【第2話】《天然》と《教授》
朝。
目を覚ました僕は、割り当てられた寮の一室から、ギルドの食堂に向かった。
王都公認のこのギルドには、暮らしに困らないだけの設備が揃っている。
個人寮に、広々とした食堂、共同風呂に医務室まで。
登録した暗殺者は、施設を自由に使っていいのだという。
僕も正式に登録を終え、部屋を貸してもらうことができた。ありがたいな。
「君が、噂の新入りだな。他人の技を模倣するとか」
食事を終えるなり、唐突にそう話しかけられて、僕は面食らった。
「いえ、そんなことできませんけど」
答えながら見上げると、そこに立っていたのは30代半ばくらいの青年。
やけに真っ直ぐに伸びた背筋が印象的な人だった。
きっちりと撫で付けられた銀髪に、銀縁の眼鏡。
その奥から、銀灰色の瞳が品定めするような光を放っている。
「……報告では、君が特殊能力を持っていると確かに上がっていたが?」
……それ、勘違いだって言ったのに、訂正されてなかったのかな?
立ち上がり、ちらりとカウンターを見る。
事務長のワイルドウルフさんは、僕に向かっていかつい肩を大げさにすくめてみせた。
「そいつ、お前の『特殊能力』を分析したくて仕方ないんだとよ。てなわけで、今回のお前の任務はそいつの補佐だ」
「あ、はい」
僕、ほんとに特殊能力なんてないんだけどな……まあいいか。
青年は満足そうに頷くと、姿勢を正して銀縁眼鏡を押し上げた。
「名乗るのが遅れたな。私のコードネームは《教授》。魔術師だ」
「魔術師?」
魔術師って、火を出したり、雷を落としたりする、あの魔術師?暗殺者なのに?
そんな僕の疑問が顔に出ていたのか、《教授》先輩は予想通りの反応だと言わんばかりに、溜息をついた。
「魔術師に対するイメージが貧困だな。私が得意とするのは君が想像しているような、無駄に派手な魔術ではない。暗殺をより効率的に行うための補助魔法だ」
「……暗殺のための魔術があるんですか?かっこいいです」
「……また始まったよ」
ワイルドウルフさんの呆れ声とともに、僕は《教授》先輩の任務に同行することになった。
昼間のうちに先輩に連れられて来たのは、とある街の教会だった。
荘厳でひっそりとした雰囲気だけれど、建物は大きく、人が大勢いる気配がする。
人混みに紛れて街を歩きながら、先輩は自然に教会の周囲をうかがい、簡潔に説明した。
「今回の標的は、この教会の責任者である神父だ」
理由の説明は一切なかった。僕も聞かない。
「殺すこと自体は容易だろうが、神官とは夜でも活動しているものだ。これだけの人数に注意を払うとなると、骨が折れる」
「そうですね、うっかり見つかっちゃいそうです」
僕も同意した。病気の人の看護をしたり、夜の祈祷をする人がいることくらいは知っていたから。
「……心許ないが、まあいい。そのような状況でこそ、私の魔術が活きるのだからな」
気が抜けたように肩を落としかける先輩だったけれど、すぐに背筋を真っ直ぐに伸ばす。
「決行は夜。君が標的を仕留めろ。私は後方支援に徹する」
「え?僕に任せてくださるんですか?」
てっきり先輩がとどめを刺すものだと思っていた僕は、きょとんとして聞き返す。
「新人に実務経験を積ませるのも務めだ」
先輩は余裕たっぷりに腕を組みながら、また銀縁眼鏡を押し上げる。
僕の姿を映す銀灰色の瞳が、値踏みするように冷たく光った気がした。
「もちろん問題があれば、私が任務を引き継ぐ――そうならないことを期待しているが」
「はい、頑張ってみます」
どうしてか――それほど不安は感じなかった。
教会の下見を終えた僕たちは、決行の時間まで一息入れることになった。
街の宿の一室を借りて、先輩は優雅に紅茶を飲んでいる。
僕は同じテーブルに座り、鞄から本を取り出した。
