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ゴーストライター  作者: 佐田読子


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2/6

02


指折り数えて、ようやく巡ってきた水曜日。

常一は再び、あの古書店『灯亡書房』の前に立っていた。

前回と同じく戸は半ば開かれていて、外にはパンフレットの詰まった木箱もある。


だが、ひとつだけ違う光景があった。


入り口の横に椅子が置かれ、そこにひとりの人物が静かに腰掛けているのだ。

小さな折り畳みテーブルの上には、古びた羅針盤と、割り箸のような棒が詰まった筒。

占いの道具だろう。

常一が近付くと、ぱちん、とその人と目が合った。


「……待っていたよ」


低く、澄んだ声だった。

切れ長の目をした古風な顔立ちの美丈夫で、白いシャツに黒の羽織を重ねただけの装いなのに、その姿には牡丹が咲き誇るような雅が漂っている。


疑いようもない ──この人が噂の占い師や。


導かれるように、常一は向かいの簡素な椅子に腰を下ろした。


「あの、俺……」

「大体の事情はここの店主から聞いている。来てくれてありがとう。瓢 凰介(ひさご おうすけ)です」


名乗りながら、瓢はすっと手を差し出した。

常一は慌てながらもそれに応じ、軽く手を握った。

瓢の掌から伝わる体温はあたたかく、白檀のかすかな香りが混じっていた。


「君は、色気のある人だね」

「え……そんなん、初めて言われました」


突拍子のないひと言に戸惑ったが、悪い気はしない。

「え~、前髪切ったからかな~」などと常一があからさまに照れていると、瓢はクスリと笑みをこぼした。


「生きている人間にも当然好かれるだろうけど──君の色気は、死者により好まれるものだ」


「……は?」


挨拶代わりの冗談だろうか。

しかし、瓢の顔にふざけた色は一切ない。


「……死者?」


常一の乾いた喉から、かすれた声が漏れる。


「そう。いわゆる幽霊だね」


飄々と答える瓢。

その瞬間、テーブルに置かれた羅針盤の針がカラカラと音を立てて回り出す。

静まり返った空気の中で、その音だけがやけに大きく響いた。


「だから君が撮る写真は、奇妙なものになるんだ」

常一の脳裏に、これまで撮ってきた心霊写真が次々と浮かぶ。


──俺が幽霊に好かれるから、心霊写真が撮れる?……いや、つまり、それってどういう理屈なんや?


