら美味そうに言いやがるから」
「涎は垂らしてねぇよ…………でだな、その」
次郎と羅刹、二人の間には奇妙な友情のような物が芽生えている。
それはさながら、ハリウッド映画に出てくる主人公とその相棒のような。妙に信用ならないが、背中合わせで戦うには充分の、絆。
だから、次郎はこの時だけは妙に元の中学生らしく、そっぽを向いて尋ねたのだ。
「そろそろ、俺は元の世界に帰ろうと思う……お前も、来るか?」
そんな次郎の挙動を、羅刹は目を丸くして驚いたかと思うと、
「ええ、是非お願いしますぜ」
年相応の少年のような笑みで応えたのである。
「もちろん、奢りで」
「ふん。一度くらいならな」
次郎と羅刹はそうして、日本へと帰るための手段を探し始めたのだった。
ちなみに、このエピソードは次郎の知り合いに話したら同人誌のネタされてしまい、羅刹と二人でへこんでしまったというオチがある。これがきっかけで羅刹と知人の対立が始まったりしたのだが、それはまた別の話だ。
●●●
さて、次郎の修羅の如き異世界英雄譚もそろそろ終盤。
後は元の世界に帰る手段を探すのみ。
けれど、それ自体はそんなに難しいことではなかった。あくまで次郎にとっては、という注釈が付くことになるが、とにかく、『門』に関する資料は早く手に入った。その魔法を使って、元の世界に戻る術を得るのも、さほど時間はかからなかった。精々、二つ合わせて一か月と言ったところ。
だが、その『門』を探す過程で次郎は知ってしまう。
己が異世界に拉致されることになってしまった、発端を。
世界最大の軍事国家が滅びることになった理由を。
理不尽の糸を引いていた者を。
黒幕の存在を。
――――世界に巣食う悪神の居場所を。
「…………くそ、が」
次郎は戦争以来の、死の危険を感じていた。
加えて、その時とは比べものにならないほどの絶望、無力感が、次郎にのしかかっていた。
「異界の勇者よ。何も知らなければ、見逃していたものを」
場所は世界の最果て。
まともに生物が住むこともできない瘴気に溢れた白の大地。その奥地の神殿に、悪神と、それを守る黒騎士は存在していた。
「お前の、お前らの所為だったのか…………っ!」
「そうだ。お前が異世界にやってきたのも、お前が虐殺をしなければならなかったのも。全ては、我が女神のためだ」
真っ白な大地の真っ白な神殿に存在していたのは、純白の女神と黒の騎士だった。
純白の女神は純粋無垢な少女だった。外見は十歳程度の幼女だが、どうにも目に正気の色が無い。纏う白い衣も生活の色が全く無く、初雪のように無垢。そして、見る者の正気を磨り潰すほどに、美しかった。
「――ア――――アア――――」
純白の少女は歌っている。
己の騎士を鼓舞する歌を。敵対者を嘆く歌を。
ただ、歌を歌っているだけだというのに、それだけで次郎の体から活力が奪われ、まともに歩くことすらできなくなってしまう。
「我が女神は死者の魂を糧に生きる。故に、世界には多くの死が必要なのだ。多くの死には、英雄と悲劇が必要だ」
漆黒の全身鎧を身に纏った騎士。
その騎士の声は、枯れていた。枯れた男の声だった。だが、同時に黒く、純粋な愛情で満ちていた声だった。全て、己が辛抱する女神以外の存在を塵芥と本気で定義しているような、エゴイストの声だった。
「本当は異界にも領域を広げたかったのだがな。貴様に邪魔をされて残念だったよ」
「そこまで、そこまでお前の女神とやらは死が恋しいのか!? そこまで、その神は腹を空かせているというのか!?」
「ああ、そうとも」
黒塗りの刀身。
かつて次郎を召喚していた者たちが持っていた、命を吸う魔剣。それを、黒騎士は次郎の体に突き立てる。
「まだ、足りない。まるで、足りない。ああ、可愛そうに、我が女神。いつも飢えに耐えて、泣いておられるのだ」
「がが……ぐ、ががが!」
「愛する者を飢えさせたくない。一度でいいから、満たしてやりたい。これは、そこまで非難される願いなのだろうか?」
