6話:とある思考実験
椿に告げられた事実を前に、私は思考の沼…いや、もうここまでくると思考の海に足を取られていた。
「つまり…あれか?お前らはどっちもがどっちも同じ経験をしたって言いたいのか?」
脳がキャパシティを突破してしまい先ほど言われたことを自分なりの解釈で復唱してしまう。
「うん」
「その通りだよ」
まじか…
思わず歪めた顔を手で覆ってしまう。
二人の椿の外見だけではなく経験、もとい記憶まで一緒なのだとしたらこれはもう早々にお手上げな事態だ。
「ねえねえ結衣ちゃん」
「なんだよ…」
こうなった椿たちをどうしようか考えていると、ちょんちょんと椿に指で突かれる。
「さっきから私たちのどっちが"説教を受けた方か"なんて気にしてるけどそれってそんなに大事なことなのかな?」
「は?」
私には想像できない考えに思わず強い言葉が漏れる。
「だってさ、私ともう一人の私は見た目も、経験も記憶もみんな一緒なんだよ?だったらもう二人とも"私"ってことでよくないかなあ?」
椿は嘘ぶる様子もなく交互に話す。
「実際にこうやって触れることもできるわけだし、それに別に二人いて困ることも無くない?」
互いの手を握りぶんぶんと腕を振りながら椿はいつも通りの笑顔を浮かべる。
…どうやら初めて意見が食い違いそうだ。
「いや、それは違うな」
『ほおー?』
二人の椿が首を傾げる。
「なあ椿、お前スワンプマンって知ってるか?」
「スワンプマン?なにそれ」
椿たちは互いに知り得ないのにまるで「知ってる?」というふうに顔を向かい出せる。
「スワンプマン…日本語では沼男。これはある思考実験の話だ」
「思考実験?」
「あー…そっからか。今は頭の中で想像する実験、例えば"もしも人がりんごになったらどうなるだろう?"みたいな感じって思ってもらったらいい」
「なるほど?」
例えが少し悪かっただろうか。まあ、今重要なのはそこではないのでいいとしよう。
「この思考実験には一応物語みたいな話があるんだが…状況が状況だしわかりやすく噛み砕いた結論だけ言うからな」
「ほいほーい」
一度咳払いをし、間を置いて喋り出す。
「簡単にいうと偶然ある人間が死ぬ時、奇跡的にその死んだ人間と同じ見た目と記憶を持った奴が生まれたとしたらそいつは死んだ人間と言えるのか?って話だ」
「ふむ」
「ふむふむ」
椿たちが首を縦に振る様子を見るとなんとなくだが理解してくれたようだ。
なんて悠長に思っていると…
「ふんわりと話はわかったんだけどさ、結局何が問題なの?」
「……」
純粋無垢な問いが私に向かって飛んでくる。
「なんでって…もし仮にだけどな、元となった人間が奇跡的に生きてたとする。だとするとだ、同じ見た目と記憶を持ったやつが二人存在することになる」
「そうだね」
「うんうん」
「で、大事なのはここからなわけだけど…この場合、椿ならどっちが本物だって思う?」
答えはわかっている。でも、この先の話を展開するために一度この問い掛けをしておかなければならない。
「そりゃもちろん"二人とも本物"だと思うけどなー」
「ま、そうなるよな。さっきもそう言ってたわけだし」
軽くため息をついた後私は続けて話し出す。
「椿のその答えは同じ見た目に同じ記憶を持ってるなら"二人とも本物"ってことで合ってるんだよな?」
「うん、そうだね」
「だねー」
「だとすると、だ。一つ問題が浮き彫りになるんだよ」
「問題?」
思い当たる節がないのか彼女たちは腕を組み考えるそぶりをする。
「そ、大事な問題だ。それはな──その人間の生きてきた歴史についてはどう説明するんだってことだよ」
私がそう言い終えると、椿は顎に手を添えながら再び疑問を飛ばしてくる。
「歴史って…それでて大事なことなのかなあ?」
「はあ?めちゃくちゃ大事なことだろうが」
どうやら私の考えに納得していないようで椿は自分の考えを語る。
「そうかなぁ…だって側から見たら全く一緒に見えるわけだし、そんなのただの屁理屈なんじゃないの?」
珍しい、椿が私に反論するなんて滅多にないことなのに。
彼女の言葉に驚き少し圧倒されてしまう。
違う違う、今は驚いてる場合じゃないんだ。
「違うな、これは断言できる」
力強く言い切る。
「ふーん、なら理由が聞きたいなぁ?」
「ねー?」
まるで二人いることを有意な立場と思わせるそぶりの椿たちはニマニマとした顔でこちらを見ている。
「単純な話だ。後から生まれた人間には生まれる前の記憶はあっても、生まれた時の辻褄が合わないからだよ」