いつも持ち歩いているから、もう表紙がすり切れている。
「……読書か。感心だな」
僕がページをめくり始めると、先輩が、意外そうに呟いた。
そうして何気ない様子で本のタイトルを見た瞬間、その眉がぴくりと動く。
《影に生きる暗殺者・ファントム》
「……子供向けの童話じゃないか」
「でも面白いんですよ、これ」
主人公のファントムは、どんな状況でも完璧に任務をやり遂げる。
静かに、一瞬で終わらせ、痕跡も残さない。
それが、とても美しいと思った。
「かっこよくないですか?」
「非現実的だな。完璧な暗殺とは、そんなに容易く成り立つものではない」
理解できないといった表情の先輩をよそに、僕はまた本に視線を落とす。
そのまま、夜になるまで静かに物語を読みふけっていた。
――そして、決行の時間がきた。
夜の教会は静かだったけれど、そこかしこに人が動いている気配がある。
建物の影で、先輩が小声で告げた。
「標的はこの時間、奥の礼拝堂にいるはずだ」
「はい」
僕が頷くと、先輩は静かに息を吸い、呪文のようなものを口にした。
「認知を揺らせ――《認識阻害》」
指を鳴らす……が、特に何も起こらない。
目線で問いかけると、先輩は短く言った。
「すでに魔術は発動している。そのまま中に入ってみろ」
――すでに発動している?何も感じないけど……
疑問を抱えたまま、僕は教会の中へと、そっと足を踏み入れた。
……誰も気付かない。
灯りを持って廊下の向こうから歩いてくる人の姿。思わず息を詰める。
でも――こちらを見もしない。
まばらな足音が、僕たちのすぐ横を通り過ぎていく。
こんなふうに暗殺に使える魔術があるんだ……知らなかった。
廊下を堂々と横切ってから、声をひそめて先輩に言う。
「すごいですね、この魔術。暗殺者っぽくてかっこいいです」
先輩は鼻を鳴らした。でも、どこか得意そうに見える。
「言っておくが、油断して大きな音をたてたりすれば、いくら何でも気付かれる。気をつけろ」
「あ、そういうものなんですね。わかりました」
先輩は、宣言通りに僕の少し後からついてくる。
背中に観察するような視線を受けながら、事前に聞いていた礼拝堂の場所を目指して慎重に歩いた。
「……君は、動きに無駄が多いな」
ふと、先輩が口を開く。
「え、そうですか?」
「それらしく見えてはいるが、基本の足運びや動作が甘い。どこで暗殺術を覚えた?」
僕は、少し考えて答えた。
「えっと、本で見てなんとなく」
瞬間、先輩の足が止まる。
「……は?」
振り返ると、先輩が唖然とした顔で僕を見ていた。
「本で見て、なんとなく……?」
なぜか僕の言葉を復唱する。
「まさか……あの童話か?」
「はい、そうですけど」
先輩がこめかみを押さえた。
「……それで、暗殺者になろうと?本気で?」
「はい、かっこいいなって」
「……君は、本当に……」
何かを言いかけて、やめる。
そして、小さく息を吐いた。
「……いや、いい。今は任務だ」
そして、奥の礼拝堂へ。
本当に、誰にも気付かれることなく来てしまった。
中に、気配は1つだけ。標的だ。
先輩は、僕がどう動くかを観察するように、ただ黙って後ろに控えている。
静かに息を吸う。
――これが、僕の初めての「暗殺」。
なのに、不思議と怖くはなかった。
重い扉を開く。ひとりの神父が、祈りを捧げていた。
そっと、近づく。
――早く、苦しませないように。
腕を振った、次の瞬間。
世界から、音が消えた。
何かを切り裂いた感覚とともに、錆びた鉄のような匂いが、鼻を刺す。
瞬きをした後に見えたのは、真っ赤に染まった白いローブ。
足下には、静かな顔の神父。
苦しんだ様子はない。
……よかった。
ふっと息を吐く。
背後で、何かが擦れるような小さな音が聞こえた。
