6「日々を数えてはなりません。日々を価値あるものになさい」(完結)
悪役令嬢と呼ばれた娘が拳で成り上がる話です。(全6章)
自分がいまどこにいるのかわからない。
底のないプールに叩き込まれたように、上下左右が判別できない。
グルグルとまばゆい光の中にかき混ぜられて、正直言って、気持ち悪い。
目を開けても閉じても光を感じられるが何かが見えるということは無かった。
ただひとつ、右手にエーデルワイスの手と、左手に涼香の手が握られているということだけはわかる。それだけはわかったので、とりあえず成すがままにした。
もしひとりでゲートを通るとしたら、それはそれはひどい体験だろう。
突如。
ゴイン! と体中に衝撃が走る。全身をゴムハンマーで叩かれたようだ。
それを感じたと同時に、様々なことが頭の中を過る。
これから行く先の世界の言語、文化、歴史、法律、風俗、宗教、様々な知識が頭の中に「入って」きて、そしてそれが最初から習得していたかのように自由に「理解」できてしまう。しかしそれに喜びはない。ただただ脳の中に直接書き込まれるようで、やはり気持ち悪かった。
頭の中に流れる知識が止まったと思うと、足元に確かな感触があった。
「ここは?」
目を開くと小さな部屋にたどり着いていた。木造で造りはしっかりしているが、どこか質素で寂しかった。
「ここはバーレイの隠れ家ですわ」
となりを見るとエーデルワイスがピンと線を張ったかのように立っていた。反対を向くと涼香もなぜか同じように立っている。
「隠れ家ってことは、うっ、ウゲェェェェ!」
遅れてやってくる吐き気に耐えきれず僕は床にまき散らした。
「お兄さま、情けないですわ」
「なんで二人は平気なんだ。ゲートはひどいもんだったぞ」
「おーほっほっほ! ピルスナー家の淑女は人前で醜態を晒しませんわ!」
「おーほっほっほ! お姉さまの言う通り!」
「なんで涼香までお嬢様化してるんだよ」
ゲートを通った弊害なのか、この世界に来た弊害なのかわからないが、涼香はピルスナー家の人間としての「ふるまい」に成り切っていた。
「おやおや、そう責めてはなりませんよ。はじめてゲートを通った人間は精神に異常をきたす者すらいるのですから」
バーレイがそうフォローしてくれるが、怖いこというな、おい。
「ともかく、時間軸もズラして決闘直前まで戻ってきました。この小屋から出れば時空が歪んで決闘場まで直に行けます。準備はいいですか?」
「ちょっと待ってくれ、と言いたいところなんだが。吐くもの吐いたらなぜか体がすっきりしちゃってな。すごく体が軽いからもう決闘してもいいぞ」
試しにジャブを放ってみる。現役の三割増しくらいのハンドスピードが出た。
「お兄さま、体中に『ツヨク・ナール』の魔術が常時かかっているよ」
急に涼香がとんでもないことを言う。
「え、なんて?」
「だから魔術がかかっているんだよ。ゲートを通ってこの世界に来たということは、こちらの魔術も全て『理解』しているということ。お兄さまは本能的に自分自身で肉体強化の魔術をかけたんじゃない?」
「素晴らしい! 涼香! この私でも看破に時間がかかったのにすぐに見通すなんて! やはり私とこの世界の魔術を研究しましょう!」
バーレイがひとりで興奮している。
「確かに、言われてみれば自分で自動的に魔術をかけているみたいだ。頭の中にある他の魔術も重ねてかければ、簡単に倒せるんじゃないか?」
そう思って様々な魔術を頭に思い描き、行使した。
「あれ。うまく働かない」
「魔術は知識だけでなく魔力の働きを体で理解し、修練してはじめて行使できるものです。あなたには肉体強化の魔術の才能があっただけで、すぐに他の魔術を使える訳ではないと思いますよ」
「わたくしが日本にやってきた時に苦しんだのはそこですわ。『知っていることとやってみることは違う』というのは、まさにそれですわね」
「なるほどねぇ」
異世界無双とはいかない様子だ。
「信一、決闘のルールや場所などはお伝えしておきますか?」
「いや、頭の中に入っている。大丈夫だ」
「では本当にこのまま行ってしまいますの?」
「あぁ、体が軽くて調子がいいんだ。まるで現役のとき以上だ。このままロマネコンとやらをノックダウンさせてやる」
「ふふ、頼もしいですわね。それでは、ドアを開けますよ」
