【第3話】《天然》と《狂刃》
朝、僕がギルドに向かうと、《幽影》先輩と《教授》先輩が同じテーブルで食事をしているのが目に入った。
「おはようございます、《幽影》先輩、《教授》先輩」
僕が挨拶すると、二人は顔を上げて、じっと僕の顔を見た。
「……ああ」
低い声で答える《幽影》先輩。相変わらず寡黙でかっこいい。
60代って聞いたけど、向かいに座る《教授》先輩よりも若く見える。
どうなってるんだろう。これも何かの魔術なのかな?
《教授》先輩に顔を向けると、銀灰色の瞳が、あの任務の時みたいに観察するように僕を見ていた。
そうだ、この間の報告書の件、聞いてみようかな?
「あの、《教授》先輩」
そう思って口を開いた僕の横から――
「おっ、新入りかよ。けっこう可愛い顔してるじゃねえか」
ふいに、軽い口調の男性の声が聞こえた。
声のした方を見る前に、がばりと肩を抱かれる。
力強い腕だった。燃えるような赤い髪が、僕の頬に触れる。
目が合った。
強気そうな金色の瞳が、僕を見て興味深げに細められる。
《教授》先輩が、わずかに眉を寄せた。
「お前、ランクは?」
「えっと、色々あってまだ正式に決まってなくて」
「ふーん?ま、どうでもいいけどな」
僕が答えると、赤い髪の青年はさしたる問題でもないというように、唇の端を上げた。
「次の任務、一緒に来いよ――なあ、いいだろ《狼》のおっさん」
そう言って青年が見たのは、カウンターのワイルドウルフさんだった。
ワイルドウルフさんはやれやれといった様子で、いかつい肩をすくめる。
「そいつは、変わり種だ。お前の役に立つかはわかんねえぞ」
「変わり種?」
金色の瞳が、一瞬だけ値踏みするように細められた。
けれどすぐに茶化すような光が戻る。
「ま、どうせ最初から期待してねえ。経験を積ませるのが目的だろ。適当な任務見繕ってくれよ」
……あれ?本当に行く流れ?
ぽかんとしていると、ほんのわずかに、腕の力が強まる。
「別に足手まといになってもいいぜ。後で『奉仕』してくれりゃあな」
「えーと、『奉仕』って、何をすればいいんですか?」
僕が聞き返すと、その金色の瞳が、ふいに光を失った。
「……へえ?わかんねえか」
すると、それまで黙っていた《幽影》先輩が、静かに言った。
「……《狂刃》。あまり、からかうな」
《狂刃》。それがこの人のコードネームらしい。いかにも強そうな名前だ。
「ふーん。珍しいな、あんたがそんなこと言うの」
《狂刃》先輩は僕から離れ、《幽影》先輩に向けてニヤリと笑った。
「まあ、こんなとこじゃ珍しく、純情そうな顔してるしな」
《教授》先輩が食事の手を止め、低く言う。
「……朝から、下品な話は慎め」
「はいはい」
《狂刃》先輩は肩をすくめると、僕の頭をぽんと叩く。
「――じゃあな、逃げんなよ。新入り」
軽い調子なのに、その声には有無を言わせぬ圧がこもっていた。
数日後。
僕は《狂刃》先輩とともに、王都のスラム街にいた。
煌びやかな王都の一部とは思えない程、荒んだ光景。
崩れかけた家屋、湿った土の上に座り込んでいる人々、たちこめる腐臭、そして――
わずかに、薬のような、甘い匂い。
ワイルドウルフさんから与えられた任務は「犯罪組織の殲滅」。
麻薬と人身売買で、最近勢力を伸ばしている武装集団だと聞いた。
難しいことはよくわからなかったけれど、裏で王都の貴族と繋がっていて、今夜がその取引の日らしい。
王都公認のギルドだから、こういう「国の秩序を保つための任務」も回ってくるのだと言っていた。
「ま、とにかく全員ぶっ殺せばいい。わかりやすいだろ」
《狂刃》先輩がこともなげに言う。
その背中には、大きな斧。どう見ても重そうなのに、その足取りは少しも乱れていない。
あまり暗殺者のイメージじゃないけど、どうやって戦うんだろう。
月明かりだけを頼りに、事前に聞いていた取引現場を目指して、静かに進む。
甘い匂いが濃くなる。
途中で道端に倒れている人々が目に入った。生きているのか死んでいるのかも分からない。
歩いて行くと、少し開けた場所に、一軒だけ大きな建物があった。
壁は朽ちて、苔にまみれている。
でも、確かに人の気配を感じた。
《狂刃》先輩が、窓に張り付き、中の様子をうかがいながら、背中の斧に手をかける。
「4、50人ってとこか。殺しがいがあるな」
――薄い笑みを浮かべたその顔は、どこか楽しそうだった。
「正面から行くぞ。俺が前に出るから、お前は取りこぼしを殺れ」
「はい、わかりました」
僕が返事すると、先輩は小さく眉をひそめて付け加える。
「無茶すんなよ。無理そうなら退避しろ」
「はい」
「……お前、怖がらねえのな」
拍子抜けしたような声。
そうこうしているうちに、中の気配が動いた。
「来たな。取引相手のお出ましだ」
ぼんやりと見えるのは、貴族の従者のような服装の人物。
そこに歩み寄っていく数人の男たち。
「――行くぞ」
短い合図。
