月の明るい夜
エーテルと二人で丘を下った。月が眩しい夜道を歩きづらそうにしている私の手を、途中でエーテルが繋いでくれた。エーテルは目立たないように黒いコートを着ている。
そうして漸く街にたどり着いた。初めて来る街にエーテルは驚いた様子だ。
「あの家の前に吊るされているものは?」
街の家々の窓には小さな火が灯ったランタンがたくさん吊るされている。それにまだ真夜中でもないのに人っ子一人歩いていない。エーテルは隠れる必要がなくて安心した様子だけれど、少し不気味そうでもあった。
「いつもはこうじゃないわ。今日は特別なのよ。ほら、月の光が強いでしょう? 今日みたいな日の、特に夜は、危険が多いと言い伝えられているの。街には誰も出歩かないし、あの火は魔除けなのよ」
「なるほど」
「この街の人は臆病だから」
「仕方ないと思うよ。母に昔聞いたことがあるんだけど、この土地は疫病が流行りやすいんだそうだ。ダンの病もそのうちのひとつだろう。乾いた空気と、近くにある赤い砂漠からの砂埃。他にもいくつもの原因があるらしい。魔力の影響も受けやすいのかもしれない。この街から丘の上に登ってくる動物も、病気を患っていることがある」
「そうだったんだ、、、」
「それで僕の一族が残した書物には、治療に関する事が多く書かれているんだ。昔は街の人々に頼りにされていたようだよ」
「それなのに、どうして、、、」
「無理もないよ。この街の人々は病を恐れて、警戒心が強くなっているんだ。一族と関わりたくないと思うのもわからなくはない」
「だけど、、、」
そうこう話しているうちに私の家の前に着いた。
「ここよ」
「あれは、、、?」
エーテルは何かを思い出そうとするかのように家の玄関扉を見上げている。視線の先には扉に飾られている特徴的な飾りがあった。
「どうかしたの?」
「なんだか見覚えがある気がするんだけど、、、まぁいいか、急ごう。上がらせてもらっても?」
「もちろんよ。だけど念の為に私が先に様子を見てみるわ」
「わかった」
エーテルを外に残して家の中に入った。音を立てないように居間の前に着くと、両親の話し声が聞こえてきた。二人共帰ってきているようだわ。
「どの街の医師にも魔法使いにも断られてしまった。いよいよなす術がない、、、」
「そんな、、、どうしたらいいのよ。あの子を助けられないと言うの? 何か別の方法は、、、」
両親の話からやはりエーテルに頼む以外に方法はないのだと思った。少しでも安全にことが運ぶように、両親が寝静まるのを家の外で待つことにした。 外で待機している間、エーテルは考えごとをするように真剣な表情で玄関扉の飾りを見ていた。
「あれは確か、私の家に代々受け継がれてきた紋章のようなものよ」
「そうなんだ。何故それに見覚えがあるのだろう」
エーテルはしばらく考え込んでいた。
それから一時間程経ってから、居間の灯りが消えた。
「行きましょう」
静かに玄関の扉を開けて、二人で中に入りダンの部屋へ向かった。
ダンは暗い部屋で静かに寝ている。
エーテルはさっそくダンに手をかざし力を込めた。エーテルの髪や服がゆらゆらと浮かんできた。しかしこの前とは違い額に汗をかいている。さっき私に魔力を分けたからかしら、少し手こずっているように見えた。
「大丈夫、、、?」
「心配ない」
エーテルは手にぐぐぐっと力を込めた。汗が滲む彼の顔に青紫の痣が燃えるように広がっていく。
「ぐ、ぅ」
汗だくになったエーテルが体の底にある魔力を搾り出すようにして、ようやく手の前に白い模様が浮かび上がった。
「エーテル、、、」
白い模様はダンの身体に吸い込まれていくようにして消えていく。
一瞬苦しそうに呻いたダンの腕や顔、髪がみるみるうちに元の色に戻っていった。
「ダン、、、よかった、、、!」
私はつい声を上げた。
ダンは穏やかな表情を浮かべて寝ている。
良かった。本当に、、、
「これで、もう、、、安心だろう」
エーテルが汗を拭いながらそう言った。彼の痣は肌を焼くようにして消えずに残っている。
「ありがとう、、、エーテル! 待ってて。今、痣を!!」
そう言ってエーテルに触れようと手を伸ばした時に、ガチャリと部屋の扉が開いた。
「ダン、どうかしたの? 何か物音が、、、」
灯りを手にした母親が部屋に入ってきた。
「リリー? どうしたの、こんな時間に。いつ戻ったの?あら、そちらの方は?」
母親が手にした灯りをエーテルの方へ向ける。エーテルは黒いコートで咄嗟に顔を隠そうとしたが、燃えるように光る痣を隠しきれなかった。
「きゃあああ!!! 貴方何をしてるの⁈ ダンから離れて!」
母の悲鳴を聞いた父が遠くの方で声を上げる。
「どうした⁈ 何があった!」
「お母さん、お父さん、大丈夫! 落ち着いて! 今説明するから、、、」
「リリー離れなさい!!」
興奮している母親の叫び声と、遠くから近づいてくる足音に慌てたエーテルは咄嗟に部屋の窓を開ける。部屋の二階から下を見下ろし一瞬怯んだように見えたけれど、後ろを振り返って私を見た後に飛び降りた。
「エーテル!!」
ガシャアッと大きな音がした。私は急いで窓から下を覗く。家の前に吊るされていたランタンの残骸と、よろけながら走り去るエーテルの姿が見えた。
音に気がついた街の人々が玄関から顔を出し、夜の静寂が破られ辺りは騒がしくなった。
「いったいなんなの?」
「ランタンが割れているぞ」
「気をつけろ。月が明るい。外には出るな」
私はエーテルを追いかけようとすぐに扉に向かおうとした。だが腕を父親に掴まれてしまう。
「どこへ行くつもりだ」
「あの人、顔を押さえてた。怪我をしてるかもしれない。火が顔にあたって火傷をしているのかも、、、それに痣も、、、とにかく離して!」
「何を言ってるのリリー。何をしているのかわかっているの⁈」
「説明は後でするからお願いそこをどいて!!」
だけれど私の願いは聞き入れられず、叫びは虚しく消えていく。
家の外の騒がしい声はしばらく止まなかった。