小屋の簡素な扉を通って出ると、そこにはすでに超満員の観客がいた。
「ワアアアアア!」
決闘を行うための円形闘技場。その観客席には人があふれていた。
闘技場の奥に人影が見える。
「来たわね、悪役令嬢! 今日こそわらわが成敗してくれる!」
小柄で美しい黒髪をした女性がそう叫ぶと、より一層観客たちは叫び、地団太を踏んだ。「殺せー!」「悪は滅べ!」「ピノノワール様!」と、怒号まで聞こえてくる。なるほど、彼女がピノノワールか。
そうすると横に立っている男がロマネコンという訳だが、その姿を見て安心した。
この世界は僕たちの世界に比べれば中世ヨーロッパのような文化水準だ。つまり、食料事情が未発達で、平均身長がそれほど高くない。筋肉も骨格も、もちろん規格外の人間は生まれるだろうが、こちらの世界に比べれば小さい。
ロマネコンが身長二メートル、体重百五十キロの巨漢だったらどう戦おうかと思っていたが、なんてことはない。身長は僕より少し高い程度、体重も多く見積もってウェルター級が良い所だった。
これなら正攻法で勝ちを狙いに行ける。
「あら? そこにいるのは男? あらあらあら、かわいそうな領民を無理やり婿にして連れてきたのね。訓練もしていない下民がロマネコンに勝てるはずないのに! おほほほほほほ!」
おーほっほっほ、じゃないんだな。あれはピルスナー家の女系に連なる笑い方と言っていたから、おほほほほほ、がシャトー家の伝統的な笑い方なのだろう。
「信一、胸中穏やかではないでしょうが相手の挑発に乗ってはなりませんわ」
「いや、なんとも思ってないから大丈夫だ。むしろちょっとおもしろい」
「そ、そうですか。それなら構いませんが」
ドガアン! と銅鑼のような音が響く。
観客席の最上段から聞こえてきた。目をやると王冠を被った国王とその大臣が立っている。
「静粛に!」
大臣が叫ぶ。
「これよりピノノワール・ノル・シャトーならびにエーデルワイス・ルイ・ピルスナーの決闘を執り行う! 代表者、前へ!」
ピノノワールとロマネコンが闘技場の中心へ向かう。僕とエーデルワイスもそれに倣って歩を進めた。
「待たれよ!」
大臣が叫ぶ。
「この決闘ではエーデルワイス・ルイ・ピルスナーには代理決闘者がいないと聞き及んでいたが、その男は誰だ?」
エーデルワイスはそれを聞いて恭しく頭を下げ、ドレスのスカートをつまんで答えた。
「彼の名前は篠原信一。エーデルワイス・ルイ・ピルスナーの魂縁的な妹であるスズカ・シノハラ・ピルスナーの兄でございます」
「なんと、君はひとり娘のはず。妹がいたのか」
「はい、ここに。涼香、いらっしゃい!」
「はーい」
小走りに駆けて来る涼香。
「妹です」
「姿も形も似ておらんではないか。ええい、虚言だとすれば大罪だぞ!」
「いいえ、閣下。涼香は紛れもなくわたくしの妹でございます。涼香、あれをいたしなさい」
「はい、お姉さま」
そして静香はピンと一本線を引いたかのように立ち、手の甲を頬に当てた。
「おーほっほっほ!」
観客にどよめきが起こる。
「なんと! まごうことなきピルスナー家淑女の勝ち鬨! よろしい、スズカ・シノハラ・ピルスナーをエーデルワイス・ルイ・ピルスナーの魂縁的な妹であると正式に認める! よって、その兄である篠原信一を代理決闘者とする!」
「そ、そんなの認めないわ! 何がピルスナー家淑女の勝ち鬨よ! 笑い方ひとつで認められたらたまったものじゃないわ!」
うん、それは僕もそう思う。
「観客のみなさま! それでよいとお思いですか! また悪役令嬢は姑息な手段を用いてみなさまを騙そうと言うのですよ!」
最初は戸惑っていた観客たちだったが、ピノノワールの声で火が付き、やがて爆発してしまった。
「また騙したのか!」「悪役令嬢め!」「取り消せ! 令嬢が戦え!」
大臣は「静粛に!」と叫んでいるが、全く声が掻き消えてしまっている。
「困りましたわね。大臣が正式に認めるとおっしゃっているのに」
「お姉さま、私、ちょっと観客を黙らそうと思います。あれをやるわ」
「ええ、よくってよ」
なんだ、なにをやるんだ。と思っていたら、涼香は片手を上げた。
するとそこに大気中の魔力がグングンと集まっていき、ひとつの球炎となった。
「えーっと」
きょろきょろする涼香。「あ」と何か見つけたようで「えい!」とその手を向けた。
チュン!
