第18話 男のヤンデレもいるんだなぁ
呪い返しという現象がある。
これは、呪われた側が、その呪いを破ることによって起きる。破られた呪いは、呪いをかけた本人へと返り、術者を喰らう。
人を呪わば穴二つ、という言葉はまさにこの呪い返しという現象に対して、的を得ている。影に隠れて、人を仇為そうとするのだから、自業自得の結末ぐらいは覚悟しておけよ、というありがたい忠告だ。
大抵の日本人ならば知っている格言なのだが、どうにも、この忠告をきちんと理解している人間は少ない。
「…………うぐ」
「おーい、大丈夫かー?」
例えば、次郎の目の前で倒れ伏す少年のように。
話は現在から、三十分ほど巻き戻る。
次郎は今日も今日とても、有り余る才能で学業を余裕でクリア。教師からは真剣に、外国の大学を勧められつつ、それを華麗にスルー。けれど、女子も次郎をナチュラルにスルー。
恵まれているはずなのに、乾いた灰色の青春。
されど、もうそれを嘆く必要も無い。ただ、日々を繰り返すサラリーマンのように、何気ない日常を重ねていけばいいのだ。
そんなことを思いながら、次郎は放課後、いつも通りに校門を出ようとしていた時だった。
「ん?」
ふと、視線を感じるのと同時に、背筋に悪寒が走った。
いつか感じたことがあるような悪寒だった。これは、かつて異世界で軍隊と戦っていた時に浴びた、呪術に分類される魔法。またの名を、黒魔術とも呼ぶ。
直接的な現象を起こすのではなく、間接的な感応を利用して、対象に害を及ぼす魔法だ。
ちなみに、今、次郎にかけられようとしている呪いは、丸一日激痛によってろくに息も出来なくなってしまう系統の物だった。拷問や、精神を折るのに適した呪いの上、素材となる呪具も比較的リーズナブルな物で得られるので巷で人気の呪いでもある。
「ていや」
当然、次郎には通用しない。
高位の邪神クラスからの呪いならばともかく、この程度の下級の呪いでは次郎はちょっと力を入れるだけで破ることが可能だ。加えて、呪いをかけた術者を探し出すことも、朝飯前。
そんなわけで、いきなり呪いをかけてくる失礼な人間の顔を拝もうと、返した呪いを辿って歩いていた次郎だったのだが、
「…………うぐ……あははは…………やっぱり、無理かぁ…………」
「うわぁ、知り合いだぁ」
少し校門から離れた路地で倒れていた少年は、次郎の知り合いだった。
生気が抜けたような灰色の髪。痩躯を隠す学生服。寒気すら感じるほどの、冷たい美貌。それと、銀縁眼鏡。
何を隠そう、この少年こそ、柊鏡花の恋人である首塚 藤二なのだ。
「え、なに、お前? 馬鹿? 呪いをかけた理由とかは大体察しがつくけど、馬鹿? 今のお前、『溶岩の中でも泳げるよね! だってどろどろしてるじゃん!』と叫んでダイブした馬鹿と同じレベルだぞ?」
「…………なんですかね、その例えは?」
「居るんだよ、異世界の知り合いでそんな馬鹿が」
ともあれ、このまま放っておけば下手をすれば藤二が衰弱死してしまうので、さっさと禊ぎを行い、呪いを祓う次郎。かつて国津神を平定して回った時に、この手の禊ぎや闇払いなどを会得していたのだ。
次郎が一言二言唱えて、軽く藤二の背中を祓う。たったそれだけの動作で、藤二の体を蝕んでいた激痛はあっさりと消え去ってしまった。
「…………ありがとうございます、次郎さん。お礼にその無駄な人生に幕を引いてあげるので、好きな死に方を選んでください」
「助けてやったのに、この言いよう。あれだ、幼馴染を思い出す」
花子がこの場に居たら、猛烈に抗議するだろう。自分は確かに毒舌ではあるが、実力行使に出ない、優しい毒舌家だと。
確かに、次郎にいきなり呪いをかけた上、その呪い返しを払ってやったというのに。どうにも、藤二が次郎に向ける視線は冷たい。おまけに、敵意で尖っている物だから、次郎は藤二に会いたくないのだ。
「ふぅ、ひどい目に遭いました。やれ、どうして素直に死んでくれないんですか、次郎さん?」
立ち上がりつつ、学生服の埃を払う藤二。
その過程で自然に毒舌を吐いているが、基本的に、誰にでも口は悪い奴ではあるのだ。だが、呪いまで持ち出して殺しに掛かるのは、それだけ次郎を憎んでいるからだろう。
「次郎さんが生きていたって、良いことなんて何もないんですよ?」
「これでも俺、世界を三回ぐらい救ったんだけど?」
「気のせいですよ、それ」
「…………嫉妬うぜぇ」
冷笑を湛えて罵倒してくる藤二へ、次郎はうんざりとした表情で言った。
「お前さ、やっぱり馬鹿だろ? なんで、俺に嫉妬出来るの? いや、憎むのは分かるぜ? 毎回、お前の彼女をぼこぼこにしているんだしな? でも、お前が俺に向ける悪意って、嫉妬八割憎悪二割ぐらいじゃん? なんでよ?」
「鏡花を傷つけていいのは、世界中で僕一人だけなんですよ」
藤二は笑顔で答えた。
「鏡花の目に映るのも、鏡花の肌に触れるのも、鏡花と言葉を交わすのも……全部、全部、僕一人だけでいいんですよ、本来は」
「お前、そんなのだから柊の爺さんに嫌われているんだぜ?」
鏡花のことを想い、語る藤二の目に正気の色は無い。須らく狂気に彩られ、冗談のような言葉も全て、本気なのだ。実行していないのは、想われている側が、それを防ぐだけの武力を持っているというだけ。
「僕は鏡花以外の全人類に嫌われていても大丈夫ですが……貴方は逆に、あの人に気に入られてましたね、どうしてですか?」