悪神とそれに傅く黒騎士。
両者は共に狂っていた。
狂った二人の愛によって、世界の悲劇は量産され、死者の魂は喰らわれていたのである。
「……ちく、しょう――」
怒りはあった。
悔しさも、もちろんあった。
けれど、今の次郎にはどうしようもなかった。
異世界にやってきてからという物の、己の有り余る性能だけで何事も為してしまえたからこそ、油断していたのである。まさか、文字通り『格の違う』存在が立ちふさがるとは、思っても居なかったのだ。
黒騎士一人だったら、まだどうにかできた。
悪神に祝福され、異常な魔力と身体能力があるが、倒せない相手では無い。問題は、その奥で歌う純白の少女――死者を喰らう悪神だ。
その少女は文字通りの神だった。
人とは存在の格が違い、圧倒的に『質量』が違う。ただ、そこに居るだけで人を下し、権能を用いれば逆らうことは出来ない。
人にはどうしようも出来ない存在、それが、神だった。
いくら次郎が規格外の存在と言えど、その法則は変わらない。辛うじて、共にやって来た羅刹を強く蹴り飛ばし、逃がすことしかできなかった。
「まだ、まだだ、まだ、俺は…………」
それでも、死にたくないと嘆き、必死で足掻く次郎。
そんな次郎の姿を、黒騎士は嘲笑う。
「空っぽだな、貴様は」
「何を…………」
「器だけは立派で、中身が何もないがらんどう。だから、貴様は我が愛に抗えない。愛こそ、この世界で一番強い力なのだから」
黒騎士は淡々と次郎へ告げる。
己の愛と、次郎の空虚さを。
「俺は例え、全ての存在を敵に回そうが、我が女神のために行動できる。それが、愛だからだ。愛し合っているからだ。大切な一人のために、何度も世界を滅ぼす覚悟が出来ている。だが、お前はどうだ?」
「…………」
「ただ死にたくないと泣き喚き、殺し尽して、逃げ回り。己の才能と性能に甘え、誰かと繋がりを持とうともせずに、膝を抱えて震えている。ああ、なんと情けない! 男なら、愛を叫ぶ一人ぐらい決めておくものだ!」
黒騎士の言葉が、容赦なく次郎の心を突き刺す。
魔剣が血と共に、次郎の命を啜る。
満身創痍とはまさにこのことだろうか。次郎の心と体から、温度が抜けていく。
思えば、次郎は愛や恋などとは無縁の人生だった。生まれてから圧倒的な才能を得ていたものの、顔か、はたまた性格の所為か。次郎に恋する者など、存在しなかった。嫌われていたわけでは無いが、そういう物とは無縁の生活だったのだ。
だから、次郎は知らない。
身を焦がす愛も、恋も、何も知らない。
一度は告白した幼馴染への感情だって、一時の気の迷い。ただ、顔が良かったから告白したような物だった。
「お前は空っぽだ。誰にも愛を注げない。故に、誰からも愛されない」
ああ、まったくだと次郎は納得する。
己の中には何もない。
愛とか、恋とか、熱くて綺麗な物のためには戦えない。
だから――――
「うるせぇよ」
もしも、次郎が立ち上がるとしたら、それはつまらない意地のためだった。
『元の世界に帰って、美味い飯を友達と食べる』という、ただ、本当にささやかな約束のためである。
友愛じゃない。
そこまで深い友情じゃない。
所詮は、エゴだ。
悪神と黒騎士の愛に比べたら、ちっぽけでゴミクズのような意地かもしれない。
だが、その意地は、己の体に突き刺さった魔剣を砕くのに充分な力を貸してくれた。
「貴様ぁ――!」
「おせぇよ」
次郎の頭部を踏み砕こうとする黒騎士だったが、それより前に、吹き飛ばされる。鎧の腹部が砕けて弾けるほどに、強力な次郎の拳…………それはもう、人の形をしていなかった。
もしも、命を奪うための手というのがあったのなら、きっとそれだ。筋肉は肥大し、盛り上がり、岩よりも堅く作り替わっている。爪先は鋭い鎌を連想させる。
次郎の右手は、この時、どんな生物よりも命を奪うことに特化していた。
「どうして、我が女神の権能を破れた!?」
鎧の一部を砕かれた黒騎士だったが、即座に立ち上がって立ち塞がる。その後ろで歌う女神には、指一本触れさせないという覚悟と気迫があった。
