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時は流れた。一年後の、寛政七年〔1795〕一二月。
年の暮れが押し迫っているのに、妙にあたたかい夜だった。蔦屋は山のような仕事を片付けて、夕暮れ時に八丁堀の居酒屋にやってきた。
「おお、蔦屋さん、意外と早かったね。先にやらせてもらってるよ」
そう言って猪口を掲げたのは、又座衛門こと国学者・歌人の加藤千蔭だった。
「これで何とか年が越せるぜ。親父さん、俺にも熱いヤツをくんな」
お互い体調がすぐれぬこともあり、二人で飲むのは久し振りである。とりとめのない話をしながら、蔦屋は酔いが回って体の芯がほぐれてくるのを感じた。
「又さん、時に、あの人は今どうしているんだい?」
「あの人とは?」
「決まっているじゃねぇか。素人絵師殿のことだよ」
「ああ、斎藤さんか。そういえば、この店で蔦屋さんに斎藤さんを引き合わせようと、一芝居うったこともあったっけね。あれから、もう二年か。時の流れは速いね。もしかして、蔦屋さん、気が咎めているのかい?」
「へっ、そんなんじゃねぇよ。たった一〇ヵ月でやめちまうなんて、絵師の風上にもおけねぇと思っているぐらいさね」
又座衛門は苦笑を浮かべて、
「斎藤さんは元々、絵師の務めは非番の一年限りと決めていたからね。士分の身では、本分を尽くさなくてはならない。もし続けていて、お上にばれてしまったら、ただじゃ済まないよ。止め時だったと思うね」
蔦屋は神妙な顔つきになって、
「俺のことを何か言ってなかったかい?」
「斎藤さんが蔦屋さんのことを? ああ、『随分と世話になった』とは言っていたよ。『一年足らずのうちに一生分の絵を描いた、もう二度と描けなくとも悔いはない』そう言って笑っていたよ」
「……そうかい。笑っていたかい」
十郎兵衛に売れる絵を描かせたことに悔いはない。何とかなるのではないか、という目算が蔦屋にはあったのだ。
十郎兵衛には粗削りだが、確かに絵師としての資質があった。それこそ、歌麿を超える絵師になるかもしれない、と踏んでいたのだ。その資質を活かすことができなかったのは、己の落ち度。それだけは認めなくてはならない。
「時代が早すぎたのかもな。おっと、いけねぇ。こいつは商人が口にしてはならねぇ戯言だ」
蔦屋が寂し気な笑みを浮かべたので、又座衛門は彼の猪口に酒を注いでやった。
「来年こそ、良い年にしたいもんだぜ」
「ああ、世間をあっと言わせておくれ」
そんな言葉を交わしてから五ヵ月後、寛政八年〔1796〕五月七日、蔦屋重三郎は四八歳で天に召された。死因は脚気衝心だった。ビタミンB1の欠乏により、心臓麻痺を起こしてしまったのだ。
今際の際に「命の幕引きを告げる拍子木がまだ鳴らないな」と笑いながら言った、という話が残っているが、真実は違ったのではないか。いや、まちがいなく、「まだ終われねぇ。このままじゃ終われねぇよ」と思っていたことだろう。
それが蔦屋重三郎という男である。




