第11話 幼馴染の彼氏という微妙な距離感
ある程度人間観察に長け、次郎との関係がそれ相応にある者なら、気付いている。
どうにも、鈴木次郎の恋愛観がおかしいことに。
次郎はことあるごとに『モテたい』だの、『イケメンはいいよな』だの、『美少女のフラグ立たないかなー』などと妄言を吐いているが…………それは、表層に過ぎない。
ただ、周りを納得させるためにそのような『俗っぽい』理由を仕立て上げているに過ぎないのだ。
そもそも、恋人を作るだけであれば、次郎のスペックをフルに用いれば不可能では無い。なにせ、次郎は万能の天才だ。その気になれば、『探偵』として対象の女性を調べ上げ、『役者』として、女性の理想の男性を演じることも可能だろう。
それをしないのは、それをやったとしても、次郎の欲しい者が手に入らないからだ。
次郎が恋を求めるのは、本来の理由は別にあり、もっと根源的な要求である。
ただ、現時点でそれに気づく物は存在しない。
血を分けた兄妹でも、実の両親でも、幼馴染でも、従者でも、相棒でも、次郎の根源要求を見抜くことはできていないのだ。
世界を三度救った大英雄。
万能の天才。
モテない男子高校生。
様々な仮面を使い分け、本心を隠す次郎の中身は……さて、誰が最初に覗くのだろうか?
それとも、誰もたどり着くことが出来ず、手遅れになるか。
これはただ、そういう物語だ。
●●●
「あっ」
「あ……」
放課後。
次郎はいつも通り、花子と共に適当に寄り道をして帰ろうしていた所だった。すぐに行くから先に校門で待っていろと言われて、律儀に待っていたのが災いしたのだろう。適当に見捨てていくか、教室の前あたりで待っていればこんなことは起こらなかったはずだ。
「…………えー、その、久しぶりっすね、美島さん」
「は、はい。その、久しぶり、鈴木君」
花子を待っていた次郎に現れたのは、柔らかな黒髪の……どう見ても中学生程度にしか見えない、幼い少年だった。もとい、幼い少年にしか見えない、合法ショタの大学生だった。
美島薫。
次郎の幼馴染である佐藤花子――その恋人である。
「…………」
「…………」
次郎と薫は、互いに挨拶をしたきり、気まずそうに視線を逸らす。
別に二人は花子を争って対立していたり、仲が悪いわけでもないのだが……どうにも、距離感が掴めていないようだ。
次郎からすれば、仮にも初恋の人の恋人。彼氏なのだ。嫉妬は無いが、妙に感傷だけは蘇ってくるので、好き好んで会いたいとは思えない。
一方、薫からすれば、相手は恋人の幼馴染。しかも、顔はともなくあらゆる点で自分より上位に存在する万能の天才だ。しかも、かつては幼馴染に恋をしていて、今も普通に友達をやっているという立場の相手。次郎の前に立つと、嫉妬やら自虐やらで、足元が沈むような気分に陥るのだった。
「あー、その、花子の迎えっすか?」
「えっ。あ、うん。そうだよ。ちょっと驚かせたくて、こっそり会いに来たんだけど……あはは、考えてみれば予定を確認すればよかったかな」
「待って、なんでそこで引くんっすか? こっちは別にただの暇つぶしだから、花子とデートしてやってくださいよ」
儚げに微笑む薫と、慌てて誤解を解こうとする次郎。
互いが互いにはっきりとものを言えない関係であるが故に、会話がもどかしい。
「俺なんてただの悪友程度っすから。花子からすりゃ、普通に考えて比べるのも烏滸がましいレベルだから! 俺と暇つぶしか、彼氏とデートなんて!」
「いやいや、デートってほどじゃないよ。ただ、今日は早く講義が終わったから、たまには迎えに来ようかなって。後、食事とか、行けたらいいなぁって」
「行けばいいじゃないっすか、もう」
そろそろ次郎は勘弁して欲しかった。
