魔法使いの国
少し疲れたナワテは、昼食を取るため一人歩き出した。
ここへ来る途中に見晴らしの良さそうな橋を見かけた。水の音が聴覚を撫で、涼しい気分にさせてくれそうなところだった。
あの場所で、持参したパンを食べよう。
さっきよりも増えた人ごみを縫って歩いていく。
太陽は空の中心まで登りつめていた。
そんな中、ナワテは未だそぞろ心の最中であった。
── やはり、魔法の力は恐ろしい。
20年前の第二次マディオス大戦は、チルディール、デリスランドの争いに、アダルアが横やりを入れるような形で始まった戦争だとナワテは聞いている。
その頃のアダルアがどういった立ち位置だったのかは、当時を知らないナワテには分からない。デリスランドでは、欲をかいたアダルアが両国に牙を向いたのだと吹聴されている。
戦いは、チルディール兵約3000、デリスランド兵約6000。アダルア兵約400。
数や最新兵器に圧倒されたアダルアに勝ち目はなかった。自国を守ることはできたが、両国に刃向かったその後は、このような無惨なありさまだ。
しかし自国の領土は守った。見る角度を変えれば、とてつもない寡戦を強いられたアダルアが自国防衛に成功したとも受けとれる。
戦争や軍事にはめっぽう疎いナワテにも、それがなにを意味するかは分かる。
実際、先ほど目にした魔法は人知を超えた能力だった。火や風を操る技はさることながら、少女も商売人の男も、魔法の力を使って直接相手を攻撃するのではなく、その力を応用していた。
少女に関しては戦争を知らないはずだ。なのに、戦い慣れしているように見えた。アダルア人は日常からあのような戦闘を繰り広げているのだろうか。
── 『アダルア内で革命を起こさせる』 ──
ふと、ナワテの頭の中に大臣の言葉が木霊した。
直接叩くよりも、自滅を促すこの度の策がいかに有効的かを諭されるようだった。
そんなことを考えている内に、例の橋の上に到着していた。
一番見晴らしの良さそうな、橋の真ん中あたりを選び足を止める。
薄々は感じていたが、この町は全体的に水不足なのだろう。川の水はチョロチョロとしか流れていなかった。しかし、町全体が茶色いからだろうか、そんな申し訳程度の河川でも、ことのほか綺麗に見えた。
石で設えられた欄干に片肘を置き、紙に包んでいたパンをバッグから取り出す。包み紙を剥がし、のどかな風景と川の音色を味わいながらパンを一口頬張った。
「……味気ない」
雰囲気に変化を与えても、残念ながらパンの味は一切変わらなかった。
すると、視界の横から突然、赤くなりきっていないトマトが現れた。
「じゃあ、トマト挟む?」
「ああ、そうだね。粋な計らいだな」
「でもナイフない」
「護身用の短剣なら持ってる。それを使おう」
「お、粋な計らいだな」
「ははは……」
「ふふふ……」
ナワテが異変に気付いたのは、この笑い声を五秒ほど響かせた後だった。
「えっ、なんで!」
「おそ」
なんと、見覚えのあるトマトを渡してきた人物は、先ほど別れたはずのスレタだった。
……どうやら後をつけられたらしい。ナワテは潜入官としてあるまじき油断をしてしまったと、己の脇の甘さを自省した。
でも、無邪気に笑うスレタを見ると、それもどうでも良く思えた。
「まぁいっか。子どもだし」
「ふぁ?」
「いや、なんでもない。一緒に食うか?」
「うん!」
二人は橋の上で半分個したトマトサンドを食べた。ほんの少し優雅になった昼食は、ナワテの張り詰めていた心にささやかなゆとりを与えてくれた。
この間、二人は色々な話をした。
デスレタ・ディヴァンジッチ・ブルーバーグ。それがスレタの本名だ。年は11歳らしい。
「お兄さんのお名前は?」
「ナワーテ・アルバティーだ。みんなにはナワテって呼ばれてる」
呼んでいるのはマリリンだけだが、そういうことにしておいた。
ブルーバーグ一家は、元々王都デスラーに住んでいたのだが、なんらかの理由で二年前に家族が離散させられたのだとスレタは言う。
「理由は? あの男の人、スレタの父上が裏切り者とか言ってたけど、それと関係が?」
「……スレタ、子どもだから分かんない」
スレタは川の水を眺めながら言った。ナワテの目には、彼女がシラを切ったように映った。
その長い名前から、貴族かなにかの血を引く少女だということは察しがつく。あの商売人の男も、スレタを御三家のご令嬢だと口にしていた。
「そっか。そうだよな」
だがナワテがそれ以上の詮索をすることはなかった。アダルアの現状を深く認識するためには必要な知識だろうが、やぶ蛇に違いない。
そのあとは冗談めいた会話を交わし、賑やかな昼食の時間は過ぎていった。
空を見ると太陽が傾き始めていた。時刻は昼の二時くらいだろう。
「帰ろう、ナワテ」
「いや、少し寄りたいところがあるんだ」
「やだ。スレタ疲れた。おうち帰りたーい」
「わがまま言うんじゃない」
「ぶぅ〜」
午後のスケジュールはすでに決めてあった。
演劇の町と称されるだけあって、このヴァーレでは毎日、芝居の観劇ができるという。しかも無料らしい。その存在はデリスランドでも芝居関係者の中では有名だ。
金銭を取らずに運営していると聞いたとき、芝居で飯を食ってきた彼にとっては信じ難い話に思えた。
しかし、演劇が生活の一部にあるこの町ではあり得る話なのかもしれない。どういう形で無料の演劇が存続できるのかは不明だが、前々からナワテはその催し物に興味があった。
要は、作品、演者、運営、この三つのレベルを図るための視察だ。それをこれから行う。
だが、ナワテは先ほどのスレタとのやり取りを思い出し、妙な違和感を覚えた。
「あれ……? スレタ。さっき、なんて言った?」
「ぶぅ〜」
「違う。その前の前」
「帰ろう、ナワテ……?」
「……え?」
「ん?」
今度はなぜか、スレタが首を傾げ始めた。
ナワテは自分の勘違いかもしれないと思い、質問を変えることにした。
「スレタのお家はどこ?」
「ナワテんち」
「……え?」
「ん?」
砂を含んだ薫風が、寂しい音を奏でながら二人の横を通り過ぎていく。
風が橋を渡り終えたころ、ナワテはようやく自分の勘違いではないことに気が付いた。
「おいおい、うそだろ?」
「おそっ」
「どうしてぼくの家なのさ?」
「神様の思し召し」
神様の思し召し……?
そういえばさっきの騒ぎの時にもそんなようなことを言っていた。
ナワテはどういうことかをスレタに訊ねたが、彼女は神の思し召しで、それ以上でもそれ以下でもないと言う。
しかし、あながち嘯いているわけではないのかもしれないとナワテは思った。
アダルアの民が魔法を使えるのは、精霊たちと話ができるからだと言われている。よってアダルアの御三家であるスレタは神と話ができるのかもしれない──。
連続する常識外れの事態に、ナワテは目を閉じて天を仰ぐことしかできなかった。
ゆっくりと流れる水の音が、ムカつくくらい心地よかった。
ここまでお時間を頂いた方々、誠にありがとうございます! 感謝感激です!
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