『すずろぐ革命。演劇計画』
いつしか、アカネ大臣の振る舞いや言葉遣いから、当初に感じた子どもっぽさが消えていた。
「さして驚くことでもないわ」
短い指で、ナワテの表情をさしながら大臣が言う。
ナワテは確かにそうだと思った。一般人ならともかく、相手は一国の外務大臣。そんな人間が自分の正体を知っていたとしてもなんら不思議ではない。
しかし、納得すると同時に疑問も浮かび上がる。
なぜ、その話を持ち出すんだ……。
自分がここに呼ばれた理由は……。
これからなにが始まるのだろうか……。
それを考えると、ナワテは自分の頬に冷や汗が伝うのを感じた。
アカネ大臣は、その垂れた目で、ナワテの反応を観察しながら口を開く。
「第二次マディオス大戦の休戦後、アダルア王国で起こった革命については知ってるわよね。その際、難を逃れてこの国に脱国したアダルアの民が数十名いるの。マリエ・ヒョウカ――、君のお母さまのように」
「……」
「アダルアの民は生まれつき金色か栗色の頭髪。だからこの国で暮らす亡命者、および不法入国者、あるいはその二世は、正体を知れぬように定期的に藍で髪を黒く染めるらしいね。君みたいに」
「……」
言葉で言い返せないナワテは、大臣を睨むことでしか反抗の意を示すことが出来ない。
気が付けば、執務室内には再び緊張の糸が張り詰めていた。
未だ鋭い視線を放つアカネ大臣は、机の上に置かれたある資料を手に取り、それを声に出して読み始めた。
「マリエ・ヒョウカ。アダルア王国に生まれ育った彼女は、23歳の頃に勃発したアダルア革命の直前、戦いの庭にならんとしていた自国から避難するためデリスランドに脱国した。脱国から一年後に生まれた一人息子に演技を叩きこみ、天才子役と言わしめるまでに仕立てあげる。息子の父親が元外務次官のアズサ・ツカサであることは彼の立場上から公表していない。そして、息子が10歳のとき、突然の病によって死去する。享年34歳」
アカネ大臣が聞こえよがしに音読したのは、紛れもなくナワテの母の経歴だ。
それを聞かされたナワテの身体は、まるで時間停止したかのように凝着していた。決して外務省のインテリジェンス能力に恐れを成したからではない。
「アズサ・ツカサ元次官……ぼくの父親が……」
「あら、やっぱり知らなかったのね」
そう。彼が驚愕する理由は、自分の父親の正体を知らされたからだ。
ヒョウカは生前、そのことをナワテに話さなかった。訊いても答えてもらえなかった。自分の父親とはいったいどのような人なのだろう──。子どもの頃はそれを想像するだけで彼のうぶな心が躍ったものだ。しかし母の死後、その謎は棺とともに蓋をされたのだと諦めていた。
それを思わぬ形で知ることになったナワテは、その綯い交ぜな胸の内を表すかのように、また力いっぱいこぶしを握りしめた。
「で、用件は? そんなことを告げるためにわざわざ臨場させられたというのなら期待外れもはなはだしい」
我知らず、ナワテは語気にトゲを立たせていた。
「まったく、取り付く島もないわね」
呆れたように言い放つ大臣だったが、その面持ちからは安堵の色がうかがえる。
やっと本題に入ることが出来る。
彼女はそう思っていた。
自分が混血であることはすでにあけすけにされている。そのことをナワテに認識してもらわない限り、話を本題に進めることができなかった。
ナワテに動揺を与えることを危惧していた彼女だが、言葉を聞く限り軽傷で済んだと思った。
「実は折り入って、君に要請したいことがあるの」
「要請……? 我が社を巻き込むことなら勘弁願いたい」
「その心配はご無用よ。あなた個人にお願いしたいことだから。もとい、あなたにしかお願いできないことよ。マリエ・ナワテくん」
「ぼく、にしか……?」
いつの間にか席を立っていたアカネ大臣は、ゆっくりとナワテの方向に足を運んでいた。
乾いた歩調を室内に鳴らし、ナワテの眼前まで辿り着くと、彼女は足を止めて腕を組んだ。少し斜めに傾けたその顔は、