なにせ、普段は合法ショタの外見の割に、漢気溢れる良い男である薫なのだが。どうにも、次郎と前にするとすっかり卑屈になってしまうのだった。
「んじゃ、俺はこれで。後は花子によろしく」
「や、その、待って」
なので、卑屈な薫とこれ以上付き合うのは御免とばかりに立ち去ろうとしたのだが、その背中を薫が呼び止める。
「…………なんっすか?」
心持ち、苛立ちを込めて次郎は薫に視線を送った。
気の弱い者ならそれだけで、気絶しそうな圧力であるが、驚くことに薫はそれを真正面から受け止めて、応える。
「話をしよう、鈴木君」
「は?」
薫は次郎を見据え、真顔で語り掛けた。
「いい加減、こういう距離感はダメだって思ってたんだ。だから、今日は僕と君が、少なくとも揃って、花子ちゃんの前に出られるようにしたいと思う」
「はぁ…………まぁ、いいっすけど。どんな話をするんっすか?」
「――恋の話だ」
真顔で恋などと、気恥ずかしさが溢れて死ぬレベルの言動だが、薫の表情に変わりはない。真剣そのものだ。
だからか、そのまま瞬間移動で退散してもよかった次郎が、その場に留まった。
「男二人でコイバナっすか?」
「花子ちゃんと待っている間だけだよ。たまにはいいじゃないか」
「まぁ、そうっすね。で、俺は貴方ののろけ話でも聞けばいいので?」
次郎の疑問に首を横に振り、薫は答えた。
「僕は、君がどうして花子ちゃんに恋をしていたかが、知りたい」
それは単刀直入な切り出し方だった。
少なくとも、次郎にとっては遠まわしに尋ねられるよりも気分が良い。だから、次郎は偽ることなく正直な答えを返すことにした。
「顔で」
「…………えっ?」
「いや、だから当時の好みの顔だったから。後は、なんとなく漫画に影響されて、異性の幼馴染に変な幻想を持っていたから」
「…………本当?」
「ここで嘘を吐いてどうなるんっすか」
あっけからんとした次郎の答えに、薫は唖然と口を開けている。
「や、だって、美島さん。俺、当時小学生と、中学生だったんだぜ? 相手の中身なんて、都合のいいように解釈して、恋に恋するお年頃だぜ?」
「た、確かにそうだけどね? もっと、こう…………複雑な何かとか!」
「無いっすよ、断言できます。現段階では俺たち、互いに友情しかもっていないっすわ。男女間の友情なんて幻想……とか言われているけど。そんなことを信じる人は多分、性欲処理がなってない奴らっすねぇ」
次郎の持論では、男女間の友情は成立する。
その基準となるのは、対象に性欲を抱くか、どうかだ。恋愛感情はどうしても性欲に通じる物があるので、逆に言えば、それが無ければ普通に友情が成立するというわけだ。
ちなみに、次郎と花子は互いに世界最後の人類になってもセックスはしないと誓っている。
ついでに、その場合、最後の人類決定戦を行う予定だった。今の所、次郎が圧勝過ぎるので、花子でも公平に戦える競技を探している途中である。
「そんなわけで、リアルに有り得ないんでご安心を」
「自分の彼女がアウトオブ眼中なのも、それはそれで複雑だよ」
「いいじゃないっすか、健全で」
苦笑して、今度は次郎が薫へ尋ねた。
「そう言う美島さんは、あいつのどこら辺に惚れたので?」
「うーん……一目惚れだったから、最初は顔かなぁ? あ、でも今はちゃんと性格も含めて全部好きだよ」
「毒舌なところも?」
「もちろん。たまらないよね、アレ」
にこにこと満面の笑みで答える薫は、どうやら若干被虐体質だったらしい。
●●●
話の流れが変わったのは、花子がやってくる数分前の事だった。
ただ、その話はわずか数分程度で終わり、花子がやってくる前には全てが終わっていた、ということだけは前もって記しておこう。
「そういえば、鈴木君は今、好きな人っているかな?」
