7 人間関係は難しい②
掃除から逃げだしたカイリーはその後もリザの前に姿を見せず、ロスに夕食を食べさせ終わった頃になって、アーチボルドの小脇に抱えられた状態で帰ってきた。
「おかえりなさい、アーティ。それから……カイリー」
「ただいま戻った。……悪い、リザ。こいつ、門の前でずっと俺の帰りを待っていたようだ」
アーチボルドはそう言うが、なんとなくそんな感じはしていたので驚くことではなかった。
彼に抱えられるカイリーはすっかり拗ねており、リザの顔を見ようともしない。
「こいつ、リザにひどいことを言われたと言ってきたが……」
「ひどい、と言えばそうかもしれません」
リザが二人分の夕食の準備を追加しつつ昼間の出来事を語ると、アーチボルドはさもありなんとばかりにため息をついて、抱えていたカイリーをぽいっと床に放った。
「そんなとこだろうとは思っていたが。……カイリー、これはおまえが悪い」
「でもっ……!」
「俺たちは、リザの厄介になっている身だ。世話になっている以上、俺はギルドの仕事をして、おまえは教会の手伝いをして、勤労奉仕する必要がある。そしておまえは俺と一緒に暮らしたいのならば、カイルではなくてカイリーとして振る舞えるようにならないといけない。できないのなら、おまえを連れていくことはできない。……そう約束したよな?」
アーチボルドに静かに、だが有無を言わせぬ口調で叱られたからか、リザのときは真っ向から反抗していたカイリーは床に座り込んでうつむいている。そんな彼女をじっと見ていられないため、リザは食器を出したりしつつ二人の様子を窺っていた。
アーチボルドはうつむくカイリーの前でしゃがみ、一言一言噛みしめるように言う。
「カイリー、これからは俺の言うことだけでなく、リザの指示もきちんと聞け。それができないのならロスだけを連れていき、おまえはよそに預ける」
「っ……!」
「それが嫌なら、俺の言うとおりにしろ。できるな?」
アーチボルドに念押しされたカイリーは悔しそうにうなずき、ぐしっと目元を袖でこすった。大好きなアーチボルドに叱られて相当悔しいようで、小さく洟をすすっている。
アーチボルドはうなずくと、リザの方を見てきた。
「……掃除の途中で逃げたとのことだが、今日中にこいつにやらせるべきことはあるか」
「カイリーがつばを吐いた廊下をそのままにしているので、掃除してほしいです」
「だ、そうだ。行ってこい、カイリー。きれいにできるまで、飯は抜きだ」
アーチボルドにぴしゃりと言われて、カイリーはすごすごと食堂から出ていった。
彼女の背中を見送っていたリザだが、アーチボルドの大きなため息が聞こえたためそちらを見る。
「まったく……。本当にすまない、リザ。クソガキっぷりがひどいやつで」
「否定はできないのが、申し訳ないです」
「はは。あいつはおまえでもフォローのしようがないくらいの、クソガキなんだな」
アーチボルドが乾いた笑い声を上げてから水道で手を洗うので、リザは念のために彼に声を掛けた。
「ご飯は、カイリーが戻ってきてからにしますか?」
「……いや、先にもらおう。その方が、あいつにとっていい薬になりそうだ」
確かに、毎日アーチボルドが仕事に行くのを名残惜しそうに見送り、帰ってきたら仔犬のようにじゃれつくカイリーへのお仕置きとしては、最適かもしれない。
先にロスに食べさせていたシチューを、自分の分とあわせてよそう。
リザの体だとシチュー一皿で十分だが、アーチボルドの大きな体に栄養を行き渡らせるにはリザの二倍は食べる必要があり、彼は「まとまった金が入ったら、必ずたんまりと献金する」と身を縮めて言った。
「……お仕事の方はどうですか」
黙ってシチューを食べるのも居心地が悪くてリザが当たり障りのない話題を振ると、アーチボルドは顔を上げた。彼は大食いでかつ早食いのようで、もうシチュー皿の中身は半分ほどまでに減っていた。
「初日はよそ者だからと『歓迎』されたが、まあまあ受け入れられるようになった。今は主に地区の警備や土木作業の補助を任されている。共に働いて分かったが、ファウルズの町のギルドの連中は働き者が多いな」
「ファウルズを始めとしたこのあたりにある町はどれも開拓都市で、実績の積み重ねで町の規模になったそうです。だから、根っからの職人気質だったり仕事に真面目だったりする人が多いようです」
「他人事だな。リザは、この町の人間ではないのか」
彼に個人的なことを聞かれるのが少し意外だったのでリザが目を丸くすると、水入りのグラスを手にしていたアーチボルドはぴたりと動きを止め、グラスを下ろした。
「……いや、すまない。立ち入ったことを聞くつもりはなかった」
「お気になさらず。……私はそもそもこの国の人間ではなく、ゲルド王国出身です。王都の神学校を卒業した十八歳の春に、シェリダンに来ました」
「神学校? ということはおまえは、良家の令嬢だったのか。……いや、そういえばおまえには、ミドルネームがあったな」
彼は、怪我で意識がもうろうとしているときに一度だけリザがフルネームを名乗ったのを、覚えていたようだ。
ミドルネームは王侯貴族では当たり前だが、平民の場合も裕福な家庭に生まれた者ならば出生後に教会の司教から授かることができた。つまり、ミドルネームを持つというだけで実家に相応の資産があるという証しになるのだ。
「確かに私の実家はダイムラー商会で、それなりに豊かな生活を送ることができました。ただそれだけで、令嬢というわけではありません」
「俺のような貧民出身者からすると、雲の上のような存在だ。……高い学費と確固とした家柄を求められる神学校を卒業できた商家の娘なのに、国境を越えた小さな教会に赴任したのか」
「はい、私の希望です」
さすがにそれ以上のことは知り合って間もないアーチボルドに言う義理はないので黙ると、彼は「そうか、大変だったな」と無難ないたわりの言葉を掛けて、シチューを平らげてしまった。
まだ、リザの皿には半分以上残っていた。