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ゴーストライター  作者: 佐田読子


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《お仕事の依頼が届きました!》

その件名を見た常一は、即座に迷惑メールだと決めつけ、ゴミ箱へ放り込もうとした。

が、送り主のアドレスに引っ掛かりを覚えて、指を止める。

よくよく見ると、それは、スキルマーケットからの転送メールだった。

そう言えば、四葩に雇われてからは一度も触れていない。

受注停止も、登録解除も、面倒で後回しにしたままだったことを思い出す。


それにしても、心霊写真撮り〼──などという、我ながらふざけた名義のサービスに依頼が届くとは、とんだ物好きがいたものだ。

常一はマウスを引き寄せ、メールに記載されたリンクをクリックした。


《はじめまして。新田美尋と申します。私と、ほかに二人の女の子の写真撮影をお願いします。場所や時間は特に指定はありませんが、当方学生のため、平日の夕方か土日の昼間が望ましいです。》


常一は画面を見つめたまま、「うぅん……?」と低く唸った。

わざわざ心霊写真を撮ってほしい理由が全く分からない。

撮影場所を心霊スポットに指定してくれれば、まだ意図は読みやすいのに。


もっとも、冷やかしの類ならそれまでだ。

怖いもの見たさの遊びか。肝試しの延長か。

友人同士で盛り上がった末の、ただの悪ノリかも知れない。


「……断るか、どうしよか」

カーソルを返信欄の上で彷徨わせながら、常一は半ば独り言のように四葩へ話しかけた。

事情をかい摘んで説明すると、「なんか面白そうだし、行ってこいよ」と、実に軽い返事が返ってきた。

その無責任さにむくれつつも、常一の中でわずかな好奇心が揺れる。


──どうせ、これまで一件も来んかった依頼やしな。


最初で最後。そう決めて、常一は『承諾』のボタンをクリックした。





待ち合わせは、日曜の午後二時。

学生街にある、こぢんまりとしたカフェだった。

ガラス張りの扉の向こうは、昼下がり特有のゆるい気色に満ちている。

甘いコーヒーの香りと、食器の触れ合う音が、落ち着いた店内を縁取っていた。


そこへ、いかにも今風の大学生といった雰囲気の三人組が、店内をきょろきょろと見回しながら入店した。

常一が席から軽く手を上げると、そのうちの一人が「あっ」と小さく声を漏らし、こちらへ歩いてきた。


向かいの席に、やや窮屈そうに三人並んで腰を下ろす。

左端の女性が、水を運んできた店員に「また、あとで注文します」と短く告げた。


「カメラマンの青埜です。よろしくお願いします」


常一は名刺を差し出し、軽く頭を下げた。

すると、真ん中に座っていた栗色の髪の女性も、少し遅れてぺこりと頭を下げる。

肩口で揺れた髪は、わずかにパサついて見えた。


「私が、お願いした新田です。それで、こっちが友達の──藤原舞花ちゃんと、楠本結衣ちゃんです。」


紹介された二人も愛想笑いで小さく会釈をした。

三人とも、どこにでもいそうな女子大生に見える。

だが、彼女らと目が合う度に短い耳鳴りがして、常一は少しだけ視線をずらした。


「えーっと……お写真は、どちらで撮影しましょう?」


常一が控えめに尋ねると、三人は顔を見合わせ、真ん中の新田がにこっと頷いた。


「あ、ここで、パシャッと撮ってもらっても大丈夫です」

「えっ?」


思わず間の抜けた声が漏れる。

依頼文にも“場所の指定はない”とは書いてあったが、まさか本当にどこでもいいとは思っていなかった。

店内は昼下がりの客で、ほどよく賑わっている。

心霊写真を撮るには、あまりにも不釣り合いな場所だ。


「えーっと……その、心霊写真になるのは、ご理解いただけてるんですよね?」


念のため確認すると、三人は素直に頷いた。

その表情にはからかいや、冷やかしといった色は一切ない。


「はい。あの……」

新田が、少しだけ身を乗り出す。


「私たち、何か憑いてるように見えますか?」

「いやぁ……俺、肉眼ではあんまり見えへんからなぁ」


常一は、苦笑まじりに頭を搔いた。

ここに綴でもいれば話は早いのだが、常一に見えるのは、よほど強い霊──しかも、彼の視界に入りたいと望むものだけだ。


