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第20話 神様ライフ

 どんな仕事でも重要視されているのはコネだ。

 その点、次郎は歴史の残るレベルの天津神を祖父に持っているので、コネは充分。隣街の土地神や、高天原本部との交流はすんなりと行った。


 前任者が住んでいた幽世の住居は、狂った時に漏れなく破壊されてしまったので、住居は新築。三日で建造した割には、中々造りの良い木造一軒家だった。幽世は現世と裏側みたいにリンクしている不思議世界なので、ちょうど現世で神社が建てられている場所に家が建てられている。

 つまり、仕事場兼住宅だ。

 家の中にも仕事部屋があり、大抵家仕事。ご利益を与える時は現世へ出向く。それが、大体、一般的な土地神の仕事のサイクルである。

 神にもよるが、基本的に一日八時間労働ぐらい仕事量らしい。


「あふへぇ……」


 そう、一日八時間労働が土地神としての基本。これ以上は残業扱いというか、むしろ、労働基準法に違反するレベルのあれなのだが、次郎はなんと三日ほど寝ずに仕事をしていた。


 なにせ、前例が少ない人間による神殺しからの神格襲名だ。色々と手続きに時間が掛かるわ、書かなければならない書類が山ほどあるわで、仕事に忙殺されていたのだった。


「…………あー、うー」


 焦点の定まらない虚ろな目で呻く、次郎。

 いくら元々頑丈な上、人間のあらゆる生理的な反応を無視できるようになった次郎だが、三日休まずの仕事は精神にくるのだ。中学生の時に何日も徹夜で、軍隊と殺した経験はあるのだが、今回はそれとは逆ベクトルで辛い。例えるのなら、永遠とバケツの中の水を移し続けるような、そんな苦行だったのだ。


「うし、うし、うし…………はい、全部チェックおっけぃ!」


 だがしかし、それもこの時まで。

 神に至った現在でも、次郎の才覚は留まる事を知らずに成長し続けていた。なんと、一週間はかかると予測された仕事を三日で片付けてしまったのだから。もっとも、一週間の換算は、きちんと休憩も入れての計算なので、三日三晩不眠不休で働く必要はなかったのだが。


「はい、おわーり! 俺はもう仕事しませーん! 一か月ぐらいは、ニートやりたいでーす!」


 うへへへーい、と胡乱な奇声を上げながら廊下を次郎は廊下を疾走。目的地である、風呂場まで、わき目を振らずに走っていく。


「ヒノキ! ヒノキ! ヒノキのお風呂ぉ!」


 新築の住居には、豪勢なことにヒノキ製の風呂が取り付けられていた。しかも、現代技術と魔術の応用で、スイッチを押すだけで自動的にお湯が溜まるシステムである。

 次郎は予め、仕事の終了時刻に風呂に入れるようにスイッチを押していたのだった。


「熱い風呂で疲れを癒す! その後はフルーツ牛乳! これがジャスティス!」


 風呂場の近くには、小型の冷蔵庫が備え付けられていて、いつでも冷えた牛乳を取り出せるような仕様になっている。これで、仕事の疲れも一発で吹き飛ぶ予定だ。


「ひゃっはぁ!」


 どこぞの世紀末モヒカンの如き奇声と共に、次郎は風呂場に到着。速やかに脱衣。そして、ハンドタオルを肩に掛けて、悠々とヒノキの香りのする空間へと入って行った。

 逸る気持ちを抑えて、きちんと体を洗い、次郎はそれからゆっくりと風呂へ体を沈める。


「あぁ……最高だわ……神に成ってよかったと思える瞬間だわ……」


 暑い湯船に肩までつかると、ヒノキの香りが鼻腔を満たす。

 清められたお湯と、厳選されたヒノキ、後は現代の科学技術をハイブリットして作られた風呂は、まさに至福の心地だった。三日三晩、苦しい仕事を耐え抜いたご褒美には相応しい。


「あふ…………」


 気の抜けた吐息を漏らしつつ、次郎は今後の予定について考える。

 当面の仕事は片づけた。今の所、予定に入っている特別な仕事は無い。毎日、土地神としての日課をこなせば、とりあえず問題は無いだろう、と。


 基本的に神とは、人間よりも長いスパンで物事を見ている存在なので、今すぐ何かをしなければならない、という仕事は少ない。あるとしても、それは地脈が急に乱れだとか、あるいは、守護する土地に妖魔の類が現れたなど、緊急性を有する物だけだ。

 幸いなことに、『今の所』それは無い。


「………………あとは」


 ならば、次郎が解決すべき問題は一つだけ。

 そう、曇りガラスの向こうで、しゅるしゅるという布切れの音と共に幼女が脱衣しているという問題だ。十歳児に欲情する性癖は持ち合わせていない次郎だが、それとは別に、一緒にお風呂イベントなどを行うつもりなど毛頭ない。

 なので、手早く風呂場のドアを封印して開けられなくすることで対処した。


「…………?」


 当然、幼女の腕力では到底開けられない封印だ。しばらく、幼女はドアの前でがたがた物音を立てて挑戦していたが、やがて諦めたように言った。


「…………次郎様、次郎様……お背中流します……」

「いらん。風呂には一人で風呂に入る」

「…………もしや、スクール水着とやらでなければ――――」

「その手の入れ知恵をしたであろう、藤二の馬鹿は後で殴っておく」


 土地神に成ってからという物の、必然と次郎は、藤二と話す機会が増えていた。

 出来れば、互いに顔も見たくない嫌い様なのだが、それはそれとして、互いの仕事は終わらせなければいけないジレンマ。それは恐らく、神様を続けていく上で避けられない事だ。


