6 人間関係は難しい①
「カイリー、待ちなさい! 掃除が終わっていないでしょう!?」
「はん、やっただろ!」
「いいえ、隅まで掃けていません。やりなおし!」
「ちっ……うっせーなぁ!」
「言葉遣い!」
ファウルズの町のはずれにある、小さな教会。
そこの中庭に、箒を手に走るリザと彼女から逃げるカイリーの姿があった。
アーチボルドの傷が治って、数日。
彼はファウルズの町にある労働ギルドに行って仕事をするようになり、日中は教会を離れていた。よって彼が留守の間、リザは神官としての仕事をしつつカイリーとロスの世話をする必要があった。
リザはこれまでにも、寄る辺のない子どもや夫の暴力から逃げてきた女性などを教会に迎え入れることがあった。
行き場のない女性や子どもを保護した後、王都にある正教会本部に連絡を入れる。本部の上級神官がやってきて本人たちと面談し、別の大きな教会に移動したり自活できる場所に移住したりという手配をする。
大きな教会であればそのまま雇うこともできるのだが、ファウルズ支部のこの教会は小規模で、リザ一人でも切り盛りできる。だから、逃げ込んできた女子どもは本部に連絡して引き取ってもらうのが基本だった。
そういうことで、今回は例外中の例外だ。
保護者……それも働き盛りの若い男性のいる子ども二人を迎え入れることも、またその片方の少女が女の子らしくなるよう手助けをするというのも、初めての経験だ。正教会にも、「成人男性一名と未成年二名を保護中。移動予定なし」と報告していた。
ということで、リザはカイリーにスカートを穿かせて伸ばし放題だった銀色の髪を整えてかわいらしく結い、教会の仕事を手伝うように言っている。ロスほど幼い子でない限り、子どもでもここに滞在する間は勤労奉仕をすることになっているからだ。
小さな教会の神官としての仕事は、さほど多くない。
一ヶ月に二度ある礼拝の日は町の人たちを招き入れて正教会の教義を読んだり皆の相談に乗ったりと忙しいが、それ以外は礼拝に来る人をもてなして教会を清潔に保ち、今回のアーチボルドたちのように迷える人々に手を差し伸べるくらいだ。
カイリーには、掃除などの簡単な仕事を任せようと思った。……だがカイリーはお転婆を通り越して、もはや野猿だった。
小柄ですばしっこいので、掃除をさぼってはあちこち走り回り、リザが来たらタンスや天井の梁などの上に飛び乗って、「ここまで来てみろー!」と煽ってくる。
当然リザの体ではそんなところに上がれないし、そもそもリザの体はそれなりの重労働はともかく長時間走ることには慣れていないので、すぐにへとへとになってしまった。
今日も適当に掃除をして逃げるカイリーに撒かれてしまい、リザはぜえぜえ息をつきながら庭の石のベンチに伸びていた。今朝袖を通したときには洗濯したてできれいだったワンピースも、もう汗でどろどろだ。
(つ、疲れた……)
「リザ、だいじょうぶ?」
呼吸を整えることで精一杯のリザの頭上から、声が降ってくる。両目を覆うようにしていた腕をどけると、リザをのぞき込む金髪の少年の顔が。
「ロス……」
「わあ、すごいこえ! おみず、もってきたよ。のむ?」
「飲むわ! ありがとう、ロス!」
リザががばっと飛び起きると、ロスは持っていたグラスを笑顔で差し出してくれた。……これがカイリーだったら水の中に大量に塩を入れていたかもしれないが、ロスはそんなことはしない。
ロスはカイリーにからかわれるリザを見かねて、小さな手で水を汲んでここまで持ってきてくれたのだろう。
おかげでグラスの中の水はぬるいが、散々走り回った今はこれくらいぬるい方が体に優しく、リザは命の水を一気に飲んだ。
「はぁ……助かったわ。本当にありがとう、ロス」
リザが隣に座ったロスの頬に感謝のキスを落とすと、彼は「えへへ」とはにかんだ。
文句なしにかわいくて……こんなかわいいロスを虐待していた親の気が知れなかった。その暴力親も、アーチボルドによって成敗されたようだが。
「ぼくも、リザのおしごとをてつだいたいな」
「ロスはこうしてお水を持ってきてくれるだけで十分よ。カイリーなら、こうはいかないわ」
リザが言うと、ロスは「そうだね」と笑った。
「でもカイリーは、やさしいんだよ。ぼくたちがにげるときもずっと、ぼくのことをおんぶしてくれたし」
「そうなのね……」
「アーティがぐさってされちゃったときも、カイリーがぼくたちをまもってくれたんだ」
「ロスはカイリーのことが好きなのね」
「うん、すき!」
ロスが屈託のない笑顔で言うので、リザは苦笑してしまった。
(カイリーが辛辣なのは、私に対してだけなのね……)
三人が仲よく過ごせそうなのは大変よいことだが、それはそれとして一時的とはいえ教会でリザとも一緒に暮らすのだから、最低限のコミュニケーションは取れるべきだ。
(……よし!)