「……何か、心当たりでもあるんですか?」


そう問いかけると、三人の表情がわずかに強張った。

同時に、常一の耳の奥で、さっきよりも甲高い耳鳴りが尾を引くように響き、思わず顔を顰める。


やがて、新田がためらうように口を開いた。


「実は……私たち──」


三人は近くの女子大に通う学生で、新歓の席で知り合った他大学の先輩に誘われ、オカルトサークルに入会したという。

都市伝説や心霊現象に特別な興味があったわけではない。

ただ、先輩がイケメンだったことと、男子との交流に少し期待した。それだけの、ありふれた動機だった。


これまでにも活動の一環で、いくつかの心霊スポットを巡った。

だが感じたのは、場所に纏わりつく湿った空気や、暗闇に対する原始的な恐怖ばかりで、はっきりとした心霊体験は一度もない。


「見えた、聞こえたって嘯く人はいますけどね。実際のところ、霊感がある人なんていないんです」


新田はそこで言葉を切り、無意識のように自分の肩口へ触れた。

残りの二人も、示し合わせたように身動ぎする。


「先月も心霊スポットに行って……"うよいだアーケード"って知ってますか?」


その名前は、常一にも聞き覚えがあった。

四葩の動画のコメント欄で、たびたび「行ってみてほしい」と名前が挙がる場所だ。

都市近郊のシャッター街と化した商店街の一角にある、廃業してから二十年以上放置されたままのゲームセンターが、それだ。

店内には当時のままのゲーム筐体が並び、色褪せたポスターや景品棚も、手つかずの状態で残されていると聞く。

噂では、電気が通っていないはずなのに、筐体の電源がふっと入る。

誰もいないはずの従業員扉の奥から、コインの落ちる音がする。

扉をくぐると、全盛期のゲームセンターの喧騒に紛れ込んだかのような感覚に襲われる。

そうした不思議な体験が、真偽は定かでないが、数多く囁かれている。


「中は落書きだらけだし、ゲーム機も壊れているものばかりで、当然遊べませんでした。

でも、ふざけてあちこち触っていたら……一台だけ、急に電源が入ったんです」


それは『COCOMI♡FORTUNE』という、相性占いの筐体だった。

手を置くパネルが二つ並んでいて、占いたい相手と隣り合い、それぞれ片手を触れると、相性度がパーセンテージで表示される仕組みらしい。


「でも、片方のパネルは壊れてて反応しなかったんです。

だから、一人ずつ試してみようって話になって」


その場には、三人の他にサークルの仲間が五人いた。

そもそもがオカルト好きの集まりだ。

当然のように、全員が順番に手をパネルへ載せていった。


「私たちはノリ気じゃなかったけど、場の空気を壊したくなくて……」


最初に試した先輩は、やたら嬉しそうに盛り上がっていたが、表示された相性は10%だった。

「低っ!」「誰との相性だよ!」

そんな笑い声が、埃っぽい店内に乾いて響いた。

その後も結果が表示されるたび、他愛ない騒ぎが続くだけで、特別なことは何も起こらなかった。


「……でも、私と舞花と結衣の三人だけ、相性100%が出たんです」


新田はスマートフォンを差し出し、常一へ向ける。


「これが、そのときの画面です」



♡♡♡♡♡♡♡♡

相性 :100%

運 命:成立


おめでとうございます。

COCOMIは、

あなたにぴったりの相手を見つけました。


これからは、

二人で一人です。

♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡



レトロゲームらしい粗い画質の中に、可愛らしい装飾文字が並んでいる。

何となく、相性占いというよりマッチングアプリみたいな文言だな、と常一は思った。


「正直、だから何?って感じでした。

でも、初めての心霊現象っていうか、イレギュラーな展開に、みんなすごく盛り上がって……」


新田はスマホの画面を見つめたまま、どこか懐かしむように目を細めた。

たぶん、楽しかったのだろう。

だが、その語り口に抑揚はなく、感情が遠くに置き去りにされているようでもあった。


「でも、それだけでした。

ゲーム機も急に、ブツッて音を立てて電源が切れて……それっきり、動かなくなっちゃって」


