9 ままならないこともある①
ある日、アーチボルドは昼過ぎに教会に戻ってきた。
今日の彼は町の郊外に出没した大型の野生イノシシ退治に駆り出されて、帰るのは夕方以降になると聞いていたため予想より早い帰宅にリザは驚いたが、いい意味での早い帰宅だったようだ。
「幸い、イノシシとの戦いは早期に決着がついた。俺のボウガンが左目に命中し、動きを止められたのが勝機に繋がったようだ」
「アーティはボウガンの扱いが得意なのですね」
「アーティはボウガンだけじゃなくて、ナイフも剣もハルバードもひょいひょいって使いこなすんだぜ!」
リザの言葉にカイリーが我がことのように誇らしげに胸を張るので、アーチボルドは苦笑をこぼした。
「……まあそういうことで、早く帰れたし特別報酬ももらった。だから、カイリーたちの手が空いていればなんだが、今からどこかに行かないかと思っている」
アーチボルドの提案に、カイリーは目を丸くした。
「えっ、遊びに行くってことか!?」
「ああ。……思えば、旅をしている間はそういうこともできなかったからな。せっかく平和な町で暮らせているのだから、おまえたちとそういう時間を持ちたいと思っていたんだ」
「ほ、本当か!?」
「ああ。……教会の手伝いは、終わっているか?」
「ああ、もちろんだ!」
えへん、と胸を張るカイリーだが、今日も彼女は窓拭き作業にぶちぶち文句を言っていて、アーチボルドが帰ってくる直前にやっと終えられた……というのは、彼女の名誉のために秘密にしておこうとリザは思った。
アーチボルドと一緒に遊びに行けると聞いて、カイリーは既に興奮している様子だ。それを見ていたロスは、きょとんとしている。
「カイリー、なんでそんなにうれしそうなの?」
「ロス、おまえも一緒に遊びに行くんだよ!」
「え、ぼくも?」
「当然だ。……おい、どこに行こうとしている、リザ」
「え?」
「おまえも手が空いているなら、一緒に行かないか」
家族三人の団らんの時間の邪魔をしてはならないと思ってこっそり部屋から出て行こうとしたリザだが、こちらに背を向けているはずのアーチボルドが振り返るなり言った。彼は、後頭部にも目が付いているのだろうか。
アーチボルドの発言に驚いたのは、リザだけではなかった。最初は喜色満面だったカイリーの顔からすうっと表情が抜け落ち、次第に顔が怒気で歪んでいく。
「……アーティ、あいつはいらないよ」
「カイリー」
「あいつは関係ないだろう! おれとロスとアーティの三人で――」
「カイリー!」
アーチボルドの怒声に、その場にいた三人はびくっと身を震わせた。
つい、「カイリーの言うとおり、私はいいから三人で行ってらっしゃい」と言おうとしていたリザは口をつぐみ、ロスはさっとリザの後ろに隠れてワンピースを掴んだ。
先ほどまで座っていたアーチボルドは椅子から立ち、正面に立つカイリーをにらみつけていた。
「リザに対して、『いらない』とはどういうことだ。リザは、物ではない」
「そ、で、でも……」
「リザはおまえが反抗的なことについて、それほど気にしていないようだ。だが……自分が世話になっているというのにリザを人間として扱っていないような今の発言は、看過できない。リザに謝れ、カイリー」
「でも……」
「謝れ!」
「っ……」
壁をびりびり振動させるかのようなアーチボルドの怒声を受けてもカイリーは謝罪の言葉を口にせず、ぎゅっと唇を引き結ぶと素早く身を翻し、部屋から出て行ってしまった。
「カイリー、待て!」
「アーティ」
「すまない、リザ。すぐにあいつの首根っこを掴んででも謝罪を……」
「今のあの子に謝罪を要求するのは、よい手とは思えません」
リザがそっとアーチボルドの上着の裾を掴んで引き留めると、今にもカイリーの後を追いそうだった彼は困ったような眼差しで振り返った。リザよりも頭一つ分以上背の高い厳つい彼だが、今の表情は捨てられた子どものようだ。
「私は気にしていません……いえ、全く気にならないわけではありませんが、今すぐにあの子に謝らせる必要はないと思います。自分では納得していないのにあなたに命じられて嫌々謝罪の言葉を口にするより、しばらく時間を置いてあの子の中で物事を整理させてから、話を聞きたいと思っています」
「……」
「今は、あの子と距離を置くべきだと思います。……せっかくあなたが早く帰ってきたのだから、ロスと一緒にお出かけしてきてください」
「……そうだな」
アーチボルドはリザの陰に隠れるロスを見てそっと息を吐き、小さな彼と視線が合うようにしゃがんだ。
「いきなり大声を出して、悪い。……怖がらせてしまったな」
「……う、ううん。ぼくも、カイリーはちょっといいすぎたっておもってるし……アーティがおこるきもちもわかるから、だいじょうぶ」
「そうか、だが、すまない。……俺も後で、大人げなく怒鳴ったことをカイリーに謝る。だから今は、あいつと距離を置こうと思う」
「うん。じゃあ、そとにいく?」
「そうだな。……リザ、おまえも行こう」
再び誘われ、リザはまた「私はいいので」と言いそうになり……今のカイリーの状況を思い出して、うなずいた。
「……そうですね。私もご一緒します」
「ああ。……カイリーも含めた四人での外出は、また今度でいいだろう。では、行こう」
アーチボルドに言われてリザはうなずき、カイリーが消えていった方を見やった。
(……こういう時間もきっと、必要なのよね)
リザは、そう信じたかった。