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!
遠くに見える山がひとつ崩れ去り、消滅した。
観客はおろか、ピノノワールも、国王も、エーデルワイスも、僕も、目と口を開いて呆然とするしかなかった。
「スズカ嬢!」
どこからともなく飛んできたバーレイがスズカの手を取り感涙する。
「あれは超高等戦略式魔術『テカ・ラビーム・デル』ではありませんか! この世界に来たばかりなのにあんな巨大な魔術を行使できるなんてやはりあなたは天才だ!」
あ、そういう名前なのね。
「バーレイさん、それは後でね」
バーレイの熱い抱擁を上手に避けて涼香は言った。
「うんとね、その、えっと。観客のみなさん、うるさい人はこうします」
それから観客は誰一人、ピノノワールでさえも文句は言わなくなった。
静寂に包まれた闘技場内でむなしく大臣の声だけがこだまする。
「コ、コホン。それでは改めて決闘の続きを執り行う。代理決闘者は上半身を裸にして中央に残りなさい」
「あ、そうだ。脱ぐんだったか」
「えぇ、武器を隠さないためですわ」
「そっかー、現役の頃より少し太ったかも知れないから、恥ずかしいんだよな」
「もう、この後に及んで何を言うんですの! ほら、ロマネコンは脱ぎましたわよ」
ロマネコンは服を脱いで上半身をあらわにしたが、少しワガママボディだった。確かに一般人より筋肉は太いが、あまりにも腹が出過ぎている。パワーで押し切る戦い方をするタイプなのだろうが、あまりにも腹が出過ぎている。
「早く脱いでくださいませ! わたくしが脱がせて差し上げます!」
「あ、ちょっと」
するとスルスルとエーデルワイスは上手に僕のシャツを脱がしてしまった。
「恥ずかしいなぁ」
と言っていると、彼女は両目をガン開き鼻血を垂れ流していた。
「ど、どうした? 大丈夫か?」
「い、いえ。あまりに信一が素敵ボディだっただけですわ」
「素敵ボディって」
「その彫刻みたいな体、わたくしには少し目の毒ですわ」
「そうかなー、太ったと思ったんだけど」
視線が気になって見たら、なぜかピノノワールが僕をガン見して鼻血を流していた。そうか、うん。この世界だったら減量なんて概念はないからな。
なんとなく観客席からの視線も強く感じたので見てみると、女性たちの多くは鼻を抑えていた。こっちの世界で腹筋が割れて見えるほど体脂肪を削っているのは、確かにないんだろう。だけど何十人かにひとりくらい恍惚の表情で僕を見る男性もいたので、身震いした。
「坊主、均整は取れてるが、そんななまっちょろい体で本当に戦えるのか?」
はじめてロマネコンが話しかけてきた。
「あいにくこれしか戦い方を知らなくてね」
「そうか、まぁ、ヤバいと思ったらすぐに倒れて動かないフリでもしとけ。俺は別に人を殺したいわけじゃねえんだ。殺されてくれるな」
「そうかい、ありがとうよ」
なんだ、ロマネコンは割といいやつじゃないか。
「それでは決闘をはじめる。ロマネコン、篠原信一、両名共に正々堂々と勝負をするように」
「おう!」
「はい」
エーデルワイスや涼香、向こうはピノノワールが決闘場の待機場所につくと、また銅鑼のような音がドゴオン! と鳴った。
さて、僕は僕のできること。ボクシングをしよう。
「信一! がんばってくださいまし!」
「お兄さま、がんばってー!」
「お兄さま、スズカ嬢を後で説得してください!」
不穏な一名がいたがそれを無視し、ありがたく声援をいただく。
「じゃあ、坊主、俺から行くぜ!」
ロマネコンは特に工夫もなく僕に突っ込んできた。
「オラ!」
大ぶりな右の一撃。
「ソラ!」
大ぶりな左の一撃。
どれもスウェーバックで簡単によけられる。肉体強化の魔術が効いているのはわかるが、あまりにも攻撃が単調過ぎて驚いた。
「へへ、やるじゃねぇか。そんじゃ、本気を出すぜ」
