大男vs幼女
突如空に広がったのは、聞き覚えのない太いがなり声。
ナワテはおっかなびっくり、黒目だけゆっくりと動かして声のする方角を見た。
そこに見えたのは、声質の通り恰幅のいい男だった。
男はスキンヘッドの頭部を太陽の光に反射させていたのでひときわ目立っていた。地味なエプロンをかけているその姿から町の商人と見える。
その巨体を揺らす大男が鬼の形相を浮かべ、あろうことかナワテの方角に向かって走ってくるではないか。
── まずい!
頭の片隅に置いていたナワテの警戒心が蘇る。
……しかしよく見ると、男の標的はナワテではなさそうだった。
男が反射させる光を背に受けながら駆けてくる、もう一つの小さな人影が見える。男はナワテではなく、その人影を追いかけているようだ。
すぼめるようにして目を凝らすと、人影から映し出されたのは金髪マッシュルームの幼女。
幼女は黒いワンピース姿。コウモリ傘のようなスカートの裾をひらひらと靡かせながら全力で駆けている。
「おい待て、このチビ。御三家のご令嬢だかなんだか知らねーが、今日という今日は絶対にゆるさねーぞぉ!」
「やだぁ、またなーい!」
追跡者と逃走者が、脚を回しながらなにやら言い合いをしている。
内容を聞くに、盗難事件のようだ。それを確信付けるように、駆ける幼女の小さな手には、まだ赤くなりきっていないトマトが握られている。
幼女はしばらくのあいだ、小さな身体を捻りながら器用に逃げていた。
しかし、トマト一つも無駄にしない商売人の執念が勝り、とうとう壁際まで追い詰められてしまう。
二人は現在、ナワテと三メートルもない距離にいる。
その周りには、車座を組むような人だかりができていた。このいさかいを見に集まって来たギャラリーだ。
白昼堂々、手足の短い少女が窃盗をやってのけるあり得べからざる光景。それを目の当たりにしたナワテは完全に呆気にとられている。
一方、ギャラリーたちはナワテと背中合わせの反応を見せている。中には窃盗を犯したであろう少女に声援を送る者もいた。「俺はお嬢さまが逃げきるに芋三個懸けるぜ」なんて声も聞こえてくる異様な盛り上がりだ。
だがこの状況からは逃げきれまい。時期にあの女の子は捕らえられてしまうだろう。
ナワテに疑いの余地はなかった。
しかし、少女が観念する気配はない。まっすぐに切りそろえられた前髪。その下で輝くオレンジがかった茶色い瞳には、勇躍の光すら浮かんでいる。
すると、少女が両手を上げ、手のひらを天に向けた。
陽光に近づけたその指を、今度は高速で動かしている。ナワテの目には、それが人の脇腹をこそばす時のような、おちゃらけた動きに映った。
だがこの直後、周囲一帯で信じられない現象が巻き起こる。
少女が振り下ろすようにして、勢いよく手のひらを地面にかざした。
「空気よ、踊れ!」
その次の瞬間、
ヴォウアッッ! ──── と、
辺り一面に強風が吹き荒れた。
「く──ッ‼」
ナワテは両腕で顔を覆うことしか出来ない。風によって発生した砂嵐が顔面を攻撃してきたからだ。
一体全体なにが起こったというのか──。こんなに近くにいるのに察しさえつかない。
……ややあって、風が一点にまとまり始め、砂嵐が落ち着きをみせた。
肌感覚でそれを感じ取ったナワテは、ゆっくりとまぶたを持ち上げる。
「え」
ナワテはそのまま目を丸くした。
ついさっきまで目の前にいたはずの少女が姿を消していたのだ。
今そこにあるのは、ハリケーンのように激しく逆巻いた一本の砂煙……。
ここまで朴訥な男を演じていたナワテだったが、今やあんぐりな口を閉じることが出来ないでいる。
「あはは。鬼さんこちらぁ!」
その声は突如、天から降ってきた。いたずら好きの妖精のような可愛らしい笑い声。
まさかっ! と、確信めいたものを感じたナワテは弾くように顔を上げた。
果てしもなく吹き荒れる竜巻の最上。そこに、宙を舞う少女の姿を見つけた。その高さは、この町に建てられた三階建ての建物よりも遥かに高い。
なんと、少女はその小さな身体から強風を生み出し、それに乗って空を飛んだのだ。
それは、ナワテが生まれて初めて目に触れた魔法だった。
人知を超えた能力を使い、遥か上空へ逃亡を図った少女。
鮮やかとも言える形勢の変化に、興奮したギャラリーたちの「おおおお!」という歓声が青空に響き渡る。
しかしこの後、さらなる奇怪な現象が巻き起こる。
商売人の大男が含み笑いを浮かべながら、竜巻に向かって両手をかざした。
その指先はさっきの少女と同じ──高速のあやとりのような動きで空気を掻いている。
「火種よ、舞い上がらん!」
商売人の男が叫ぶと、少女が乗る竜巻の根元に火が点火。つき始めは小さな火だったが、竜巻の風に煽られ徐々に膨張していく。
そのあとは男の呪文通り、火がぐるぐると螺旋階段を駆けるように空へと舞い上がった。
瞬く間に、少女を宙に浮かせた竜巻が炎の渦と化す!
「ほらほら。風を止めないとお前が怪我しちゃうぜ」
「ず、するいよぉおおおおおおお──」
今度は商人の大男が、火の魔法を放ち形勢逆転。目の前で繰り広げられる激しいシーソーゲームに、再度ギャラリーたちが大きな歓声をあげた。
すると、力尽きるように炎の竜巻が消えた。それはまさに、赤い光が少女の衣服に燃え移ろうかという時だった。
巨大な炎が消失したことにより、辺り一帯を熱風の余波が舞う。
腕で顔を庇いながら、嫌な想像が頭をかすめたナワテは、薄目を開けて空を見た。
「きゃあああああ──── っっっ!」
するとやはり、宙に浮いていた少女は空中にいた。魔法の効力が失われたことによって小さな体が勢いよく落下している。
── このままでは、あの子どもが大けがを負う。
歓声と悲鳴が渦を巻く人ごみの中から、ナワテが飛び出した。
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