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クールで孤高の女騎士団長は、みんなともっと仲良くしたい

作者: カバーネ

寝不足だった。


体がやや重かった。


昨夜は急な来客が訪れたため寝るのが普段より遅い時間にずれ込んだ。


そのせいで休息が十分に取れていなかった。


しかし任務についたらそんな私的なことは関係ない。


騎士団の庁舎に足を踏み入れたら、そこからは公人だ。


たとえ何があろうと毅然と振る舞うのがザイツェル王国の栄えある騎士団員というものだ。


ミレイアはそんな風に自分を叱咤して、庁舎の階段から廊下のほうへ一歩踏み出した。


廊下の先に個人の執務室があり、そこへ向かっていた。


すると、反対側から数人の集団が歩いてきた。


その外見ですぐにわかったが、制服がまだ新品の、初々しい姿の新人たちだった。


新人たちは、ミレイアに気づいた瞬間に立ち止まり、一斉に敬礼した。


直立不動のその姿勢には強い敬意がこめられていた。


彼らは弱冠だが緊張もしているようだった。


目の前にいるのは女性初の騎士団長であり、王国有数の剣の達人だ。


尊敬すると同時に畏れる気持ちもどこかにあるに違いない。


ミレイアは、せっかくなので励ましの言葉を軽くかけようかと思った。


しかし、騎士団長として躊躇した。


気安く接することが彼らのためになるのか迷った。


迷ったまま歩き、無言で答礼し、静かに歩を進めた。


新人たちの熱い視線を背中に感じたが、余計な気を使わせぬよう、振り返るのを控えた。


執務室に到着して腰を降ろしたら、2人の男が訪ねてきた。


事務方トップの初老の男とその部下だ。


2人は部屋に入ると交互に話をした。


話の内容は、騎士団の予算に関する説明だった。


能吏として優秀な2人は無駄のない説明を粛々と終え、特に雑談もせず、几帳面にお辞儀をして退室した。


ミレイアは、後姿を見送り、部屋で1人になった。


他人の視線がなくなると、気持ちが緩んだ。


途端に、あくびが出た。


「ふぁー」


事務方の予算の話はあまり面白いものではなかったが、立場上、真剣に聞いていた。


その反動のせいなのか長いあくびが出てしまう。


あくびのついでに背もたれに体をあずけてリラックスしようとした。



コン、コン


ノックの音がした。


ミレイアは慌てて口を閉じ、背筋を伸ばした。


硬い表情を瞬時に作り、騎士団長にふさわしい重々しい外見を整える。


ドアが開いて入ってきたのは小間使いの少女だった。


名前はエマ。


3か月ほど前から騎士団で働くようになり、こまごました雑務を受け持っている。


年はまだ10代なかばでミレイアより一回り下である。


「こちら、おさげしてもよろしいでしょうか」


テーブルに3人分のティーカップが置いてある。


ミレイアと事務の2人がそのカップでお茶を飲んだのだ。


「ああ、さげてくれ」

「はい」


エマは盆にカップを載せると手早くテーブルを拭く。


ミレイアは無言、エマも無言で、テーブルを拭くササッという音だけが室内を覆った。


無言は気まずいので話しかけたい気持ちがミレイアにはあるのだが会話のきっかけがつかめない。


(向こうから話しかけてくれないだろうか)


そんなことを思うが、エマは黙々とテーブルを拭いている。


しゃべる気配は微塵もない。


これは、いつものことだった。


エマがおとなしい性格というワケではないのだが、こうなるのは、ある意味、仕方なかった。


――騎士団長は余計なおしゃべりを好まない


いつからか、騎士団の内部で、そういう認識が広まっていた。


自分にそのつもりはないのだが、ちょっと取っつきにくいタイプと思われているらしい。


これは正直いって不本意な評判なのだが、そうなった理由は分かっている。


経歴のせいだ。


ミレイアが生まれ育ったサガス侯爵家は剣の名門だった。


優れた剣士を数多く輩出した家柄だ。


その一門に生まれたミレイアは、幼少の頃から厳しい修行を積み重ね、王立学園に入学後は無敵の強さを誇った。


さらに剣だけではなく学問にも優れた才をみせたため、俊英の呼び名をほしいままにした。


その結果、学園でのミレイアは誰からも一目置かれるようになり、同世代はおろか年長の学生からも敬意をこめた接し方をされるようになった。


そのことを


(ちょっと堅苦しいな)


