元・天才子役
部屋が薄暗いため、時計の針が正確に見えない。だが、偉そうなオーバル型の窓が映し出しているのは、とばりが吊るされ始めた宵の口。おおかた六時くらいだろう。
日中の労働者たちを癒すため、今度は夜の労働者たちが意気軒昂そうに商いを始める窓の外の景色。綺羅びやかに移り変わるその街の変わりようは、かりそめの衣装を着飾ったシンデレラのようである。
この景色が一望できるとある一室では、先ほどからただならぬ緊張が張り詰めていた。
現在、マリエ・ナワテの目の前には三名。二名のスーツ姿の男が一人の女を挟むようにして立っている。
……女の年齢は30前後だろうか。ナワテは彼女の顔をなにかの記事で見たことがあり、確かそこにはこう書いてあった。
『デリスランド史上最年少、初の女性外務大臣誕生。その名も、アカネ・シラハ!』
つまり、国際的に見れば彼女はこの国の顔だ。
小柄で垂れ目の外務大臣アカネ・シラハは、パーマをかけたふわふわの茶髪を腰まで伸ばしている。更には赤いレディーススーツの大きな襟が、上半身の脂肪を頑張って寄せ集めたであろう芳醇な胸元を玉座の如く強調している。その姿は実に大臣らしからぬいでたちだ。
国の顔と呼ぶにはいささか子どもっぽい。なんでも彼女は元人気アイドルで、国民からの支持もいまだ燃え上がる火のように熱狂的なのだとか。
若干17歳のナワテだが、再度足から見上げるように彼女の全身を眺め見ると、この国の将来に憂慮の念を抱かざるを得なかった。
とはいえ、一国の大臣、その大臣が従える部下二人を前にナワテは立っている。一民間人に過ぎない彼は、本来であらば極度の緊張で口からなにかが出かねない状況下にあった。
しかし、ナワテがたじろぐことはなかった。
ナワテは黒いダブルのスーツを纏っている。断じて大臣にへりくだる目的で正装しているわけではない。大切な商談の途中、政府関係者と名乗る男数名が自社の会議室内に押し入り、強引に連れて来られたのだ。
故に現在、ナワテの機嫌はすこぶる悪い。
一方、アカネ大臣は先ほどから、この薄暗い執務室からオーバル型の窓を眺めるばかりで、なにも言葉を発しようとしない。前触れなく、なかば連行のような形でナワテがここに連れて来られたのは、今から30分ほど前のこと。当初からこの様子だ。当然ながら大臣が口を開かねば、ナワテはもちろん部下二人でさえ一言も発せない。
したがってこの部屋では、ことりとも音がしない異様な時間が長らく続いていた。
待つことには慣れているナワテも、さすがに痺れを切らそうかという、その時だった。
アカネ大臣がふわふわの髪を振り乱すように首を捻り、窓の外を眺めていた視線をナワテに向けた。
「さぁてっ!」
外務大臣アカネ・シラハの開口一番は、本題に入る前のちょっとした助走のような言葉。そして見かけ通りの無邪気な口ぶりだった。
「初めまして、マリエ・ナワテくん。もちろん、わたしのことは存じ上げて?」
「ええ。眉唾ていどには」
ナワテはにべもなく言った。女大臣の高飛車な問いに対し毒を吐いたのだ。
アカネ大臣とその部下はムッとした表情を浮かべた。思った通りの反応を拝めたナワテは緩みそうになった口元をクールな表情でかみ殺す。
そんな彼のしたり顔を見た大臣は、ため息を吐くと同時にイラつきの表情をほどいた。
「なるほど。どうやら聞きしに勝るひねくれ者のようね。まあ、わたしも似たような境遇にあったから分からなくもないわ。あなた、元天才子役だものね?」
「っ……」
今度は苦虫をかみ潰しそうになる己の表情をせき止めるナワテ。
大臣の言葉通り、彼はかつて、天才と言わしめるほどの有名子役であった。
元来、デリスランドの民は勤勉で真面目な国民性である。経済活動しかり、様々な分野における技術開発に至るまで、現在このデリスランドがあらゆる世界のマーケットとなっている。そうしてこの国が豊かになった要因が、もとより国民性であるということは述べるまでもないだろう。
しかし裏を返せば、さほど娯楽に関心がないとも言える。芸術鑑賞に時間を割いたりする者はごく稀で、故にひと昔前のデリスランドは芝居という文化が盛んではなかった。
そこに一石を投じたのが、天才子役のマリエ・ナワテ(当時5歳)だ。
突如このデリスランドに彗星の如く現れた彼は、映画の普及とともに瞬く間にその業界の頂に登りつめた。
芝居など見向きもしなかった人々が、いつしか休日に映画を観るようになり、観劇を好むようになった。それどころか、定期的に内閣府が実施しているアンケートでは、将来なりたい職業の欄に『俳優』『女優』と書く子どもが年々増え続けているという。いまや芝居はここデリスランドの文化となりつつある。