「オラオラオラ!」
力任せに拳を振り回すだけの攻撃。確かに、殴り合いに慣れていないのであればロマネコンのプレッシャーに圧され、こんな力任せの攻撃を受けてしまうだろう。力任せだからこそ一撃受ければ想像以上にダメージを受け、あとは相手のペースに乗せられる。
だがそんなものは、ボクシングの敵ではない。
僕はロマネコンの猛攻を寸での所で避け、躱し、時には手で弾いてずっとやり過ごしていった。しかし観客には僕が防戦一方に見えるらしい。ロマネコンを応援する声ばかりが響く。
「どう、した。よけてばかり、じゃ、俺は、倒せねぇ、ぜ!」
挑発が多くなってくる。息も絶え絶えだ。
実は拳闘において最もスタミナを消費する行為は回避運動ではなく「パンチが空振りすること」だ。頭の中で当たると思っていたパンチが外れると、余計な運動も加わるし、なにより脳が疲労する。脳が疲労すると心肺能力だけでなく判断力が低下してくる。
僕はその科学的な理論に基づいてボクシングを組み立てる。つまり、相手の体と脳のスタミナを十分に奪って、それからカウンターで沈ませるのだ。
気づいた時にはもう遅い。ロマネコンは僕の術中にはまっている。
「うおおおお!」
ロマネコンは怒号と発奮によって一時的に疲労をまぎらわせる。ここまで行くともう最後だ。もう判断力も残っていない。
「オラアアアア!」
ボクシングでは見られない拳を縦に振り下ろすアームハンマー。だが僕はそれを冷静に見極め、右にステップを踏んで躱し、顔に左ジャブ、右ストレート、ボディブローに、最後はアッパーを決めた。
このコンビネーションはボクシングにおいて基本中の基本だ。だが基本だからこそ的確にヒットさせれば絶大な威力を発揮する。
ロマネコンは一瞬棒立ちになったが、硬直したまま後ろへ倒れた。
あの倒れ方なら立ち上がることはできないだろう。
控室からピノノワールが飛んできた。
「ロマネコン! ロマネコン!」
意識はかろうじて残っていただろう彼は、頭だけ起こして言う。
「すまねぇ、お嬢。もう立てねぇや」
「このクズ! クソ! なにが王国最強の騎士だ! この恥さらしの豚野郎が! こんな彫刻みたいな美しい男に負けるなんて! お前なんか婚約破棄だ!」
「お、お嬢?」
「あー、いい。もういい。結局は私がやるしかないのよ」
そう言ってピノノワールは立って観客席へ叫んだ。
「みなさま! ロマネコンは『卑怯な方法でやられた』と言っています! またです! また悪役令嬢は卑怯な手を使って不当に勝とうとしたのです!」
ピノノワールはそう訴えるが、先ほど涼香が山を消し飛ばしたのを見た手前、強く応える者はいなかった。
「沈黙とは肯定! 閣下、再戦を要求します」
大臣は大きく頷き答えた。
「しかし周囲から見ていれば篠原信一が卑怯な行為をしたようには見えませんでしたぞ。逆に、我が国には存在しない流れるような美しい技を行使したように見えたが」
「それです閣下。決闘とは殴り合い。その殴り合いに技術は不要! 技術を用いることこそが卑怯だと言うことです」
「なるほど。理解しました。再戦を受け入れます。しかし、篠原信一がまた同じ技術を使って倒したとしたら、それはロマネコンの力量不足として負けを決定致します」
「それで重畳」
「では両者ともに控室に戻りなさい。再戦は一フント後とします」
僕は自分で歩いて控室に戻ったが、ロマネコンは罵倒を受けながらピノノワールに担がれて戻っていった。一フントはこちらの世界でいう十分のことだが、その時間で多少は回復しても、また同じように戦えるとは到底思えない。
「信一! すごいですわ!」
エーデルワイスが抱き着いてくる。
「うわ、ちょっと待て。さすがに恥ずかしい」
「でもでもでも、あのロマネコンに圧勝するなんてこの世界で信一しかできませんわ!」
「いや、うーん。ロマネコンさんは戦い方が原始的なだけで、鍛えたらいい線いくと思うんだよな。彼にもボクシングをやってもらいたいね」
