能役者
寛政七年(1795)二月を最後に、東洲斎写楽は表舞台から姿を消した。
しかし、十郎兵衛は絵を描くのをやめたわけではない。時折り、知人を介して絵を頼まれることがあり、そんな時は快く応じた。能役者の務めの合間を使って、自由気ままに筆を振るっていたのだ。
役者絵を描いていた時とは違って、思いのままに、内なる獣を解き放つことができる。いや、大空を飛翔する開放感と言ってもいい。創造の翼を思い切り広げることができるのだ。そんな時、十郎兵衛は満たされていた。
妻をめとり、子宝にも恵まれた。与右衛門と名付けられた息子は、斎藤家の家柄によって、ゆくゆくは能役者になる。十郎兵衛と同じワキツレを務めることも決まっている。
だが、与右衛門は、まだ五歳。目に入れても痛くないほどの、可愛い盛りだった。舌足らずの口調だが、しっかりと自分の考えを口にする。
「父上、お願いがあります、獣の絵を描いてもらえませんか?」
「与右衛門、何を描いてほしいのだ? 犬か、それとも猫か?」
「うーん、犬。いいえ、猫をお願いします」
「本当に猫でいいのかな? 犬も可愛いぞ」
「うーん」与右衛門は可愛らしく考え込む。
十郎兵衛は微笑みながら筆をとると、さらさらと犬と猫を描いてやる。出来上がった絵を渡してやると、与右衛門は満面の笑みを浮かべた。
「父上、どうすれば絵がうまくなりますか?」
「何だ、与衛門は絵がうまくなりたいのか?」
コクンと可愛らしく頷く。
「うまくなりたいのなら、ひたすら修練を重ねるしかない。読み書きと同じだ。何事も修練を続けることに尽きる。その積み重ねがいつしか大輪の花を咲かせる」
話が難しすぎたのか、与衛門は首を傾げている。
「与衛門は絵を描くのが好きなんだろう。ならば毎日、絵を描いて楽しみなさい。描いて描いて描き続けて、心の底から楽しむことが肝要です。気が付いた時には、きっと絵がうまくなっていますよ」
「本当ですか?」
「父上は嘘を申しません」
すると、与衛門は早速、半紙に絵を描き始めた。十郎兵衛の描いた犬と猫を手本にして、たどたどしい線を引いていく。一心不乱に描いている息子の姿を見て、寛政七年の記憶が蘇ってくる。
十郎兵衛は年明け早々、都座と桐座の正月興行に出向いた。もちろん、最後の役者絵の元となる版下絵を仕上げるためである。蔦屋に見限られたと感じてはいたが、十郎兵衛は仕事を途中で投げ出すようなことはしなかった。
能役者は士分の身であるから、本来、浮世絵を手掛けるのは御法度である。十郎兵衛は能役者の本分を尽くさなければならないからだ。しかし、十郎兵衛は東洲斎写楽という、もう一つの顔をもっている。写楽として最後まで手を抜かないのは、絵師としての本分だからだ。
本分を尽くすという意味では、能役者であっても絵師であっても変わらない。
結果的に、写楽の役者絵は売れず、豊国のそれに完敗してしまったわけだが、十郎兵衛はその現実を受け入れた。穏やかな心持で受け入れた。一片の悔いもなかったし、達成感さえ味わっていたほどである。
東洲斎写楽として、描ききったせいだろう。一年足らずのうちに一生分の絵を描いたように思える。能楽の世界では未経験の充実感と解放感を味わえたことだし、その機会をつくってくれた蔦屋には心から感謝している。
初夏の陽射しが入り込む座敷で、十郎兵衛はそんなことを思っていた。やわらかな光の中で絵を描くことは、この上なく幸せな時間だと思う。今は何だって描くことができる。自分でこしらえた芝居、現実にはありえない場面、理想的な配役でさえ可能である。まるで、夢の中で遊んでいるようだ。
与右衛門が稚拙ながらも、犬と猫の絵を描き上げた。ただ、まだ描き足りぬ表情を浮かべている。
「待っていなさい。紙をもってきてやろう」
十郎兵衛が腰を上げた時、爽やかな風が父子のいる座敷を吹き抜けていった。