常一の混乱を楽しむように、瓢は頬杖をつきながら笑みを深めた。


「あれは、君への幽霊からのセックスアピールなんだよ」

「はぁっ!?」


そんな理由があってたまるか。

あまりにバカバカしくて、常一は思わず椅子からずり落ちかけた。


「てか、心霊写真が撮れるようになったんは専門学校に入ってからで……そんな急にモテ期、来ます?!」


信じたくないあまり、言い訳じみた疑問が口をつく。

対して瓢は変わらぬ笑みで、世間話でもするように答えた。


「君が大人になったからだよ。眠っていた色気が、芽を出し始めたんだ」

「いやいや、は?なに?何が芽生えたって?」


常一は頭をぶんぶん振って全力で拒否した。

幽霊にスキスキアピールされるなんて、恐怖以前に迷惑千万である。


「マジで意味わからん……回避する方法とかないんですか?!」


常一は必死の形相で訴えた。

瓢は顎に手を添え、ひとしきり思案するフリは見せた。が。


「ないね」

「なんでやねん!?」


素っ気ない答えに、常一は食い気味にツッコんだ。

その反応にも眉ひとつ動かさず、瓢は淡々と理由を述べた。


「それは君の“質”だから。取り除くことも、消すこともできない。君が君である限り、幽霊は寄ってくる」


それは、あまりに理不尽である。

お先真っ暗とはこのことかと、常一は思った。

だって、問題を解決するためにここまで来たのに、返ってきたのは「解決不能」という残酷な答えなのだから。


「……おわった」


椅子に沈み込み、魂が抜けたように呟く常一。

そんな彼を横目に、瓢は懐から扇子を取り出し、雅な仕草でバサリと開いた。


「でも、君の“質”を面白がる人間なら、いる」


その直後、常一の耳元に穏やかな声がかかった。


「心霊写真なら、うちで買い取れますよ」


「え?」


慌てて後ろを振り向くが、誰もいない。

おかしい。

気の所為だったのかと視線を前に戻すと、瓢の隣に店主が立っていた。


「な、なん、いつ……?!」


慌てふためく常一に、瓢と店主は悪戯が成功した子どものように、にんまりと目を合わせた。


「文字起こしはひと段落かい?」

「うん、お陰様で」


短いやりとりを交わし、店主は常一へと向き直る。


「前回いらしたときにお伝えすればよかったですね。うち、心霊写真も買い取ってるんですよ」


「……そんなもん買い取って、どうするんですか?」


訝しがる常一に、店主は口の端をゆるやかに持ち上げた。


「ふふ、僕には少しばかり特殊な能力があるので。……バス停で、見てましたでしょう?」


そう言って、店主が胸ポケットから取り出したのは、一本の万年筆だった。

やや古びてはいるが、ただの文房具とは思えない不穏な気配を放っている。

あの日、おばけ女に突き刺した謎の棒。

あの正体は、これだったのか。


「幽霊は、行き場を失った記憶と感情の塊なんです」


店主は万年筆を光にかざし、うっとりとした表情で続けた。


「僕はそれを、この万年筆に閉じ込めて文字へと変えることができる。……文章として記録された幽霊は、ひとつの物語になるんです」


つまり、”幽霊をインクにしている”ということになる。

荒唐無稽にもほどがある話で、まるで漫画や映画の設定を聞いている気分になる。

だが常一は、あの日、この目で確かに目撃したのだ。信じざるを得ない。


「綴はね、その特異な力を活かして、ホラー作家をしているんだ。作り話でも伝聞でもない、実際にあった怪異そのものを、彼は書き記しているんだよ」


瓢が、何気ない調子で言葉を添える。

この古書店がホラーやオカルトに特化している理由は、まさにそこにあったのだ。


「そういうこと。心霊写真に写りこんだ霊も、この万年筆で吸い上げられるんだ。だから“元ネタ”として、僕が買い取らせてもらいますよ」


「……えぇっと、なるほど?」


頭をフル回転させて何とか話を飲み込んだ常一に、店主は改まって頭を下げた。


「申し遅れました。灯亡書房の店主で、実話怪談作家の綴 一途(つづり いと)といいます。……よろしくね、青埜 常一くん」


──あれ? 俺、この人に名乗ったっけ?

そんな疑問が常一の頭によぎったが、瑣末な事である。


店主の綴は、もう当然のように常一が心霊写真を売る話を進めている。

が、果たしてそれで生活できるだろうか? 

