演劇バトルロイヤル
幌の日陰にあたる木製のテーブルに、『劇団案内所』と書かれた紙が乱雑に貼られている。
実に疑わしいが、どうやらこの野外に置かれたテントが受付施設らしい。
テーブルの向こうには、一人の女が椅子に腰かけている。
「あれれぇ、見ない顔ですね。本日はどういったご要件でしょうか?」
「あ、……」
女に話しかけられた直後、ナワテは舌を巻いた。
目の前にいるのは見慣れない、青い瞳に金髪ブロンドの女。思えば、異国の者と口を交わすのは、ナワテにとって生まれて初めてのことだった。
ちなみに大陸内では同じ言語が使用されているため言葉に不自由はない。
「あの、登録をしたくて……」
「あ、もしかして新人さん?」
「はい」
「初めまして。わたしはヴァーレ・バルドグランプリ実行委員会の受付嬢を務める、マリリン・コーレアと申します。気兼ねなくマリリンって呼んで下さい。どうぞよしなに」
目の前の女――マリリン・コーレアは茶色いワンピースの上からフリルの付いた青いエプロンを着用している。
……これがこの町の受付嬢の制服なのだろうか。
ナワテの目には女給のようにしか映らない。
「ぼくは、ナワーテ・アルヴァティー。よろしく」
もちろん偽名である。姓名ともに三〜四の少ない文字でまとめられたデリスランドの名前は特徴的だ。言うまでもなく、この国で『マリエ・ナワテ』などと名乗ればその瞬間に国籍がバレてしまう。
ちなみに、アダルアではファーストネームが先にくる。
「ナワーテ……じゃあ、ナワテだね!」
「えっ。あ、はい」
偶然にもマリリンはナワテをナワテとあだ名した。
本人にとってもこれは予想外の出来事。馴染まない偽名に煩わしさを感じていたナワテは、少し得した気分になった。
「新人さまには、登録の前に大会の詳細説明をする決まりとなっております。今さら1からの説明かよってめんどさく思うかもしれないけど、許して下さいねん」
マリリンがぴんと人差し指を立てながらそう言うと、ナワテはまた心の中でラッキーと唱えた。
先ほども述べたように、外務省の不手際により彼には大会について予習をする時間が十分に与えられなかった。なのでこれは正直助かる。
「いえ。お構いなく」
しかし、ナワテは漏れそうになる喜びをクールな口ぶりで押し隠した。
「つとに、ここヴァーレ自治区では月に一度、演劇大会が催されます。50近くあるヴァーレの劇団が三週間をかけて戦い抜き、その頂点を決める由緒ある大会です。正式名称『ヴァーレ・バルドグランプリ』。町のみんなは『バルグラ』と略称しておられますわ。見事、このバルグラで優勝すると、月末に王都デスラーでの単独公演が約束されます」
慣れた口調で、マリリンが大会の内容を説明する。
それによると、ここヴァーレでは、芝居の頂点を決める大掛かりな大会が月に一度という頻度で開催されている。さすが演劇が盛んだと言われることはある。
特にナワテが驚いたのは、その膨大な劇団数だ。マリリンが50近くと言ったとき、思わず肩が跳ねそうになった。
「劇団登録完了後、ナワテは三週間にわたり他の劇団と激しくしのぎを削ることになります。そして、ヴァーレの頂点に選ばれるには、週に一度の大会を勝ち進まなければなりません」
そもそも芸術を競わせるという概念がないナワテには、その説明が斬新に感じられた。
「勝ち上がるごとに劇団ランクが上昇します。一週目の大会で上位20組に選出されれば『スタディオン』。その上位20組が競う二週目の大会で5組に選ばれれば『トランスフォーム』と、このようにランクが上昇していくとともに各劇団がふるいに掛けられます。そして上位5組による三週目の大会で優勝すれば、見事、『バルド』の称号が得られるというわけです」
マリリンが鷹揚に発する大会概要は、いわば演劇のバトルロイヤル。
その説明を聞いたナワテは、一演劇人として心の唸り声を止められなかった。