「単純、あの爺さんは強い奴が好きなんだろ。まず、強さありきで、物事を考えるからな」
「つまり脳筋なんですね、分かりました…………出来る限り遭遇しないようにしますよ」
「それがいい」
鏡花の祖父なら、呪いの類など、一刀の下に切り払ってしまうだろう。
しかも、呪いをかけてきた本人を生かしておくほど甘くない。例え、相手が可愛い孫娘の彼氏だろうが、容赦なく切って捨てる。一定以上の害意を受けた場合も、問答無用で切り捨てるので、一番安全な対処は関わらないことだ。
「つーか、そもそもなぁ。お前、あいつの彼氏だろ? どうにかして、俺に突っかかって来るのを止めさせろよ。時々、ウザったくなって殺したくなる」
「鏡花を殺したら貴方も殺します」
「物理的に不可能だから、やめておけ…………で、制止する方はどうなんだ?」
「…………」
藤二は目を伏せて、小さく呟いた。
「肋骨三本」
「折られたのか」
「…………文字通りに、一蹴されまして」
鏡花と藤二は恋人関係にあるが、その実、お互いに譲れない一線に関しては全く妥協しない。そういう関係を保ったまま恋人になったので、喧嘩する時は互いに容赦ない無いのだ。
時に、藤二が鏡花の食事に一服盛ったりなど。
その仕返しに、鏡花が木刀で藤二の骨を砕いたりなど。
まず、一般的な社会では中々見つけられないようなバイオレンスな恋人関係である。
なので、藤二が鏡花を心配して制止をしようが、鏡花は構わず突っ切るのだ。例え、恋人の肋骨を蹴り折ったとしても。
「勘違いしないでください……あれは愛だったんですよ」
「物騒な愛もあったもんだな」
「例え、『ガチでうざい』と冷たい目で蹴り飛ばされても……僕たちは愛し合っている」
「気持ち悪いなぁ」
恍惚とした表情で呟く藤二に、次郎は吐き気を覚えた。
これならば、前に異世界で殺したラスボスの方がまだ、まともな恋愛観を持っていただろうと、ため息を吐く。
「もういいから、帰れよ、お前。呪い失敗したんだろ? 失敗した上、俺に助けられたんだろ? 惨めだろ? 惨めだよ。だから、帰れ」
「確かに、本来の目的は失敗しましたが、生憎、まだ帰るわけには行かないので」
「ああん?」
怪訝そうに眉を顰めた次郎へ、藤二は告げた。
「第一級狂神が発生しました――――首塚家から、正式に懇願いたします」
先ほどまでの悪態が嘘のように、深々と頭を下げて。
「神を殺して、祀られてくださいませ」
鈴木次郎という人間の死を、藤二は懇願した。
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良い神と、悪い神の区別は何で行われるだろうか?
豊穣を司るのが良い神? 災厄や病魔を司るのが悪い神? いや、違う。例え、豊穣を司っていようが、その恵みを与えなければ、不公平な悪い神と呼ばれる。災厄や病魔を司っていようと、その力で疫病を鎮めたのなら、良い神として祀られる。
結局、人間の視点の問題だ。
人間にとって都合が良い存在が、良い神であり、逆に都合の悪い神が、悪い神――悪神と呼ばれる存在となる。
付け加えるのなら、神道の視点から神という存在を見ると、二つの側面を持っていると言われている。
荒魂。
神が祟りを起こす面。
和魂。
神が加護を与える面。
その二つが合わさってこその神であり、都合のいい面だけを持った神など存在しないというわけだ。
だがそれでも、神を上手く祀れば、出来る限り良い面を長続きさせ、悪い面を少なく操作することも可能だ。現に、人類はこのような手段を用いて、土地神などを信仰し、数々の利益を得ていたのだから。
ただ、ここで問題が一つ。
どれだけ大切に使おうが、形あるものはいずれ壊れてしまうように。
長い間、存在し続けた神は、狂うのだ。
ある日突然、スイッチでも切り替わるように突然と。
狂ってしまえば、もう戻れない。荒魂、和魂関係なく、ただ、周りに災厄をまき散らすだけの害悪と成り果ててしまうのだ。
厄介なことは、その狂った神を討ってしまうと……その神が担当していた『領域』が、加護を失ってしまうということだ。
神からの加護を失った土地は、脆い。
人の悪意や、あるいは、悪魔や妖魔などと言った者に付けこまれやすくなり、未曽有の災厄が発生してしまうこともあり得る。
それを防ぐ方法はただ一つ。
「…………どうするかなぁ」
神を討った者が、その信仰を奪い、神に成り替わること。
もちろん、この現世で神を討ち、神に成りうる資格を持つ者は少ない。それを望む者も、また、少ない。
なぜなら、神に成ると言うことは俗世から離れ、人間を本当にやめなければならないのだから。生きること自体が困難だった時代ならばともかく、現代でそれを望むものなど、皆無だろう。
「別に俺、お前らの守護する土地を助ける義理なんてないし。あれだ。適当な動物霊でも捕まえて、奉ったらどうだ?」
「…………」
もちろん、次郎もそんなつまりは皆無の上、首塚の家に対してそんな義理もなかったのだが、
「次郎さん」
「なんだよ?」
「…………美人のお嫁さん、欲しくないですか?」
「詳しく話を聞こうか」
美人のお嫁さんという響きに、ついつい頷いてしまったのだった。
仕方ない。
いつの世も、例え神であろうと、男ならば美人に弱いと相場が決まっているのだから。




