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24 アーチボルドの過去

 アーチボルドの父親は酒飲みの博打好き、母親は元娼婦で禁止されている薬剤にも手を出しているという、「だめな夫婦」を絵に描いたような二人だった。


 当然貧乏で、夫婦喧嘩が絶えなかった。父親は母親の店の常連客で妊娠を機に結婚したそうだが、お互いの間に愛情があるわけがない。

 長男であるアーチボルドが生まれてからも二人は息子の世話を押しつけあい、乳児のアーチボルドを置いて遊びに出かけることもしょっちゅうだった。そのため、アーチボルドのことを哀れんだ隣の家の老女が世話をしてくれたという。


 老女のおかげもあってなんとか成長できたアーチボルドだが、彼が六歳のときに転機が訪れた。

 母親が、第二子を産んだのだ。


 子どもの頃から愛想のない顔立ちだったアーチボルドと違い、その産声を聞いた瞬間に母は恍惚の表情になり、渋々帰ってきた父親も弟の寝顔を見るなり相好を崩したという。

 それくらい、アーチボルドの弟は愛らしい子だった。


 弟の誕生を機に両親は再構築――どころかずっと仲よくなり、一緒に次男の世話をするようになった。

 そのついでだからか、これまでは放置していた長男のことも最低限面倒を見るようになり……弟のおまけだと分かっていても、六歳のアーチボルドは両親に愛されて嬉しかったという。


 やがて両親は、「弟のために稼げ」とアーチボルドを働かせるようになった。

 幸い彼は最低限の食事でも身長が伸び、さらに我流ではあるが得た格闘技によって小銭稼ぎをしてその金で肉を食えるようになって、体重も増えた。稼ぎのほとんどは両親に奪われて弟のおもちゃ代に消えたが、「よくやった」と言ってもらえるのが嬉しくて、頑張った。


 八歳になる頃には大人に交じって肉体労働をして、十歳の頃には抜群の運動神経と子どもにしては非常に恵まれた体格を使って剣闘士になった。

 娯楽のない貧民街で、剣闘士は人気の職業だった。勝てば勝つほど金が舞い込み、両親に仕送りができた。


 アーチボルドは、弟のこともかわいいと思っていた。

 六つ下の弟に「にいちゃん」と言われるのが嬉しくて、走り込みをする自分の後ろをよたよたついてくるのがかわいくて、自分がしっかり稼がなければならない、と強く思っていた。


 ……そして、十二歳のとき。


 その日、町で大規模な剣闘士大会が開かれた。

 娯楽に飢える人々が一年間の稼ぎを注ぎ込んで、剣闘士の勝利に賭けをする。


 もちろん、アーチボルドはエントリーした。彼の両親は、資産の大半を使って息子の勝利に賭けた。


 これで勝てば、父親は自分を抱きしめてくれるはず。母親は、頬にキスをしてくれるはず。弟は、笑顔になってくれるはず。

 そう信じて、アーチボルドは次々に勝利していった。


 決勝戦の相手は、大柄な成人男性だった。

 だが、冷静に戦えば勝てると踏んでいた。


 負けるわけにはいかない。

 家族の――自分のために、必ず勝つ。


 ……そうして、自分よりさらに大柄な対戦相手と鍔迫り合いしていたそのとき。


 ――にいちゃん。


 聞こえるはずのない声が、聞こえた気がした。


 まさか、こんな血と泥にまみれた場所に弟が来るはずがないだろう、と思ったのに、アーチボルドの優れた視力は弟が闘技場の端に現れ、木杭の間に渡されたロープをくぐったのを捉えた。


 弟が、やってくる。

 兄の姿を見つけて嬉しそうな弟が走ってきて、その姿が見えない対戦相手がアーチボルドから距離を取るために後退して――


 アーチボルドは、駆け出した。

 対戦相手の巨体に押しつぶされそうになっていた弟を左腕でかっさらい、安全な場所へ押しのける。


 駆けつけた大人が弟を抱き寄せたのを見届けた直後、アーチボルドの背中に強烈な一撃が決まった。

 呼吸が止まりそうになり、世界が反転し、右手を離れた剣が遠くに転がる。


 アーチボルドは初めて、自分の喉元に剣を突きつけられるのを見た。

 観客が一瞬静まりかえり、そして歓声と怒号が沸くのを、聞いた。










 帰宅したアーチボルドを待っていたのは、父の鉄拳だった。


 ――おまえが負けたせいで、金がなくなった。この役立たず!


 殴られながらもアーチボルドは、急に弟が出てきたせいだと言った。

 すると母親までも、甲高い悲鳴を上げてアーチボルドを叩いた。


 ――あの子のせいにするなんて、ひどい子ね!


 ……アーチボルドは、目が覚めた。


 自分は、両親に愛されてなんかいなかったのだ。

 アーチボルドはただ、弟のために生かされていただけ。


 両親が愛するのは弟だけで――アーチボルドには、愛情の欠片もないのだと。










 アーチボルドはその日のうちに、家を飛び出した。

 弟のことは気懸かりだったが、あの子の顔を見て平静でいられる気がしなかった。


 無邪気な弟は悪くない。悪いのは、弟を抱えていなかった両親の責任だ。

 そう信じたいから、アーチボルドは弟に別れの言葉も告げなかった。


 赤ん坊の頃に世話になっていた老女も、そのときにはもう亡くなっていた。アーチボルドはもう、生まれ故郷に未練がなかった。


 家族なんて、いらない。

 自分を搾取するだけで愛してくれない家族なんて、いない方がいい。


 これからは――一人で生きていくのだ。

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