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第4話 異世界召喚という名の拉致事件

 異世界召喚。

 なんて夢の溢れる言葉だろう。

 最近は転生の方が主流らしいのだが、最初の最初。やはり、現代の存在がファンタジーに赴くという形はこちらの方が先かもしれない。


 召喚された先で、担わされる勇者という理不尽な宿命。

 美しい姫君とのラブロマンス。

 恐ろしく強大な敵との、死闘。

 出会いと別れ。

 戦いを通じて生まれる絆。

 そして、現実世界では味わえない浪漫の数々。


 ファンタジーというジャンルが廃れないのはやはり、此処では無いどこか。その幻想物語に想いを馳せる人が居なくならないからだろう。

 だが、鈴木次郎の異世界召喚にはそんな幻想などありはしない。


 あったのは、舞い散る血肉と、憎悪の合唱。

 背負わされたのは、英雄の咎と、神殺しの名誉。

 単に、修羅が生まれたというだけの物語だった。



●●●



「がぁ――――!?」


 異世界に召喚されて初めて受けた物は、歓迎の言葉では無く、焼けつくような斬撃だった。目を細めた次の瞬間、己の体が袈裟型に切り裂かれた。血しぶきが舞う光景に現実味は無い。そも、現実味を言うのならば、帰宅途中に黄昏の眩さに目がくらんでしまった次の瞬間、こうなってしまったのだから…………これを現実と認めろと言う方が無茶だ。


「あ、あ……」

「大罪を犯した王の息子よ。我が魔剣の贄ととなり、罰を受けよ」


 自分の流した血だまりに次郎は浸っていた。

 訳も分からず、痛みに震えながら見上げた先にあったのは、絶世の美少女。

 黒衣を纏う金髪の美少女だった。その手には、刀身が黒く塗られた西洋剣が握られている。


「我が祖国を裏切った叔母の忌まわしき、あぁ、忌まわしき息子よ。なんて、醜い。とても、偉大な我が一族の血が流れているとは思えぬ」


 既に致死の一撃を与えていたというのに、黒衣の美少女は容赦なく、幾度も体に剣を突き立てた。醜い、醜い、と嫌悪と憎悪を込めて。

 それは異世界から次郎が帰還した後からわかったことだったのだが、どうやら、その黒衣の美少女は次郎の母の親戚だったらしい。もっとも、その時の次郎にとっては身を焼く激痛こそが全てであり、黒衣の下の素顔など気遣う余裕は無かったのだが。


「はは、はははは! はははははぁ!」


 黒衣の美少女は残虐を楽しんでいた。

 次郎の体を切り刻み、血で汚すのを、何より楽しんでいた。積年の恨みを晴らすように、一撃を加え、絶叫が帰ってくる様はまさに甘露の如き快楽。ついつい、嬲ってしまうのも仕方ないだろう。既に彼女は溢れ出す脳内麻薬でトリップしていて、劣情すら催すほどの興奮を得ていたのだから。


 ――故に、気付かなかった。


「あ、が、がぁあああああああああっ!」


 普通の人間であれば、致死の斬撃を受けた時点で、後数分も生きられない定めであるのに。次郎は、致命傷の他にも、嬲られるように無数の斬撃を受けてなお、死に至っていないことに。

 それどころか、次郎の傷口が蠢き、尋常ならざる速度で塞がっていくことに!


「な、に! きさ――――」

「シィ! ネェエエ!!」


 気の利いた言葉なんて吐く余裕なんてない。

 獣如き原初の本能が、敵対者を殺せと次郎の体を操作していた。


 そもそも、致死傷を与えて放置していたことが間違いだったのだ。まだ次郎は、召喚した時点ではただのスペックの高い中学生でしかなかったのだから。そこで、即死を狙っておけば、まだ、生き残れる確率はあっただろう。


 死の危険を本能に感知させてしまう時間があったから、次郎の体にスイッチが入ってしまったのだ。それは、日常生活を送る上でまったく必要ないから封印されていたに過ぎず、無くなっていたわけではないのに。


「はぁっ!」


 猛獣の笑みを次郎が浮かべたのは、美少女の頭部が胴体と別れた後。

 乱暴に振るった己の手刀により、問答無用で即死を与えた後だった。


「は……はははは……」


 次郎は敵対者を殺して、初めて己の体の異常に気付く。

 つい先ほどまでただの中学生に過ぎなかった自分が、どうして、人体の首を素手で切り飛ばすことができたのか? 致死を受けた傷が、いつの間にか治っているのは、何故なのか? そもそも、此処はどこなのか?


