4.混濁の洞窟
「…痛った~いっ!!」
エルリアが落ちるとボフッ、と埃が辺りに拡散した。その後にユリウス、ジークの順で更に埃を舞い散らせる。目や鼻、口に埃が入り込み、ゲホッ、と思わず咳が出てしまう。
「ゲホッゲホッ、酷いなこれは…ゲホッ!」
「は、早くここから離れよう!」
「そうね…コホッ…その方が、良さそうね!」
互いを見失わない様に、慎重に手探りで通路を辿る。暫くゴミの中を歩いていると、次第に埃の量が少なくなり、壁の岩肌がハッキリ見えてきた。
「…あれ?あそこに居るのは、マーシュ!?」
通路の奥にうっすらと人影が見え、何やら作業をしているみたいだ。
「う~ん、困ったな…肝心な火を忘れていた…」
近くに行くにつれて、マーシュが棒切れを持って悩んでいるのが分かった。
「どうしたの?」
「ひゃあっ!?…君達か。いや、松明の火を忘れていてな。どうしたものか…」
必至に石同士を擦り合わせ、どうにかして火を着けようとしている。しかし、石が削られるだけで何も変わらない。
「…くそっ!!」
「良かったら俺が着けるぜ。火加減がちょっとムズいけど」
イライラしているマーシュにジークが、ポン、と肩を叩いた。そして、火の無い松明を持って大きく息を吸う。
「……ふうぅ~!」
ジークの口から炎の息が勢い良く吹き出された。松明の端が少し焦げたが、松明に明るい火が着いた。
「あ、熱っちぃ~!!…て、手が、手がぁ~!!」
「ばーか、半獣人のままで炎を使うからよ。まさか、忘れてたの?」
エルリアが冷やかすとジークは「覚えてる!!」と、手を冷ましながら、多少苛立ちを見せた。
「…ジーク、これ使って。包帯だよ」
ユリウスがゴソゴソと、鞄から真っ白な包帯を取り出してジークの手に火傷薬を塗り、綺麗に巻き付ける。
「これで大丈夫!」
「サンキュー、ユリウス」
メラメラ燃える松明を片手にマーシュは3人に注意を促した。
「この先からは、凶悪な怪物共がわんさか住んで居る。付いて来たからには後戻りは出来ないからな」
それはそうだ、とジークは思った。なにせ上から下に落ちて来たので戻りたくても戻れないのだ。
「…なんだろう、とても嫌な匂いがする!!」
「そうか?俺は何も匂わないけどな」
鼻を押さえ付けてユリウスが嫌そうな顔で言った。犬の嫌いな匂いを放つ物でもあるのだろうか?
「うあぁ…こっちに近付いて来る!!く、来るな~っ!!!」
くねくねした洞窟の様な通路を進む途中で、突如ユリウスが悲鳴を上げた。
「ちょっと、ユリウス!?」
「い、嫌だあぁ~っ!!!」
エルリアを地面に押し倒し、来た道を一心不乱に駆け戻るユリウスを先回りしていたマーシュが思い切り殴った。
「…っ!!?」
急に殴られ呆然としているユリウスを、睨みつける様な姿勢で立っているマーシュ。
「女だからと言って、か弱いとは限らん!!」
「…もう遅いよ…」
「何?」
「…“ヒューマンイーター”がすぐそこまで来てるんだよっ!!」
今ユリウスが叫んだヒューマンイーターとは、悪魔達が対人間(獣人)用に造り上げた生物兵器。好物は勿論人間や獣人、嫌いな物は光。なので、必ず地下や暗闇がある場所でのみ生息する。
「なんだって!!?」
「クソ!!手段はたった1つしかねえじゃんかよ!!」
ジークは急いでドラゴソードを鞘から抜き取り、暗闇の向こうに向き直る。
「……戦う事だ!!」
「待って、ジーク!!私も一緒に戦うわ!!」
エルリアも弓と矢を手にジークの隣に駆け寄り、弓に矢を装填して構えた。
「私が先に攻撃するから、敵の反応を見て動いて。」
「了解!」
ヒュン、と風を切る音と共に高速の矢が2本放たれ、その内の1本が空を舞い、もう1本は肉質のある何かに突き刺さった。
「ゴギガアアアァッ!!」
気味の悪い雄叫び。ヌルヌルした黒い体表に、所々小さな赤い模様で彩られた蛭の様な生物、ヒューマンイーターが暗闇から現われた。
「うぇ、想像以上にキモい…」
「そのくらい我慢しなさいよ!」
ジークは片手で口と鼻を覆いながら、素早くヒューマンイーターの下腹部に潜り込み、勢い良く腹を斬り裂いた。下敷きにならない様にエルリアの元へ走り、後ろを確認すると、
「…嘘だろ!?切り裂いた感触は確かにあったぞ!?」