とは感じたが、接し方を変えてほしいと言うのも変なので、そのままにした。


今考えれば、それが失敗だった。


月日が一年、二年と過ぎていき、気づいた時には気さくに話せる相手がいなくなっていた。


みんなに悪気はないのだろうが、ミレイアに対して敬意に満ちた態度をとるのが当たり前となり、そのせいでミレイアは冗談のひとつも言えなくなっていき、次第に口数の少ない寡黙な性格とみられるようになった。


そして最終的に


孤高を愛する、気高い女剣士――


そんなイメージができあがった。


ちょっと違うんだけど……と思うが、どうしようもなかった。


騎士団に入団して以降もイメージはついて回り、隊長、副団長、団長と出世を遂げる過程で、孤高の印象はより強まった。


ミレイアにとっては虚像だが、その虚像を疑う者はほとんどいないといっていい。


「きゃっ」


エマが小さな悲鳴をあげた。


ティーカップを倒してお茶の残りを床にこぼしてしまったのだ。


「す、すいません」


エマは急いで床を拭く。


お茶をこぼすくらいは大した失態でもないのに


「すいません、すいません」


と平謝りしながらエマは手を動かした。


その姿を見ながらミレイアは反省した。


きっと自分がいるだけで、威圧的ななにかを人にじわじわ感じさせてしまうのだ。


そういうところを少しづつでも直していかなくては。


真摯にそう思った。


と同時に


(これは話しかけるチャンスだ)


と考えた。


実はミレイアは、小間使いの少女と、ただの雑談ではなく親しい会話をしたいとずっと思っていた。


ぼんやりとだが、気持ちが通じ合いそうな予感があったのだ。


そう感じるようになったのは、些細な出来事がきっかけだった。


エマが騎士団で働きはじめて間もない時期のことだが、当時のエマは、団長のミレイアを畏怖する様子もなく無邪気に話しかけてきた。


そして、何かの拍子に自分の趣味について楽しそうに語ったのだ。


「恋愛小説が大好きなんですっ」


この一言がミレイアの心を射抜いた。


なにっ、恋愛小説だと!


これまで他人に明かしたことはないのだが、恋愛小説は昔から大好きだった。


10代になる頃に読み始め、今でも胸を熱くしながら読んでいる。


「キュンキュン系が特に好きなんですが、ご存知ですか」


訊かれたミレイアはびっくりした。


キュンキュン系というのは恋愛小説の1ジャンルで、胸がキュンキュンする甘いストーリーが特徴だ。


ミレイアも実は大好物で、夢中になった名作が数えきれないほどあった。


だが残念ながら、この趣味は人に言えない秘密のものだった。


恋愛小説というのは庶民が楽しむ通俗な読み物とされており、なかでもキュンキュン系は名門貴族が表立って読むのを憚られるものなのだ。


ごく稀に、貴族の家にも読者がいるのだが、その多くは幼い少女といってよく、大人になっても読み続けようものなら、オタク認定されるのが確実で、そうなれば、社交界でバカにされて肩身が狭くなるのを避けられない。


しかもミレイアの場合は騎士団長という特殊な地位も関わってくる。


武勇で名高い組織の一員で、なおかつそのトップの立場にいる限り、キュンキュン系を好んで読むなど以ての外であり、もし愛読書が人に知れたら何を言われるか分かったものじゃない。