「なんだよ、これ」


 嗚咽交じりの弱音が、周囲に響く。

 涙で歪んだ視界で周りを確認すれば、そこはどことも知れぬ石造りの部屋の中。無駄に広い、儀式場。床には先ほど殺した美少女と、巨大な魔法陣が。

 異世界召喚。

 そんな、荒唐無稽な発想が頭の中に生まれて、即座に否定する。


「まさか、そんな、ははは、馬鹿な」


 しかし、そうでもなければ説明できない。

 散々ネットで読み漁ったような出来事が、己の身に起きてしまったのだと理解しなければ、現実を認めなければ。


「司祭様! 司祭様ぁ!」

「おのれぇええええ! 裏切り者の血族がぁ! どこまで我らを!」

「必ず殺せ! 魔剣で殺し! 血と魂を捧げるのだ!」


 雪崩れ込む白昼夢に殺されてしまう。

 現れるは、無数の狂信者。

純白の衣に身を纏い、黒塗りの剣を携えた殺戮者たち。


「殺せ!」

「殺せ!」

「コロセ!」

「裏切り者を贄に!」


 重なる殺意の声を受けて、次郎は笑った。

 もう、笑うしかなかったのだ。


「ひはっ」


 引きつるような笑みを浮かべて、魔剣と呼ばれていた黒い剣を拾う。

 もう一人目は殺してしまった。

 なら、二人も三人も、変わりはしないだろう。

 どうせ正当防衛だ。


「ひはははははぁああああああっ!!」


 剣術なんて習っていない。それが西洋の剣なら、尚更だ。

 だから、次郎の初めての殺戮はただの『棒振り』によって行われた。

 母から受け継いだ膨大な魔力で、無意識に体を強化し。

 父から受け継いだ戦闘センスで、本能が動きを最適化し続け。


「な、なんだこいつは!?」

「これが本当に惰弱な世界で生まれた者なのか――――あばっ!?」

「ひぃ! お、恐れるばぁ!?」

「た、たすけ、たすけてく」


 悲鳴合唱など聞こえない。

 命乞いなど認めない。

 既に、この時点で今まで生きてきた鈴木次郎という人格は壊れてしまっているのだから。


 与えられた致命傷と、嬲る殺される恐怖。有り得ない理不尽な体験が、優しかったはずの人格を徹底的に破壊してしまったのだから。


「死ねよ、死ねよ、死ねよ死ねよ死ねよぉおおおおおおっ!!」


 狂気によって倫理観は既に取り払われていた。

 乱暴に剣を振っているというのに、なぜか力は果て無く湧き出てくる。


「ああ、これが異世界召喚の特典って奴か!? チートって奴か!? ふざけんなぁ! こんな物要るかぁ! 俺を今すぐ帰せぇ! 帰せって言っているんだよぉ!!」


 狂気は、理不尽に対する怒りによって支えられていた。

 与えられたご都合主義で生かされていたと思っていた次郎は、運命の理不尽さに怒りを覚え、殺戮を繰り返すだけの存在に成り下がっていた。

 どちらかと言えば次郎の覚醒は、都合のいいご都合主義というよりは、なるべくしてなった血の結晶だったのだが。その時の次郎に気付けるわけが無い。


「はぁ、はぁ…………うぅ」


 やがて、雪崩のように儀式場へ入り込んできた狂信者たちは居なくなった。正確には、その全てが死体になった。純白が血で汚れ、誰もが苦悶の表情を浮かべて絶命している。


 その死体はどれも歪で欠けていた。

 どれだけの怪力で剣を振るえば、人の体が両断出来るのだろう? 上半身と下半身を繋ぐ肉と骨を断てるのだろう? それを成した、次郎にすらわからない。


「う、うあ、うああああああああっ!」


 怒りは時間が経てば、一度は冷めてしまう。

 怒りが冷めれば、狂気も収まる。

 つまり、次郎は己が成した虐殺を、冷たい思考で認めなければならなくなってしまったのだ。


「ち、違う、違う!」


 次郎は必死に首を左右に振り、否定した。

 血塗られた魔剣を離し、血に染まった両手で頭を抱えて嘆きもした。

 でも、その事実は変わらない。


「違うんだ! 俺は、俺は!」


 叫んだところで変わりはしない。

 だが、叫ばずにはいられなかった。



「俺は! 何も感じていないわけじゃない!」



 なにせ、次郎は『己の為した虐殺』に対して、何の気持ち悪さも抱かなかったのだから。自責の念も。胸を締め付けられるような後悔も。


「違う、違う……俺は、まともだ」


 ただ、手が汚れるのが不快だとか。人のぶちまけられた内臓の臭さが鼻につくだとか。そんな、家畜の処理程度の事しか思わなかったのである。


