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第22話 アンタは世界に嫌われている

 次郎が飛鳥の感情回復のためにやったことは、簡単だ。

 美味しいご飯に、面白い漫画。後は、出来るだけ一緒に居る時間を増やして、良く会話をする事。ただ、それだけである。


 心に深い傷がある者には、まず、五感から精神に良い刺激を与えてやらなければならない。なぜなら、あまりに傷が深すぎて、その痛みが分からなくなってしまっているからだ。まず、正常な感覚を取り戻させて、痛みを思い出させる。その際、注意しなければならないのが、痛みを喚起させる際、絶対に一人にしないことだ。傷を喚起された者は、トラウマのフラッシュバックにより、突発的な行動に陥る多い。最悪な部類が、衝動的に自殺をしてしまうケースである。

 次郎は、細心の注意を払いながら飛鳥の傷を開き、そして、ゆっくりと閉じてやったのだ。


「次郎様、私はここに居ていいのですか?」


 涙ながらに訴えられた問いかけには、次郎は優しく頷いた。


「次郎様、次郎様、その……お時間があったら、一緒にゲームをしましょう」


 仕事の合間を縫って、飛鳥と共に大いに遊んだ。


「次郎様……私、次郎様と出会えてよかったです」


 感情を失くした少女が、微笑みを見せてくれるようになったのは、同居して一か月半を過ぎたあたり。それを早いとみるのか、遅いとみるのかは人の主観次第だろう。


 けれど、次郎が飛鳥を過去の呪縛から解き放ったことだけは事実である。短くない時間を無感情に過ごしてきていたので、まだ表情はぎこちない。だが、もう傷口が膿んで痛むことも無く、後は、時間が癒してくれるまでに回復したのだった。


 神となった少年と、その傍に寄り添う幼い少女の日常。それを、詳しく書き記していけば、心温まるハートフルストーリーとなったかもしれない。

 その後に来る、茶番のような少女漫画ストーリーが無ければ。



「飛鳥を! 飛鳥を俺は奪いに来た!」

「んんん?」



 次郎が飛鳥と同居を始めて二か月経った頃。

 今日も今日とて仕事を終わらせ、幽世に戻ってさぁ、風呂に入るぞと次郎が帰る寸前の、夜の神社。そこに、飛鳥より一つか二つぐらい年上らしき少年が、やってきたのである。


 しかも、霊感があるらしく、神霊化している次郎の姿を視認して、出会い頭にそんなことを叫んで来たのだった。


「時に落ち着け、少年。さっぱり、意味が分からん」

「だから、俺は――」

「説明しろと言っているんだ、餓鬼」


 緊張と興奮で自分に酔っているのか、まったく次郎と話が通じない少年。仕方なく、さくっと洗脳して事情を語らせてみると、次のようなことが分かった。


 曰く、少年は飛鳥がこの土地にやってくるようになってきた時からの、知り合いらしい。偶然、神社の周りで遊んでいる姿を見かけて、一目惚したのだとか。そこからまぁ、何とか話しかけ続けて、最近、飛鳥に告白。すると、飛鳥は『私は神様のお嫁さんだから、貴方の気持ちに応えることが出来ない』と返答。ならば自分が奪いに行く、とわざわざ人気の少ない時を見計らって神社に突撃したという訳だった。


「性根は悪い奴じゃなさそうだし、今時珍しい熱い奴だな……ふむ」

 とりあえず、片方の感情だけでは話にならないということで、飛鳥も呼んで三者面談することになった。


 その結果、どうにも、飛鳥も少年とやらを憎からず想っているようである。ただ、次郎への恩義の方が大きく、自分の感情を認めようとしてなかったのだ。


「あのね、飛鳥。俺は前に言っただろう? お前が笑顔になれる何かを見つけなさい、と。その課題を果たしたのに、お前が躊躇ってどうするんだ?」


 次郎は優しく飛鳥を説き伏せ、少年への想いを認めさせた。

 その後の流れはありきたりだ。さっくりと次郎が神としての権限を使い、飛鳥の戸籍を用意させる。流石に同棲は早すぎるので、ちゃんとした保護者を選定。定期的に首塚の家が監査に入ることも条件に入れて、飛鳥を嫁に送り出してやったのである。


 もちろん、幼い恋だから、途中で砕けるかもしれない。だが、そうであったとしても、既に飛鳥は壊れた操り人形から、人間に戻ったのだ。新しい恋を見つけて、頑張るだろう。心が挫けたのなら、いつでも戻ってきていい。だから今は、前を向いて歩いていきなさい。

