錯覚
ナワテは落下点付近に入ると、両手を広げて女の子を受けとめる身構えをとった。
しかし、落ち葉のような不規則な落下軌道についていけず、ナワテの顔に少女の尻が直撃。
「──ぐッ!」
反動でナワテの身体は崩れるように倒れ、鈍い音とともに地面に打ち付けられた。
一部始終を見ていたマリリンが無事を確かめようと人ごみから首を伸ばす。しかし仰向けに倒れたナワテの顔が、少女の尻に下敷きにされているため表情が見えない。
一方、ナワテの救助の甲斐あって、地表に舞い降りた少女の身体には傷一つ見当たらない。
そんな彼女に、先ほど火の魔法を放った大男が、まるたのような腕を組みながら近づいた。
「お縄を頂戴ってやつだ。お嬢ちゃん」
「フンだ。か弱いレディー相手に火を使うなんて、このヴァーレにはとんだ痴れ者が居たものだわ。恥を知りなさい」
「うるせー。頻繁に野菜や果物を盗みにくるか弱いレディーがどこにいる」
「盗んでなんかいないもん。スレタは檻に閉じ込められたお野菜さんたちを救い出すお仕事をしているの。あんたみたいな悪党からね」
「ヴウゥ……。このガキィ」
会話から察するに、この期に及んで少女から反省の色はまったく見られない。
その態度に完全に頭にきた男が、本物の犬のような唸り声を出している。
物理的に尻に敷かれたナワテは、二人のやりとりを少女のスカートの生地越しに聞いていた。
「あ、あのぉ……」
「きゃん──っ⁉」
肛門付近に振動を感じた少女の身体が驚きとともに跳ねた。ようやくナワテの顔に陽が当たる。
「ご、ごめんなさい。気づかなくって」
「いや。えーと、無事で良かったよ」
ナワテは色々と複雑な心境だったが、得意のクールな表情でそれを押し隠した。
少女のほうは手でスカートを抑えながら顔を赤らめている。
しかし、その柿茶色の瞳がナワテの顔を捉えた瞬間、彼女の乱れた呼吸が止まった。
「あっ、あなた。もしかして……」
「ん?」
「本当だったんだ」
「え?」
「神様の思し召し、だ」
「……はい?」
少女はナワテを指さしながら妙なことを繰り返し言った。当然ながら、ナワテには彼女の一言一句すべてが理解不能である。
そんな中、背後から聞こえた低い声がナワテの全身を震わせる。
「おい、お前は誰だ。まさかこのガキンチョの相棒か?」
振り返ると、火の魔法を放った商売人の大男がナワテを睨み立てていた。
男はどうやら、ナワテのことを少女の仲間かなにかと勘違いしているらしい。実際、ナワテはこの窃盗を犯した少女を身を挺して助けた。現時点において、男の剣幕がナワテに向けられる理由は十分にある。
「いえ、違います」
今のナワテは国家と自社の命運をかけた任務中の身。目立つ行動をとることは、横紙破り以外のなにものでもない。小さな女の子を見捨てることになるのは忍びないがこうするしかない。
しかし、
「わーん。小さいころ生き別れたお兄ちゃーん。会いたかったよーん」
「……え?」
突然のことにナワテは耳を疑った。少女が言う、生き別れたお兄ちゃんとはナワテのことなのか……。
「お兄ちゃーん。生きているうちに死ぬほど会いたかったよー」
残念だがそのようだ。現在、少女の短い腕がナワテの身体に巻き付いている。
少女の人違いという線もあるが、それはないとナワテは思った。彼女が発する言葉は、人が嘘をつく時に見せる語気で溢れている。その証拠に、少女はナワテの顔を見上げてニタッと意味深な笑みを浮かべて見せた。おそらくは、協力しなさいという意思表示だろう。
「ってこたあ、お前はあのブルーバーグ殿下の息子ってわけか。狼藉を働く妹をお持ちなすって。そのご心中、心よりお察しするぜ。まぁ、裏切り者の親父に比べれば些末なことかもしれねぇがな」
ブルーバーグとやらの存在自体を知らないナワテには、男の話の全容は分からない。ただ漠然と、少女の肉親に対する皮肉だということは察した。
ナワテの身体に顔を埋める少女が、怒りに震えているのが伝わってくる。
「……違うもん」