「異常者じゃない、異常者じゃない……最初から狂っていたわけじゃないんだ」


 鈴木次郎は万能の天才である。

 あらゆる出来事に対して相応の才能を授けられた、才能に寵愛されたかのような存在だった。そして、それは『人殺し』に関しても例外では無い。

 次郎は『人殺し』に関しても天才であり、素質も持っていたのだった。

 少なくとも、十数人を虐殺しておいて、吐き気一つ催さない程度には。

 美しい人のカタチを、崩すことに躊躇いなど無かったように。


「う、うぅううう……」


 その事実を目の当たりにしてしまい、次郎は膝を折って、体を丸めた。

 こうして、態度だけでも相応に取り繕わなければ、本当に自分は生粋の人殺しだと認めてしまう。そんな脅迫観念染みた何かが、次郎に憑りついていたのである。


「違う、違う、違う…………」


 ぶつぶつと、血の匂いがむせ返る儀式場で、次郎は呟き続けた。

 己の行動のほとんどが無意味であると気づく、その瞬間まで。



●●●



「んでもって、いつまでもこうしていたって仕方ないし、腹が減ったしということで、無理やり立ち直ったわけだ。なんか、お腹いっぱいになったら気分も戻ったし。ただ、その時に空腹を満たすために、何処かの軍隊の食糧庫を襲ったのがまずくてなぁ」

「ああ、それ以降、主様は世界一の軍事国家から追われることになったんだっけか?」

「そうそう。や、結果的にはあいつら、こっちの世界への侵略を企んでいたから、潰すのにはちょうど良かったけど……いやぁ、さすがに五万人を一人で切り伏せるのは疲れたわ」

「俺が主様に買われる前の出来事だからな、それは。直接見ていたわけじゃねーが、『鬼神』が現れたとか噂になってたぜ」

「うそ、そんなかっこいい二つ名とかあったのか、俺。戦場では、『悪魔』とか『外道』とか、『悪鬼め!』とか聞かされなかったからさぁ」


 あっはっは、と次郎と羅刹の二人は和やかに笑い合う。

 明らかにそんな雰囲気で笑う話ではないと言うのに。まるでそれは、『昔は大変だったなぁ』と学生時代のヤンチャを思い返すサラリーマンのような会話だった。もっとも、内容は物騒極まりない物なのだが。


 周りに居た昼休みの生徒たちは、既に和やかな談笑の中に隠された血なまぐさい雰囲気を感じ取って、退避している。教室に残されたのは、三人のみ。


「あの、すみませんでした」


 被害者という面で見るのなら、顔を青ざめさせた花子が一人。


「うん、何が?」

「その、黒歴史を興味本位で聞いて本当に申し訳ありませんでした。そんなに重くて、鬱な話だと思わなかったのです、その……」

「あっはっは、大丈夫だぜ、花子。そんなの俺、気にしてないから」


 肩を震わせて、限界寸前といった有様の花子へ、次郎は優しく告げる。


「気にしてないけど、最後まで話は聞いてもらうから。逃がさないぞぅ」

「やめてください、本当に。胃が、既に胃もたれが限界なんです、その話」

「ラセツ。トイレからバケツ持ってきて」

「あいさー」


 にやにやと笑みを浮かべて、トイレに走っていく羅刹。

 つまり、吐きそうになったらそのバケツに吐けという、容赦ない次郎からの通達だった。どうにも、黒歴史を語っている内に過去の出来事を思い出して不機嫌になっていたらしい。半分ほど八つ当たりに近いが、そもそもの発端は花子なのだから、文句は言えまい。


「本当に勘弁してください。幼馴染が大量虐殺して心が荒んでいく話なんて聞きたくありませんよ」

「はっはっは。その話のオチに、死に物狂いで異世界から帰って来て、お前に告白したら手ひどく振られるというのがあるんだが?」

「ぐふっ」


 花子の罪悪感にダイレクトアタック。

 別に今更付き合いたかったと文句を言うほど陰湿では無い次郎だが、それはそれとして、ささやかな意趣返し程度ぐらいは良いだろうと思っている次郎。その意趣返しのレベルが明らかに、度が過ぎているのを、分かっていない。だからモテないのだ。


「まぁ、もうしばらく……せめて、俺が異世界から戻ってくるまで我慢してくれよ」

 にっこりと、愛想よく次郎は笑みを作る。


「たまには俺の苦労話――――いや、自慢話にも付き合ってくれてもいいだろ?」


 そして、次郎は羅刹が帰ってくるのを待たず、話を再開させた。


 神を殺した話を、語り始めた。



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