第3話 黒歴史は結構ガチだから聞かないで
例えばの話をしよう。
例えば、ある日、君の家に白髪の美少女が舞い込んで来たらどうする?
その美少女が――
「もう貴方しか、我が血族の生き残りはいません。どうか、お願いです。この剣を取って、私と共に戦ってください」
などと、涙目で懇願されたら。
ああ、もちろん差し出された剣の重みは本物。
豪奢な装飾が施された鞘に、何やら呪文のような物が刻まれた柄。ロングソードと呼ばれる、西洋の剣。今まで実物を見たことなんてありはしない。
だが、不思議とその剣の重みが手に馴染むのだ。普通であれば、六法辞書程度の重さしか耐えられない細腕では到底振るえないはずのそれを、何故か軽々と持ち上げられる。
「ああ、やはり…………貴方の下に来たのは間違いでは無かった」
選ばれた。
不思議と白髪の少女の目を見ていると、そのように感じられたのだ。その銀色の瞳に、懇願と期待の混じった視線に、心の奥底が疼く。
誰だって、幼い頃は夢見るヒロイックサーガ。
特別な自分。
日常の終わりと、非日常の始まり。
それが今、自分の前にやってきたのだと。
白髪銀眼で、シスター服なんてありえない格好の美少女が現れたら、誰だってそう思うだろう? 少しぐらい、期待してしまうじゃないか、自分って奴に。
――――――ダダン!
「来ました。現代最後にして、最強の狩人――『心臓の抉り手』が」
家の外から響き渡る破砕音に、物騒な気配。
美少女の口から紡がれるのは、恐ろしい二つ名。
思わず口の端が上がってしまう。不謹慎だと思いながらも、高揚が隠せない。
平穏な日常に満足していたはずなのに、どうしてか、己の心が沸き立って仕方ない。古代から続く本能が、歓声を上げている。
「やってやる」
決意はあっさりと口から零れ落ちた。
握る凶器に重さはもう、感じられない。心の重みも同様だ。例え、今から目の前に人の形をした者が現れようと、切っ先を振り下ろすのに躊躇いなどない。
さぁ、始めようか。俺の非日常を――――
「おいーっす。大丈夫かー? 生きているか、佐々木ぃー」
「えっ?」
非日常が始まるかと思いきや、聞こえてきたのはよく耳に馴染んだ同級生の声。
玄関のドアを開けて入って来た顔を見ても、うん、良くも悪くも落ち着く顔だ。まさしく、冴えない男子高校生という存在を体現したかのような野暮ったい顔つきである。
だが、そんな日常の手に抱えられていたのは、あったはずの俺の非日常だった。
「いやはや、なんかやばそうなフラグがあったからな。登校前に潰しておこうと思って、見回っていたんだが、間に合ってよかったぜ」
朗らかに微笑む同級生の手には、胸元を大型ナイフで突き刺された男の死体が。
なんか、黒と銀が混じったエキセントリックな髪型で、ナチスドイツを連想させるような軍服を着ている死体だった。
「ぐぐ……ふっ、まさか、この私が、こんなにあっさりとやられるとはな……」
「あ、しゃべった。生きてた。死体じゃなかった」
「当たり前だろう、佐々木。さすがの俺でも、問答無用で抹殺はどうかと思う」
驚くことに、胸をナイフで貫かれていた男は生きていた。と言っても、辛うじて。もう、指先一つ動かすのすら難しいほどの瀕死ではあったが。
「な、なななな……っ!? 『心臓の抉り手』が!? 現代最後にして最強の狩人が!? え?え? えぇええええええ!? ちょ、なんであっさりやられているのです!?」
一方、白髪の美少女は混乱していた。
目をぐるぐると回しながら、ついでに両手もぐるぐる回して、何が何だかわからないと言った有様である。無理も無い。察するに、仇敵らしき奴が追いかけてきて、いざ、最後の希望を見つけて共に戦おうとした矢先にこれだ。
「何でとか言われてもなぁ? 倒せるから倒しただけだ」
「どうして倒せるのです!? 不死の眷属でもないのに!?」
「やー、人間だって頑張ればなんとかなるんじゃないか?」
「我が血族よ! この方、かなりおかしいです!」
それはよく知っている。
よく知っているが、まさかここまで奇天烈な真似をしてくれるとは思いもしなかった。
「とりあえず、佐々木。俺はこいつをしかるべき機関に引き渡してから学校に行くから。まぁ担任には上手く言っておいてくれ」
「それは良いんだが、その、なんだ――――鈴木」
俺は非日常の中を、平然とした顔で日常を語る同級生――鈴木次郎へ尋ねた。
「お前、何者だよ?」
「お前の同級生に決まっているだろうが」
返ってきたのは、苦笑とごく普通で当たり前の答え。
少なくとも、鈴木にとって俺という存在に対する答えなんて、この程度の物だったのだろう。
「色々あって驚いていると思うが、学校はサボるなよ」
最強の狩人と呼ばれていた男を肩に背負い、鈴木はあっさりと立ち去った。
まるで、この程度は日常茶飯事だとでも言うように。
「え、えぇええええ…………なんなんですか、もう」
己の身に対する危険が解決されたというのに、白髪の美少女の顔は明るくない。
当たり前だ。こんなにも唐突に、それこそ、物語の幕が上がる前に、デウスエクスマキナがやってきたのだ。いくら物事が解決されたからと言って、素直に喜ぶのは難しいだろう。
さて、もう一度自問自答を。
例えば、非日常が始まる前に強制的に幕を下ろされてしまったら、どうする?
