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ゴーストライター  作者: 佐田読子


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01


『心霊写真撮り〼』


スキル売買のマーケットサイトに登録してから、すでに一か月が経った。依頼はまだない。

運営からの自動メールしか届かない受信箱を眺め、青埜 常一(あおの つねいち)は小さくため息をついた。





専門学校一年目の夏。

課題提出用の写真を選んでいた常一は、何枚かにシャボン玉のような白い光が写り込んでいるのに気が付いた。(後にそれが“オーブ”と呼ばれる霊体だと知る)

それは、撮影を重ねるごとにじわじわとエスカレートしていった。

被写体の手や足が一本多い、あるいは消えている。

友人の顔がぶれて別人のように写る。

窓やドアの隙間から、見知らぬ顔が覗いている──。

気付けば、彼の作品は“心霊写真”だらけ。

専門学校を卒業する頃には、その確率はほぼ百パーセントといっても過言ではなかった。

フィルム写真はともかく、データ写真なら編集ソフトで消せばいいはずだ。

だが、いざ加工しようとするとパソコンがフリーズしたり、勝手に電源が落ちたりする。

中には、一度消したはずのモノが、時間を置いて再び浮かび上がることすらあった。

まったくタチが悪い。

当然、その問題は就職後も常一につきまとう事となる。

大手写真スタジオ、街の写真館、結婚式場の専属カメラマン……どこへ行っても結果は同じだった。

最終的に、常一はそのすべてでクビを言い渡された。


──俺が何したっていうねん。


常一は生来小心者である。

遊び半分で心霊スポットに行ったこともなければ、事故物件に住んだこともない。

もちろん、寂れた村の祠を壊した覚えもない。

幽霊が勝手に写真へ写り込み、仕事の邪魔をするのだから、常一にはどうすることもできなかった。


「……カメラ以外の仕事なぁ」


先ほどハローワークの担当者に紹介された求人は、どれもカメラとは無縁のものばかりだ。

毎回、会社側の配慮で“解雇”ではなく“自主退職扱い”にはなってはいた。

だが担当者も、常一に何かしらの問題があることはとうに察している。

勤務態度でも、撮影技術でもない。それは常一も胸を張って言える。

けれど「心霊写真が原因です」などとは言えるはずもなく、言葉を濁すしかない。

結果、面談を重ねるごとに、担当者の目には不信感が色濃く宿っていった。

ならば、就職ではなくフリーランスはどうだろう。

そう考えた常一は、スキルマーケットに登録してみた。

だが、カメラスキルを売る人間など掃いて捨てるほどいる。

「差別化が大事よ」という友人のアドバイスに従い、やけっぱちで“心霊写真”を売り文句にもしてみた。

結果は、もちろん鳴かず飛ばずだ。


「……そらそやろ。誰が金払ってまで心霊写真なんか撮ってほしいねん」


ため息をつきながらメールボックスを閉じ、常一はバスの時刻表に目をやった。

ハローワーク前のバス停は、ドーム屋根とベンチがあるだけの簡素なものだ。

ひぐらしが鳴く夕暮れ時でも、まだ空気はねっとりと暑い。

容赦ない西日に目を細め、Tシャツの袖で顎を伝う汗をぬぐった──そのときだった。


「……え?」


常一の右隣に、女が立っていた。

麦わら帽子に白いシャツワンピース。

いかにも夏らしい装いなのに、ノースリーブから伸びた腕は、冷気をまとったように青白い。

まるで死体や……。

そう気づいた瞬間、常一は慌てて正面に向き直った。


──おばけやん、絶対。


心霊写真は山ほど撮ってきた常一でも、現物と鉢合わせるのはこれが初めてだった。

こういうモノは「気づいた」と悟らせてはいけない、そんな話をどこかで聞いたことがある。

だから一旦、なかったことにして。常一は遠くの山を眺めるふりをした。だが。


【……目がアいましタね】


耳元で、錆びた鈴を転がすような歪んだ声が囁いた。


──まぁ、そやな。めっちゃ見たし、声出してもたしな。


瞬間、体が石のように固まった。