異変が始まったのは、帰ってから数日後だった。

最初は、気のせいだと思える程度の違和感だ。

ひとりで部屋にいるはずなのに、背後に誰かの気配を感じる。

ふとした瞬間、くん、と袖を引かれる感覚がある。

何かに引っかかったわけでもなく、そこに誰かがいるわけでもない。


けれど、日を追うごとに違和感は少しずつ輪郭を持ち始めた。

眠りに落ちる直前、すぐ耳元で、もうひとつの呼吸が重なる。

そして、ほとんど毎晩のように、金縛りに遭うようになった。


「その時、必ず夢を見るんです。

誰かと、デートしてる夢。知らない場所を、知らない男の人と歩いていて……」


怖くはなかった。

繋いだ手をゆらゆらと揺らしながら、彼が何かを話しかけてくれる。

けれど、いつも肝心の顔だけは、ぼやけていた。


「目が覚めると、夢の内容はほとんど覚えてないんです。でも、触れられた感じだけは残っていて……」


新田は、誰かの感触を確かめるように、指先をぎゅっと握り込んだ。


「先輩たちは何もないって言ってました。

相性100パーセントが出た、私たち三人だけに起こってるみたいで……。

それで、どうにか確かめられないかと思って、いろいろ探していたら──」


「俺の受注ページにたどり着いた、と」


そうなると、心霊写真という手段は少し回りくどい気もする。

けれど学生の彼女たちにとっては、ネットで探せる手軽さと、価格の安さが丁度良かったのだろう。

写真なら証拠も残る。

サークルの話題作りとしても、都合が良いはずだ。


「事情は分かりました。

ただ、さすがにここでは気まずいんで……近くの公園に移動しませんか?」


常一の提案に、三人は素直にうなずき、席を立とうとした。


「お待たせしました」


そこへ店員が、頼んでもいないコーヒーを三つ、静かにテーブルに並べた。

常一は「間違いでは」と口にしかけたが、新田がそれをそっと制した。


「最近、よくあるんです」


そう言って、新田は当たり前のようにカップを手に取った。


「一人なのに水を二つ置かれたり、注文していない料理が届いたり……。ちょっと困りますよね」


困る、と言いながら。

その声音には、恋人のかわいい悪戯に呆れているような、かすかな甘さが滲んでいた。

常一の胸の奥で、言葉にならない違和感がゆっくりと膨らむ。

けれど彼には、三人が無言でコーヒーを飲み干すのを、ただ待つことしかできなかった。





カフェを出て五分ほど歩いた先に、すべり台とパンダのスプリング遊具が一台置かれているだけの、小さな公園があった。

幸い、ほかに利用者の姿はない。「ここで撮影しましょか」と声をかけ、常一はバッグから一眼レフを取り出す。

だが三人は顔を見合わせると、「自分たちのスマホで撮ってほしい」と遠慮がちに言い出した。

スマホでも心霊写真は撮れるが、カメラマンとしては少しやり甲斐に欠ける。とはいえ、依頼人の希望だ。


常一は差し出されたスマホを受け取り、片手に構えた。

ピースサインを作って立つ新田を、何枚か連写する。

経験上、街中や公園はクリアに霊が写ることが多いので期待はできた。

常一は画面を指でなぞり、どれどれと撮れ具合を確かめる。

そして、「うわ……」と、明らさまに渋い顔をしてしまった。


心霊写真としては申し分ない写りだ。

だが、いつもとは霊の様子が違う。

常一に存在を誇示するでもなく、たまたま通りすがって写り込んだ訳でもない。

もっと、粘りつくような執着がある。


写真には、新田の背後から青白い男が腕を回している姿が映っていた。

いわゆるあすなろ抱きの格好で、その手は新田の身体に食い込みそうなほど強くしがみついている。

輪郭はやや曖昧だが、目だけが異様なほど爛々とカメラを見据えていた。


「青埜さん?」


新田の呼びかけに、常一ははっと我に返った。


「あ、いえ……とりあえず撮影、続けますね」


取り繕った笑みを浮かべて、次のシャッターを切る。


二番目に撮った藤原の写真には、彼女の隣にぴたりと寄り添い、手を繋ぐように立つ作業着姿の男。

三番目の楠本の写真の中央には、彼女を抱き締めるように正面へ立ち、顔だけをこちらへ向けたチェックのシャツの男。

どれも、明らかに彼女たちに憑いている霊が写っていた。


「わ。本当に写ってる!」

「すごーい!」

