第27話 希望を蹂躙せよ
赤梨朽名は己の生まれた日を知らない。
親も知らない。
兄妹も知らない。
家族すら、知らない。
だから当然、愛なんて理解不能だ。訳が分からない。
朽名は気づけば、今のままの姿でそこに居て、当たり前のように『マクガフィン』としての仕事を行っていた。
マクガフィンとは、物語を進める上で用いられる一つだ。
デウスエクスマキナは、物語を収束させる役割を担っているが、マクガフィンは、様々なイベントを起こす仕掛け人といったところだろうか。もっとも、黒幕と呼ぶには、代替可能でありふれた存在なので、相応しくは無い。
次郎や朽名以外にも、世界中には、様々な舞台装置の役割を担った存在が居る。その中でも、マクガフィンはその名の意味通り、『代替可能な仕掛け』に過ぎないのだ。朽名一人が死のうが、生きようが、何をしようが代わりが居る。
次郎のように、唯一では無い。
だからこそ、朽名は次郎に憧れていた。
同じ舞台装置でありながら、世界の危機やイベントを――主にマクガフィンたちが仕掛けた物だったが――回収して、何度も砕いてきた。舞台装置として、決してヒロインなんて物が現れない、シビアな戦いでも、投げ出すことなく最後までやり通した。
愛が無くても、人は輝けるのだと証明してくれた。
だからこそ、朽名は世界を破滅させるのならば、次郎と一緒が良いと思っている。
共に復讐をするのだ。
我ら舞台装置に愛を与えなかった理不尽な世界に。
愛を教えてくれなかった人類に。
愛や希望を思う存分に踏みにじって、嗤って、最後に勝利を決めるのだ。
そんな最後だったら、きっと爽快だろう。笑顔で、消えて行けるだろう。
だから、だから、赤梨朽名は世界を壊す。
愛無き舞台装置でも、笑顔で消えられるのだと証明するために。
●●●
六日目。
ここまで来ると、もう神社を訪れる者は本当に少なくなっていた。
次郎が源蔵を倒したのを最後に、もう、次郎と同格――そして、それ以上の存在は世界から一つを除いて消え去った。無論、妹を除いた次郎の家族も含めて、だ。後は、天使たちから、隠れて生き延びている人類が少し居るだけである。
もっとも、七日目に達してしまえば、全ては終わりなのだが。
デウスエクスマキナとマクガフィンの合作である世界魔法が、七日目に惑星ごと全ての生命を――否、宇宙さえも終焉させる。これは、この世界に存在している物体ならば、生命、非生命に関わらず、逃れられない。つまりは、発動させしてしまえば、防ぐことは不可能。次郎と朽名の勝利である。
当然、人類の生き残りたちはそれを認めない。
世界の終焉など認められるわけも無く、例え、充分な戦力が揃っていなくても、戦いに挑まなければならないのだ。
「とおりゃんせ、とおりゃんせ――」
「来たかな?」
時刻は早朝。
源蔵との死闘が決着してから、五時間も経っていない。
空はまだ朝日に染められたばかりで、紫から段々と色が変わっていく最中だ。
「ようこそ、人類最後の希望たちよ! 君たちが、恐らく、最後の挑戦者だ!」
朽名は大仰に両手を広げ、神社痕にやって来たレジスタンスのメンバーを歓迎した。
最後の決戦に選ばれた精鋭は、デウス、藤二、蓮花、美月、羅刹とその他全世界から集められた強者たちである。もっとも、集められた強者と呼称しても、所詮は、次郎が『交渉するまでも無い』と見逃したに過ぎない程度だ。
そう、次郎と源蔵の戦いの痕を――山一つが、砕かれ、均された痕を見て、恐怖を覚える程度の有象無象に過ぎない。
「貴方が、この大災害の……いえ、黙示録の主犯ですか?」
メンバーの中で、デウスが一歩踏み出して朽名に訊ねた。
かつて神社があった場所の有様を見ながら、その声は微塵も震えていない。伊達に、次郎と共に邪神たちから世界を守った魔法少女のエースでは無いのだ。ここで、怯む程度ならば、かつての決戦で命を落としている。
「私と、彼が主犯だよ。うん、ちょっと思うことがあってね。世界を滅ぼして、終わらせてあげようと思ったんだ」
「…………一応言っておきましょう。お願いですから、世界を滅ぼさないでください」
「あははは、そりゃ駄目だ。いくら君が、かつての次郎の相棒だとしても……うん、残念ながら無理。諦めて死んでおくれよ」
あっけからんと残酷に言い放つ朽名。
平凡な顔立ちから作られた朽名の笑顔は凡庸で、印象に薄く、だからこそ、言葉の冷たさが余計に際立っていた。
「そうですか。では、最後に…………次郎」
「…………」
朽名から次郎へと視線を移し、デウスは告げた。
「貴方がどんな理由で世界を滅ぼそうとしているのかは、分かりません。今思えば、かつて背中合わせに戦った時から、私は貴方が怖かった」
「…………」
狐面を被る次郎からは、表情は伺えない。
仮面の下からでは、感情すらも読み取れなかった。
「愛も無く戦える貴方が、怖かった。ただの義務感で戦える貴方は、異常だった。けれど、それ以上に背中を任せた時は頼もしかった。まぎれも無く、貴方は私の戦友でした」
だからこそ、デウスは視線に冷たさと敵意を乗せ、淀むことなく言い切る。
「ですが、今の貴方は世界の敵だ――倒さなければならない!」
ぱぁん、と拍手が一つ。
デウスは即時に、次郎の理を無効化させる術式を発動。僅か十分にも満たない間だが、これで、心置きなく精鋭たちは力を振るえる。