どう考えても、せいぜい小遣い稼ぎ程度だろう。

副業にはできても、本業にはならない。

結局、仕事探しは続行確定。やっぱり、何も解決はしていない。


再びどんよりと沈み始めた常一の様子に、瓢と綴は何やら目配せを交わし、同時に頷いた。


「君の“質”を面白がる人間は、ひとりじゃない」


瓢はおもむろに、懐から一枚のカードを取り出した。

黒地に奇妙なマークと、短いURLが記されている。


「心霊現象を追いかけて配信をしているチャンネルだ。カメラマン兼編集者を探している」


……まさか占い師に仕事そのものを紹介されるとは。

常一は、「え?」の口のまま固まった。


「動画は常一くんの希望とは違うかもしれないけど、話だけでもいいから。一度連絡してあげて」


綴のフォローもあって、常一はおずおずとカードを受け取った。

指先に、黒い紙のざらりとした感触が残る。

しばし視線を落としたのち、常一は短く答えた。


「……考えてみます」




見送る二人にペコペコと会釈を繰り返しながら、常一は早足で古書店をあとにした。

無意識に呼吸が浅くなっていたらしい。

胸いっぱいに町の空気を吸い込みながら、駅へと歩く。

改札にスマホをかざした流れで、常一は浦に電話をかけた。

四度のコールのあと、ようやく通話がつながる。

受話口の向こうからは、ガタン、と列車の走る音に重なって、浦のくぐもった声が聞こえた。

地下鉄にでもいるのだろうか。電波の具合が悪そうだ。


『もしもし? ……どうしたの?』

「あのさ、お前が言うてた占い師に会えたんよ」

『本当? ……それで?』


ホームのベンチに腰を下ろし、常一は短い息を吐いた。


「仕事紹介された……」

『は?』


そして古書店のこと、占い師のこと、幽霊にモテていること──話し始めると止まらなかった。

乗るはずの電車を二本見送り、全部を浦にぶちまけていた。


『なるほど……アンタは幽霊特化カメラマン候補ってわけね』


受話口の向こうで、浦が思案気に言う。

けれどその声色には、ほんのわずか楽しげな響きが混じっていた。


『ねェ、話に乗ってみてもいいんじゃない? 占い師と店主は、アンタの事情を知った上でその仕事を紹介したんだから』


「……まあ、このさい写真でも動画でもええとは思うねん。正直、カメラにこだわってるのも“せっかく学校まで行ったのに”っていう、もったいない精神が大半やし。ただ……畑違い感はするというか」