「さぁな? 知るかよ」
対して、次郎は無気力だ。
虚ろだ。
指摘されたように、がらんどうで、あるのはちっぽけな意地を通すための力のみ。
後は、悪神の神威を受け――――覚醒した邪神の血だけだ。
「もう痛いのも、苦しいのもたくさんだ。さっさと終わらせよう」
「戯言をぉおおおおおっ!!」
祖母から受け継いだ邪神の力は、他者の命を奪い、弄ぶ力だ。
その愛を嗤う力の使い方を、無意識に、本能で理解していた。。
敵対者が誰かを想えば想うほど。誰かのために戦えば戦うほど、邪神の権能はそいつを勝利から遠ざける。
「負けるか、負けてたまるものか! 俺は、俺はぁ!」
「うるせぇよ、黙って戦え。そして、死ね」
愛が深ければ深いほど、敵の力が制限され、己の力が増す悪辣な権能。
それこそ、次郎が祖母から受け継いだ邪神の能力である。あらゆる幸せな存在を、地獄に叩き落とすための、外法の力だ。
悪神と黒騎士はその外法、抗った。
「まけないで」
純白の少女は、歌を止めてまで、黒騎士へ愛を送る。
両目に涙を貯めて、『まけないで』、『しなないで』と懸命に。
「あぁあああああああっ! がらんどうな貴様になど! 負けられるかぁ! 俺は誓ったんだ! 例え世界を敵に回しても! 悪になろうとも! たった一人の少女を守り抜くと!」
黒騎士は戦う。
どれだけ絶望的だとしても、己の心に奮い立つ愛があるのなら、決して負けないと。
かつて、世界の敵として少女が泣いていた時に誓ったのだ。必ず守り抜き、その少女を守り抜くと。
どんな不条理があっても、それを砕くと。
「まけないで……かって、シン」
「任せろ、リリィ」
二人は互いの名前を呼び合い、愛を重ねる。
狂っているかもしれない。
正しくないかもしれない。
だが、それでも二人の愛は純粋で、無垢で、美しかったのである。
「笑わせるんじゃねぇよ」
ならば、その美しさを砕くのは邪神の役目。
愛の力で無敵になるのは、物語の中だけの話だ。まして、悪辣な権能を持つ邪神に対して適用されるわけが無い。
「愛があるからって、世界をないがしろにしていいわけじゃない。お前らは世界を敵に回す覚悟があったんだろう? なら、その世界に踏みつぶされても仕方ない」
二人が世界を敵に回す愛だとすれば、次郎は世界中の悲劇を味方にして右手を振るう。
結果は、明白だった。
「あ、ああ…………」
次郎の右手は容赦なく黒騎士の体を潰し、砕き、跡形も無く消し飛ばした。
勝敗を分けた理由は簡単だった。
単純な、質量の違い。
邪神の血に覚醒していた次郎の存在質量が、黒騎士の強度を上回っただけという、単純な計算の問題だ。なぜなら、邪神の権能を破らない限り、どれだけ深い愛があろうが、それは無価値に変換されてしまうのだから。
「し、シン……シン、シン」
愛しい半身を失った悪神は、壊れた機械のように愛する者の名を呼ぶ。
死を喰らう女神であるが、残念なことに、次郎は魂すら残らず黒騎士を潰したのだ。愛する女神の元に抱かれることは無い。
「シン、シン、シ――――」
「うるせぇよ」
ぐちゃり。
悪神の華奢な体は、次郎の一撃によって破砕される。
既に存在の格は、神格は次郎が上回っていた。ならば、後は単純な強度の問題で、簡単に破壊できた。今更、相手の容姿で殺害を躊躇う感性など持っていない。
ただ、今回の殺しは、とても疲れたのだった。
とても、とても、疲れたのだった。
その後は特に語ることは何もない。
強制退避させておいた羅刹を回収し、さっさと『門』の魔法を発動。余韻も何も残すことなく、元の世界に帰還した。
得た物は少なく、失った物は多い。
ただ、帰還直後に、次郎と羅刹の二人で食べた『かつ丼』の味は、
「ああ、美味い」
死ななくてよかったと次郎に思わせるほどの美味だったらしい。
これが、神すら殺した修羅の物語。
ただ、理不尽に抗っただけの、空っぽの少年の冒険譚だった。
●●●