「……そっか。この人だったんだ」


三人はスマホの画面を覗き込み、食い入るように写真を見つめていた。

その横顔には、恐怖よりも、どこか喜びに近い色が浮かんでいる。


「余計なお世話かもしれませんけど……お祓いとか、行った方がいいとは思いますよ」


怖がらせないよう、常一はできるだけ穏やかな声でそう告げた。

だが三人は顔を見合わせると、そろって小さく首を横に振り、やわらかく微笑む。


「大丈夫です。

 私たち──彼がどんな人か、見てみたかっただけなので」


そう言って、新田は報酬の入った封筒を常一に差し出した。

スマホ撮影で、現像もしていない。

貰いすぎな気がして躊躇する常一に、彼女は気にする様子もなく、「ありがとうございました」と丁寧に頭を下げた。


新田たち三人は、その流れで公園のベンチに腰を下ろした。

そして互いのスマホ画面を覗き込みながら、まるで恋人を紹介し合うように、楽しげに会話をし始めた。


「この人、優しそうじゃない?」

「分かる。てか、結衣と並ぶと身長差めちゃ良いよね」

「……うん。やっと会えた」


会話は途切れることなく続き、笑みは次第に深く、柔らかくほどけていく。

その瞳は、完全に恋をする幸福に満ちていた。

けれど、中身はどろりと溶けた飴のように、甘ったるく歪だ。


──キン、と。また耳鳴りが走る。

細い針を差し込まれたような、不快な高音。

常一は、とても悍ましいものを見ている気がして、急いでその場を立ち去った。





「──というわけで。今回は満を持して、“うよいだアーケード”に突撃したいと思います!」


宵の口も過ぎて、二十二時。

人影ひとつないシャッター街の入口で、四葩は動画のオープニングを撮影していた。


頭上の街灯は半分以上が切れかけている。

辛うじて点いている灯りも、頼りなく瞬きを繰り返していた。

風が吹くたび、閉ざされたシャッターの隙間から、金属の擦れるような音が漏れるのが耳障りだった。


視聴者へ向けて、四葩はいつもの作り笑顔でオープニングトークを続ける。

カメラを構える常一の傍らには、今回めずらしく瓢が同行していた。

撮影用ライトを手にしたまま、無言でじぃっと商店街の奥を見つめている。


「どしたん? 占い師やから、占いゲームの怪は気になった?」


常一が冗談めかして尋ねると、瓢はふふっと優雅に笑った。


「それもあるけれど──以前、顧客のひとりが、ここを訪れたことがあってね。

彼女も、君が話してくれた女の子たちと同じだ。男の霊に取り憑かれながら、それを受け入れていた」


瓢の声は、夜気に溶けるように静かである。


「僕が視たかぎり、霊そのものは取るに足らない雑霊だ。本来なら、生者を洗脳できるほどの力は持たない。

……となれば、要因は“あの筐体”にある可能性が高い」


唇の端をわずかに吊り上げ、瓢は流し目で常一を見やる。


「そんな面白いもの、見てみたいだろう?」


その顔には、未知の現象を前にした研究者のような昂揚が宿っていた。


瓢はもともと多忙で、動画撮影に同行することはほとんどない。

常一が雇われてからは、なおさらだ。

四葩が撮影予定や有力な怪異情報を定期的に報告し、危険性が高い場所、あるいは今回のように瓢自身が強い関心を示した場合に限り、こうして姿を見せる。

だが、今回は単なる興味本位とも思えなかった。


言ってしまえば、新田たちはただの女子大生だ。

「運が悪かったね」で済ませてしまうこともできる。

けれど、瓢の顧客になり得る立場の女性が被害に遭ったとなれば、話は別だ。

下手をすれば、思った以上に大きな問題へ発展していてもおかしくない。

数年前から、商店街自体に解体の噂もある。

瓢が何を視るか次第では、うよいだアーケードそのものが立ち入り禁止になる可能性もある。


もっとも、それはあくまで常一の想像に過ぎないのだが。



「うわぁ、暗っ! 怖っ!」


うよいだアーケードへ向かう商店街そのものが、すでに十分すぎるほどの不穏さを湛えていた。

開いている店は一軒もない。

降ろされたシャッターには、閉店を告げる貼り紙が色褪せたまま貼りつき、剥がれかけたセロハンテープが黄ばんでぶら下がっていた。


「当時はかなり栄えてたらしいよ。駅前の再開発と大型ショッピングモールの台頭で立ち行かなくなったんだってさ。時代の流れってやつだねぇ」