声を出すことも、瞬きをすることすらできない。

立ったままでも金縛りに遭うのか。

そんな場違いな感想が常一の脳裏をかすめる。

その間にも、女がじわじわと距離を詰めてくる気配が、肌にまとわりついた。

暑さのせいではない。首筋を、冷たい汗がつーっと伝っていく。


【見ィつけた、ッァア”アアア──ッ!?】


轟音とともに、空気が裂けた。

視界の端から飛び込んできた足が、スローモーションのように宙を舞い、女の顔面を正確に打ち抜く。

幽霊らしからぬ悲鳴を上げて、白い影は吹き飛んだ。

背中からコンクリートに叩きつけられ、仰向けに転がる女。

その身体に、勢いそのままに一人の男が馬乗りになった。

間髪入れずに拳が振り下ろされる。

鍛え上げられた体躯から繰り出される重い打撃が二発、三発──。

相手が幽霊とはいえ、同情すら覚えるほどの蹂躙だった。

常一は金縛りが解けていることにも気付かず、ただ呆然とその光景を見つめていた。


「待ってよ~、るてん~」


そこへ、軽く息を切らしながら、自転車に乗った男が現れた。

飛び蹴り男のツレらしい。

西日に照らされる顔は逆光に沈んでいたが、輪郭には穏やかな雰囲気がにじんでいた。


「ん、下拵えは済んだぞ」


飛び蹴り男が淡々と告げる足元で、おばけ女は弱々しく呻き、地を這っている。

爪を立てて必死に後退しようとする姿は、さっきまでの怪異じみた迫力をすっかり失っていた。

ツレの男はそれを落ち着いた様子で見下ろすと、胸ポケットから何やら棒状の物を抜き出した。

金属のような木ような、不思議な質感が西日を鈍く反射する。


「えいっ♡」


緊張感ゼロの掛け声とともに、男は一切の躊躇なく棒の先端を女の額へ突き立てた。

ビクリ、と大きく痙攣した女の身体。

次の瞬間、それはどろりと黒い液体に変じ、インクのように飛沫を散らしながら、棒の中へと吸い込まれてしまった。


「んー……これは“バス停の女”にしようかな?」

「前にも使ってただろ、そのタイトル」

「あ、確かに。バスの怪異って多いんだよねぇ」

「じゃあ“ハローワーク前の女”でいいだろ」


怪異を処理した直後だというのに、二人はまるで買い物帰りの雑談のように軽く言葉を交わす。

やがてツレの男が自転車のストッパーを上げると、荷台に飛び蹴り男がひょいとまたがった。


その時。


飛び蹴り男の鋭い視線が、わずかに常一をかすめた。

思わず固まる常一。

だがそれも一瞬の事だった。ツレの男がペダルを踏み込み、自転車は二人を乗せて西日に向かって走り去っていく。

残されたのは、雨のように漂うインクの匂いだけだった。





「もしもし、浦!?」


築三十五年の古びたアパート。102号室。

畳の匂いが気に入って契約したその部屋に戻った常一は、はやる気持ちのまま友人──浦 小波(うら さざなみ)へ電話をかけた。

効きの悪い冷房のスイッチを入れ、汗でぐっしょりのTシャツを脱いだところで、ようやく着信が繋がる。

スピーカー越しに聞こえた浦の気怠げな声が『どうしたの?』と言い終える前に、常一はさっきの奇妙奇天烈な出来事を息継ぎもなくまくし立てた。


『……ふぅん。にわかには信じがたい話ね』


浦は考えるような口ぶりで呟いた。

どうやら彼は帰宅途中らしい。

受話口の向こうには、かすかに雑踏の音が混じっている。


『とはいえ、アンタの心霊写真ばかり撮る癖も事実だしね。……ほんと、世の中不思議なことってあるものね』

「クセ言うな。あれはオバケの迷惑行為や」

『で、結局それは商売になりそう?』

「なるわけない。アカウント消されんだけでもありがたいで」


──浦と常一は専門学校の同期である。

女子ばかりの学校で、数少ない男子同士、自然と仲良くなった。

まぁ、浦は性別にとらわれないタイプなので、早々に女子ともすんなり馴染んでいたけれど。

浦はアートデザイン専攻、常一はカメラ専攻。

途中からクラスは別々になったが、当時実家暮らしだった浦の家に、学生寮組の常一はよく入り浸っていた。

浦の母親が陽気で、料理を振る舞うのが好きだったのも理由のひとつだ。