なんだかんだで、薫が惚気話を語り続けた後の事。
さすがに自分でも惚気が過ぎてしまったと自覚した薫は、話題を転換させるために、そんな問いを次郎に投げかけたのだった。
「うーん、今は居ないっすねぇ」
「あはは、そうかー」
次郎もそれに苦笑で、何でも無く応えた。
花子の話から、薫は次郎が女性関係でモテないことを悩んでいることを聞いていた。だから、だろうか? ついつい年長者としてのお節介を口に出してしまったのは。
「やっぱり恋愛に大切なのは、情熱だからね! 誰かを好きだと思う純粋な心があれば、大概の障害はどうにかなるものさ!」
「へぇ、やっぱりそういう物なんですね」
「外見とかの第一印象は大切だけど、決定的になるのはやっぱり中身だと僕は思うよ。いくら美形でも、人として疑わしい人格の奴とは付き合いたくないからね」
要するに程度の問題だと、薫は語った。
顔つきが多少野暮ったくとも、中身がイケメンであるのなら、問題ない。
逆に、顔つきが美形でも、中身が鬼畜外道であるのならば、問題ありだ。フィクションとかならば、人気もでるタイプだろうが、実在する人物となると話は別になる。
「だからさ。僕は君が、一生懸命に誰かを好きになれば……誰かに好かれる自分であろうと頑張れれば、きっと彼女が出来ると思うよ!」
それは薫の善意から出たアドバイスだった。
精一杯の、年長者からのささやかな助言。
恋人の友人が、幸せになって欲しいと願う薫の気遣いだったのだろう。
「あぁ、なるほど」
けれど、それは、その言葉は。
「だから、俺はモテない……いや、『愛されない存在』なのか」
意図せず次郎を構成する中心部分を抉った。
「やっと合点がいった。そうか、そういうことが。思い返せば、なるほど、当てはまる点が多い。俺自身の事なのに、無意識に支配されて見逃していたか」
「…………あの、鈴木君?」
ぶつぶつと虚ろな表情で何かを呟き続ける次郎。
その姿は、一般人である薫からすれば、異様だ。つい先ほどまで、表情豊かに語り合っていた相手が、急に糸の切れた人形になったかと錯覚するほどに。
「そうか。そうだったのか、これは本能であり、だからこそ――――」
そこで言葉を途切れさせ、次郎は瞳に光を取り戻す。虚ろな顔つきに表情が戻り、朗らかな笑顔が浮かんだ。
「いやぁ、ありがとうございます、美島さん。俺、なんかわかった気がするっす」
「そ、そう……だったらよかったけど」
次郎の豹変ぶりに、薫は戸惑いを隠せない。
見てしまったからだ。次郎の中心部分……その虚ろな姿を。
それを見てしまったが故に、薫は考え至ってしまったのである。今までのやり取りは全部、否、鈴木次郎という人格全てが、虚ろさを覆い隠すための仮面なのではないかと。
「美島さん」
「――あ」
気づくと、薫を次郎が笑顔で見つめていた。
黒の瞳で。
果て無い闇の底を連想させるそれが……じっと、薫を見つめていたのだ。
深淵を覗く者は、深淵に覗かれている。
薫は、鈴木次郎の深淵を覗いてしまったが故に、気付いてしまったのだ。気づかない方が幸せだった真実を。
「花子、来たっすよ。それじゃ、話はここまでってことで」
それは傍から見れば、何気ない別れの挨拶だったろう。
だが、気付いてしまった薫にとっては、最後通告に等しい。
「……あ、ああ」
薫は震える唇で、何とか相槌を紡ぐ。
それだけで、精一杯だった。
「花子と仲良くしてやってください、『薫』さん。俺にはきっと、出来ない事っすから」
最後に、次郎はどこか悲しげに告げて、その場から立ち去った。
次郎が立ち去っても、薫の震えは止まらなかった。
花子がやってくる前に、何とか取り繕えたが、薫は知っている。
心の震えを止めるには、長い時間が掛かることを。




