幼き息女の脳裏には……
パチパチと、暖炉の火が乾いた音を散らしている。
スレタは個室にあるナワテのベッドで眠っている。おかげで、今夜は居間の冷たい床が彼のベッドになりそうだ。
ルルはまだ帰ろうとしない。
変わらず、ナワテを誘拐犯かなにかと疑っているようだ。スレタが眠ってからも、彼女のガーネットのような瞳がナワテに突き立てられている。
「なんだか、この部屋に慣れてないみたいね」
「そう見られると落ち着かないよ」
「スレタさまに近づく理由を言いなさい」
「ぼくから近づいたわけじゃない。なんなら君に連れて帰ってほしいくらいだよ」
「今さら見苦しいわね。わざわざシーチキンでおびき寄せておいて」
「だから違うって」
ナワテがなにを言っても、ルルは信用しそうにない。
早く帰って欲しい一心でシーチキンを振る舞ったのだが、結果それが怪しまれる材料になってしまうとは。
「わたしも、しばらくここに住まわせてもらうわ」
「はあ⁉」
「安全のため、わたしはスレタさまの隣で寝るわ。あなたはこのリビングで寝ることね」
……もう勘弁してほしいと思うばかりである。
そうなれば、この独身男性用の部屋に三人で住まわなければならなくなる。明日からも冷たい床で寝なければならないと思うと、悔しさに似た虚しさが込み上げてくる。
とはいえ、火や水を操れる彼女たちがこの部屋に必要なこともまた確かだ。
それと、ナワテには少々気になることがあった。
「そういえば、君とスレタはどういう関係なんだ。えらく敬っているみたいだけど」
ルルはナワテとほぼ同年代。スレタに姉がいれば彼女くらいの年だろう。
しかし、彼女がスレタに寄せる愛情はいわゆる過保護とは少し違う。強いて言うなら、異常なまでの崇めぐあいと言ったほうが妥当である。
「あんた、スレタさまのこと知らないで誘拐したの?」
「誘拐って……」
ルルは呆れたようなため息を吐いたあと、スレタの生い立ちを説明した。
「スレタさまはアダルアの王家から派生する御三家の一つ、ブルーバーグ家のご令嬢よ」
したり顔で話すルルだったが、そこまでは成り行きで得ていた情報である。これにより、ナワテが驚きの表情を浮かべることはない。
一方、ルルの表情は段々と険しさを帯びていく。
「二年前、賢人会の会長であられたお父さまが反逆罪に問われたの。それを境に、奥様のキャサリン妃のお姿も見られなくなった。スレタ様がこの地に送られたのはその矢先のことよ」
「反逆罪。アダルア王に逆らったってことか?」
「いいえ、違うわ。王の方針に異議を申し立てていただけよ」
つまり、スレタの両親は王に対し、反対意見を述べただけで消されてしまった。夫妻の息女であるスレタも、華族の身分を剝奪され、この田舎町に島流しにされたというわけだ。
無茶苦茶な話にも関わらず、ナワテはなるほどと思った。
実質、この国は長年、王の独裁で方針が決められてきた。それが仇となり、革命が起こるほどに国がガタガタになったことは前述でも述べた通りである。
その後、政府の方針と相反する言動をとった、政治家、貴族、運動家が、国賊と見做され、ことごとく粛清されたことは、デリスランドでも噂されていたことだった。
「見せしめ、か」
「絶対にそうよ。国家に逆らえばどうなるかを、わたしたち民に知らしめるためだわ」
おそらく、アダルア政府が最も恐れているのは、対外的な戦争よりも国内で起こる内戦なのだろう。魔法を駆使した1000もの軍勢を敵に回せば、一国の政府といえど一溜まりもない。
だからアダルア革命後、それを先導しかねない者はすべて国賊と見做し、粛清してきたのだろう。
橋の上でトマトサンドを食べたあのとき、スレタはその話題になると言を左右にしていた。
ナワテは今になって、その理由が少し理解できた。嘘と分かっていたとしても、自分の父が国賊だなんて口にも出したくないだろうから。
「で、分かたれた両親は? スレタは離散させられたと言っていたが」
ナワテの質問に、険しかったルルの顔が、今度は哀しさを帯び始めた。
それを見たナワテの脳裏に、あってはならないあの言葉が真っ先に浮かんだ。
「まさか、殺されたのか?」
「分からない……が答え。幽閉されているのかもしれない。唯一分かってるのは、流刑に処せられたのはブルーバーグ家ではスレタさま一人だけってことよ」
つまり、消息不明。
ここヴァーレと首都デスラーとの間には関所がある。同じ国にも関わらず、田舎者が都会の地を踏むには国の許可と審査が必要となるのだ。単身このヴァーレに島流しにされたスレタに許可が下りることはまずないだろう。つまり現在、スレタが家族の安否を確かめる術はない。
もしかしたら、彼女の幼い脳裏には、常に最悪の結末が霞んでいるのかもしれない──。
今日何度も見たスレタの笑顔を思い浮かべると、ナワテは胸が塞がれる思いだった。
ルルも似た想いなのかもしれない。暖炉の明かりに映る彼女の顔には、憤りの影色が浮き出ていた。
なんとかしてブルーバーグ家の皆の安否を確認することは出来ないだろうか。
助け出す方法はないだろうか。
いつの間にか、ナワテの頭はそのことでいっぱいになっていた。
今思いつく限りの方法は、バルグラでバルドの称号を得ることである。
劇団ランクがバルドになれば、月末に王都デスラーにて単独公演を上演する権利が得られる。そうなれば問答無用で関所も渡れるはずだ。王都に行けば、スレタの家族についてなにか分かるかもしれない。しかもこれは、ナワテの任務も同時に遂行できることになる。
視線を上げるとルルがいた。ナワテのことを疑っているため危険ははらむが、彼女が比類なき天才であることはナワテも認めるところである。
こうなれば背に腹は代えられない。
「ルル。君はどこかの劇団に身を置いているのかい?」
「どこにも入ってないわ。今日みたいにヘルプで出演することはあるけど。ヘルプはお金稼ぎにはもってこいなの。わたしにも生活があるからね」
それを聞いて、ナワテの顔からニヤリと笑みが浮かんだ。
「ルル。ぼくの劇団に入れ」
「えっ!」
ルルの口から言葉にもなっていない驚きの声が漏れ出る。
ルルは慌てて、自分の口を抑えてスレタの寝室を見た。部屋からはすやすやと眠るスレタの寝息が宙を舞っている。
「案ずるな。悪いようにはしないさ」
ナワテはその傲慢な言葉を背中越しに放った。視線は窓の外を向いている。
ルルがその顔を覗き見ると、無数に散った星の光が、彼の茶色い瞳に反射していた。
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