視聴者に語りかけるように、四葩は要所要所で解説を挟みながら進んでいく。

がらんどうの商店街に響くその声は、場違いなほど陽気で無防備で──ホラー映画なら真っ先に退場させられる役どころだ。

常一はそんな失礼な想像を巡らせながら、より雰囲気のある映像になるよう、レンズをゆっくりと滑らせた。

店と店の隙間に沈む濃い暗がり。

錆びつき、文字も判別できなくなった看板。

くすんだショーウィンドウの奥に、無造作に転がる色褪せた商品。

ファインダー越しの景色は、肉眼で見るよりもいっそう温度を失っていた。


「な、凰介。この辺は何もないよな?」


月明かりだけを頼りにした商店街は、雲が流れるたびに濃淡の違う影を落とす。

一度カメラの画角から外れ、四葩が瓢へこそこそと近寄った。

それは配信者として良い画を求めた確認ではない。ただ単純に、怖かったからだ。

瓢は答える代わりに、ゆらりと周囲へ意識を向けた。

そこに在る何かを数えるように、点々と視線を止める。

やがて、「気にするほどのことじゃない」と、目に見えないものを払うように軽く手を振った。

その仕草ひとつで、四葩は露骨に肩の力を抜き、「だよな」と笑って、再びカメラの画角へ戻っていく。


「ひらりんと凰さんってさ、いつからの付き合いなん?」


カメラのフォーカスは四葩に向けたまま、常一はちらりと瓢を見やる。


「公園デビューで出会ったらしいから……二歳頃かな」


もちろん、初対面の記憶は残っていない。

瓢は顎にそっと手を添え、遠い時間をなぞるように目を細めた。

幼稚園、小学校、中学校と、気付けばいつも隣に四葩がいた。

瓢の家は少しばかり特殊で、秘密も多いが、決して閉ざされた家ではない。小学校五年生までは、四葩もよく遊びに来ていた。

──祖父が余計な悪戯をしなければ。

きっと今も変わらず、四葩は実家に出入りしていただろう。


「高校は別だったけど、駅は同じだったよな。向かいのホームに凰介見つけて、めっちゃ叫んだわ」


四葩が振り返り、楽しげに口を挟む。

その顔は、余計な事を思い付いた時のニタニタした笑みだ。


「恥ずかしかったよ、あれは」


瓢は苦笑して、わずかに眉を寄せる。

けれど、そこに嫌悪はなく、柔らかな懐旧が滲んでいる。青春を思い返す、大人の顔だった。


──それにしても。

瓢の存在は心強いとはいえ、四葩は霊感ゼロのビビりだ。何故、わざわざ心霊配信など始めたのだろう。

動画配信がしたいだけなら、他にいくらでも題材はあったはずだ。


そんな疑問が胸をかすめたが、常一は「まぁ、いっか」と、あっさり飲み込んだ。

過去動画を遡れば、どこかでぽろっと理由を語っているかも知れない。

気が向いたら探してみればいいだけだ。


「じゃあ、綴ちゃん達とは?」


思い出話に興じていた二人の会話へ、常一はさりげなく割り込んだ。


「一途とは、五、六年の付き合いになるかな」


瓢はそう言って、年数を数えるように指を折った。


「古書店の前店主と、うちの祖父が知り合いでね。その縁だよ。祖父も、気まぐれにあそこで占いをしていたから」


代替わりの折、祖父は灯亡書房を孫の凰介に紹介した。

家の仕事ばかりじゃ肩が凝っていけない──そんな軽い口ぶりで、祖父はとんとん拍子に話をまとめて、後は丸投げだった。


「前の店主って、綴ちゃんのじいちゃんやないん?」

「違うよ。硯さんと言って……一途の祖父の友人だったかな。洒落た人でね。いまは外国で暮らしている」


瓢がその人物に会ったのは、一度きりだ。

百九十はあろうかという長身の紳士で、深い翠の瞳が印象に残っている。

血の繋がりもない綴へ店を譲ったのは、あの能力を見込んでのことなのか。それとも、ほかに理由があったのか。

詳しい経緯は、瓢もまだ知らない。


「へぇ……」と、常一は感心したように相槌を打った。

特殊な人間たちが、奇妙な縁に手繰り寄せられて出会った。

その結果が、今ここにあるのだ──自分のことは棚に上げて、そんな事を思った。


夜風が、ひそやかに通り過ぎる。

その流れに乗って、蛾らしき小さな虫が、ふいに四葩の鼻先をかすめた。


「───イャアアアアアアア!!」


四葩は大げさなほど身をよじり、甲高い悲鳴を上げる。

彼は幽霊も苦手だが、それ以上に虫が駄目なのだ。