だから、こっそりと、隠れて楽しむ以外に選択肢がないのだ。


しかし、エマのような庶民は、そうしたことを気にせず恋愛小説を自由に読める。


同じ趣味の友人同士で語り合い、お薦めの作品を紹介しあったりできるのだ。


これはシンプルにうらやましいことだった。


『恋は稲妻のように』とか『あいつと俺の秘密の関係』とか、キュンキュン系の珠玉の名作を、誰にも遠慮をせず、心ゆくまで、たっぷり語り合えるのだ。


難しいことは承知だが、そんな機会を自分も持てたら、どんなに楽しいだろうと思わずにいられない。


「どうせ乾くから、その辺でいいんだぞ」


こぼしたお茶を丁寧に拭き続けるエマに声をかける。


「は、はい…」


エマは恐る恐るという様子で手を止める。


「ああ、そういえば」


ミレイアは、さりげない感じを装い、会話を試みる。


「私の家にメイドがいるんだが、そのメイドがどうやら恋愛小説を好むようでな」


ウソである。


そんなメイドなどいない。


しかし、そうでも言わないと、恋愛小説を話題にするきっかけがつかめない。


「本当ですか!」


エマの顔がパッと明るくなった。


お茶をこぼして落ち込んでいたのに恋愛小説と聞いた途端、笑顔になった。


「どのような作品をお読みになるんですか。純愛系ですか、悲恋系ですか、それとも…」


エマは思いのほかぐいぐいきた。


「ん、ああ、確か、あいつと俺の…」


ここで言葉を濁す。


あまりスラスラ話すと妙に思われそうだ。


エマはすかさず


「『あいつと俺の秘密の関係』ですね!ベオルグ先生の傑作です!」

「そうなのか」


もちろんベオルグ先生の傑作であることは知っている。


パート2を執筆中であることも知っている。


しかし知らないフリをする。


エマは両手をぎゅっと胸の前で合わせて


「もしかして、ベオルグ先生の『お前と出会った夏の日々』もお読みですか」

「どうかな…」


もちろんミレイアは読んでいた。


『お前と出会った夏の日々』は5回は読んでいる。


そして5回とも心の底からキュンキュンした。


しかし、あくまでメイドの話題という体裁なので曖昧に誤魔化した。


「では…」


エマは作品や作家の名前を次々に口にして、その魅力を熱弁し始めた。


ミレイアの心臓はドキドキと高鳴った。


寝る間も惜しんで愛読した作品の、数々の名シーンが頭に蘇る。


た、た、楽しい


エマがほとんど一人で喋り、ミレイアはもっぱら聞き役に徹したが、恋愛小説を自由に語るという行為がこんなに楽しいとは!


自分も語りたい、作品愛を語りたい、という衝動に駆られたが、かろうじて抑えた。


騎士団長として、そこは越えてはいけない一線に思えた。


しかし、エマの次の一言がミレイアを打ち抜いた。


「恋愛小説ファンの集いがもうすぐ開催されるんです」



恋愛小説ファンの集い?


なんだ、その魅惑的なワードは。


強く興味を惹かれたが、冷静を装いながら訊き返す。


「ファンの集いというのがあるのか」

「はい。もしよければ、メイドの方もいらっしゃるといいのですが」

「集いというのは、つまり、恋愛小説のファンが集まるのか」

「そうです」

「集まって語り合うのか」

「はい」


カーっと体が熱くなり


「好きな作品について存分に語り合うのか」

「はい」

「そんな催しがあったとは…」


軽いショックに似たものをミレイアは感じた。


自分の知らない場所に、そんな楽しい世界があったとは…


「通称ですけど、ぷちトマトの会というんです」

「ぷちトマトの会?」

「はい。ファンが集まってワイワイやるのが、ぷちトマトの盛り合わせみたいだからです」


か、可愛い。


なんて可愛いネーミングだろう。


できるものなら、ぷちトマトの会に自分も参加してみたい。


そう思った。


本気で思った。


しかし無理に決まっている。


名門貴族の娘で騎士団長の自分がのこのこ行けるワケがない。


思わずため息が出そうになるが、エマはそれに構わずにこっと笑い、意外なことを言った。


「当日はみなさん仮装していらっしゃいます。好きな作品の好きな登場人物に扮して心ゆくまで楽しむんです」


か、仮装だと。


なんという楽しいことを……うらやまし過ぎる


(あっ!)


ミレイアはここであることに気づいた。


仮装するということは正体を隠して参加できるということなのではないか。


たとえば、『愛の貴公子』に登場する謎のプリンスは仮面姿で有名だ。


このプリンスに扮装し、仮面で頭部を覆ってしまえば、顔バレを一切せず、自分だと気づかれずに参加できるのではないか。


「仮装というのは、どの程度のことをやるんだ。衣装を着る程度か」


それとなく探りを入れてみる。


「衣装もそうですけど、メイクもばっちり決める方が多いですよ」

「メイクもか」

「はい」

「で、で、では、仮面をつけたりする人間もいるのか」


ミレイアはやや前のめりになって訊いた。


その圧が強すぎたのか、エマがちょっと驚いた顔になる。


あ、まずい。


不審に思われる。


「いや、なんでもない。さすがに仮面はないだろうな。はは」

「いらっしゃいますよ。仮面は人気アイテムですから」

「そうなのかっ!」


ミレイアは天にも昇る心地になった。


仮面がオーケーならこっちのもんだ。


行ける、行けるぞ。


ファンの集い、ぷちトマトの会に自分も参加できる!