 そんな気持ちを込めて、次郎は飛鳥を送り出したのだった。


 めでたし、めでたし。



●●●



「とまぁ、こんな流れだったな。お前が居ない間に色々とドラマがあったと言うことだぜ、藤二。俺も父性という言葉の意味を学べたイベントだったな」

「…………アンタは、馬鹿ですか?」


 あっけからんと語る次郎へ、藤二は苦々しく言葉を返した。


「なんで、そんな……例え数か月の間でも、共に過ごした子だったのでしょう? なんで、そんなあっさりと他の男に渡すんですか!?」

「本人がそれを望んでいたからな。後、あっさりじゃないぞ。きっちりと父親っぽいイベントはやったし、覚悟も確認した」

「餓鬼の覚悟なんざ、たかがしれているでしょうが」


 吐き捨てるように言う藤二。

 対して、次郎は苦笑するようにして答えた。


「そうでもないさ。あれは中々の傑物だったぜ、俺が飛鳥を送り出してやっていいと思えるぐらいには。後でお前も会うといい。それで分かるだろうさ」

「…………仮に、そうだったとしましょうか」


 ですが、と藤二は言葉を続けて次郎を睨む。


「飛鳥は本当に貴方に送り出されたかったのでしょうか? 僕が見た時は、少なくとも、貴方以上に懐いている存在などいなかった」

「俺は父親代わりみたいなもんだからな。そういう面では、慕われていたが、恋い焦がれるという相手ではないさ。送り出してやったのは、あまり長く幽世に居ると、人間から外れてしまうからだよ。これから人の世界で生きるのに、それでは不都合だろう?」

「…………」

「そんな顔をするな。俺だって、慕ってくる子供を突き放すようで辛かったさ。だが、飛鳥が人間としてまともに生きるためには、それしかない。ちゃんとした保護者も選んで、生活費も用意してやったし……あぁ、お盆と正月ぐらいは里帰りしてくれると嬉しいがな」


 飛鳥のことを語る次郎の姿は、まるで本当の父親の様だった。

 僅か数か月だが、次郎が飛鳥に対して目覚めた父性は本物であり、また、飛鳥も次郎のことを父親のように慕っていた。だからこそ、この結末こそが最善。

 父親の役目とは、娘を信用できる男に奪われることなのだから。



「そんなわけがあるか」



 しかし、そんな最善を藤二は憎々しげに否定した。

 これ以上悍ましい物が存在するのか、と言わんばかりに、次郎の身に起こった出来事に対して憎悪を抱いている。


「おいおい、藤二。何を怒って――――」

「気づいていないのか!? それとも、気付いていて無視しているか!? ああ、どちらにしろ、気に食わない!」


 冷たい微笑を憎悪の炎にくべ、敬語の仮面を砕いて。

 藤二は、次郎の身に起こった理不尽に対して嚇怒を示していた。


「なんだその茶番はぁ!? おかしいだろ、おかしいだろ、おかしいんだよ! どうして、そこで他の男が出てくるんだ!? しかも、その男はアンタが、世界の英雄が認めるレベルの良い男で、飛鳥も惚れるレベル? なんだ、それは!」


 歯を剥き出しに吠え狂い、藤二は隠された理不尽を指摘して行く。


「いいか、次郎さん。そんな少女漫画みたいなストーリーはな、現実に有り得ないんだ。有り得てはいけないレベルの出来事なんだよ。そうだな、百歩譲って、飛鳥に惚れる男が出てくるまでは良いだろう。けど、どうしてそこで飛鳥の心が揺れる? 無いだろ。自分の感情を戻してくれた相手が居るんだぞ? そりゃ、顔は確かに美形じゃないが、それでも、幼い子供が勘違いして恋をするのには充分だ」


 もちろん、飛鳥の心が揺れるには充分な理由があるのだろう。

 飛鳥を奪って行った少年というのは、それだけの魅力にあふれた存在だったのだろう。次郎が認めてしまうほどに。

 そんな都合のいい存在があっさりと現れたことに、藤二は怒りを隠せない。


「飛鳥がアンタに向けていた感情は恋じゃなかった? ああ、そうかもしれないな。でもな? 恋なんて勘違いみたいなもんだろう? そこから始めるもんだろう? なのに、なんでアンタに惚れずに少年とやらに惚れてんだ? 気を向けているんだ? ああ、分かってる。恋だと勘違いする前に、適任が送られてきたんだろう。ああ、分かって来たぞ、糞が」

