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第26話 月下死闘

 五日目。

 天使によって破壊された町の中を、一人の少女が走っていた。

 彼女は銀髪を靡かせ、何かから逃げるように必死に足を動かしている。


「はぁ、はぁ、はっ――――あ、もうダメ、無理……」


 しかし、その走りは遅い上に、体力が無かったのか、直ぐに少女は倒れ込んでしまう。少女が倒れ込むと、直ぐに、少女の周りには天使たちが集まり始めた。


『お客様ぁ、終了の時間デース』


 天使の無機質な声が重なり、晴天に響く。

 見上げる空は青く、世界は万事何事も無く回っていると言わんばかりの、快晴だ。だが、そんな青い空の下で、銀髪の少女は絶体絶命の危機にあった。


 天使たちは嬲る様子も無く、躊躇う様子も無く、ただ作業として少女へと手を伸ばす。その四肢を引きちぎり、創造主の命令を果たすために。


「ひっ」


 少女の喉から、引き絞られた悲鳴が零れる。

 端麗な容姿は恐怖で歪み、数秒後に訪れる自分の死という現実に耐えきれず目を瞑った。


「誰か……美島さん……」


 少女は愛おしい者の名を呼ぶが、奥歯を噛みしめて込み上がる何かを堪えた。

 今、此処で恋人の名前を呼ぼうが、どうにもならない。仮に助けに来てくれたところで、恋人も巻き込んでしまう。それだけは、それだけは御免だった。

 だから、少女はせめて、最後の抵抗を行う。恐怖に縛られて一度は閉じてしまった瞼を開け、最後の瞬間まで、現実と向き合おうとした。


「――えっ?」


 少女が瞼を開けた瞬間、視界は紅蓮一色に染まっていた。

 美しく、見覚えのある紅蓮の焔。それは、少女の体から湧き上がるように溢れ、自動的に周囲の天使を焼き尽くした。まさしく、一瞬。瞬きをした間に、あれほど恐ろしかった者たちを、灰すら残さず排除してしまったのである。


「なん、ですか、これ……これは、次郎の…………」


 少女が唖然としている間に、紅蓮の炎は一体の動く全身鎧へと姿を象った。そして、少女に傅き、忠誠を誓うような動作を行う。

 その動作を見た少女は――花子は、何回か目を瞬かせた後に、苦笑した。


「ほんと、あいつは昔からこうでしたね。いつもあっさりと私が恐怖する何かを、鼻歌交じりに倒して見せて」


 今はもう遠くに行ってしまった幼馴染の姿を思い出して、静かに決意を固める。

 小さく、柔らかな両手で拳を作り、深く息を吐いた。


「美島さん、すみません…………貴方に会いに行く前に、馬鹿を殴ってきます」


 こうして、銀の少女は世界を救うことを決意した。

 紅蓮の騎士を従えて、金色の瞳で空を睨んで。

 世界に抗うように、今、走り出した。



●●●



 倒せない相手が居たのなら、どうするか?

 答えは簡単だ、倒せないまま、相手をどかせばいい。

 自分の目的を果たすまで、その障害を排除すればいいのだから、考え方を柔らかくすれば、おのずと答えは出るだろう。

 戦って勝てないのなら、交渉で。

 交渉でダメなら、脅して。

 脅しても無理なら、視点を変えて、籠絡して見せよう。

 何かに縛られる必要なんてない。例えば、バトル漫画の主人公が、ラスボスと戦わずに話し合いで因縁を解決したら大問題だ。推理小説なのに、探偵が推理せずに容疑者全員を簀巻きにして安全確保をしたら、台無しだ。


 だが、現実に限ってはそんな縛りなど存在しない。

 本人さえ望むのなら、法律という縛りすら潜り抜けて、あらゆる方法で目的を成し遂げることが可能であろう。何かを為そうという者に、信念やモラルといったルールが無ければ、それはより柔軟な方法を取ることが可能だ。