「本大会では各ランクによって贈呈品を差し上げております。スタディオンになれば男性はコート、女性はローブ。トランスフォームの方には帽子。そしてなんと、バルドに選ばれれば王家の紋章があしらわれたループタイを贈呈します。ですが、前大会の成績を下回ってランクを剥奪されると、贈呈品も没収されますのでご容赦を」
贈呈品の説明を聞きながら、ナワテは先ほど町を我が物顔で歩いていた者たちを思い出した。
つまり、コートやローブを羽織っていたあの者たちは、前回大会でスタディオン以上の称号を得た劇団の劇団員だったのだ。
「どんどん上を目指して頑張って下さいね。ナワテ!」
「ああ」
ここまでの説明を受けて、ナワテは自分の体が熱くなっているのを感じた。
しかし、
「スタディオン大会は三日後の日曜日、ポッポ街の会場にて行われますのでお忘れなきように」
「みっ、三日後⁉」
衝撃の事実に、ナワテの口から大きな声が飛び出る。
それがもし本当なら、今日を含めて三日間しか準備期間がない。もちろんこれも、外務省からは聞かされていない情報である。
「なぜ驚かれるのでしょう? 恐れながら、ヴァーレの民なら誰しもが知っていることだと思いますが……」
狼狽えを見せたナワテに、マリリンが困惑の表情を浮かべている。
しまったと思ったナワテは、慌ててクールな表情を作った。
「その誰しもが心得ていることを、君はしげしげと説明しなければならない。ぼくのリアクションは、そんな君の退屈な仕事にささやかなアクセントを与えられればなと……」
「まあ、そうだったのですね。さすがは演劇人ですわ」
マリリンの表情から困惑の色が消えるのを見て、ナワテは胸の中でほっと息をつく。
脱線した話を結ばせ、マリリンはまた朗々と説明を続けた。
「採点は市民の投票によって行われます」
「投票……?」
マリリンによると、12歳以上のヴァーレの住人には一人一票の投票権が与えられるという。その得票数で各劇団の順位や予選通過が決定するのだ。
投票は大会当日、全ての劇団が上演を終えた直後に行われる。
ちなみに、大会開催日は民の休日とされており、あらゆる農工労働者はもちろん、市場も殆どが休業する。それもあり、町の90パーセント以上の人々が参加する恒例行事となっている。
投票先の基準は人それぞれであるが、好きな劇団、好きな俳優、そして好きなシナリオが投票先に左右されることは間違いないだろう。
つまり、この大会で多くの票を獲得するということは、ヴァーレの民の民意を得たも同然のことだ。
まるで選挙だなと思うと同時に、ナワテは自分がここに送られてきた理由を本当の意味で理解した。
反体制の心を目覚めさせる内容が詰まった作品を大勢のアダルア人の前で上演し、そして多くの票を手に入れる。それが、今回の『すずろぐ革命。演劇計画』の本質なのだ。
だとすれば、少なくとも三週目の大会まで勝ち進まなければ話にならない。上位5組まで勝ち残れば、この町の住人は嫌でもナワテに注目せざるを得なくなる。
更に劇団ランクをバルドまで上げれば、月末に王都での公演が約束される。上手くいけば、一か月後には貴族階級の民意すら得られるかもしれない。
今回の任務と自分が抱く好奇心は完全にリンクしている。なのに……、ナワテはどうも癪に障った。
「では、ここに記入をお願いします」
マリリンが荒い木目のテーブル上に登録用紙を差し出した。
「……」
本作戦に関して思うところはある。しかし、任務を放棄すれば大臣の逆鱗に触れ、ナワテのみならず自社の関係者もろとも奈落の底に突き落とされることとなるだろう。
ナワテは観念するように、はぁと息を吐き、渋々横に添えられてある羽ペンを手に取った。
そして、慣れない手つきで『ナワーテ・アルヴァティー』という偽名を綴った。
その時だった。
「誰かー、そいつを捕まえてくれぇ!」
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