……怖いくらいの、柔和な表情。
「アダルア王国に潜入して欲しいの」
「ッ‼」
柔らかな表情と声色から発せられた言葉は、断じて穏やかと言えるものではない。
それを表すように、ナワテは言葉なく目を見開いている。
ナワテが驚愕するのも無理はない。
現在、デリスランドとアダルア王国の国交は断絶状態にある。正確にはアダルアが大陸内で孤立していると言ったほうが正確なのかもしれない。それに至った理由は数多の説があるようだが、排他的な民族性を持つアダルアが一方的に断絶を叩きつけたのだと、ナワテは耳にしたことがあった。
当然、そのアダルアへ潜入すれば、ナワテが危険を伴うことは言わずもがなである。
「なぜ、ぼくなんですか」
「いい加減、紙を見なさい」
しかりつけるように大臣が言ったそれは、先ほど部下から手渡された数枚の紙のことだ。
ここへきて初めて、ナワテがそれに目を当てる。
『すずろぐ革命。演劇計画』
それは目につくよう、一番表にある紙に大書されていた文字である。
「第二次マディオス大戦休戦後、アダルアは政策を大きく踏み外した。民は依然、困窮状態にあるわ。必竟、無能な王政のおかげで大戦から20年経過した今も遅々として復興中なの。我々は不況にあえいだアダルアの民が沸点を超える日は近いと見ている」
「分からない。その話とぼくにどんな関係が……」
「話は最後まで聞くものだよ。因襲にとらわれた女大臣からの助言だ」
返す刀でたしなめられたナワテ。ぐうの音も出ない彼は口を結び、改まって姿勢を正す。
それを見た大臣は殊勝な心掛けだとでも言いたげに、「うん」と頷いた。
「今現在、アダルア政府は民の怒りの矛先を我が国に向けるため、あらゆる工作を目論んでいるらしい。このまま放置すれば、魔法を使いこなすまがまがしい群れが我が国に牙をむくことになる。さすればどうなるかは君にも想像ができるでしょう?」
我が国に対する脅威となる。
戦争を知らないナワテにも、そのくらいのことは想像できる。
しかし、だからこそなお腑に落ちない。ナワテは再度、手に持っている紙を眺め見た。
「それと演劇が、どのように結びつくのでしょうか」
恐る恐るナワテが訊ねると、大臣はニヤリと淡い笑みを浮かべ、「いい質問ね」と言った。
「今しがたアダルア政府があらゆる工作を目論んでいると説明させてもらったけど、そのメインがお芝居を用いた工作らしいわ。義務教育の概念がないアダルアでは、文字を読むことすらままならない民も少なくない。そういった環境にある地では、民を洗脳する際にお芝居や歌を利用するのが最も効果的とされているのよ」
大臣の話は詰まるところ、人の心を豊かにするはずの芝居が悪用されようとしているという皮肉極まりない話だった。
しかし、ナワテは驚かなかった。彼にとって、洗脳に芝居が効果的だという話自体初耳ではなかったからだ。芝居が政治的なプロパガンダに使われてきた歴史は、生前の母から耳にタコができるほど聞かされていた。
「我々の任務は、そのアダルア政府の工作にカウンターを打ち込むこと。それを実行するには前提として、アダルア人と容姿が近く、加えて演劇に詳しい人間を見つけ出す必要があったの」
認めたくない話だが、ナワテは納得してしまった。そんな特殊な人間はこの国で自分しかいないだろう。
しかし同時に、また新たな疑問が浮き上がってくる。
「話が見えません。潜入したぼくに、民の怒りが薄まるような陽気な物語を上演しろとでも仰るつもりですか。それも、たったひとりで」
「たったひとりで潜入して欲しいという質問に関しては『YES』。民の怒りを薄れさせるという質問には『NO』と答えておくわ」
「どういう……」
「国民感情の抑制なんて気休めに過ぎないってことよ。仮に君の演技で民の怒りを薄れさせることができたとしても、アダルア政府にとってみれば焼け石に水。彼らは何度だって自国民の敵意の矛先を我々に向けることが出来るんだもの。そんな生ぬるいことをしてもイタチごっこになるのが関の山よ」