 だからこそ、次郎と藤二は早々にお互いの遠慮をすっぱり失くし、ノーガードで殴り合うことを決めたのであった。つまり、俺も本音を言うから、お前も容赦なく言えよ? それで苛立ったら、素直に殴り合おう、という意味だ。

 男らしいと言えば男らしいが、一言で言えば馬鹿だろう。


 と、このように男同士であれば、多少の好き嫌いがあれど、次郎は問題なく意思疎通できるのだが、逆にそうでない場合。


「次郎様…………私がお嫌いですか?」

「そういう問題じゃねーなぁ」

「では、どういう問題なのですか?」

「慎みを持てということだよ、飛鳥」

「…………つまり、スクール水着?」

「そこから離れようぜ」


 特に、黒髪無表情系和服ロリで、それが自分へあてがわれた嫁という場合になってくると、大変難しくなってしまう。

 まるで、どう接していいかわからなくなってしまうほどに。

 好意なく近づいてくる相手は、苦手なのだ。



●●●



 当然のことながら、女子小学生の嫁などは貰えないと次郎は断った。

 断ったのだが、


「次郎さん、困りますよ、そんな我がまま言われちゃ。身の程を弁えてくださいよ? 後たった、六年待つだけじゃないですか? それとも、今すぐリビドーを満たさなければいけない飢えた男子ですか?」


 ここぞとばかりに藤二が煽って来たので、喧嘩を買って気絶させてしまったのが、まずかった。黒子たちが藤二を回収すると、残されたのは、カフェ内を微妙な空気にしてしまった次郎と幼女だけ。幼女をこのまま放っておくのは忍びないので、仕方なくあてがわれた新居に住まわせることになったのだ。


 それから、仕事で藤二と顔を合わせた時に、『新しい嫁は要らないから幼女を元の場所に帰せ』と命令したりしてみたのだが、藤二の答えは予想よりも遥に重かった。


「ありませんよ、その子が帰る場所なんて」


 羽喰飛鳥。

 彼女は両親を妖魔に殺されてしまった孤児だ。

 身寄りは無く、天涯孤独。

 それを、藤二の属する組織の施設が引き取って、今まで育てていたらしい。その過程で、飛鳥が事故のショックでまともな感情を失くし、他者の命令を遂行するだけのロボットになってしまったことを組織は理解した。そして、それを利用しようとした。


 感情が無いのなら、畏れを纏う神の嫁にはちょうどいい。

 人ならざる者どもが住む幽世でも、飛鳥ならば神の妻としての責務を果たすことが出来るのではないか、と。


「反吐が出るような話と思いますか? でもね、僕たちの組織だって慈善団体じゃないんです。例え幼い子供相手だろうと、対価は支払って貰いますよ。え? 何? 鬼畜外道? ええ、その通りでしょうね…………だから、せめて」


 藤二はその時、苦々しく顔を歪めて……どうにも出来ない苛立ちを押し殺して次郎に言ったのだった。


「次郎さんの所なら、少しはまともな生き方が出来ると思ったんですよ」


 ここまで言われて頼まれたことを断るほど、次郎は非情では無かった。

 納得できないことは多々あるが、とりあえずは飛鳥を己の嫁として認め、共に一つ屋根の下で生活することになったのである。


 結果、次郎は好意の欠片も無く、ただ『神の嫁として尽くせ』と命令された幼女のご奉仕を交わし続ける日々を過ごすことに。


「次郎様、朝餉を用意します」

「危なっかしい。座ってろ、俺がやる」


 どうにも飛鳥は不器用なようで、料理には向いていなかった。一人で包丁を扱って、指を傷つけた時は、次郎がしばらく台所に立ち入り禁止にするほど。


「次郎様、私は床上手なので共に寝ましょう」

「碌に意味も分かっていない言葉使わないように」


 時々、飛鳥は『出来る妻の秘訣!』と書かれたメモ帳を取り出して、突拍子も無いことを言う。恐らく、自分自身でも碌にわかっていない言葉ばかりだというのに。


「次郎様…………私がお嫌いですか? 私は、不必要ですか?」


 そして、次郎が一番困るのが、飛鳥が己の存在意義を問う時だった。

 飛鳥は誰かの『命令』を受けていなければ、己の存在意義さえ疑ってしまう。両親が殺され、感情が消え去った今では、誰かの『命令』に縋って生きていくしかない。


 だから、次郎が常識的な判断で飛鳥を遠ざければ遠ざけるほど、飛鳥は己の存在意義を満たせなくなり、人格が自壊するだろう。

 もっとも、受け入れたら受け入れたで、操り人形のまま何も変われない。

 羽喰飛鳥とは、そんな哀れな生贄の少女だった。


「飛鳥、お前が俺に必要か、どうかじゃない」


 だからこそ、次郎は決めた。


「お前が、何をしたいのか? それが大切なんだ」


 神に成ったのだから、まずは目の前の哀れな少女を救って見せようと。人間ならば、他者を救うなんて傲慢かもしれないが、神となった今なら、それも許されるだろうと。


 何せ、ある意味で飛鳥と次郎は同類だったのだから。

 他者によってのみ、己の存在意義を満たすことが出来るという共通点を持つ存在。

 救われない同類。

 だからこそ、次郎は飛鳥を救ってやりたいと思ったのだ。



「お前は、お前が笑顔になれる何かを見つけなさい――命令だ」



 飛鳥を救えたのならば、次郎もまた、救われるような気がしたから。


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