つまり、その文化を生み出した人物がナワテと言っても誇張ではないというわけだ。
「やっぱり癪に障ったかしら。天才と言われるのは?」
「……別に」
「嘘言わないの。顔に出とるぞ、おぬし」
同じような境遇と自称するだけあって、ナワテに先ほどの仕返しをするくらいたやすいことのようだ。ナワテは遠回しになじられたような気分だった。
「で?」
ナワテは自分をこの場に呼んだ要件を早く述べてほしい旨をたった一文字の言葉にした。
その横暴な態度に、腹を据え兼ねた部下二人が叱責しようと身を乗り出す。
しかし、アカネ大臣が短い左腕を横に広げて部下を止めた。
大臣は月光を背に受けているためナワテの角度からは表情がうかがいにくい。だがニヒルに笑う片頬だけは、黒くなった彼女の顔からはっきりと見えた。
「回りくどい話は嫌いだとでも言いたそうね。金と時間にケチな商売人が考えそうなことだわ。人生の先輩に相槌を打ち続けることも立派な礼儀なのよ。話の終着点がとどのつまりならば同じことでは?」
「最後の言葉のみ、そっくりそのままお返しいたしますよ。因襲にとらわれた大臣様」
揚げ足を取るようなナワテの嫌味言葉に、再度、苛立ちを露わにした部下の一人が一歩前に出た。
しかし例の如く、再び伸びた大臣の短い腕が部下の正気を取り戻す。
「そう警戒しないで。そうたやすく、君を飼いならせるとは思っていないから」
「……飼いならせる?」
かつては天才子役と呼ばれたナワテだが、今は現役を退いている。とは言っても芝居自体を辞めたわけではなかった。実力派、個性派、多数の俳優を従える人材派遣会社の経営者。それが彼の現在の肩書だ。芸能プロダクションの社長と言ったほうが、一定の層には分かりやすいのかもしれない。
名を馳せた天才子役が立ち上げたということもあり、マリエ事務所の業績は創業当時から右肩に下がることを知らない。特に俳優の育成が評価され、あらゆる映画、演劇を企画する制作会社はこぞってマリエ事務所の俳優を使いたいと言う。それ故、他社から恨みを買うこともしばしばあった。
それらを鑑みて、此度の呼び出しは業界一強たる自社の経営に強権的な圧力、もしくは牽制を加えられるためのものだとナワテは睨んでいた。
故に、自分を飼いならしたいともとれる大臣の言葉は、ナワテにとって状況を振り出しに戻させるものであった。
大臣は困惑の色を隠せないナワテを見るや、呆れ笑いを奏でるように鼻を鳴らした。
「ごあいにく様。我々が君の小さな商売を目の敵にしているとでも思って?」
「ならば、日々業務に勤しむ一般市民のぼくを、国が連行する理由がどこにありましょう」
ナワテが問うと、うすら笑いを浮かべる大臣がパチンと指を鳴らした。
それを合図に、部下の一人が数枚の紙をナワテに手渡した。
「これは?」
「あのね、紙に目を通してから訊くものじゃないの?」
「なにぶんせっかちなものでね」
「君さ、本当に17なの?」
「最初の質問に答えてもらいたく存じます」
「はぁ……」
やはり商人とは馬が合わないなと思ってしまう、一政治家のアカネ大臣だった。
彼女は決して仕事中に雑談や軽口を好む性格ではない。実のところ彼女自身も迷っていた。
── 唐突に本題に入れば彼が動揺を起こすかもしれない、と。
しかし本人から催促されては仕方がない。遠慮なく教えて差し上げることにした。
「アダルア王国と呼ばれる国について知っていることは?」
「っ……。魔法を使うということ、くらいです」
大臣の予想通り、木で鼻を括り付けたナワテの顔に若干の歪みが生じた。
それを彼女は見逃さなかった。垂れ目の瞳がキラリと輝きを放つ。
「その様子だと、我が国との関係も把握しているようね」
「軋轢があることくらいは、耳にしたことがあります」
「ふーん。そんなことしか君に教えなかったの?」
アカネ大臣はしたり顔でそう言うと、ゆっくりと足を運び椅子に腰掛けた。そして顎を引き、垂れた目尻を持ち上げるように眼差しを鋭利に形成してナワテを睨み立てこう言った。
「マリエ・ヒョウカは」
「ッ!」
…… 知っていたのか。
そのことに気が付いたナワテは己のこぶしを握りしめた。
ここまでお時間を頂いた方々、誠にありがとうございます! 感謝感激です!
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