「えろろろろろ…………」
「うっわ、本当に吐いたよ」
「女子にゲロを吐かせておいて、その台詞。さすが過ぎますぜ、主様」
次郎が全てを語り終わったとき、花子のキャパシティは決壊していた。もう、虚しさやら、悲しさやらで、内臓がひっくり返るほど嘔吐している。
「あ、そういえばもうこんな時間かー。あれ? ラセツ、先生は?」
「主様の不機嫌オーラに負けて、『今日は自習』と黒板に書き殴って逃げましたぜ」
「そうか、悪いことをした」
「そ、それは……私に対しても、そう思っているのでしょうか……ぜぇぜぇ」
口元を拭い、上目づかいで次郎を睨む花子。
そんな花子に対して、次郎は微笑んで頷いた。
「もちろん。いやだって、さっきの話、ほとんど嘘だから」
「…………は?」
目を点にして、あんぐりと半口を開ける花子。
そんな花子へ、けらけらと笑いながら次郎は告げた。
「確かに、異世界の侵略軍を防いだのは本当だけど、もうちょっと美味い政治的なやり取りがあったんだぜ。なんだよ、五万人斬りって。さすがに無理だって。つか、相手も馬鹿じゃねーんだし、精々一万人あたりで『ちょっと話し合おうか』ってなるだろ」
「こ、こここ、この」
「つーか、この俺だぜ? 適当にチートして、わいわい美少女に囲まれて、でも持てなくて、渋々帰って来たに決まってんだろ。あ、実際の神様はあれ、ただの怪物だったんで。苦労はしたけど、そこまで精神的にきつくなかったし」
「――こんのぉ! 大嘘吐きがぁ!」
あっけからんと話している間も、羅刹はさりげなく教室の窓を開けて退路を確保。花子が己の嘔吐物の入ったバケツに手を掛けた時点で、二人ともそこから身を翻して逃げていたという。
「待ちなさい! 乙女の心を無暗に傷つけた罰を受けてください!」
「はっはっは! 美島さんにでも癒してもらうんだな!」
「屑過ぎる。だからモテないんですぜ、主様」
「うん、知ってる」
そして、二人が学校から二キロほど離れた繁華街まで来たところで、羅刹は言う。
「それにしても、ひどい嘘だったな、主様」
「まぁな」
「本当に…………あれで、よかったのかよ?」
語った話は全てが本当では無い。
細部……そう、荒唐無稽な次郎の話を裏付ける部分はぼかし、抜かし、適当に『ほら話』として成り立つ程度にまで装飾していた。
「いいんだよ。俺はちょっと幼馴染に嫌がらせできればよかったんだから」
「最低だ、我が主ながら」
「くく、奴隷を買うような人間なら当然だろ?」
「実際は俺が押しかけた形だったけどなぁ」
「いや、確かに買ったさ。お前の度胸と根性を買って、俺の仲間にした」
「美味いこと言ったつもりですかね? それ」
「さぁな」
飄々と応える主へ、羅刹は苦笑を混ぜながら、一つ、提案した。
「そういえば、美味いついでで一つ。懐かしい気分になったんで、奢ってくれませんかね?」
「ん? 別に良いが……ああ、そうか、ここは帰って来た時に飯を食ったところだったか」
目を細め、どこか懐かしそうに呟く次郎。
「確かに、主様の言うとおりに死ぬほど美味かった。角を折って、ヒューマンの中に紛れた甲斐があったもんですぜ」
「お前あの時、俺が『角って目立つから入店拒否かもな』って言うと、即座に折ったもんな」
「店先から美味そうな匂いがしたもんで」
美味い飯にありつくためだったら、躊躇いなく己の角を折るオーガ、羅刹だった。
「んじゃ、食いに行くか。今日は気分が良いから特盛も許す」
「さすが主様。あの時同様太っ腹ぁ!」
二人は学生服だということも忘れて、堂々と目の前の店に入って行く。そこは、どこにでもあるような、ありふれた海の幸を扱う食事処だった。
店の看板メニューはあの時と変わらず、特製のタレと巨大なエビを使った『天丼』だ。
嘘とはっきりと言える部分は、そこだけ。
つまるところ、鈴木次郎が体験した異世界召喚とは、たった一つの『天丼』が、涙が出るほど美味かった。
次郎にとっては、ただ、それだけの物語だったのである。