「それじゃあ、カイリーを探しに行ってくるわ」
「うん、いってらっしゃい。ぼく、えほんよんでいていい?」
「ええ、書庫にあるのを好きなだけ読んでくれればいいわ」
ロスは絵本に興味があるようなので、書庫にある古い絵本を好きに読ませていた。
彼は今年で四歳になったばかりだが商人の子どもだからか、虐待は受けていたもののもう簡単な字はゆっくりと読めるし、本にも関心があるようだった。
そういうことで、リザはカイリーを探しに行った。
「はい、捕まえた。今度こそちゃんとお掃除をするのよ」
「やだね! 言われたように掃いたんだから、もうやるべきことはないはずだ!」
「私は隅まできちんと掃きなさいと言ったわ。それができていないでしょう?」
リザは聖母像の裏に隠れていたカイリーを発見して引っ張り出すことに成功し、ずるずると掃除場所に連行していた。
敏捷性に優れるカイリーだが体重はリザよりずっと軽くて力もそれほど強くないので、腕をがっちり掴んだら逃げられなかった。
「それに、言葉遣いを直しなさい。そういう約束だったでしょう?」
「おれが約束したのは、アーティだ! おまえじゃない!」
「彼が留守の間は私の言うことを聞くように、と言われたのではなくて?」
アーチボルドもカイリーのやんちゃっぷりには手を焼いているようで、リザに「何かあれば俺が拳骨を喰らわせるから、遠慮なく言ってくれ」と告げていた。カイリーはアーチボルドにだけは嫌われたくないようで、彼の前ではおとなしくしている。
「それに、スカートを穿いている間はあんな動きをしてはいけません。下着が見えてしまうでしょう」
「……いちいちうるせぇな! 母親ヅラすんじゃねぇ!」
我慢ならなかったようで、カイリーは空いている方の手でリザの手をパシンと叩いた。
あまり強い力ではなかったが叩かれたことに驚いたリザが力を抜いた隙に手を引っこ抜き、カイリーはリザから距離を取ってにらんできた。
「おまえはこの教会の神官で、おれの親じゃねえだろ! そんなやつに口うるさく言われる筋合いはねぇんだよ!」
「いいえ。……十歳のあなたは教会の庇護下に置かれる以上、相応の勤労奉仕をする必要がある。そして言葉遣いを直すようにという指示は、アーティから言われているものよ」
「……アーティの名前を出しやがって、この卑怯者!」
「言葉を直しなさい、カイリー。あなたがするべきことを、よく考えるのです」
罵倒されてもリザが引かずに凜と告げると、カイリーはケッと床につばを吐き、その場から逃げてしまった。
(……やってしまったかしら)
リザはふうっと息をついた。カイリーを叱責している間は落ち着いていたのだが、怒った彼女が逃げていくのを見ると胸の奥がぞわぞわするような不安な気持ちが押し寄せてきた。
リザとて、短い間だったとしてもカイリーと仲よくなっておきたいと思っている。
これまで教会で預かっていた子どもと同じように愛情をもって接し、巣立つときには額に祝福のキスをして送り出したいと思っている。
(難しいわ)
ざわつく胸元に手をあてがい、リザはうなだれた。