「お、おい、藤二?」


 ぶつぶつと怒りに任せて言葉を吐き散らず藤二に、次郎は戸惑う。

 本当に、次郎は分かっていないのだ。なぜ、藤二がこんなにも怒っているのかを。


「大体、アンタもアンタだ、次郎さん。前々から思っていたが、アンタはおかしい。どうして、そこまで他人に奉仕できる? 僕なんて、赤の他人以下の奴だぜ? そんな僕の懇願を受けて、今までの生活を捨てて神に成って……あぁ、くそ! そうだよ、後悔しているよ! それしかなかったとしても、もうちょっとマシな結末が欲しかったよ!」

「落ち着け、藤二! 本当に何が何だかわからんぞ! 狂ったのか?」

「狂っているのは、アンタだ! そして、この『世界』もだ!」


 藤二の言葉は支離滅裂に乱れ、表情は怒りと憐れみが混ざって歪んでいる。

 普段の冷たさなんて欠片も見当たらない。それもそうだ。藤二の纏う冷たさは、本質では無く、仮面に過ぎない。藤二の本質は、たった一人の愛する女のために易々と他者を踏みつぶせるほどの情熱だ。つまり、藤二は本来、情に厚い人間なのである。滅多に情を向ける相手が居ないというだけで。


 そして今、藤二が次郎に向けている情は、憐憫と嚇怒だった。


「人間っていうのはな、自分のために生きているんだよ! 周りのことなんて二の次なんだよ! 僕だって、『鏡花のために生きている』というエゴが第一だ。そのエゴのためだったら、いくらでも他人を踏みつぶしてやる! でも、アンタにはそれが全くない!」

「…………」

「神様になるのが嫌だったら、断れよ! アンタなら、最善じゃなくても、次善ぐらいは用意できただろうが! 折角の幼い妻を奪われてんじゃねーよ! 年下は趣味じゃない? 知るか! そんな贅沢はまともに誰かを、本当に誰かを愛してから言いやがれ!」


 藤二の吠えるような言葉が、次郎の殻を砕いてく。

 内側に隠された虚ろな真実を、引きずり出してしまう。


「それに、おかしいのはこの世界もだ! なんでだ? なんで、アンタがまともに誰かに愛されそうになると、そうなるんだ? 僕だってアンタの滑稽な失恋話はいくつか知っているさ。アンタは有名人だからな、噂話ぐらいだが、知っているんだよ」


 次郎の失恋。

 それは大抵、相手に彼氏が居る場合や、途中で次郎ではない誰かを好きになるパターンが多い。しかし、その数が五十も重なれば、誰だって違和感を抱く。


 次郎は英雄だ。

 世界を何度も救い、人を救い、数えきれないほど悲劇を砕いてきた。

 確かに、モテない一面もある。顔は不器量だ。性格だって、癖があって、万民向けでは無いだろう。それでも、誰か一人ぐらいは彼を愛してもいいはずなのだ。

 例え中身ががらんどうでも、愛を知らない存在でも、だからこそ、愛を与えようと思う者が現れてもいいはずなのだ。


「アンタ、恋人が出来ないのは全部自分の所為だと思っているだろ? まぁ、それも間違いでは無い。アンタみたいな奴を好きになる奴なんて、変態だけだ。でも、アンタは今まで三度も世界を救って……それ以上に誰かを助けて来たんだ。一人ぐらい、そんな変態が出てきてもいいと思わないか? いや、居ないとおかしいと思わないのか?」

「…………藤二。それ以上は――」

「おかしいよなぁ! まるで釣り合っていないよなぁ! 因果が全く仕事してない! アンタは他者を救うばかりで、誰もアンタを救ってくれない! これは不釣合いだ! 世界の天秤がまるで仕事をしていない! いや、それどころか、次郎さん、アンタは」

「やめてくれ」


 呟く次郎の言葉は空々しい。

 中身が無い言葉では、溢れる藤二の怒りは止められない。

 故に、次郎を取り巻く隠された真実が、ついに暴き出された。



「アンタは世界に嫌われている。アンタは世界を救っているのに」



 不運という訳ではない。

 不幸という訳でもない。

 ただ、次郎という存在は生まれ流れにして、この世界が『誰も愛さないように』と定めた存在である。

 デウスエクスマキナ。

 世界を回す舞台装置に、愛は不必要だから。

 愛があれば、世界を回すことに支障をきたすから。


 愛無き存在として、誰かを救い続けろと命令された哀れな万能者――それが、鈴木次郎の正体だったのだ。



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