停電
これまでは、ゴム製の手袋のせいでナワテの魔法は役に立たなかった。
しかし、全身が水に濡れてしまえば雷の無効化は皆無。ゴム製の手袋など気休めにもならなくなる。
確かに妙案かもしれない。だが、すんなりと首を縦には振れない理由がルルにはある。
「でも、そんなことをしたら、トルマリエの勾玉は……」
そう。この部屋に来てから散々と二人を悩ませた、あの諸悪の根源の存在だ。
おそらくその作戦中、ナワテは相当な出力で雷を撃つつもりだ。腹を括るようなナワテの顔にも、次が最後の一撃だと、そう書いてある。
ナワテは彼女が送る慈愛の視線の先を追い、そして煌々と輝く磁力の源を見た。
「デリスランドでは、発電所に雷が落ちると町中が停電する」
「そんな……」
ナワテが言ったのは、ルルの質問に対する直接的な答えではない。あくまで例え話である。
しかし理屈は同じこと。たとえ半永久的に発電可能なトルマリエの勾玉でも、一億ボルトの稲妻が直撃すれば、なんらかの弊害は免れないだろう。
そしてナワテはこのとき、キースが自分をこの場所に連れてきた本当の理由が分かった。
キースはナワテの雷で、トルマリエの勾玉をショートさせるつもりだったのだ。
ナワテの暗喩に、ルルは言葉を詰まらせた。
そんな作戦、呑めるはずがない。
「ルル。きみは信じるかい。運命ってやつを」
「運命……?」
「ぼくがこの地に送られたのは、デリスランドの国益に利する活躍を期待されたから。それは紛れもない事実だ」
「ならなおさら……」
未だ抵抗を見せるルルの口を、ナワテは「でも」と言って塞いだ。
「それが回り回ってかつての母さんの戦友、リリ・マッケナーの娘と手を組み、彼女たちの想いを引き継ぐことになるだなんて、この国に来る前は思っても見なかった。でも、そのお陰で母さんが故郷を愛していた理由が分かった。今一度、芝居の素晴らしさを知ることができた。君がぼくの母さんに抱いていた誤解も解くことができた。きっと、天国の母さんも喜んでる」
「ナワテ……」
ルルが自分より少しだけ上背のあるナワテを見上げる。その表情には微かな笑みが浮かんでいた。
「これは運命だ。ぼくは、母の愛した場所で暮らす人たちに、君たちに、幸せになってもらいたい。当たり前の生活を取り戻して欲しい。そのためにはまず、ぼくたちの手で、この歪みきった歴史に終止符を打つ必要がある」
ナワテが決意を言い終える頃、ルルは瞬きを忘れるくらいに目を見開いていた。迂闊にも、『運命』という言葉に心臓を一突きにされてしまった。
しかし、まだ納得するわけにはいかない材料がルルにはある。
「話は分かったわ。でもその服、あなたも無事じゃ済まないかもね」
ルルの憂慮を含んだ視線が指し示す先は、ナワテが纏う湿り気を帯びた衣服。水が電気を通すというなら、いくら電気に強いナワテでも感電死を覚悟しなければならない。
しかし、ナワテに迷いはなかった。
「この国のために命を賭せるなら、ぼくは本望だ」
「!」
思わぬ言葉に、ルルの目が限界まで見開かれた。その瞳には、薄い涙の膜が張っている。
排他的な国是を不変とし、交渉もまともに取り合わない浮世離れな王政。そんなアダルア王国はきっと、地球儀を俯瞰して見れば四面楚歌そのものだろう。
そんなどうしようもない自分の国を、ナワテが大切に思ってくれていることが、ルルは心の底から嬉しかった。
「死んだら許さないから。あなたには、まだ言い足りない文句が山ほどあるんだからね」
尖った口から、囁くような声が発せられた。相変わらずトゲのある物言いだが、それは紛れもなくルルからのGOサインだ。
「水を撒いたら、スレタを連れて感電しない場所まで避難してほしい。出来るか?」
ルルは話を聞きながら、反対側で戦うスレタに目を配る。そして静かに頷いた。
しかしこんな時間は長くは続かない。燐火を繰り出し続けている上王も、さすがに怪しみを帯びた顔を見せた。
「コソコソとなにを話している。もしや、最期を悟り、愛の告白でもしておるのか」
「そんなところだよ」
「ほう。では、しばし待とう。武士の情けだ…………ん?」
色事には甘いのか、上王が粋な計らいを見せる。
しかし、その好意を無下にするように、ナワテが上王に近づいた。自分に注意を引くことで、上王の視界からルルを消すためだ。
「最後に教えてほしい。お前たちが魔法を繰り出すとき、唱えを発しないのはなぜだ」
「貴様もすでに知ってのことだろう。我が国が神と崇める者の正体を。なにが哀しくて、天意も感情もない石ころごときに願いを込めなければならないのか」