 けれど、忘れること無かれ。

 何かを成し遂げるために、己のルールさえも無視するようになったのならば、それはもはや、ただの畜生以下である。奇策は小手先の小細工に成り下がり、価値を失くす。


 だからこれは、次郎が次郎として存在するための、最低限の相対だったのだろう。


「いやはや、神様に願ってみるもんだなぁ、おい」


 月下。

 奇しくも、かつて共に世界の危機に対して手を組んだはずの両者が、対峙している。


「まさか、こんな最高の舞台を用意してくれるとは!」


 かかか、と愉快に笑うは、老剣士――源蔵だ。

 いつも通りの和服姿に、刀を一本腰に下げて、佇んでいる。


「…………」


 源蔵と真正面から対峙している次郎は、何も言わない。

 もはや、此処に至って何も語ることはない、ということなのか。はたまた、何か話せない事情があるのか、源蔵には分からない。いや、分かるつもりなど無かった。

 ここまでお膳立てされて、乗らなければ男では無い。


「いいぜ、分かってる。何も言わなくていい……ただ、手抜きだけはするなよ? もちろん、分かっていると思うが、互いに『殺す気』で、だ」


 一介の剣士として、強者を目の前にして刀を抜かずにはいられない。

 今、この時のためにこそ、己の剣はあったのだと。この超越者を殺すためだけに、無駄に長い人生を生き延びて来たのだと、源蔵は確信した。


「…………」


 次郎もまた、纏う空気が剣呑な物へ変質し、研ぎ澄まされていく。

 小細工も交渉もする気が無い。真っ向正面からの決闘を、次郎は了承したのだ。


「かかっ!」


 愉快そうに喉を震わせて、源蔵は笑う。

 笑って、笑って――――やがて、その笑みが狂気に歪む頃。



「御影流当主、柊源蔵――――推して参る」



 音も無く源蔵は抜刀し、生涯最後の死闘を始めた。



●●●



 紅蓮が舞い、空間が千切れ飛ぶ。

 もはや、周囲はまともな光景では無い。 

 大地は当然のように抉られ、己の膝丈よりも高い物体など存在せず、物理法則すら荒れ狂っていた。


「しぃ!」


 源蔵の振るう剣は当然の如く音を超える。

 雷に迫り、刹那の間に幾重もの斬閃を放ち、概念すら切り裂く。

 どれだけの硬度があろうが、頑強に作られていようが、その剣の前では無意味。ただ、『斬る』ということだけに特化した一刀は、必殺にして必滅。


「…………」


 ならば、その斬撃を紅蓮の枝剣にて受け止めた次郎は、どんな魔法を使っているのだろうか? 否、何も使ってなどいない。ただ、ひたすらに枝剣へと己の全力を込め、情報を圧縮。斬られる時間を無理やり引き延ばしているに過ぎない。


「かかかかっ! 爽快愉快!」


 決して受け止められることのない一刀。

 それを幾度も受け止め、なおも、追いすがってくる強敵が居ることが、源蔵はたまらなく嬉しかった。今すぐ、斬り伏せてやりたいほど、感謝していた。

 修羅の如く極めた剣術は、現代には既に不要となっている。


 剣で敵を殺すよりも、銃弾で。

 銃弾で殺すよりも、爆弾で。

 爆弾で殺すよりも、情報で。

 より効率的に殺戮を求める人類の進化は、古臭い殺人剣などをあっという間に置き去りにした。今でこそ、化学兵器の通じない規格外に、源蔵の剣は通用するが……その内、この騒乱が終わったのなら、今度こそ不要となるだろう。

 ならば、その前に。

 いつか夢見た剣の頂で、最高最悪の好敵手と共に踊り狂うしかない。


「かかかかっ! この化物め!」


 楽しげに源蔵は次郎へ罵倒を浴びせる。

 既に、振るう剣の挙動は次郎に解析され、受けよりも避けられる回数の方が増していた。見てからの回避では無く、経験と戦闘勘による薄皮一枚のグレイズ。

 次第に、次郎の動きは防戦から、攻勢へと移っていく。


 次郎が手に携える紅蓮の枝剣は、元は不定形だ。ただの炎を型に嵌めて、剣として扱っているに過ぎない。ならば、回避によって余分となった情報量は、攻撃に当てても問題ない。