「当日はベオルグ先生が来場されるんです。だから先生の本を持参すればサインを頂けるんです」


ミレイアは鼻血が出そうになるほど興奮した。


(ベオルグ先生のサインだと!そんなもの、欲しいに決まってるだろ)


なにがなんでも参加したいと痛切に思った。




   ◇




その日、準備万端で庁舎に向かった。


衣装と仮面、そしてサイン用の『あいつと俺の秘密の関係』が物入れに忍ばせてあり、朝から気持ちがそわそわ浮き立っている。


ファンの集いは5時開始。


騎士団の公務は夕刻に終わるので、それから会場へと直行予定だ。


5時にはさすがに行けないが、公務終了後に馬を使えば、後半には間に合うはずである。


(楽しみっ)


ミレイアのテンションは時々刻々と高まっていく。


しかし、ひとつだけ、ちょっとした気懸りがあった。


今日の午後、王宮で定例会議が開催されるのだ。


主要な役人が一堂に会して懸案について話し合うのだが、ミレイアも出席するこの会議がたまに長引くことがあり、場合によっては夜中まで続くこともある。


もしそうなったらファンの集いに参加するのは到底無理である。


(どうか、会議が早く終わりますように)


切実に願った。


願うだけではなく自分にできることはないかと考えた。


しかし何もなかった。


なぜなら、会議の出席者にカネギ公爵という面倒くさい人物がおり、議論が長引くかどうかは


(公爵の気分次第だ)


といっても過言じゃないからだ。


(まったく、あの方には困ったもんだ)


カネギ公爵の役割は、いわゆる議長ではないし、議事の運営に責任を負うワケでもないのだが、会議の場で自分の存在を大きく見せようとするクセがあり、些細なことにいちいち、あーでもない、こーでもないと余計な口を挟もうとする。


そして自分の意に反した意見が出てくると、テーブルをばんばん叩いて


「失敗したら誰が責任を取るんだ!」


などと喚いて議論を無駄に長引かすのだ。


この公爵をうまくなだめる存在として副首相がいた。


高齢で経験豊富な副首相は、面倒くさい公爵の意見に耳を傾けつつ話をまとめるのがうまかった。


しかし、頼れる副首相が今日は不在だった。


風邪をひいてお休みとのことである。


ミレイアは悪い予感に駆られたが、その予感は残念ながら的中した。


カネギ公爵のせいで会議はだらだらと長引いた。


まるで重箱の隅を突つくかのように、どうでもいい話に公爵はいちいち意見を述べるのだ。


(まずいわ。ぷちトマトの会に行けなくなるじゃない)


じりじりする思いで会議の終了を待ちわびた。


「そのような説明では納得しかねますな。いいですか、王宮庭園のバラは代々赤いバラだったのです。それをなぜ、一部とはいえ白バラを導入するのか、今一度、納得いく説明をお願いしたい」


クソどーでもいいことに公爵はねちねちと絡んでいた。


赤でも白でも、どっちでもいいだろ!


と叫びたい気分だが、爵位のもっとも高い公爵に対してそんな態度が許されるはずはない。


窓の外に目をやると空が暗くなりかけていた。


今から庁舎をでて馬で急いでも、ファンの集いのラスト30分にぎりぎり間に合う程度だろう。


あきらめるしかないのだろうか。


ついつい弱気になってしまうが、なんとかラスト数分だけでもいいので参加したかった。


ベオルグ先生直々のサインをどうしても、なんとしてでも手に入れたくて仕方がない。


ミレイアの気持ちはそんな風に昂るが、もちろん誰も気付くことはなく


「賄賂をまさか受け取ってなどいませんでしょうな。バラの植え替え費用の一部を懐に入れるとか、そのような不届きがあればタダでは済みませんぞ」


カネギ公爵はずっとネチネチやっている。


標的にされているのは気の弱そうな役人で、ちょっと可哀そうだが、公爵をたしなめる勇気のある人間はいなかった。


議場にいる誰もがただただうんざりして時間の過ぎるのを待つだけである。


(ん?)