『アラ、学校で動画編集もかじってたでしょ。今は便利なツールも山ほどあるし、やってみれば案外すぐ慣れるわよ』


浦が随分と肯定的なことを言うものだから、常一は「そう?うーん」と悩ましげにうなった。


『間もなく、一番線に電車がまいります』


三度目の自動放送のアナウンス。

昼下がりのホームに吹き込む風は、熱を含んだアスファルトの匂いをはらんでいた。





自宅の冷房は、相変わらず効きが悪い。

常一が小型扇風機のスイッチを強にすると、テーブルに置いていた例のカードがひらりと畳に落ちた。


「……よし」


案ずるより産むが易し。

そう思い立った常一は、カードを拾い上げた。

白い文字で印刷されたURLをスマホに打ち込み、アクセスしてみる。


画面に現れたのは、有名な動画配信サイトだった。

そして、そのトップに表示されたのが『ひらりんのひとりじゃないもん』というチャンネルだった。

映っているのは、常一と同年代くらいの青年だ。

通称「ひらりん」と名乗る彼は、事故物件に泊まり込んだり、真夜中の心霊スポットへ突撃したりと、命知らずな企画を繰り返している。

心霊写真の解説動画もあって、ジャンルでいえば典型的な“オカルト系配信者”だ。


試しに、いくつか動画を再生してみる。

基本的には騒がしくてバラエティっぽい雰囲気なのだが、所々で、背筋がぞっとする場面があった。

画面の端に何かが映り込んでいたり、音声に説明のつかないノイズが走ったり……素人目にも「ホンモノっぽい」と思えるシーンが確かに混じっているのだ。

無意識にスマホを持つ手に力が入る。

笑いながら見ていたはずが、常一は次第に目が離せなくなっていた。


チャンネル登録者数は三十万人。

世間的には十分「人気配信者」と言っていいだろう。

だが、実際の動画はというと、カメラは頻繁にブレるし、編集は不自然にブツ切り。

字幕も色がチカチカしていて、正直「友達の家で作った文化祭ビデオかな?」という仕上がりだった。

専門学校でかじった程度の知識でも、ツッコミどころは山ほどある。

これなら動画編集が未経験でも、従事するハードルは高くはない。

ただ問題は、その撮影対象が心霊動画だということだ。

さっき「幽霊にモテてますよ」と宣告されたばかりの自分が、のこのこ幽霊に会いに行くなんて正気の沙汰じゃない。

だが、カメラマンとして同行すれば、確実に撮れ高は上がるだろう。


怖さと好奇心が常一の頭の中でぐるぐるとせめぎ合う。


「……ええい、ままよ!」


そんな自分を誤魔化すように、声を張り上げる常一。

そして、その勢いのまま、ひらりんのアカウント宛に『求人応募』のDMを送信した。





── 翌週の水曜日、午後三時。

まだじりじりと陽射しは強く、気温はしばらく下がりそうにない。

改札を出た常一は、照り返すアスファルトに目を細めた。

あの後、“ひらりん”からの返信は驚くほど早かった。

DMを送信して数分も経たぬうちに『直接会って話しましょう。待ち合わせは灯亡書房で』と返事があった。

店主の綴の口ぶりから、ひらりんと知り合いなのは分かっていたので、待ち合わせ場所に疑問はない。

だが、あの古書店とは妙に縁が続いている気がした。



「あれ?休み?」


閉ざされた古書店の前で、常一は一旦立ち止まった。

戸には本日休業を示すホーローの看板が掛かっている。

入っていいのか分からず、遠慮がちに数センチだけ戸を開ける。

その隙間から、ひんやりとした空気と、香ばしい珈琲の匂いがふわりと漂ってきた。

そっと中を覗くと、カフェスペースに“ひらりん”らしき姿がチラリと見える。

向かいには飛び蹴り男がいて、二人で楽しげに談笑しているようだ。


正直、めちゃくちゃ入りにくい。


常一は一度身を引いて考える。

自分が中に入った途端、空気が気まずくなるのは避けたい。

なんとか二人の会話が途切れないか、様子を伺っていると──


「こんにちは、常一くん」


不意に綴が戸の隙間に現れ、常一は「うわぁっ!」と仰け反った。


「どうぞ入って。飲み物はコーヒーでいいかな?」


気さくに声をかけてくる綴に流されるように、常一はひらりんたちの座卓へ案内された。

飛び蹴り男は会話を中断してすっと立ち上がり、鋭い目でこちらを見る……かと思いきや、


「来たか」


口調は相変わらずぶっきらぼうだが、その仕草にはどこか柔らかさがあった。


「あ、この間は留守にしてたから紹介しておくね」


綴が飛び蹴り男の腕を軽く引いて、隣に立たせる。


「うちの従業員……というか僕のビジネスパートナーの相生 流転(あいお るてん)だよ。仲良くしてあげてね」


紹介された相生は「ん」とだけ小さく会釈。

前回の刺々しい印象は消え、落ち着いた雰囲気をまとっていた。


「で、こちらが“ひらりん”こと四葩 一輪(よひら いちりん)。一輪、こちらが凰様推薦の青埜 常一くんだよ」


互いに目が合うと、四葩はぱっと笑顔を咲かせた。

動画で見た印象そのまま。

いや、それ以上に肌がつやつやぴかぴか。

美容系配信でもやっていけそうな塩顔イケメンである。


「はじめまして。DMくれてありがとね。心霊写真撮れるんだって?──じゃ、採用で」


常一が席に着くや否や、四葩はあっさりと言い切った。

あまりに唐突な即決に、常一はぽかんと口を開ける。


「え、これ面接ちゃうんですか? 一応、履歴書も持って来たんですけど……」


慌ててカバンを探ろうとする常一を、四葩は片手をひらひらと振って制した。


「いや、凰介からアンタの話を聞いた時点で決めてたから。今日は顔合わせのつもり」


「凰介って……瓢さんですか? あの占い師の」


「そうそう。アイツ、俺の幼馴染なんだよ。で、“お前の目で見て良さそうな奴がいたら名刺渡しといて”って頼んでたんだよ。あと、綴ちゃんにも」


四葩は「知らなかった?」とでも言うように、適当に頭をかきながら答えた。

それがなんというか、自分の知らないところで全部が手際よく回っているみたいで。