常一が心霊写真のことを、最初に相談したのも浦だった。

いや、浦以外の友人には誰にも話していない。

母親と同様に明るく陽気な彼は、前向きに、だが決して茶化すことはなく相談に乗ってくれた。

いまは大手出版社に勤め、忙しい日々を送っているが、それでも常一を邪険に扱ったりはしない。

最初にスキルマーケットの件を調べてくれたのも、他ならぬ浦だった。


『その二人、霊媒師ってやつなのかしら?』

「オバケ退治してたんやし、そうなんかもな。知らんけど」

『なるほど……。実はアタシも、アンタにちょうど話したいことがあったのよ。心霊写真に効くかもしれないわ』

「え、マジで? どんな話?」

『これは社外のライターから聞いた噂なの……』


急に浦が怪談じみた口調に切り替える。

常一は「そんなんええねん」とツッコミつつも続きを促した。


『──ある占い師の話よ。』


曰く、高名な陰陽師の血を引く男。

占星術や易を自在に操り、普段は政治家や著名人しか相手にしない。

つまり、望んでも会えるような存在ではないのだ。

だが、ごくまれに一般人の前に姿を見せる場所があるという。


灯亡(ともぼし)書房って古書店よ。そこで、ふらりと客を待つことがあるらしいわ』


その日は完全にランダムで、二日続けて現れることもあれば、何か月も姿を見せないこともある。

しかも、古書店そのものが不定休。

占い師に辿り着けるかどうかは、まるで運試しのクエストのようなものであった。


『だけど、占いは百発百中。霊視もできて、必要なら除霊や祈祷までやってくれるそうよ』


浦はそこで、ふっと声をやわらげた。


『……根本的に解決を図るのもいいかと思ってね。アンタ、二年前にあの屋敷に行って以来でしょ?』

「……ああ、あん時な」


思い出しただけでも、常一の腹の底にモヤモヤが再燃する。

二年前、彼は“すご腕の除霊師が住む”と噂のお屋敷を訪ねたことがあった。

門構えは立派で、庭も手入れが行き届いている。

その厳格な雰囲気に、常一は大いに期待したものだ。

出てきた除霊師は、どこか食えない笑みを浮かべた七十路すぎの爺さんだった。

品はあるが、目の奥が読めないタイプである。

爺さんは受け取った写真にさっと目を通すと、にっこり微笑んで言った。


「大した霊じゃないね」


……はい? なんやそのフワッとした答えは。

さらに「今のとこ何も憑いてないから大丈夫」と、軽く肩をポンと叩いてきた。


──大丈夫なわけあるかい! じゃあ、心霊写真ばっか撮れる理由なに?! 余計タチ悪いやろ!


常一はそうがなり立てたかったが、爺さんの有無を言わせぬ妙な空気に押され、何も言えなかった。

極めつけは「ま、行く先はそう悪くない」と優雅にお茶まで勧められ……結局、ほうじ茶を飲んだだけで帰る羽目になった。


──あのジジイ、相談料だけぼったくりやがって。


常一の苛立ちを察したのか、受話器の向こうで浦が小さく笑った。


『……だからこそ、今度は別の角度から見てもらえばいいと思ったのよ。占いなら仕事の悩みも相談できるじゃない?もっとも、会えるかどうかは運次第だけど』


それだけ言うと、浦はあっさり電話を切った。

そのすぐ後に、常一のスマホに古書店の名前だけがポンと送られてきた。


灯亡書房。


試しに店名を検索してみたが、ホームページも口コミも一切出てこない。

地図アプリにぽつんと表示されたピンだけが、店の存在を示す唯一の証拠だった。

怪しさ満点だが、幸か不幸か常一はいま無職である。

予定表は真っ白で、占い師遭遇クエストに挑む時間だけはたっぷりあった。

さて、このクエスト、吉と出るか凶と出るか。





翌日、常一はさっそく件の古書店へと向かった。

準急電車に揺られること十五分。

平日の昼下がり、降りる人もまばらな閑散とした駅に着く。

改札を抜けると、小さな寿司屋が一軒。

その隣には配達用の白い軽バンが停まり、さらに横には新聞の自販機を置いた個人商店が肩を並べていた。

寂れたとまでは言わないが、どう見ても観光客が訪れる場所ではない。

住民の生活だけに寄り添った町並みだ。


──こんな所に高名な占い師が来るんか?


