昔のように
朝起きてみるとエーテルが何ごともなかったかのように朝食の準備をしていた。
「体調は大丈夫?」
そう聞くとエーテルはまたそっけない素振りで答えた。
「昨夜のことは忘れてくれ」
あまり聞かれたくないのだろうと思いそれ以上は聞けなかった。
朝食後、昨日の授業の続きが始まった。
「この家にある本はどれでも読んでいいし、いつでもなんでも必要なものは言ってほしい」
心無しかエーテルは少し、昨日よりも表情が柔らかくなった気がする。気のせい?
次の日もその次の日も授業は続いた。私はあまり気を張ることがなくなったし、エーテルは前より笑うことが多くなっていった。
まるで昔に戻ったかのようだと思った。子どもの頃三人で遊んだ日々のように、二人の関係は柔らかくなっていった。
だけど昔とは違うぎこちなさもうまれていて、無邪気な子どもの時とは違う不思議な感覚があった。
週末の日、エーテルが今日の日中は自由時間にしようと提案してくれた。気分転換も必要だ、授業の再開は夜にしようと言った。連日膨大な量の魔法学を頭に叩き込んでいたから正直ありがたい。
その日はぼーっとして過ごした。家の窓から丘の景色を眺めた。吹く風からは初夏のような匂いがする。窓に寄りかかるようにして目を閉じた。理由があれど、この丘の上にまた登ってきたこと、またエーテルと昔のように話せるようになったことをあらためて実感した。
その日の夕暮れ時、エーテルは木の下で動物たちと戯れあっていた。木の周りには淡い照明が集められていて、辺りは温かな光に包まれている。
エーテルは動物たちに絵本を読んだりしている。私も動物たちに近づき、頭や背中を撫でたりした。
「もうすっかり君に懐いているんだね」
「ふふふ、毎日みんなと話しているからね」
「本当かい? 羨ましいよ」
確かにエーテルが言うように、この能力はなんて素晴らしいのだろうと思った。人間とだけ話すのとは違う世界が見えてくる。この魔法が使えるようになって、さらにここに来てたくさんの動物たちと会話して、目に映る世界は前よりもずっと広がっていくようだった。
もっとこの力を活かせたらいいのに、できればそう、動物たちの役に立つような何か、、、
そんなことを考えながら久々の解放感に身を任せて、花畑の中を動物たちと舞うように踊った。
そんな私を見ていたエーテルはふいに立ち上がり、私の手をそっと掴んだ。
「ねぇ昔、こんなふうに二人で踊ったのを覚えている?」
「もちろんよ」
忘れもしないわ。
「懐かしいな、あの頃は、何も恐れがなかったから」
今は何を恐れているの?
楽しそうに笑うエーテルに私は聞くことができない。
そのあと言ったことは覚えている?
その言葉を口に出せないでいると、エーテルの手はそっと離れて動物たちのところへ行ってしまった。今度はその手で遊び疲れたうさぎの背中を撫でてあげている。
「少し寒くなってきたから部屋に戻ろうか」
私はそうねと頷いた。
二人で家の中に入って紅茶を淹れながら、私はエーテルに話しかけた。
「動物たちあなたのことが大好きなのね」
「え、そうなの」
「あなたのこと、たくさん教えてくれるのよ。よく怪我とか病気を診てくれて嬉しいとか、とても感謝してるって言ってたわ」
「、、、そうか」
エーテルは少し考えごとをした後に話し始めた。
「この前、君に夢はあるかって聞かれた時、つい何もないって言ったんだけど。本当はさ、動物の病院をつくりたいんだ。ここにいる動物たちだけじゃなくて、街の人たちと暮らす動物たちがいつでも頼れるような場所があったらいいなと思って」
「素敵だわ。とってもいいと思う!」
私がそう言うとエーテルは照れたように笑った。
「叶わないと思って言わなかった。叔父を恐れた街の人々は僕ら一族が街に近づくのを嫌がったから。だから僕もあの街には行ったこともないし、この痣があるかぎり他の街で暮らす勇気もない。ずっとここにいるしかないんだよ。街の人達もここへは来ない」
「そんなことないわ。誤解はいつか解くべきよ。街の人達を信じて。私も協力する」
それを聞いたエーテルは何故か今度は少し辛そうな顔をする。
「そんなにふうに優しくしちゃいけない。勘違いするから」
「本当よ」
エーテルは気を取り直したかのようにカップの紅茶を飲み干した。
「さぁ、そろそろ授業に戻るよ。今夜はいよいよ実技をやってみようか」
そう言うとエーテルはテーブルと椅子を端に寄せた。
「まず僕が実践してみる。見ていて」
エーテルは両手を前に出して力を込める。彼の髪や服が浮かび上がったかと思うと両手の前に大きな白い模様が浮かび上がった。街の医師でも使えない魔法をエーテルはいとも容易くやってのけて、汗ひとつかいていない。
「さぁやってみせて」
「え、ええ」
やってみろと言われても。
「大丈夫。君はもうこの魔法のやり方を理解している。あとは想像するだけだ」
私は頷いて両手を前に出した。そしてエーテルのように力を込める。
「うー」
額に汗を滲ませながらああでもないこうでもないと力を込める。
「肩の力を抜いて、手に集中するんだ」
エーテルにそう言われて目を閉じ、掌にに集中した。じわじわと力を込めていくと服や髪がゆらゆらと浮かんで、両手の前に小さな模様が浮かび上がった。が、それはすぐに消えてしまった。
「あぁ」
私は急に力が抜けてその場に座り込んだ。
「はぁ、ど、どうだった?」
「うーん。魔法は上手だった。これまでの学習の成果がちゃんと出ている。ただ」
「ただ?」
「どうも君は魔力が足りないな」
「仕方ないでしょ。あなたが多いのよ」
「そうだろうか? だとしても、、、」
「魔力が足りないんじゃどうしたらいいの……」
落ち込む私の肩に手を添えてエーテルは言う。
「僕のを分けてあげたいくらいだよ。君にならいくらでも」
「え、な、何よ急に。愛想がつきたんじゃなかったの?」
「そう思っていたんだけど、やっぱり君が好きだ」
あの日恋したあの瞳で、真剣に見つめられた私は頬が真っ赤に染まって何も言えなくなってしまった。
それを見たエーテルも急に恥ずかしくなったのか顔を紅くしてそっぽを向いた。
「な、なんでもない」
そしてエーテルはテーブルを元の場所に戻しながら言った。
「いったん授業は中止しよう。あらためて何か方法がないか考えてみるよ」
「ありがとう。私も考えてみる」
冷静を装って言ったけれどまだ胸の高鳴りはおさまりそうもない。
( どうしていつまでもドキドキしているの。弟が大変な時に、不謹慎だわ、、、)
そう思いながらも胸は苦しいままだった。