そう嘲笑いながら、上王の太い指はトルマリエの勾玉を指し示している。
「正論のつもりか?」
「無論じゃ。我が国の魔法の原理は、半ば科学的に証明されつつある。それを否定することは、技術の国、デリスランド出身の貴様には出来ぬはずじゃ」
科学こそが神にたどり着く最善の近道。確かに、上王の言うことは正論なのかもしれない。
しかし、ナワテの言いたいことはそうじゃない。
「お前のような、つまらない人間じゃなくて良かったよ」
「ん、どういう意味じゃ!」
ナワテのなにかをはらんだ言葉に、上王の表情から剣が浮かび上がった。
そのとき、
「アダルアの聖水、マキビシを撒いて──!」
突然、水の唱えが舞い降りた。壁際に身を潜ませていたルルだ。
滑らかに動く指先から発せられた攻撃は放水。狙い通り、ルルの魔法は上王とドリスコルを水浸しにした。
漆黒に光る高貴な生地から水がしたたり落ちている、その絵を眺めた上王はこう思った。
…… 虚を突いた攻撃は、自分たちの服を汚すことにあったのか。
「ふん。イタチの最後っ屁というやつか」
「それはどうかな」
含み笑いを浮かべるナワテが放電を開始。右手から腕にかけて黄色い輝きを放っている。
上王はそれを眺め終えると、心底呆れた様子で肩をすくめた。
「芸が無い。猿の一つ覚えとはまさにこのこと。貴様には心底失望したぞ、マリエ・ナワテ」
上王が手袋をはめた手を構える。
しかし、その濡れた手袋はもはや無用の長物。
「いかんっ、王よ、お逃げなされ!」
上王は欺けても、目はしのきく関白には誤魔化しがきかなかった。ドリスコルは早くも、二人の策略を見破ってみせた。
だが、それがナワテたちの狙いだ。
二人が撒いた罠にドリスコルの注意がいった隙に、ルルがスレタを抱きかかえ走り去った。
「し、しまった!」
それを確認したナワテはニヤリと笑い、点滅する腕を振り上げた。
タイミングを見計らったようにナワテの身体が輝きを増す。
その姿を見た上王が、やっとナワテの策略の意図に気が付いた。
「クソッ、最初から罠にはめる腹だったのか」
すべてが企てと悟った途端、上王の顔に怒りと焦りの影が同時に差し始める。
しかし一方、ドリスコルはこの状況下でも冷静だった。
「斯くなる上は──!」
ドリスコルが両手の指を爪繰り魔法を放った。
標的はナワテではない。スレタを抱きかかえながら逃走を図るルルだ。
── しまった。避けられない!
ルルが危険を察知した頃には、真横から巨大な風が刃となって襲い掛かってきていた。
冷たい風が内臓を撫でたそのとき、ルルに抱きかかえられたスレタが手をかざした。
「韋駄天風よ、足枷となれ──!」
身体から真正面に放たれる突風は、スレタの唱えた額面通り、脚を回すルルのブレーキ役となった。急停止により尻もちを付いたルルの眼前を、巨大な風の刃が横断する。
倒れたルルが首を振ると、ドリスコルがこちらを牽制するように指先で刃を回していた。
「動くな、小娘ども。……小僧もだ。その物騒な腕を動かせばどうなるか、わかるな?」
「くっ」
なんと、ドリスコルがこの土壇場で女二人を人質に取った。
これではルルとスレタが逃げられないどころか、せっかくの奇策が実行に移せない。ナワテが動きを見せれば、その途端に尻もちを付いたルルとスレタが攻撃されてしまう。
「よ、よくやった、ドリスコルよ!」
低く弾むような声で忠義を称える上王が、勝ち誇った顔でナワテを見やる。
ここまできて手詰まりなのか……。この作戦が失敗すれば、次の一手はない……。
そのときだった。
ドォオオオン──ッ! という破裂音が部屋内に木霊した。
耳を貫く大きな爆音に、自分が攻撃されたと錯覚したナワテの身体が凝結を起こす。
……しかし、身体には痛みもなにもない。
音の発生源を見ると、意識を失ったと思われていたキースが上半身を起き上がらせていた。手には、口から煙を吐く銃が握られている。
首を反転させ銃口が指し示す方角を見ると、そこには老体を前屈みにし、腹部を押さえ膝を付いているドリスコルの姿があった。
「お、おの、れ……」
軋むような苦鳴を上げながら、怨念が込められた目でキースを睨むドリスコル。
鼓膜をつんざいた爆音は、キースがドリスコルに放った銃弾によるものだったのだ。
「へへ、……どうだ。秘技、狸寝入りだ。ヘヘヘ…………」
キースは虚勢を張ったような笑い声を響かせる。
その後、バタン……と、力尽きるように床に伏せた。
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