3話:階段空間
「っ…なんなんだ一体…」
目をこすりながら見開くと、そこには想像できないような光景が広がっていた。
「……」
階段がある。それだけだったら、どこにでもある階段がある“建物”と認識できるがーー
この空間は、どこもかしこも階段だらけだった。
正確には、階段が所々に“浮かんでいる”と言えばいいのだろうか。その階段は上下左右、なんなら角度を問わず、意味もなく配置されていて、私の理解を拒もうとしてくる。
「意味がわかんねえ…」
あまりの光景に理解が追いつかず、頭を抱えていると、開いた目に一人の少女が映る。
「おーい、結衣ちゃーん!」
声が響くように手を口の横に置き、大声を放つ椿がそこにいた。
……いたのだが。
「どういうことなんだよ…」
そこには椿が歩いている。そう、歩いているだけなら普通なのだがーー
彼女はなぜか天井に足をつけ、逆さになった状態で歩いていた。
「すぐそっちに行くから、ちょっと待っててねー」
そう言い終えると同時に、とんっと地面を蹴る。物理法則を無視するように、椿はふわふわと落ちてきながら体を回転させ、正しい意味でこちらへ降りてきた。
「ほいっ」
「いや、“ほい”じゃないだろ!?」
さも当然のようにこの空間に適応している椿は、軽く着地したあと、何を思うか腰をおろし、床をぺたぺたと触り出す。
「うーん、特に仕掛けがあるわけじゃないかー」
「いきなり何してるんだよ」
「ん?ああ、結衣ちゃんは今目が覚めた感じだったり?」
振り返ることなくまじまじと床を観察する彼女は立ち上がり、私の様子を見つめてくる。
「そうだけど…その様子だと椿はもう少し前に目を覚ましたのか」
「ご名答!」
勢いよく振り返り、ビシッと指を突き立てながら笑みを浮かべてくる。
別に褒めてないぞ…
「目が覚めたらこーんな場所にいてさ? 結衣ちゃんもいないし、とりあえず歩いてみるかー、なんて思ってたら、なんとビックリ!飛んでみたらふわーって上まで行って、天井歩けちゃったんだよね」
「“ふわーっ”じゃないだろ…」
ゆるい説明に疑問を持ちながらも、確かにこの目でその事実を見てしまっている以上、何も言い返せない。
「それで歩き続けてたら下の方に結衣ちゃんが見えてさ、降りられるかなーって思いながら飛んでみたら、ご覧の通りって感じ?」
「ごめん、ちょっと理解が追いつかん…そもそも私たちはなんでこんな場所にいるんだ…?」
確か…そうだ、記憶が正しければ私たちは洞窟みたいな場所にいて――扉。そう、あの錆びついた扉に椿がタックルしたと思ったら、光に包まれて……
「なあ椿、ここに来る前、どこにいたか覚えてるか?」
「えーっと、もしかしてあの洞窟のこと言ってる?」
どうやら私たちの記憶は正しいらしい。コインランドリーに閉じ込められて、床をぶち抜いた先に洞窟があったことは、今の言葉からも紛れもない事実だと証明された。
「おっけー、椿。その後のことは覚えてるか? 扉を開けた後のことだ」
「んー? そうだねぇ、確か扉を開けてすっごい眩しい光が見えてきて……あれ、どうなったんだっけ?」
……どうやらあの後、私たちの身に何があったかは、私も椿も覚えていないらしい。
「となると、このわけのわからない場所に私たちは囚われてるってことなのか…」
辺りを再び見回す。そこには変わらず階段が浮かんでいて、どこにも出口らしきものは見当たらない。
「コインランドリーから洞窟、そんで意味不明な階段空間……なんでこんな目に遭ってんだよ…」
「ねー、洗濯機が壊れなかったらこんなことになってなかったのにねー」
落ち込む私に寄り添うように、椿は声をかけてくる。
椿はいつもはおちゃらけているけれど、案外こういう時の気遣いは一丁前に上手い。
「なんかどんどん現実から遠ざかってる気がしてならないんだけど…」
立て続けに起こる珍妙な出来事に、弱音が出てしまう。
むしろこんな状況で弱音を吐かない人間がいるのだろうか…?
冷笑するように目の前の事実から目を背けていると。
「まあまあ、とりあえず前進してるってことにしてさ、辺りを探索してみようよ」
そう言った椿が軽い足取りで目の前の階段を上がっていくので、仕方なく私は後をついていくことにした。
上下左右、さまざまな階段を歩いているとき、ふと思い出したように椿に話しかける。
「そういえば椿、あの鍵まだ持ってるのか?」
「鍵? ああ、これのこと?」
椿はポケットから銀色の鍵を取り出す。
「そうそう、それそれ。しっかしほんとに大きい鍵だよな」
「確かにねー。ポケットに入れたはいいんだけど、正直けっこう重いんだよねー」
手に持った銀色の輝きを放つ鍵は、先ほど見た洞窟よりも明るいこの空間だと、一層綺麗に見える。
「にしてもこの鍵、何のためにあるのかなぁ? ゲームならって前に言ったけど、だとしてもこんな場所には明らかに扉なんかなさそうだしなぁ…」
「ゲームじゃなくても、こんな鍵どこで使うかなんてわからないだろ。ただでさえやけにでかいわけだし、こんな鍵穴存在すんのかって話だ」
大きな鍵穴、と自分で言った瞬間、ここに来る前に見たあの扉を思い出す。
「そういえば、あの扉もサイズ的には異様にデカかったよな…」
錆びついた三メートルほどの大きな扉。あの扉を開けたことで、私たちはここで目を覚ました。
「もしかしてだけど…その鍵、あの扉を開けるための鍵だったんじゃねえのか?」
「えぇー、そんな都合のいいことあるかなぁ? 私は扉には突撃したけど、鍵を差したりとかそんなことはしてないよ?」
確かに椿は鍵を持っていたけれど、鍵を開けるそぶりはしていなかった。というか、そもそもあの扉に錠前が付いていたようには見えなかったし。
「謎が謎しか呼ばないな…」
「だねー。ま、いずれわかるでしょ、多分」
根拠のない言葉が宙を舞う。
それがどうであろうと、私たちは今はとりあえず階段を登ることしかできなかった。