ジークの目の前でヒューマンイーターが身震いをし、邪魔な下腹部の粘液を辺りに撒き散らしている。どうやら、先程斬った物は体表にある保護液だったらしい。
「これじゃあ、いくら斬りつけても埒が明かないじゃんか!!」
「せめて、光があれば楽なんだけれど…」
全てを終えたヒューマンイーターは2人に向かって口から赤い液体を次々に吐き出した。
「ウゴオオオォッ!!」
「危ねぇ!!なんだコレ!?」
1つが後ろの岩にべシャ、と音を立てて当たると、大きかった岩がみるみる内に溶け始め、跡形も無く消え去った。
「溶解液よ!!」
エルリアにそう言われてジークは慌てて左に飛び退いたが、お気に入りの兵服が少し溶けてしまった。
「あ~っ!!俺の兵服がぁ!!この野郎っ!!!」
遂に怒ったジークはヒューマンイーターの背中に飛び乗り、思い切り身体に剣を何度も突き刺す。今度は、柔らかい皮膚にいとも簡単に剣が深々と刺さり、青い血が溢れ出てきた。
「やった!!効いたわ!!」
「グギャアアアァ~ッ!!」
痛みで暴れ、地面を這うかの様にのたうち回るヒューマンイーターの背中に、振り落とされまいとジークは必至に刺さったままのドラゴソードを掴んでいた。
「うおぁっ!!エルリア、早くこいつの目を射抜いてくれ!!」
やれやれ、と溜め息混じりの息を吐き、弓を構えて黄色い目に照準合わせる。そして、矢が目と丁度重なった時、2本の高速の毒矢を放った。矢は見事両目に突き刺さり、ヒューマンイーターの身動きを止める事に成功した。
「んぁ~…ふんっ!ハァ、やっと抜けた!」
ジークの持つドラゴソードは、剣先がハの字形になっていて突き刺すには、後に抜けにくくて不便である。
「…臭ぇ!なんかこの血、メッチャクチャ生臭い!」
剣に付着した青い血の臭いを嗅ぐと、思わず鼻をつまみたくなる生臭さだった。もしかして、ユリウスは血の臭いが嫌いなのだろうか、とジークが考える程だ。
「…よっと、再生する前に息の根を止めないとな」
「…ザ……ク…サマ…」
その時、ジークとエルリアは、瀕死の状態だった筈のヒューマンイーターが微かにだが何かを喋った様な気がした。
「は?今…喋った!?」
「ジークも分かったの?」
「私も微かながら聞こえた…で、これを見てくれ。」
マーシュが1枚の紙を手に持って駆け付けて来た。紙には、不完全な半獣人(違う種族同士の半獣人)
の子供がはっきりと描かれている。その子供とは、
「ユ、ユリウス!?」
「…アハハ、その子は確かに僕だよ」
呆然としているジークの背後に、魂の抜けた様なユリウスが立っていた。その隣には、小さな子供位の大きさの犬がにこやかに笑っている。起薬を使用した様だ。
「おま、ユリウス…なのか?」
「そう!これが僕の本当の姿なんだ!」
ユリウスは、2本足でクルリと1回転して、フワフワの尻尾を上下に可愛らしく振った。潤いのあるつぶらな瞳と、ピョコンと垂れた耳が、その場に居た全員を癒す。
「か、可愛い~!」
頬を赤く染めたエルリアは、思わず目の前の子犬ユリウスに抱き付いた。
「わわっ!?エ、エルリア!く、苦しい…!!」
ギュウ、と力強く抱き締め過ぎたからかユリウスは口から泡を出して、気絶してしまった。
「…さて、そろそろ地上に出るわよ」
「今日は運が良いな。化け物共に余り遭遇しなかった」
ユリウスをジークの背負い袋に優しく入れ、光の差す地上への崖を慎重に登った。
「うわっ!?眩しっ!」
「馬鹿、月の光よ」
久しぶりに地下から地上に出たせいか、夜中の月の光さえ眩しく感じられる。小さな蛙や虫の鳴き声も懐かしい。
「あれから1週間ぶりか…俺にとっては1年位に感じるな」
3人は新鮮な地上の空気を目一杯吸い込み、古い身体の空気を体外に吐き出す。歩く毎に踏み締める地面の柔らかさは最高だ。
「やっぱり、地上は地下と比べて、住み心地が良かったわよね。早くフカフカのベッドに転がって寝たいわぁ~」
朝昼晩の時の変化が分からない地下は、正直言って、とてもつまらない。そして、ただ時計を頻繁に見て働くのはもうウンザリだ、とエルリアは思った。
「…悪魔城を制圧できれば、捕らえられている国民も助かる!」
「家族が居るかもね」
国民の大半はこの悪魔城に捕らえられ、生涯ずっと奴隷として働かされる。ジークは、もしや家族が居るかもしれない、巨大な黒い城を遠くから見つめていた。