その無様な騒ぎぶりに、瓢は堪えきれず吹き出した。珍しく、はっきりと声を立てて笑う。

常一は、その一部始終を抜かりなくカメラに収めた。


閑話休題。


「あ、あった。ここですね……うわぁ、マジで入りたくねぇ……!」


全盛期には目が痛くなるほど煌めいていたであろう『うよいだアーケード』の、色褪せたネオン看板。

その一部は割れ、露出した管がむき出しのまま、風に煽られてギィ、ギィと軋んでいた。

ガラス扉は片側が大きく砕けて、蜘蛛の巣状の亀裂が白く濁っている。

取っ手に巻き付けられた鎖は途中で乱暴に断ち切られ、切断面が鈍く月明かりを弾いていた。


「……これ、ほんとに入る?」


青ざめた顔で振り返る四葩を合図に、常一は構えていたカメラの停止ボタンを押した。録画中の赤い表示がぱっと消える。


「はーい、じゃあ凰さんよろしく」

「わかった」


心霊ロケでは、まず瓢(または綴達)に現場内部の様子を検めてもらう。

安全性が確認できない現場に、四葩は断固として足を踏み入れないからだ。

危険度の高い霊がいれば先に祓ってもらうが、可能であれば心霊現象はカメラに収めたい。

なので、特に問題がなさそう場合は、その時点で撮影を再開する。

これが『ひらりんのひとりじゃないもん』の裏側である。

ちなみに、事故物件に泊まる場合は少し手順が変わる。

まず常一が室内を一通り撮影し、その後は危険度に関係なく必ず祓ってもらうことになっている。

四葩がうるさいからだ。


瓢のブーツが、ジャリ、とガラス片を踏み砕く。

わずか数秒の確認でもって、「二人もおいでよ。入るだけなら問題ない」と、あっさり判断が下された。

常一と、その背中を盾にした四葩もゲームセンターの中へ足を踏み入れる。


内部は、不思議なほど荒らされた形跡がなかった。

壁やポスターには落書きが点在しているものの、ゲーム機や備品は経年劣化こそあれ、目立った破損はほとんど見当たらない。

景品棚には、ぬいぐるみやボードゲームの箱が、当時のままきちんと並べられている。

色褪せたパッケージの笑顔が、薄闇の中でこちらを見つめ返してくるようで不気味だった。


「凰介、どう? やばいの、いないよな?」

「やばくはないよ。数は多いね」


くるりと身体を翻しながら、瓢が平然と答える。


「当時は、これくらい賑わっていたんだろうね」


その目は、誰もいないはずの空間をゆっくりとなぞっていた。

どうやら常時、十数人ほどの霊が店内をうろついているらしい。

とはいえ、悪霊と呼ぶほどの害意はない。

ただそこに留まっているだけの、名もなき浮遊霊だ。


「常一の方に寄っていってるけど、雑魚だからね。何もできないさ」

「そういうの言わんといてくれる?」


知らなければ、知らないままでいられたものを。

常一は胡乱な目で瓢を睨む。四葩は露骨に距離を取った。

とはいえ、見えていない以上、騒いだところでどうにもならない。

常一はへの字に口を結び、録画ボタンを押した。

カメラを構え直し、店内を見て回る四葩を追う。

そのフレームの端を、瓢がひとり、奥へとすり抜けていった。


「──問題の筐体は、これかな?」


カメラに映り込まぬよう身をずらし、瓢が親指でそれを示す。

壁際のモグラ叩きゲームの隣。甘ったるい色味の、ピンク色の筐体。

塗装はくすみ、所々が剥げてはいるが、ハートや星の装飾はまだ残っている。


《COCOMI♡FORTUNE》


縁取りのロゴは色褪せながらも、辛うじて判読できる。

新田たちの言っていた相性占いのゲーム機で、まず間違いない。


「うわ……何か懐かしい気もするなぁ、この感じ」


四葩が遠巻きに見ながら呟く。

当然ながら電源は落ちていて、画面も真っ暗だ。

コンセントは刺さっておらず、コードは途中で断たれ、床にだらりと垂れていた。


彼女らは、あちこち触っているうちに……そう言っていた。

常一は思い出しながら、筐体の側面を軽く叩く。

空っぽの金属缶を打ったような音がバン、と返った。


「こういうの、電源ボタンとかあんのかな?」


縁に沿って指を滑らせ、パネルの継ぎ目をなぞる。


「お前、よく触るな。気ぃ付けろよ」


四葩は怖じ怖じと顔を引き攣らせる。だが、瓢は何も言わない。

その沈黙を許可と受け取り、常一はさらに手を伸ばした。