疑念を抱きつつ、常一はスマホの地図アプリを頼りに歩き出した。

道中、すれ違ったのは郵便局の赤いバイクが一台きり。

その後は人影もなく、緩やかな坂道がつづく細い路地を黙々と上っていった。

三十度を越える夏の日差しに汗をにじませながら、五分ほど歩いたころ、ポケットの中でスマホが無機質に告げた。


『目的地に到着しました』


顔を上げると、坂の先に、古びた木製看板を掲げた古書店がひっそりと佇んでいた。

看板の文字はかすれているが、確かに『灯亡書房』と読める。

幸いにも、今日は営業をしているようだ。

青と白のガラスをはめ込んだ戸が、半ば開かれている。

表には古びた木箱が三つ積まれており、中を覗くと映画のパンフレットがぎっしりと詰め込まれていた。

しかも並んでいるのは、ホラーやオカルト映画のものばかりだ。

常一は思わずたじろぎ、恐る恐る店内へ足を踏み入れた。


鼻をかすめたのは、古い紙の乾いた匂いと、それに重なるような珈琲の香りだった。

見れば、左手にカフェスペースがある。

板敷の小上がりに二卓の座卓が並び、隅には座布団が積まれていた。

はめごろしの窓から射し込む淡い光が、座卓の木目を柔らかに照らしている。

右手には、背の低い本棚が所狭しと並んでいた。

背表紙を何気なく追っていくと、そこに並ぶのは、すべて怪談本だった。

なるほど、この店の趣向は一目でわかる。

だが、いくら奥を覗いても人影はなかった。


「……やっぱ、占い師なんかおらんか」


常一が踵を返しかけた、その時。

店の奥の暗がりから、不意に声が響いた。


「いらっしゃいませ」


ハッとして目を凝らすと、カウンターに男がひとり腰かけている。

ほんの今まで、そこには誰の気配もなかったはずだ。

店主だろうか。

ゆっくりと近づいてくる華奢で背の高いその姿に、常一はなぜか既視感をおぼえた。


「……何かお探しですか?」


顔立ちは端正で、第一印象は”頭が良さそう”だった。

柔らかく整えられた黒髪に、静穏な笑み。

全体に優しげで知的な空気をまとっている。

だが、眼鏡の奥の三白眼と目が合うと、常一は頭の中を直に覗かれている気になって落ち着かなくなった。

言葉を探して口ごもっていると、店主の背後でふっと別の気配が動いた。

カウンターの奥から、もうひとつの影がすっと姿を現す。

精悍な体つきに、短く刈り込まれたライトブロンドの髪。

その鋭い眼差しとぶつかった瞬間、常一は反射的に声をあげていた。


「……飛び蹴り男や!」

「ん? 流転のお知り合い?」

「ちがう。こいつ、この間ハローワークのバス停にいたじゃん」

「えっ、あの時ほかに人いたの?」


この軽い会話の調子。

間違いなく、あの日バス停で遭遇した二人組だ。

ぽんぽんと交わされる軽口に、互いの距離の近さがうかがえる。

常一は信じられない気持ちで、二人をまじまじと見た。

すると、飛び蹴り男がギロリと睨み返してきた。


「……で、何しに来た?」


短く低い問い。

警戒を隠そうともしない威圧感に、常一は思わず喉を鳴らした。

確かにこの二人の素性も、あの日の幽霊退治の詳細も気にはなる。

だが、今日ここへ足を運んだ理由は別だ。

余計な疑いを招かぬように、常一はどもりながらも言葉を押し出した。


「こ、ここにスゴい占い師が来るって聞いたんですけど……!」

「あぁ、そちらでしたか」


その瞬間、店主のまとう空気がわずかに揺らいだ。

スゥッと細められた目は、深海のように仄暗く、探る色と同時に試すような色が潜んでいた。


「どうして占い師に会いたいのか、差し支えなければ教えていただけますか?」


声色は変わらず柔らかく丁寧だ。

だが、その奥底には一切の嘘を許さない圧があった。

その横では、飛び蹴り男がただ黙って、じいっと常一を見据えている。


「実は──」


常一はため息を混ぜ、ここへ来た事情を洗いざらい打ち明けた。


「──それで、その占い師なら何か分かるかもって」

「……なるほど。そういうことでしたか」


話を聞き終えると、店主の空気がまたふっと和らいだ。

常一が二人を詮索しに来たわけではないと理解したのだろう。


「……でも、残念ですね。その方は、来週の水曜日までいらっしゃらないんです」

「急ぎなら、他を当たった方がいい」


店主の言葉にかぶせるように、飛び蹴り男がすぱっと言い放った。

悪気はないのだろうが、まるで追い返されたように感じて、常一は肩をすくめる。

すると、すぐに店主が男の脇腹を肘で小突いた。

男は小さく「ぐっ」と呻いたが黙ったまま。

店主は常一に向き直り、気遣うように目尻を下げた。


「もしお時間があるのなら、水曜日にまたいらしてください。その方なら、きっと力になってくれますから」


それなら、返事はひとつしかない。

現状、常一は来週の水曜日だけでなく、その前後もまるごとフリーなのだから。


「……来週、また来ます」


そう告げると、店主は首を小さく傾け、「はい、お待ちしております」と綺麗にほほ笑んだ。





2025.11.25

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