ありがたいような、ちょっと怖いような……常一は内心、複雑な気持ちで唇を尖らせた。


「で、常一くんはどう? 引き受けてくれる?」


「……えぇと……はい。でも、俺ほんまに動画配信とか明るくないんで……幽霊は、まぁ映ると思いますけど」


「いいのいいの。やってりゃ何とかなるから。じゃ、決定ってことで!」


常一の歯切れの悪さなど意に介さず、四葩は強引なくらい楽観的な流れで、トントン拍子に話をまとめてしまった。

満足げに椅子の背にもたれ、もうすっかり雇用成立の空気を出している。

「これでいいのか?」と常一が助け舟を求めて周りを見回すと、すでに相生はカウンターで雑誌を広げ、我関せずと欠伸をしていた。

完全に戦力外である。


そこへ、綴がアイスコーヒーを載せたトレイを軽やかに運んできた。


「一輪、雇用契約書とか用意してないの?」


コーヒーを常一の前に置きながら、綴が母親のように口をはさんだ。


「え、なんか書類とかいる感じ?」


「いるでしょ、それは。ていうか、雇用条件とか仕事内容とか、まだ何も常一くんに説明してないよね?」


綴のもっともな言葉に、常一もハッとする。

そういえば、流されるまま返事をしてしまったが、具体的な仕事はおろか給与額さえまったく聞いていない。


「あー、そっか。そういうの全然考えてなかったわ。……じゃあ、いま契約書? 作るから一緒に考えよ。綴ちゃんも手伝って」


「もう、一輪はいっつもそうなんだから」


四葩のお願いポーズに、綴は呆れ半分笑い半分で肩をすくめる。

そのやり取りに、相生は気だるげに雑誌をめくりながら「ばーか」とつぶやいた。



三人で顔を突き合わせること、二時間。

ようやく雇用契約書が完成した。

仕事内容は動画撮影のカメラマンと編集作業。

勤務時間は不規則になるが、常一が想定していた以上の基本給が四葩から提示された。

さらには、動画の再生回数に応じてインセンティブも支払われる。

ハローワークでは巡り会えなかったであろう条件に、常一の気持ちは完全に”イエス”で固まった。


「あの、一応履歴書は渡しときますね。あと……証拠出せって言われるかなと思って、写真も持ってきてて」


常一は鞄から履歴書を入れたファイルと、一冊のアルバムを取り出した。

中身はフィルムカメラで撮った写真を集めたものだ。

加工しやすいデジタルより信憑性が高いはず。そう考えての選択だ。


「え、ほんと? 見せて見せて」


それに対して、四葩よりも綴が身を乗り出した。

ページを繰るたびに、彼の表情がどんどん好奇心で輝いていく。

瓢いわく、常一にセックスアピールしている霊が写った写真達である。

肩越しに覗き込む影、ガラスに張り付いたような輪郭、背景に紛れて漂う淡い人影……。


「まぁ、前に“悪い霊じゃない”って言われたことあるんで、大したことないと思うんですけど……」


常一が照れ隠しとも保身ともつかぬ口ぶりでつぶやく。

すると綴が、あるページをめくっては戻し、まためくっては戻しを何度か繰り返した。


「確かに、ほとんどは君に惹かれてふらふら写り込んだだけだね。害意は感じない。でも……これは──」


スゥッ……と目を細めて、綴は一枚の写真をアルバムから抜き取った。


夜のベランダから、街の灯りを何気なく切り取った一枚だ。

そこに写っていたのは、毛のない、のっぺりとした白い人間の姿だった。

ベランダの手すりの向こうで、満面の笑みを浮かべている。

それは異様な生気を帯びていて、いまにもこちらに手を振って走り寄ってきそうだ。

綴は写真を机に置き、指で示していく。

最初は遠くのビルの隙間。次は向かいの家の塀。

……そのたびに距離を詰め、確実にこちらへ迫ってきていた。

なら、次は……?ごくりと喉を鳴らす常一と四葩。

綴は胸ポケットに手を入れ、あの万年筆を取り出した。

カチリ、とキャップを外す乾いた音が室内に響く。


「見てて」


そして、常一にウインクしてみせると、写真に映る白い笑顔めがけて、迷いなく万年筆のペン先を突き立てた。


途端、ペン先から黒いインクが逆流するようにボコボコと噴き出し、写真の表面を覆い尽くす。

綴は額に薄く汗を滲ませ、呼吸を詰めて万年筆を押し込む。

吸い込まれるインクの渦から、かすかに「おーい」と呼ぶ声が聞こえて、常一はゾゾゾッと総毛立った。


とぷん、と万年筆が全てのインクを吸い尽くすと、綴はそっと蓋を閉めた。


残された写真には、街の夜景とペン先の刺さった小さな穴だけ。”あれ”は跡形もなく消えていた。


「流転。」「ん。」


綴が声をかけると、相生はカウンターの奥をごそごそと漁り、小さなポチ袋を取り出した。

そしてレジから数枚の札を抜き取り、スッと詰めて綴へと手渡す。


「心霊写真の買取代だよ」


綴はそう言って、放心したままの常一へとポチ袋を差し出した。

袋には、筆ペンで書かれたようなやわらかな字で「こころばかり」とある。


「……へ?」


間の抜けた声を漏らす常一に、綴は申し訳なさそうに眉を下げた。


「君の写真、勝手に吸い取ってごめんね」

「あ、いや、それは……全然……」


そんなことより、常一の頭の中はさっきのことでいっぱいだった。

綴の特殊な力については知っていたが、あんな至近距離で見せつけられた衝撃は桁違いだ。

それに、写真に写り込んでいた“あれ”は一体何なのか。

その思いを代弁するかのように、向かいに座る四葩が声を張った。


「説明してもらえます!?」





「ほほえみ様?」


常一が聞き返すと、綴は「そう」と静かに頷いた。


「これは特定の誰かの霊じゃない。いわば“人の視線を欲する念”が集まって生まれたものだ。

気づいてほしい、振り向いてほしい、かまってほしい……そういう思いの澱が形を取った怪異だね。

関西では〈えみひと〉、九州では〈わらうもの〉と呼ばれてきた民間伝承がある。昔は夜道や田畑の端に、のっぺりとした白い人影が立っていた──なんて語られてたみたいだよ。でも近年は姿を変えて、写真や映像に現れることが多いんだ」