ミレイアは、この光景に既視感を覚えた。


性格の悪い権力者が我が物顔で振る舞い、周囲をすっかり辟易させる。


この光景は…


そうだ。


ベオルグ先生の傑作『愛は幻の彼方まで』の1シーンだ。


確か我儘な皇太子がネチネチと臣下をいたぶるシーンがあったはず。


腹心たちは皇太子の言いなりになるだけで、臣下いびりを止めようとしない。


図に乗った皇太子はますます増長するのだが、そこでスックと立ち上がる者がいた。


主人公であり、下級貴族のケニーだ。


ケニーはこの時、恋人との結婚を間近に控えていた。


貴族の婚姻には王家の承認が必要なため、皇太子を怒らせるのは絶対に避けるべき振る舞いである。


しかし、ケニーは正義の人だった。


臣下をいたぶる行為に我慢がならず、スックと立ち上がった。


そして皇太子を諫めることを言い、案の定、皇太子の怒りをかうことになり、そこからケニーの悲恋が始まるのだ。


(ケニーは格好よかった)


そう。


ケニーは勇気ある人だった。


自分の事情は差し置いて、人のために体を張った。


それに比べて私はなんと情けない人間なのだろう。


ケニーならこんな時には、きっと…


そう思いを馳せた直後のことである。


ほぼ無意識のまま、ミレイアはスックと立ち上がっていた。


足元で、椅子がガタンとずれる音がした。


(はっ…)


周囲の視線が一気に集まってきた。


(やばい、どうしよう)


ミレイアは焦った。


なんで立ってしまったんだろう。


まずい。


何もなかったフリして、そっと座ろうか。


(いやいや、そういうワケにはいかない)


立った以上は何か言わねば。


えーと、えーと


ケニーならどんなことを言うだろう。


「白いバラの一体なにがいけないのでしょうか。赤いバラにこだわる理由はなんなのでしょうか」


ミレイアは夢中でそう述べた。


カネギ公爵がじろっと睨んできた。


威嚇するような目つきだ。


その目はかなり陰険で、気圧されかけた。


が、ぐっと拳を握りしめ、お腹の奥に力をこめると、じわじわと闘争心が湧いてきた。


(会議をずるずると無駄に長引かせやがって。貴様のせいで、ぷちトマトの会に行けないかもしれないんだぞ)


ミレイアは覚悟を固めて公爵の顔をまっすぐ見返した。




   ◇




ファンの集いの会場は、ある商人から提供された倉庫の一画だ。


ミレイアは会場付近で馬を降り、手綱を木の枝に絡めた。


夜も深まり、時間はもうぎりぎりだが


(どうにか間に合ったわ)


あわやエンドレスかと思えた王宮での会議は取りあえず終わらせた。


明らかにカネギ公爵の不興をかってしまったが、バラに関して正論を述べたら他の役人が加勢してくれた。


その勢いで、強引に会議を進めて終了させた。


公爵は不満そうに顔を歪めたが、にらみつけたら意外と静かになったので、さっさと退室してこの会場に向かったのだ。


ミレイアは持参した衣装と仮面を取りだし、仮装の準備に入ろうとした。


すると


ガラガラ


と音がして、会場の扉が開いた。


中から人が出てきた。


最初は1人、それから若い女性たちが次々に連れだって出てきた。


女性たちは楽しそうにお喋りしながらミレイアの横を通り過ぎていく。


まるで帰路につくような雰囲気だ。


(まさか…)


終わってしまったのか。


ファンの集いの楽しい時間は終わってしまったのか。


そう思うと力が抜けそうになった。


しかし


あきらめるのは早い。


取りあえず会場に入ってみよう。


ミレイアは扉のほうに急いだ。


「団長さまではないですか」


聞き覚えのある声がした。


すれ違った少女が立ち止まり、こちらを見ていた。


エマだった。


(しまった。仮装をまだしてなかった)


エマは友人と2人連れのようである。


その友人になにか言づてをして、ミレイアのほうへやってきた。


「いらしてたんですか」

「あ、いや、その…」

「メイドの方もご一緒ですか」

「いや、そういうワケでは」


ミレイアがどぎまぎしていると、エマが


「きゃっ」


と声をあげた。


ミレイアが小脇に挟んだ本に気がつき


「『あいつと俺の秘密の関係』ですね。団長さまもお読みなったんですか」


まずい、不用意に本を持ち歩いてしまった、と思うがもう遅かった。


今さら隠すワケにいかないので、かなりベタな言い訳だが


「メイドに頼まれてな。ここに来ればサインを貰えるのだろう」

「ああ、そういうことですね」


エマは人懐こい笑顔を浮かべたが、すぐに、あーと空を見上げて


「でもベオルグ先生はもうお帰りになったんです」


残念なことを言った。


「そうなのか」

「ついさっき、馬車で帰られました」

「馬車?もしかして白い車体では」

「そうです。真っ白の素敵な馬車。さすがベオルグ先生ですよね」


なんと。


馬でここに向かう途上、やけに派手な馬車を見かけたが、あそこにベオルグ先生が乗っていらしたとは。


ミレイアは木に結わえた馬を見た。


今から追いかければ間に合うかもしれない。


先生にお会いし、サインを頂けるかもしれない。


そう思った。


しかし


(それはさすがに図々しい)