「喰らえ、我が爪牙」


 次郎が短く命じると、紅蓮の劫火は獣の牙を象って、源蔵へ襲い掛かる。


「くかっ!」


 当然の如く、源蔵は斬撃概念を纏わせた一刀でそれらを斬り伏せる……が、手数が間に合わない。一度防御に回ってしまえば、後はじり貧だ。進化し続ける次郎の戦闘センスと、比例的に増える紅蓮の爪牙が、源蔵を追い詰める。


 以前、源蔵は次郎と戦った時、これで追い詰められた。

 鍛え抜かれた精神に僅かな焦りが生まれ、己の最高峰の秘剣で勝負を決めようとして、その隙を突かれてしまったのだ。

 しかし、今の源蔵に焦りなどは微塵も無い。

 既にその精神は屍の如く冷え切っている。

 この相対を勝利でお得られるのならば、老い先短い人生など不要だと切って捨て。

 冷徹を持って、己が最高の剣を放った。



「秘剣――――斬らずの太刀」



 紅蓮よりも赤い鮮血が舞った。

 鮮血を散らすのは、次郎。右腕は斬り飛ばされ、左肩から右腰に掛けてまで、深く切り裂かれている。


「…………」


 無言のまま、ぐらりと揺らいで、次郎は己の血だまりに倒れた。

 既に見切っていたはずだった。

 雷速のそれを、進化し続ける次郎の戦闘センスが捉え、完全に回避できていた。源蔵の動作から剣の軌跡を予想し、紙一重で避けることが出来ていたのである。

 ならば、今回の斬撃が躱せなかったのは当然だ。


「かか、かかかかっ!」


 源蔵は剣を振るっていない。

 ただ、振るおうとしただけで世界が行動を誤認し、次郎へ『斬撃の結果』だけを押し付けたのであった。

 過程を破却し、結果だけを押し付ける斬閃。

 因果さえも切り伏せた、一つの剣の極み。

 それが、御影流の中でも秘奥の秘奥。

 源蔵だけが辿り着けた、斬らずの太刀である。


「かかかかっ! かかかか――――」


 そして、生涯最後の一刀だった。


「俺の負けだ、餓鬼」


 源蔵の胸の中央には、拳大の穴がぽっかりと空いていた。

 それは、源蔵の秘剣を受けた直後に、刹那にすら満たない間隙を突いた、次郎の一撃だった。派手な紅蓮ではなく、シンプルな拳一つで、最低限の破壊。いくら剣鬼とはいえ、その体は人間の物。胸を穿たれ、心臓を潰されれば生き延びられる道理はない。


「…………」


 残った左腕で、次郎は器用に血だまりから起き上がる。

 既に、その体は規格外の再生能力による、傷の大部分が塞がっていた。


「…………かか、まさか、この秘剣も見透かしてるなんて、なぁ?」


 既に絶命してもおかしくない傷を負いながら、それでも、最後の敗者の務めとばかりに、源蔵は負け惜しみを言う。

 御影流の秘剣、斬らずの太刀。

 もちろん、次郎は初見であったが、かつて、とある賭けによって鏡花から盗み取った秘奥の一端。そこから、御影流の極みを推測し、斬らずの太刀を予測していたのだった。


 次郎は源蔵の精神状態を、視線を通して理解し、秘剣の発動を感知。急所となる座標にある己の体を、緊急駆動により避けさせたのだ。それでも、右腕を失い、体に深い傷を負ったが、問題ない。

 次郎は既に人では無く、即死でなければいくらでも体は再生するのだから。


「あぁ、まったく……この、化物……め……」

「…………」


 源蔵の体が、崩れ落ちた。

 楽しげな負け惜しみだけを残して、その体は霞の如く消え去った。


「…………とおりゃんせ、とおりゃんせ――」


 残ったのは、寂しげに響く次郎の歌声のみ。

 美しき月下にて、ついに剣鬼はその生涯を閉じたのだった。

 鬼を超える、恐ろしき邪神の手によって。


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