黙って聞いていた四葩が、眉をひそめて「なんで?」と問うた。

綴は指先で頬をとんとん叩きながら答える。


「見返すものだからさ。ほほえみ様は、二度見されるのを待ってる。

写真でも映像でも、見返すたびに、少しずつ近づいてくる。

……だから、繰り返し見るのは危ないよ」


常一がごくりと喉を鳴らす。手にしたグラスの中で、氷の溶ける音が小さく響いた。


「じゃあ……最後まで見返したら、どうなるんですか?」


常一の問いに綴は一拍置いてから、ふっと肩をすくめた。


「さぁね。最後まで見た人の記録は残っていないんだ。ただ文字起こしの経験上、あれはただ『見てほしい』としか考えていない存在だ。だから、その先は分からないね」


綴の解説を聞き終えて、常一はぶるりと身を震わせた。

ここ最近は心霊写真に対して、ただただウンザリするだけで恐怖はなかった。

しかし改めて考えてみると、これは笑いごとではない。

”幽霊が写っただけ”では済まないことが、現実にあるのだ。


一瞬、空気がしん……と固まる。


「うわー! 動画のネタにしときゃ良かった! 青埜くん、また撮ってよ!」


けれど、四葩の子どもじみた無茶ぶりで、その怖気はあっさり吹き飛んだ。


「はぁ!? 二度と嫌ですけど!」

「とりあえず綴ちゃん、それ文字起こしして、いつもの解説まとめよろしく~」


常一は即座に拒否したが、四葩はまるで聞いていない。

そして、常連客よろしく綴にそんな注文をする。

綴は「はいはい」と軽く笑って応じると、「ごゆっくりどうぞ」とだけ言い残し、店の奥へと姿を消した。

残された常一は、先ほどの四葩の言葉がひっかかって、首を傾げる。


「え……? あの心霊写真の解説って、四葩さんが分析してるんちゃうんですか?」


「うん。俺、霊感とかゼロだし。ていうかオバケ苦手だから、凝視したくない」


椅子にもたれ、当然とばかりに答える四葩に、常一は更に「ん?」と眉を寄せた。


「でも、事故物件とか泊まり込んでるわけでしょ?」

「あぁ、あれ? いつも凰介か綴ちゃん達と一緒に行ってんだよ」


四葩はアイスコーヒーをひと口含み、涼しい顔で続けた。


「で、一通り動画を撮ってから除霊してもらうの。そのあと、安心安全な事故物件に泊まる流れ」

「え、じゃあ寝てる間に映ってましたーってオバケは何なんですか?」


「それは編集でどうとでもなるじゃん。切り取って、時系列をちょっとズラせばいいから。」


指先で空中に小さな円を描くようなジェスチャーをしながら、四葩は楽しげに説明する。

まるで、子どもが手品の種明かしをするみたいな雰囲気だ。


「それ、世間にバレたら大炎上でしょ。」


「まぁなぁ。でも俺、嘘は言ってねぇもん。写ってる霊だってホンモノだし、俺が現場でビビってんのもマジだし。心霊写真の解説だって、自分で分析しましたとか一度も言ってないよ。」


──なんやその、叙述トリックみたいなやり口は。


ケロリとした態度で言い切る四葩に、常一は呆れて頭を抱えたくなった。

その反応を楽しむように、四葩がにやりと口角を上げる。悪戯っぽい光が、目元にきらりと走った。


「編集作業でオバケ見るの怖かったからさ。常一くん来てくれて助かるわ。改めて、よろしくな!」


その言葉に合わせるように、両手で大げさにサムズアップをしてみせる四葩。


常一は「こいつ……」と心の中で毒づきながら、乾いた笑いを漏らした。





2025.11.25

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