振り向くと、《教授》先輩が手帳のようなものを開き、ペンを走らせている。
「……先輩?」
静かに問いかける。
先輩は素早く手帳を懐にしまうと、銀縁眼鏡を持ち上げた。
「……問題ない。標的は始末した。脱出するぞ」
その声が、なんだかさっきまでより固い気がする。
踵を返し礼拝堂の扉に手をかけた瞬間、扉の向こうの声が、妙に鮮明に耳に届いた。
――「今、何か聞こえなかったか?」
――「いや、気のせいだろ」
先輩の足が止まる。
「……魔術が消えかけている」
「え?」
「ここに来るまでに時間をかけすぎた。やむを得ない、かけ直す」
……そうか、僕が手間取ったから。
集中を始める先輩を横目で見ながら、申し訳ない気持ちになる。
僕がちゃんとできれば、完璧に終わらせられたのに……
そんなことを考えていると――
「……君、今、何をした?」
何かに驚いたように先輩が顔を上げ、僕に尋ねてきた。
「え?」
何をしたって……何もしてないけど。
意味がわからず首を傾げた僕に向かって、先輩はゆっくりと口と開く。
「……今まで、魔術を使ったことは?」
「いえ、ありませんけど」
「本で魔術理論を読んだことは?」
「ないです」
「……では、思考はどうだ?」
まるで尋問みたいな問いかけが続く。どうしたんだろう。
「思考、ですか?」
「……何か、考えたことはなかったか」
そう聞かれて、僕は少し考えてから、口を開いた。
「ええと……魔術が消えそうって聞いたので、申し訳ないなと」
「……」
長い沈黙。
やがて、先輩は短く言った。
「……なるほど」
掠れたような声。初めて聞く声音だった。
「魔術は発動している……撤退するぞ」
あれ、さっきは呪文を唱えてたような気がするけど……とにかく良かった。
僕たちは、無事に脱出し、任務は成功した。
帰り道、先輩はほとんど口を開かなかった。
ずっと考え込むように下を向いて、時折、「無自覚の……」「再現性が……」とか、よくわからない言葉を呟いている。
ギルドの灯りが見える頃になって、先輩が立ち止まった。
ようやく、顔を上げて僕を見る。
「君の能力は……不可解だ」
まるで、やっと口にしたみたいに、静かな一言。
でも、僕には意味がわからなかった。
「ワイルドウルフさんにも言いましたけど、僕、能力なんてないですよ?」
銀灰色の瞳が、じっと僕の目を見る。何かを読み取ろうとするみたいに。
「……そうか」
けれど、《教授》先輩は、それ以上何も言わなかった。
※※※
翌朝。
僕は、軽い頭痛を覚えながらベッドから起き上がった。
昨日は遅くなったし、少し疲れたのかもしれない。
ギルド内へ入ると、ワイルドウルフさんが難しい顔で僕を迎えた。
「……お前、任務で何やらかした?」
「はい?」
カウンターの上に置かれたのは、また任務報告書。
ただし報告者の欄には《教授》の文字。
何が書いてあるんだろうと、まじまじと見ると――。
《標的の絶命を確認》
《撤退時、不可解な現象発現》
《現時点で分析不可能》
《要経過観察》
「こんな報告書、初めてだぞ。訳がわからん」
そう言われても、僕にも何がなんだかわからなかった。
わかったのは《標的の絶命を確認》の部分だけ。
「僕、何かしたんですかね?」
「こっちが聞きてえよ……」
頭を抱えるワイルドウルフさん。
「最初の任務といい、これじゃ、判断材料が少なすぎる」
報告書を投げやりな様子で持ち上げ、ひらひらと振る。
「お前のランク付けは、保留だ。能力の方向性がはっきりするまで様子を見る」
――僕、能力なんてないと思うんですけど。
そう言おうと思ったけれど、そうしたらまた怒られそうだ。
まあ、特に困ることもないからいいか。
「わかりました」
こうして、僕の暗殺者としてのランクはまだ「保留」となった。




