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蔦屋と写楽  作者: 坂本光陽


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試行錯誤③


 十郎兵衛は心から納得したわけではなかったが、歌川豊国の絵を参考に試行錯誤を重ねた。豊国の特徴は、美しさと優雅さである。突き詰めれば、華やかな絵。だからこそ、贔屓筋(ひいきすじ)に喜んで買ってもらえる。文句なしの「売れる役者絵」だ。


 そういう役者絵を蔦屋は求めている。以前は世間をあっと言わせることが第一だったが、今は売れることが第一になった。十郎兵衛はそれを目指さなくてはならない。


 しかし、だからと言って、豊国と同じ絵は描けない。蔦屋が認めたとしても、それだけはできない。絵師として踏み越えてはならない一線だし、十郎兵衛の矜持が許さない。おそらく世間も許さないだろう。


 ただ、美しさと優雅さを自分の絵に取り入れることはできる。具体的に言えば、美しい着物や舞台道具を細かく書き込む手法だ。現代で言えば、ブロマイド的なものではなく、パンフレットのような要素を絵の中に込めたのである。


 また、創作意欲をそそられなくても、人気役者を取り上げるように心掛けた。いくら脇役を描いても、買い手がつかなければ何の足しにもならない。とにかく、売れることが第一なのだから。


 江戸三座の一一月興行が始まると、十郎兵衛は描いて描いて描きまくった。

 内なる獣が雄たけびを上げて、天に向かって駆け上がろうとする。それを無理やり押さえつけ、美しく優雅に仕上げようと試みた。着物は色どり豊かに、立ち姿が華やかに見えるように工夫をこらした。


 だが、集中力が欠けてしまうと、とたんに崩れてしまう。自由気ままに描いていた頃には気がつかなかったが、ちょっとした気のゆるみが美しさを損なってしまうのだ。


 十郎兵衛は数十枚の版下絵を描き上げた。それらを床に並べて、立ち上がってゆっくり眺めてみる。距離をとってみると、細かな書き込みがぼやけて、見るも無残な出来栄えに思えてくる。所詮しょせんは付け刃なのだろうか。とうてい豊国の足元にも及ばない。十郎兵衛は背筋が凍る思いだった。


 そんな想いは買い手にも伝わってしまうのか、一一月興行の浮世絵も売れなかった。蔦屋に勧められて相撲絵も手掛けてみたが、結果は同じ。十郎兵衛に残ったのは徒労感だけだった。


 年が明ければ、江戸三座が最も力を入れる正月興行である。能役者の非番が終わる時が近づいており、正月興行は十郎兵衛にとって最後の機会だった。


 寛政五年に、江戸中村座の春狂言『傾城嵐曽我けいせいあらしそが』が大入りになって以来、江戸三座では毎年春に曽我狂言が上演されるのが恒例になっている。曽我狂言を描くのは初めてだが、方向性はこれまでと変わらない。役者絵に求められる華やかさ。ただ、それだけを追い求めるしかない。


 蔦屋は、もはや何も言わなかった。正月興行の打ち合わせには代わりに番頭をよこしただけで、蔦屋自身は一度も顔を見せなかった。

 おそらく、見限られたのだろう。十郎兵衛は虚無感にとりつかれ、絵筆を手にするのも億劫おっくうでならなかった。



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