どんな顔をして、笑えばいいんだろうな?
「…………あー、とりあえず、朝飯でも食べる?」
「……………………はい」
こうして、俺の物語は始まらず、ちょっと変わった日常が再開された。
●●●
特異点。
あるいは、トラブルメイカー。
もしくは主人公。
つまり、様々な出来事を引き起こす要因をこのように呼ぶことが多い。
かく言う鈴木次郎という男子高校生もその内の一人だ。
「はぁ……同級生に白髪でシスター服の美少女が押しかけて来た……鬱だ、羨ましい」
「鬱になるか、妬むかのどちらかにしたらいかがでしょうか?」
現在時刻は昼休み。
次郎は色とりどりかつ、栄養バランスが考えられた理想のお弁当――ちなみに自作だ――をつつきながら。花子は、コンビニのサンドウィッチをもそもそとリスの如く頬張りながら。
机を挟んで互いに向かい合い、だらだらと無駄話をしていた。
「妬ましいわけじゃない。羨ましいんだ。マイナスでは無く、プラスの感情なのだ。鬱になっているが、そこは間違えるな」
「はいはい、わかりましたよ。そこら辺頑なですね、次郎は」
「当たり前だ。嫉妬は大罪の中でもトップで面倒だからな。いずれ、大罪を司る悪魔と戦うことになって、嫉妬に囚われていたら話にならん」
「どこからどう聞いても中二病の妄言ですが、貴方が言うと洒落にもならないから困りますね」
なにせ、登校前に現代最後にして最強の『狩人』とやらを倒してきた次郎である。リアルに大悪魔と戦う機会もあるのだろう。というか、あったのだろう。
「しかし、今回の件なのですが」
「うん? 朝のフラグ潰しについてか? 安心しろ、さすがに同級生の恋愛フラグは潰していない。恐らく、あそこから日常系同居モノ四コマが始まる。ファッキン」
「やっぱり妬んでいるでしょう」
「なんのことやら」
流石の次郎も、完全に妬みを心から失くすことは出来ないようだ。いや、生きている限り、その手の感情とは縁が切れない。むしろ、それをひた隠しにすることこそ、大罪に侵されるのかもしれない行動なのだ。
だからといって、昼間からスラングを呟いていい理由にはならないのだが。
「確かに、貴方のおかげで佐々木君は平穏な日常を過ごせるでしょう。でも、それは本当に佐々木君のためになったのでしょうか? もしかしたら、平穏よりも、波乱万丈な非日常こそ、彼が望んでいた物かもしれないのに」
「ふむ、一理はあるな。一理だけだが」
ずずず、と水筒からお茶を啜る次郎。口内を潤い、洗い流すと、何でもないように花子に答えた。
「まず、大前提として言ってやろう。俺は別に佐々木の為を思いやって行動しているわけではないのだ。もちろん、命を救うという点に置いては、佐々木のために行動していると言ってもいいわけだが」
「ええと、つまりどういうことです?」
「佐々木が何を望んでいようが、俺にとっては知ったことじゃない、ということだ」
あっけからんと告げた鈴木の表情に負い目は無い。
ただの、無駄話の延長として会話を続けている。
「俺は同級生が殺されるのが嫌だから、行動した。あいつらの物語によって、こちらに干渉されるのが面倒だから、早めに潰した。ただ、それだけだ、花子」
佐々木の心情なんぞ考慮する理由は無い、と次郎は断言した。
それは強者の理屈……なんて上等な物では無く、ある意味、とても当たり前な物だった。誰だって、さほど親しくない人間のために、心を砕こうなどとは思わない。これがもしも、佐々木が鈴木と友達であったのなら、もう少し鈴木も手段を選んだのだろうが、
「面倒事は早めに潰すに限る」
鈴木にとっては所詮、それは面倒事に過ぎないのだ。
日常の延長戦。休んだクラスメイトの家に、課題のプリントでも届けに行くような、面倒と同じ程度の。
「傲慢ですね。そちらの大罪はよろしいのですか?」
「傲慢だとも。傲慢にならざるを得ない力を持っているからな。謙虚過ぎても、今度はそれが逆に嫌味になって、傲慢になるし」
力を持つ物にとって、傲慢は死ぬまで付き合う友のようなものだ。まず、自分の傲慢を認めることが、驕らずに済む最短距離の精神修行なのである。
「私はてっきり、美少女とフラグを立てながら異能バトルが始まりそうな佐々木君を、こう、妬ましく思って彼の物語の邪魔をしたのかと」
「別にどう思われようが構わないが……俺が放っておいた場合、無力なクラスメイトであるお前が、異能バトルの被害者になる確率は高いぞ」