《狂刃》先輩は建物の正面に回ると、悠々と扉を開け放った。
「なんだ、お前ら――」
見張りらしき男が口を開く前に、斧が一閃。
大きな体が吹き飛び、壁に叩きつけられる。
腹から血が噴き出し、骨が砕ける音が響いた。
「なんだ!?襲撃か!?」
断末魔の悲鳴を聞きつけて、中から武器を持った男たちが飛び出してくる。
数人が一斉に《狂刃》先輩に襲いかかり、たった一振りで、まとめて薙ぎ払われた。
一面の血飛沫。人間の身体が壊れる鈍い音。
怖じ気づいた男たちが後退し、奥へと逃げていく。
「ハッ、逃がすかよ」
先輩は鼻を鳴らし、まるで狩りを楽しむかのように、余裕の足取りで男たちを追いかける。
……すごい。
でも。
廊下で倒れている男が、視界の隅に映った。
……まだ、生きている。
恐怖に見開かれた目。血の溢れる口元。痙攣している身体。
苦しそうだ。早く楽にしてあげよう。
僕は屈んで、男の首をナイフで切り裂いた。
……これでいい。
動かなくなった男の顔は、どこか安らいでいるように見えた。
《狂刃》先輩は、先行しながら僕の方をちらりと見て笑う。
「なかなか、度胸あるじゃねえか」
「苦しそうだったので」
すると、奥に逃げたはずの男たちが戻ってきた。
ひどく興奮した様子で剣を無駄に振り回し、なにやら叫んでいる。
中には目の焦点が合っていない者もいた。
周囲に漂うのは、濃厚な甘い香り。
「麻薬か。破れかぶれだな」
先輩がそう吐き捨て、斧を構える。
大声を上げて突進してくる男たち。
《狂刃》先輩が、僕を庇うように走りながら、大きく斧を薙ぐ。
男たちは方々に吹き飛ばされ、身体の一部を千切られ、のたうち回る。
《狂刃》先輩は、笑っていた。こういう殺し方が楽しいのだろうか。
僕にはよくわからない。
さっきやったみたいに、まだ息がある敵の首を、ただ切り裂いていく。
気付かないうちに、先輩との距離が開いていた。
気配を感じて振り返った時には、遅い。
先輩の舌打ち。
刃が、背中に吸い込まれる。
――任務が――
その瞬間、何かが一拍、抜け落ちた。
足が、前に出ていた。
ナイフが、振り抜かれている。
痛くない。
動ける。
生温いなにかが、頬にかかった。
遅れていた音が、まとめて押し寄せる。
心臓が、半拍だけ遅れて脈打った。
足下を見る。
さっきまで立っていたはずの男が、倒れていた。
……あれ? 僕、斬られたはずじゃ。
背中に手を回す。痛みはない。血も出ていない。
……まあ、任務に支障がないならいいか。
《狂刃》先輩が足早に近づいてくる。斧には血がべっとりついていた。もう片付いたらしい。
「おい、斬られただろ」
「そう思ったんですけど、なんともありませんでした」
「は?」
先輩は眉根を寄せ、僕の背中に触れる。やっぱり痛くない。
「いや、確かに……」
僕の背中から視線をそらさず、先輩は訝しげに呟いた。
「でも、実際になんともありませんし」
どう動いたかはよく覚えていないけれど、任務は無事に終わった。
それで十分だった。
明け方。
「おい、本当になんともないのか」
「はい」
ギルドへの道を並んで歩く。《狂刃》先輩はまだ怪訝そうな顔をしていた。
でも、それを振り払うかのように、ふと呟く。
「……まあ、新入りの割には、役に立ったな」
「そうですか?先輩の役に立てたなら良かったです」
僕がそう答えると、先輩は僕の肩を抱き、顔を寄せてくる。
「気分いいし……ギルドに帰る前に、どっかでヤるか?」
囁くような台詞。
……どこかで殺る?
「まだ殺す人、いるんですか?」
「……お前、本気で言ってんのか?」
脱力したような声。
「はっ……マジで《天然》だな」
《狂刃》先輩は赤い髪をかき上げ、金色の瞳を細めて笑った。
まだ早朝なのに、ギルドにはすでに多くの人がいた。
別の窓口で僕たちみたいに任務の報告をする人、食事をしている人など、さまざまだ。
《幽影》先輩と《教授》先輩もいた。二人とも、戻ってきた僕たちにちらりと視線を向ける。
僕は《狂刃》先輩とともに、ワイルドウルフさんに帰還を伝えた。
「おう、無事に終わったか」
「はい、なんとか」
「よし、《狂刃》には明日報告書の提出をしてもらう。帰って休め」
ワイルドウルフさんが頷く。
――終わった。
そう実感した途端――
背中に、ぬるりとした感覚があった。
何だろう。
反射的に背中に手を伸ばそうとした、次の瞬間。
「……っ!!!」
突然、激痛が走った。
立っていられない。
「おい……?」
《狂刃》先輩が、床に膝をついた僕を見る。
息を呑む音。
「……は?」
呆然としたような声。
足元から音もなく、赤が広がっていた。
「あ、れ……?」
寒い。
視界が、ぼやけていく。
身体が、傾いだ。
「おい!しっかりしろ!」
何かに支えられたと思ったけれど、もう感覚がない。
「――動かすな!」
ギルドのざわめきに混じって、《幽影》先輩の声が、遠くで聞こえた気がした。