ざらついたプラスチック。錆びついたボタン。ひび割れたコイン投入口───ピッ。


小さな電子音。

常一の指先が、ぴたりと止まった。


真っ暗だった画面が淡い光を帯びる。

ざらり、と砂嵐のようなノイズが走り、やがてピンク色の背景がゆっくりと浮かび上がった。

中央で、ハートマークが鼓動のように明滅する。


『COCOMI♡FORTUNEへ ようこそ♡』


きゃらきゃらと弾む電子音。

甘く高い、アニメの少女めいた声。


『ふたりの あいしょうを うらなっちゃお♡』


軽快なメロディーが、廃墟の天井へぶつかって跳ね返り、無邪気に鳴り響いた。


「……は?! 動いてんじゃん!?」


四葩の声が裏返る。

弾かれたように瓢の背へ回り込み、その袖を雑に掴んだ。

常一は反射的にカメラを構え、この瞬間を逃すまいと筐体へ寄った。

小さな内蔵モニターの中を、白いオーブがいくつか不規則に横切っていく。


「人が来たのを察したようだね」


瓢は、眉ひとつ動かさない。

ただ面白い玩具でも観察するかのように、筐体を見つめている。


不意に、どくん、と。

音が聞こえそうな程、画面中央のハートがひと際強く脈打った。


『てをおいて 10びょう まってね♡』


甘い電子音声。

画面の中では、青と赤のハートがぴこぴこと近づき、合体し、また離れていく。

それが軽快な効果音とともに、何度も繰り返された。


「一輪、ちょっとそこに立って」


瓢が筺体の前を顎で差す。

四葩はぎょっとして、首を横に振った。


「な、なんで俺なんだよ……?!」

「お前の動画だろう」


それはそうだ。

四葩は引き攣った笑みを、常一のカメラへ向ける。

レンズの向こうの視聴者に救援要請でも送っているような目だ。

そして、信じられないほど焦れったい足取りで、ぎくしゃくと筐体の前に立った。

常一は手元へズームを寄せる。


「あ、ほんまや。片っぽ反応してへんわ」


これも、新田たちが言っていた通りだ。

手形の描かれたパネル。右側はピンクの光が忙しなく点滅しているが、左側は暗く沈黙したままだ。

四葩は慌てて両手を胸元へ引き上げ、「触ってないからね?」と全身で主張した。


「まぁ、壊れもするよな。二十年放置されてるんやし……」

「違う」


瓢が、す、と左側のパネルを指差した。


「すでに、手が置かれているんだ」


すぐには彼の言う意味が掴めずに、薄い沈黙が落ちた。

カメラの内蔵モニターには、相変わらず白いオーブがゆらゆらと漂っている。

常一は喉を鳴らし、「ひらりんの隣におるってこと……?」と声を震わせた。

直後、四葩は一切の無駄な動きなく筐体から飛び退いた。


「憑いてる?!憑いてない?!」

「憑いてない。一輪がそこに立ったら、一体の霊がそれに手を置いただけだ」


瓢の視線は、反応のない左側のパネルに注がれている。

常一も注視するが、こびりついた手の脂の曇りがうっすらと残っているだけにしか見えない。


「この相性占い機は死者との相性占い……いや、縁結びの方が近いかな」


筺体に近付いて、瓢は画面をぐうっと覗き込んだ。


『ふたりの あいしょうを うらなっちゃお♡』


再び音声が流れる。

先程、手を置いていた霊が離れたのか。

画面は、ハートが明滅する最初の待機画面へ戻っていた。


「縁結びって……神様でもあるまいし」

「かなり近いものではあるよ。付喪神とでも言っておこうか。ただ純粋に相性の良い二人を結んでいる。それは善悪ではなく、この筺体の機能だ」


勝手にお見合いを段取りする近所の世話焼きや、頼んでもいないのに知人を紹介してくる友人──そういう手合いに、どこか似ている。


だが、この《COCOMI》は人間ではない。

死者と生者の区別もしない。

恋が芽生える過程も、葛藤も、倫理も考慮しない。

相性の数値が高ければ、それが全てなのだ。

「はい、好き同士。お幸せに」とでも言わんばかりに、強引に縁を結んでしまう。


新田たちも、瓢の顧客も、相手は祓える程度の霊だった。祓えば、彼女たちは正気に戻るだろう。

理屈の上では解決は簡単だ。

けれど、恋をしている最中に、自分から「お祓いに行こう」と思う人間が、どれほどいるだろうか。

好きという感情が本物だと信じている限り、誰もそれを異常だとは思わない。