「四神巡って、邪悪を縛れ!」
藤二が放った呪符は、術者の寿命すら削る呪いの束縛を生み出す。
次郎の体を、見えない大蛇が締め付けるかのように拘束し、行動を封じる。恐らく、拘束できる時間は三秒にも満たない。
だが、レジスタンスたちには三秒もあれば充分だった。
「こぉんのぉ――――馬鹿兄貴ぃいいいいいいいっ!!」
大地を鳴動させる勢いで、蓮花が地面を蹴り飛ばした。
一秒にも満たない間に、蓮花は次郎と肉薄する。周囲の大気すら焦がすほどの勢いで、純粋なる力を持って、拳を振るう。
さて、ここでレジスタンスたちが見出していた勝機について語ろう。
まずは、レジスタンスたちは次郎の体調の不良を見抜いていた。源蔵と次郎が死闘を繰り広げたことまでは知らないが、その後遺症で、満足に体を動かせないことをデウスが見抜いていたのである。
外見こそは、かすり傷一つも無く、服に汚れも見当たらない次郎だったが、それは装っているだけだった。源蔵の斬撃概念が纏った一刀は、次郎の再生能力をもってしても回復しきれなかったのである。体では無く、魂に傷が付いてしまったから。
だから今、次郎は満足に右腕が動かせず、全力で動けば鮮血をまき散らしてしまうほどに弱っている。
そして、そんな弱っている次郎にぶつけるのが、レジスタンス最強の戦力である、蓮花だ。
かつて次郎自身が認め、実際に敗北した純粋強者。戦闘力だけなら、次郎を凌ぐ性能を持つ英雄の妹。彼女の全力の一撃を、次郎にぶち当てることこそが、この作戦の肝だった。
次郎が何か奇策を使って、蓮花を無力化させるかもしれない。ならば、その前にこちらの全力をぶつけて倒すのみ。
シンプルながら、一番効果的な作戦だった。
「――あ、れっ?」
ただ一つ、惜しむことがあるのならば、そう、彼らレジスタンスは勘違いしていた。
確かに次郎は、己自身で戦闘能力ならば妹に劣ると言っていたし、美月を巡る騒動では、その一撃に倒れたこともある。
けれど、考えてもみてほしい。
果たして次郎は、兄妹喧嘩で本気を出すような、大人げない兄だったのだろうか?
例え真剣勝負だったとしても、殺す気で相手にするような兄だっただろうか?
「な、なんで、私、力が、でな…………?」
答えは、地面に倒れ伏す蓮花を見れば、察することが出来るだろう。
「馬鹿な! そんな、馬鹿なことがあってたまるものか!」
藤二は見た。
己の呪いが、刹那の間に『解析と解呪』を行われた光景を。
「次郎、やはり貴方は恐ろしい」
デウスは見た。
絶望に至るまでの、流れを。
それは簡単に説明すれば、このような流れだった。
拘束を解除した次郎が、最小限の動きで蓮花の拳を回避。同時に、カウンターのような形で、蓮花の顎を撃ち抜く。そのまま、流れるような動作で無数の打撃を叩きこみ、蓮花は戦闘不能に追い込まれた。
「…………あぁ、こんなことなら、風俗にはちゃんと連れていくのでした」
時間にして三秒にも満たない戦闘。
つまり、たった三秒でレジスタンスの希望は打ち砕かれたのである。
「開け、異界の扉よ」
戦闘不能になった蓮花は、あっさりと次郎の生み出した『ゲート』に飲み込まれ、姿を消した。止めを刺そうとした瞬間、急に覚醒されても困るので、異世界に飛ばしたのである。
蓮花は異界を渡る術を持たないので、自力でこちらに戻ってくることは出来ない。つまり、これによってレジスタンスの最大戦力は排除されたことになる。
「れ、蓮花ちゃん!! 待って――――あっ」
慈悲だったのか? それとも、ただ単についでに過ぎなかったのか? 『ゲート』が世界の修正力によって閉じる前、次郎は美月も蓮花と同じ異世界へと飛ばした。
これで、何かの拍子に美月が覚醒し、邪神としての力を振るうフラグもきっちりと排除。
物語のような逆転劇は、起きない。
「くっ――――それでも! 諦められるはずがありません!」
例え己の敗北が見えていようとも、デウスは足掻くことを選んだ。
戦士としての鋼鉄の精神は、決して絶望に折れることなく、戦いを続けようとして、
「裏切れ、ラセツ」
「あいよ、主様」
背後からの裏切りによって、物理的に強制終了させられた。
「あ…………」
鬼の腕が、背中からデウスの心臓を貫いていた。
即死だった。
デウスは、誰が裏切ったのかを知る間も無く絶命し、敗北したのである。
「お前ぇ――!!」
あまりにも唐突な裏切りに、藤二は激昂と共に裏切り者へ向ける呪詛を紡ぐ。
その時点で、藤二の敗北は決まっていた。
次郎から意識を逸らしてしまうという愚を犯した時点で、その体は紅蓮の劫火によって焼き尽くされてしまっていたのだから。
復讐する間も、愛する者を想う間も無く、一瞬で藤二は焼き尽くされた。
同じく、世界中から集められた強者たちも、抗うことすらできずに紅蓮に飲み込まれ、焼き尽くされていく。
「…………主様。どうか、お目こぼしを」
「いいだろう」
最後に、羅刹の苦笑交じりの懇願を受け入れれば、全ては終わりだ。
羅刹を、蓮花や美月と同様に異世界に飛ばせば、後は抗う者なんていない。
残ったのは、次郎と朽名の二人だけ。
「終わったね、次郎君」
「…………」
「私たちの、勝ちだ」
雲一つ無い蒼天の日、世界の終焉が決定された。