「いつも日常の守護に感謝しております、鈴木大明神様」
「よろしい」
南無南無と、両手を合わせて次郎を拝む花子。
外見以外は低スペックな花子にとって、その手の非日常が始まれば、それは日々戦場の如く死線を彷徨うことを意味する。一応、次郎から緊急防御のためにお守りも貰っているのだが、死亡率が少ない日常を望むのは当然の事だ。幼馴染が規格外だとしても、花子自身はただの一般市民に過ぎないのだから。
「なんにせよ、平穏に生きられるのならそれに勝る幸運なんて無いからな」
「経験者は語りますね…………そういえば、中学二年生あたりでしたっけ? 貴方が初めて非日常に触れたのは」
「そうだったな……最初は異世界召喚だったな……」
遠い目をして、過去を思い出す次郎。
次郎が最初に非日常へ触れたのは、異世界への召喚。しかも、かつて母親が魔王と父親が勇者をやっていたファンタジー世界だったのである。そこで、次郎は勇者でも、魔王でもなく、一人の修羅として物語を紡いだ。
「そういえば、そのことについて詳しい話を聞いた時はありませんでしたね。どうしてでしょう?」
「それはな。俺が命からがら異世界から帰ってきた時、お前に告白をして振られたからだ」
「ああ、そんなこともありましたね。いきなり行方不明の幼馴染が帰って来て、告白された物でしたから。ついつい、本音で振ってしまったのでした」
「リアルな断り文句で、俺の心はえらく傷ついたわ……」
ちなみにそれが、次郎の二回目の告白だった。
これ以降、完全に花子に対する恋愛感情を失い、次郎は花子を女として見なくなったのである。なんか、本当に欲情もしなくなって、ガチの類で女として見ていない。
「そんなどうてもいいことはさておき」
「俺の告白をどうでもいいとか言いやがって……」
顔を掌で覆って項垂れる次郎。恋愛感情は消えたが、今だにトラウマが癒え切っていないようだ。
だが、当の花子はというと、そんな次郎になど構わず、言葉を続けている。
「どうせなら、その時の話でも聞かせてくださいよ。昼休みの暇潰しとして。いいでしょう? 減る物では無いでしょうし」
「いや、これが減るんだよ――――お前の正気とか」
「真顔で言われると本当に怖いのでやめてください」
うひぃ、と花子は喉の奥を震わせた。
次郎が体験している非日常の中には、常人がその話を聞いただけでも、精神がすり減ってしまう類の物も存在する。次郎が初めて世界を救った異世界召喚の話も……修羅となった英雄譚も、それに分類される物だ。
「それに、アレは俺の黒歴史だからな。俺の黒歴史は結構ガチな物が多いから、訊かない方が精神衛生上よろしいのだが?」
「うう……そこまで言われると、逆に聞いてみたいですね、どうしても……」
間違いなく花子は怖いもの見たさで死ぬタイプの人間だった。
ホラー映画だったら、事件の発端になって死ぬタイプの死亡要員だろう。
「いいじゃねーか、主様。聞きたいのなら、話してやれば」
ここで、次郎と花子以外の第三者から声がかかる。
「世界を救った主様の英雄譚だ。救われた世界の住人としては、気になるのも仕方ないと思うぜ。俺は」
「……ラセツ」
次郎にラセツと呼ばれた声の主は、赤みがかった黒髪の偉丈夫だった。身長は二
メートルにも届き、服越しでもごつごつとした岩の如き筋肉質な肉体だとうかがえる巨体。特注の学生服でも、前を空けていなければ、到底着ることも出来ない。
なにより、その凶悪な面構えは、生まれつきを考慮しても、おおよそ堅気では無い物だった。
彼の名前は茨木 羅刹。
次郎と共に、こちら側の世界へやってきた異世界人だ。
「主様はやめろと言っているだろう」
「やめませんぜ、主様。俺がアンタを畏敬している限りは」
そして、次郎の戦友でもあったりする。
「次郎。ここまで盛り上げておいて、今更ナシは有り得ません」
「…………はぁ」
思わぬ人物の登場で、完全に花子の感情が興味に傾いてしまったらしい。確かに、今更やめるとなると、後が怖い次郎だった。
「わかったよ、話すよ、話せばいいんだろ。でもな、話す前に、一つだけ注意事項だ」
観念したように肩を竦めた後、次郎は鋭い視線を伴って花子へ告げる。
「昼飯を吐くことになっても、文句は言わないでくれよ」
こうして、次郎は語り始めた。
己が非日常と関わり始めた最初の物語を。
神さえ殺した、修羅の英雄譚を。