少女はナワテにしか聞こえない程度の声でそう言った。それはまるで、自分自身に言い聞かせているかのようだった。
ナワテは少女のつむじのあたりを眺めながら、少しのあいだ黙考した。
そして、胴体に巻き付いた少女の腕を静かにほどき、商売人の大男に視線を向けた。
「な、なんだよ」
なにかを決心したようなナワテの表情に、一瞬男の大きな身がたじろぐ。
ギャラリーたちに猜疑の視線を向けられながら、ナワテはバッグの中に手を伸ばした。
それを見た男と男の商売人仲間が身構える動きを見せる。
あれだけ騒がしかった周辺一帯は、いつしか水を打ったような静けさを領している。
「これで許しをこいたい」
バッグからゆっくりと現れたナワテの手。男が警戒しながら覗き込むと、その中心に小さななにかが光り輝いていた。
「な、なんだよそれ?」
「白金だ」
ナワテがそう告げると、訝しそうにしていた男の目が一気に見開いた。
同時にギャラリーたちの低いどよめき声が宙を舞う。
盗みを働いた少女も、ナワテの背に隠れながら信じられないといった表情を浮かべている。
「そ、そんなもんをちらつかせば俺がしっぽを振るとでも思ったか。なんでも金で解決しようなんざ、そ、それこそ冒涜だ。俺たち一般市民を見下しやがって」
男はそうは言いながらも、声が上ずっている。
そんな些細な音をナワテは聞き逃さなかった。
「違う。これは父上から頂いたぼくの宝物だ」
「なに!」
「我が妹の狼藉は許されざる所業だ。あなた方のような商売人が居なくなれば、ぼくを含め多くの人が飢えてしまうというのに……」
あたかも実の兄のように話し始めるナワテ。
彼は商売人の男に謝罪の意を告げながら、盗みを働いた少女に憂わしげな流し目を送った。
その視線を受けた少女は、申し訳なさからナワテの目が見れなくなってしまう。赤の他人に白金を出させたからじゃない。彼女の心が、この人は本当に兄なのかもしれないという疑似体験に似た錯覚を起こしていたからだ。
すると、男の表情が穏やかに変化していった。強く握られていたこぶしからは力がなくなっている。
そんな小さな仕草も、ナワテは見逃さない。
「これで許してもらおうなどとは思っていない。でも誠意は伝えたい。あなた方のような人たちを、ぼくは見下したりしていない。いつも誇りに思っているということを」
いつしか、商売人の大男、その後ろにいる商売人仲間たちまでもが、目を光らせていた。
ご存知の通り、ナワテはかつて天才子役と言われていた。加えて、マリエ事務所を立ち上げてからこれまで、社の営業はほとんどナワテがこなしてきた。つまり彼は、人の心を掴むことに関して卓越した能力、経験値をもっている。
そんな彼にとってみれば、今回の仲裁など、小さな火を鎮火する程度のことだ。
「お代は今度でいい。店に持ってきてくれ」
「……え!」
なんと男は、ナワテが差し出した白金の受け取りを拒否した。
騒ぎをいさめる自信はあった、しかし、この反応に関してはナワテも予想外だった。
「悪かったな。家族を悪く言っちまって」
「あ、いや……いいんだ」
男は謝罪の意を告げると、背中を向けて来た方向へと歩いて行った。
彼につられ、他の者たちも散り散りと去って行く。
それを見送りながらナワテは、自分が抱くアダルア人のイメージと実際のアダルア人との摩擦を感じた。
…… もしかしたら、自分の認識は間違っていたのかもしれない。
そんなことを感じながら、男の大きな背中を眺めている。
そのシャツには、茶色い汚れがびっしりとこびりついていた――。
ともかく一件落着。ほっと息をつくと、横にはまだあの少女が立っていた。
「いいかい、お嬢さん」
「スレタだよ」
「これは失敬……。いいかい、スレタ。こんな不埒なことは、金輪際やるんじゃないぞ」
「……ふらち?」
「泥棒のことだ」
「ふいっ!」
少女が勢いよく右手を上げる。
それを了解の合図と受け取ったナワテはきびすを返した。
「じゃあな」
「……」
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