「まぁ、敵にまで称賛を与えるなんて、マジで素敵すぎて鼻血ですわ」
「それはまた今度にしてくれ」
控室の奥ではバーレイと涼香がリャンギ、将棋のようなテーブルゲームをはさんでうんうんと唸っていた。なんだこいつら、僕が決闘してんのに遊んでいたのか。
「あぁ、違いますよ。確かにリャンギは遊びにも使えますが占術にも使えるんです」
「私もそれを習っていたところ」
「そうだったか。で、まさか僕が負ける未来でも見たか?」
そう言うとバーレイは深いため息をついて言った。
「違います」
「じゃあ当然勝つ未来?」
「違うんだよ、お兄さま」
「じゃあなんだってんだよ」
「見えないんですよ。未来が」
「まぁ、占いだからそういうこともあるよな」
「それが違うんだよね、お兄さま。バーレイさんの確定占術で未来が見えないことはふたつあって、ひとつは自然現象。だから天気予報はできないの。で、もう一つが重要なんだけど、それは『誰かの魔術で妨害されている』場合なんだ」
「誰かって、誰だよ」
バーレイはリャンギの駒を片手でジャラジャラしながら投げやりに答えた。
「おそらく魔女ですね」
「魔女?」
「シャトー家の専属魔術師ですわね」
エーデルワイスも話に加わる。
「その魔女がなんで妨害なんてしているんだよ」
「シャトー家の魔女は代々はじまりの貴族であるシャトー家専属の魔術師ですが、シャトー家が生まれてから今日に至るまでただひとりが仕えているのです」
「えぇと、シャトー家って古いんだろ? ひとりってどういう意味だ?」
「文字通りひとりです。魔女は若返りの秘薬を使って数百年ずっと若さを保ち続けています」
「へぇ。そりゃあ皆勤賞だ」
「話はそう簡単ではありませんわ」
エーデルワイスにたしなめられる。
「あまり表立ってはおりませんが、魔女はシャトー家で代を重ねるごとに力をつけていき、今では実質的な支配者となっている、という噂があります。その真偽はさておき、いまバーレイが確定占術を使えないということはやはり魔女の妨害があり、そして魔女が何かしようとしている、ということですわ」
「闘いの最中に僕を魔術で攻撃する、とかか?」
バーレイが難しい顔をする。
「可能性は否定できませんが、そこまで露骨なことをすればさすがに国民の目がありますからね」
「えぇと、ひとつ可能性の話をしてもいいかな?」
涼香がおずおずと自信がなさそうに手を上げる。
「スズカ嬢! あなたはもっと胸を張るべきです! さぁ、なんでも話してごらんなさい! きっとあなたのご慧眼は全てをお見通しですぞ!」
涼香の才能に惚れ込んでくれるのは嬉しいが、これだとバーレイがスズカ教になりそうで怖い。
「えっと、魔女さんはおそらく薬を使うと思うよ」
「なんと!」
「見た限りロマネコンさんはあまり魔術の才能が無いようだよね。少しでもあったらお兄さまのように肉体強化でも防御力上昇でも、何かしら自分に魔術をかけると思う。それをしなかったのは、よほど自分に自信があって、かつそれで敵を倒し続けてこれたってこと」
「それで、なぜ薬なのです?」
スズカ教信者のバーレイは早く早くと捲し立てる。
「そんな人に魔術をかけたら返って肉体と脳と精神がズレてしまって、うまく動けなくなるはず。と言うか、そういう歴史があったことをゲートが証明してくれた。だから、薬、もっと言うと麻薬で痛みも苦しみも感じない身体にさせてくると思うよ。魔女さん、薬の調合が得意そうだから」
「……涼香の言うこと、どう思います?」
素晴らしいぃぃぃ! と狂喜乱舞するバーレイを尻目にエーデルワイスが僕に訪ねて来る。
「うーん。説得力はあるし、実際にそうなったら厄介だな」
「信一のボクシング技術で倒す術はありますの?」
「ん? あるよ」
「こともなげに言うとか惚れてしまいますわ」