サインを頂き損ねていくら残念とはいえ帰路に押しかけるのは無礼だろう。


そもそも遅れた自分が悪いのだ。


ここは、あきらめるしかないと自分に言い聞かせるが


「はー」


思わずため息が出た。


泣きたい。


「団長さま。もしよろしければ差し上げましょうか」

「?」

「2冊あるんです。よかったらメイドの方に」

「え」


エマが本を差し出してきた。


「どうぞ」


見覚えのあるタイトルが月明かりにほんのり照らされ煌めいた。


表紙には、黒いペンのなめらかな文字。


「ベオルグ先生のサイン…」


じーっと魅入った。


欲しい。


欲しい。


とても欲しいが


「いや、貰うわけにはいかない。結構並んだのだろう。大事にしなさい」


ああ。


騎士団長として格好をつけてしまった。


有難く貰えばいいのに見栄をはってしまった。


なんで自分はこうなんだろう…


「いいんです。2冊あってもしょうがないし、いろんな人に喜んでもらったほうがベオルグ先生も嬉しいと思うんです」


エマの笑顔がまぶしかった。


きえきら輝いていた。


(なんていい娘なんだろう)


恋愛小説ファンに悪い人間はいないと今さらながら確信させられる。


「本当にいいのか」

「はい」


ミレイアは震えそうな手を伸ばし、本の表紙にそっと触れてみた。


来てよかったとしみじみ思った。


「では代わりといってはなんだが『愛の貴公子』の限定イラストを貰ってくれないか。今度持ってくる」

「え」


エマが両目をくりくりさせた。


「ええー、『愛の貴公子』の限定イラストを団長さまがお持ちなんですか!」


しまった。


不用意だった。


えーと、えーと


「いや、メイドが持っているんだが、人にあげたそうというか…」

「?」


エマが不思議そうに見つめてきた。


その視線を受け止めながら、ふと思った。


なぜ自分は恋愛小説ファンであることを必死に隠さねばいけないのだろう。


好きなものを好きと正直に言えない人生とはなんなのだろう。


「…」


打ち明けてしまいたい衝動が急にこみ上げた。


自分も恋愛小説が大好きなのだと告白したい気持ちが湧きあがる。


衝動が高まり


「じつはな…」


しゃべりかけた。


しかし、ミレイアが口を開くのとほぼ同時に


「本当にいいんですか!頂いていいんですか!」


エマが歓喜の声をあげた。


限定イラストがよほど嬉しいのだろう。


少女の目は輝いていた。


まるで宝石みたいだ。


「ぜひ貰ってくれ。つい勢いで何枚も買ってしまったのだ……メイドがな」


何枚も買ったのは事実だ。


お忍びで本屋に出かけて大人買いしてしまったのだ。


1枚譲ってもまあいいだろう。


「では明日にでも持ってこよう」


そう約束してエマと別れた。


別れ際、思い切ってこんなことを提案した。


「お薦めの小説をメイドが知りたがっているんだが、今度教えてくれないか」


エマの恋愛小説トークを聞くのが目的で、ちょっと姑息だが、言ってみた。


「はい。じゃあ、メイドの方のお薦めもぜひ教えてください」

「も、もちろんだ。聞いておくから、今度教えよう」


おー


変則的だが、これで双方向の恋愛小説トークができる。


楽しみ過ぎるぞ。


帰路、馬の背中でミレイアは浮き浮きだった。


ベオルグ先生にお目にかかれず残念だったが収穫の多い時間を過ごせた。


幸せな気持ちに満たされた。


が、ふと思った。


もしかして、エマは全て気づいていたのでは…


メイドのことは作り話だろうととっくに気づいていながら、話を合わせてくれたのでは。


そんなことを思った。


しかし


(ま、いいか)


人にバレたらバレたとき。


悪さをしているワケではないので恥じることはない。


ミレイアは、幸せな気持ちのまま馬と一緒に夜道を駆け抜けた。

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