例え、相手がこの世の存在でなくても。


「……ふむ。どうにかするにしても、少々骨が折れそうだ」


小手調べに、瓢は両手をパネルへと載せ、大きく息を吸い込んだ。

途端、画面をざっと白いノイズが駆け抜けた。

スピーカーが、息を詰めたようにぷつりと切れる。

機械の駆動音さえ聞こえない無音が落ちて、数秒。

先程と同じ甘ったるい音声が、何事もなかったかのように流れ出した。


『ごめんなさい♡ もういちど はじめから やりなおしてね♡』


にっこりと、満面の笑みで門前払いでも食らったような気分だ。

筺体は平然として、画面のハートは、ぴこっぴこっ、と愛らしく明滅を繰り返すばかりである。


瓢はパネルから手を離し、顎の前で指先を組んだ。伏せた睫毛が、わずかに影を落とす。

常一も四葩も、固唾を呑んでその横顔を見守った。

ここから目を見張るような大立ち回りが始まるのではないか──そんな緊張と期待を裏切り、瓢はあっさりと「保留だな」と言って、徐ろに懐へ手を差し入れた。


取り出したのは、小ぶりな御札が二枚。

白い和紙に、細い墨文字が流れるように記された簡素なものだ。

それを、手型のパネルの左右へ一枚ずつ置く。

瓢の指が離れた瞬間、御札は逃げ場を塞ぐように、ぴたりとパネルに貼り付いた。

淡い墨の文字が、じわりと周囲の光を吸い込んでいく。

それに伴って、スピーカーが軋みを上げた。


『ごぉめんなさぁいぃ ♡♡ もぉういちどぉ……はじめぇからぁ……やりなおじてぇねぇ ♡♡』


音声が引き延ばされ、捻じれ、不協和音となって耳にまとわりつく。

画面のハートが腐食したみたいに、青とも緑ともつかない濁った色へと変わっていく。


四葩は反射的に、常一のカメラのレンズを手で覆った。

瓢のことは秘匿事項だ。どうせこの場面は配信できない。

奇怪なデータを、これ以上増やしたくなかった。


「……すぐに剥がされるのがオチだろうけどね」


瓢は独りごちると、小さく何事かを唱えた。

親指と人差し指で輪を作り、その丸越しに筺体へ向けて、ふっと息を吹きかける。

これは、封じるでも、滅するでもない。

ただ一時的に、起動を阻止するだけの応急処置だ。

御札は一般人でも簡単に剥がせてしまう。

遠からず、また誰かの手によってこの筺体は目を覚ますだろう。


画面の中で、歪んだハートが弱々しく明滅した。

濁った色は、もはや元の愛らしさを思い出せないほど禍々しい。

可憐な少女の皮がべろりと剥がれ、その中から干からびた老婆が躙り出てくるようだった。


『ごぉ……ぉ……めぇん……な、さ……ぁい……♡』


どこか不貞腐れたような捻れた音声を最後に、筺体はぶつっ、と電源を落とした。





「──はい! という訳で、今回の動画ゾッとした方は、チャンネル登録、高評価お願いします!」


『うよいだアーケード』の看板を背に、四葩はさっぱりとした笑みで手を振る。


「じゃ、終わり!」


録画停止ボタンが押され、カメラを下ろす。

動画撮影という薄い膜に包まれていた空気が、冷えた生身の夜に戻った。


「今回は時間かかりそうだなぁ、編集」


顎をさすりながら、四葩がぼやく。

常一も苦笑して頷いた。

辻褄合わせのカットをいくつか後撮りしたので、何とか繋ぎ合わせて体裁を整えるしかない。


その傍らで、瓢は割れたガラス扉越しに例の筐体を一瞥した。

貼った札は、まだそこにある。


「とりあえず、撤収しましょ」


少ない機材を手早くしまい込み、四葩の車を停めたパーキングへ向かう。

「牛丼が食べたい」と言い出した瓢に、「言われたら腹減ってきた」と四葩が乗る。

やんやと他愛ない雑談をする三人の足音が、がらんどうの商店街に吸い込まれていった。


やがて背中が角を曲がり、完全に見えなくなった──彼は誰時。


店内の暗がりで沈黙していた相性占い機の画面が、ぼんやりと光を帯びた。


ノイズ混じりのハートマークが、不規則に脈打つ。


手型パネルに貼られた札が、ゆっくりと──端だけ、ぺらりと浮き上がった。



『COCOMI♡FORTUNEへ ようこそ

ふたりの あいしょうを うらなっちゃお♡♡♡』






2026.03.05

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