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蔦屋と写楽  作者: 坂本光陽


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7/17

五月興行①


 旧暦の初夏になった。木々が青々として、さわやかな風の吹く五月である。

 江戸三座の一つ、都座の前に、蔦屋と十郎兵衛の姿があった。


 演目は『花菖蒲文禄曽我はなあやめぶんろくそが』。伊勢の国・亀山で実際にあった敵討ちを元にした狂言である。元禄曽我の敵討ちとして評判になり、その後、歌舞伎にも数多く脚色されている。


 大入り満員の中、平土間の前方に陣取って、二人は舞台を注視していた。予想以上の観客の多さに、蔦屋は内心ほくそえんでいた。

(このむせかえるような熱気は、ここ数年なかったもんだ。この商機を逃す手はねぇ。そのためには、十兵衛さんに気合を入れて描いてもらわねぇと)


 だが、それは蔦屋が発破(はっぱ)をかけるまでもなかった。舞台が始まるなり、十郎兵衛の目つきは尋常ではなくなっていたのだ。役者たちの台詞や演技を見つめるというより、その裏側に潜んだ本心や真の姿を覗き込むような、そんな鋭い眼光を放っていた。


「どうだい、十兵衛さん、いい絵が描けそうかい?」

「いいねぇ、この役者、一皮むけたんじゃねぇかな」

「この場面は見せ場だ。ぜひ描いておくんなさいよ」


 いくら蔦屋が話しかけても、十郎兵衛は反応せず、まったくの無言だった。ただ、一心不乱に画帳に筆を振るっている。


 座頭(ざがしら)でもある三代目沢村宗十郎演じるところの、大岸蔵人(おおぎしくらんど)。三代目坂田半五郎演じる、藤川水右衛門(みずえもん)。二代目坂東三津五郎演じる、石井源蔵。


 十郎兵衛の筆は止まらない。その姿を目の当たりにして、蔦屋は声をかけるのをやめた。余計なことを言って、集中が途切れちゃいけねぇ。そう思って、十郎兵衛の好きなようにさせておいた。


 そういえば数日前、十郎兵衛は言っていた。

「すべて大首絵(おおくびえ)でいきたいと思います」それは彼が初めて見せた、絵師らしい自己主張だった。


 大首絵とは、役者の顔を大きく描く構図の絵である。胸から上を描くため、役者の表情を細かく描くことができる。

 蔦屋はニヤリと笑って、力強く頷いた。江戸っ子をあっと言わせるには大首絵だろう、と蔦屋自身も踏んでいたのだ。


(どうせ、のりかかった舟だ。じたばたしねぇで、十兵衛さんの好きなようにやらせてみるさ)


 そんな蔦屋の想いも知らず、十郎兵衛の中では、一つの葛藤が渦巻いていた。三代目沢村宗十郎、三代目坂田半五郎、二代目坂東三津五郎、主役と準主役を務める彼らの内面をとらえようとしたのだが、どうにもとらえどころがないのだ。


 外面と表情を描きうつすことはできる。だが、それだけでは足りない。おそらく、本質的なものが抜け落ちているからだろう。役者の真の姿を浮かび上がらせることは、途方もない難作業だといえる。


 手探りでどうにかなるようなものではない。これは相当な難物だぞ、と十郎兵衛は呟いていた。



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