意外にも、アダルアは演劇が盛んな国である。頻繁に演劇大会が開催され、多数の劇団が競い合っているのだとか。そのことはナワテも噂ていどに知っている。
例えば、『デリスランドこそが真の敵である』という趣旨の演劇を繰り返し上演し、民を先導することはアダルア政府にとってみればいとも簡単なこと。ホームグラウンドにいる彼らは、何度でも自国民に対する洗脳工作を行えるからだ。
「ではどうしろと?」
次に大臣が発した一言は、瞬く間もなくナワテの血の気を失せさせた。
「アダルア国内で革命を起こさせる」
「なっ―― ‼」
ナワテは再度、紙に大書されてある『すずろぐ革命。演劇計画』の文字を見た。
「本来ならば戦争によって叩き潰したほうが手っ取り早いわ。我が国の兵器は今や魔法を凌駕する力をもっているからね。けれど、この国にはまだ先の大戦が記憶に新しい成人たちがたくさんいる。再び戦争となると、それをよしとしない世論も少なくないでしょう」
「つまり、潜入したぼくにアダルア政府に敵意を持つような演目を上演させ、アダルアの民を革命の道に先導し、自滅させろと?」
「そうなるようにアダルアの人たちを誘導して欲しいのよ。プレイヤー、そして裏方。お芝居のすべての分野で名を馳せたあなたなら、人をそそのかすことなんて朝飯前でしょ。一発で革命が起こるくらいの名演技を、期待してるわ!」
ナワテは俳優として、また俳優を育てる経営者として、多岐にわたって多くのデリスランド人を魅了してきた。それは人間の心理を欺く技術がなければ成し得ない神技である。
そんな彼なら、たとえその場所がアダルアであっても例に漏れず、芝居で人を洗脳することは可能であるというのが大臣の見解なのだろう。
もはや人とは思えないことを悠長に話す女大臣に、ナワテは底知れぬ恐ろしさを感じた。
しかし一国の外務大臣とは、そのくらい非情な決断ができる人間でなくては務まらないのかもしれない、とも思った。
「断る、と言えば?」
本当ははっきり断ると言いたかった。しかし、すぐ目の前にある冷笑がそうさせてはくれなかった。
「外務省の情報収集能力はたった今披露した通りよ。おたくの俳優さんたちの過去をほじくり返すことも、我々にとっては造作もないこと。……えーと、質問の答えになっているかしら?」
十分、答えになっていた。
現在、第一線で活躍するマリエ事務所の俳優の中には、少年時代に事件を起こした者が多数いる。勤勉な民族性であるデリスランド故に、俳優などという職業を目指す者は、そもそも落ちこぼれと呼ばれる部類の人間が多いのだ。
ナワテ自身、過去の素行に問題のある者を積極的に自社に迎え入れてきた。理由は本人にも分からない。もしかしたら、特殊な環境で育った彼だからこそ、そういった人間を放っておけなかったのかもしれない。
しかし、そういった者たちの黒歴史を詮索されればきりがない。それのみならず世間に露呈されれば、マリエ事務所に属する俳優たちの仕事は激減し、社員全員の死活問題ともなりかねない。種々様々な人物を演じなければならない俳優にとって、イメージとはそれほど大切なものなのだ。
アカネ大臣の言葉の裏側には、そういったこともやろうと思えば出来るという裏付けが含まれている。
つまり、これは要請ではない。
―― 強制だ。
「うけがって頂けるかしら?」
「……はい」
ナワテは首肯せずに言った。
それが今の自分に出来る、最大限の虚勢だった。
うつろな目線を窓に向けると、蜘蛛が巣に掛かった蛾を食らっていた。
食えない女の術策に、まんまとはまった自分を比喩するかのようだった。
ここまでお時間を頂いた方々、誠にありがとうございます! 感謝感激です!
もしよろしければ、評価【☆☆☆☆☆】を押してくださいませm(__)m
今後の励みに致します!(^^)!