「それは、後にしてくれ。とにかく、そういう心算でいよう」
遠くで銅鑼が鳴る音が聞こえた。いつの間にか一フント経っていたようだ。
「行ってくる」
「お気をつけて」
「お兄さま、がんばってー」
「素晴らしいぃぃぃ!」
なんとも間の抜けた面々だったが力は出た。
再び闘技場に戻ると、観客たちは一様に混乱していた。
全てを聞き取ることはできないが「あれは騎士団長の負けだろう」「あの連打の技術はなんなんだ」「なぜあれで決着としなかったのか」と、観客の中でもこちらを擁護するような声も聞こえてくる。
一方で僕の姿を見るなり「死ねー!」「悪役令嬢の手先!」「抱いてー!」と、声の大きい者はやはりそういう者だった。最後の声は女性だったらまだ良かったのだが、野太い男の声だったので身震いした。
ロマネコンはゆっくり歩いてきた。余裕がある感じではなく、走れないことを隠しているようだ。自分で言うことでもないが、あれだけの拳をまともに受けて平静を取り繕っているだけ、なかなかの根性とも言える。
ピノノワールはあれほどロマネコンを罵倒していたのにも関わらず国民や国王の前では笑顔を振りまき、そしてドレスを翻して叫んだ。手にガラスの器を持っている。
「みなさま! ここにあるのは生命の水! 農業を司るはじまりの貴族シャトー家が、全ての農地から一滴ずつ集めた奇跡の水! これに魔術はかかっておりませんが、神のご加護を得られる水です! どうかロマネコンにこれを与える許可をくださいませ!」
農地から集めた水とあって、観客たちは湧いた。
「よろしい。代理決闘者に水を飲ませることを許可する」
大臣もそう答える。
「ありがたき幸せ!」
そしてピノノワールはロマネコンにガラスの器を押し付け「飲まなかったら騎士団長を解任させるわ」と小声で言った。
サッと青くなったロマネコンはその水を一息に飲む。
途端。
「うおおおおおおおおお!」
ロマネコンが吠えた。
「おほほほほほ! 効いたようね。それじゃあ、私は控室へ戻るわ」
颯爽と逃げていくピノノワール。
「ふしゅう、ふしゅう、ふしゅう」
湯気でも立ち上りそうに鼻息を荒くし、ロマネコンは血走った目で僕を見る。
「体が、体が熱い! どうにかなってしまいそうだ!」
「あー、やっぱり麻薬なのね」
「うおおおおおおおおお!」
事態を察したのか開始の銅鑼が急いで慣らされた。
「おおおおお、らあああ!」
薬を飲んだからと言って殴り合いの技術が上がる訳ではない。ロマネコンは先ほどと全く変わらず突進してきて、両腕をぶんぶん振って殴りつけてきた。
だが、身体能力の制限を外しているのか、そのスピードは激しい。左右のフックをストレートの速度で放ってくる。
かすっただけでもガードを持っていかれると思い、大きくスウェーして後退していく。しかし追撃が素早い。反応速度が尋常じゃない。
次第に僕は広い闘技場の壁際に押し込められていった。
声の大きい観客たちは「そこだ!」「追いつめたぞ!」「今度こそ殺せ!」と物騒な声を上げているが、わかっちゃいない。追いつめたのは僕の方だ。
「おらああああ!」
ロマネコンは真っすぐにパンチしてくる。
そう。「真っすぐ」にパンチする他ないのだ。僕の背後は石の壁。ボクシングのリングじゃロープ際でも空間が広がっているが、背後に壁がある状態で横殴りはできない。
そして真っすぐに打ったパンチを避けるとどうなるか。
グチャ!
という嫌な音が響いた。
「キャー!」「うわぁ」「ひ、ひでぇ!」と観客からも心配の声が聞こえる。
いくら薬で身体を強化したからと言って漫画やアニメではないのだから、強固な石壁を砕くことなどできない。それは筋力という以前に「骨」や「皮膚」が持たないのだ。
ロマネコンの左拳はグチャグチャに潰れ、皮膚から骨が飛び出て血まみれになっていた。
「おおおおおおお!」
それでも痛まないのが、止まらないのが薬物作用の恐ろしい所だ。本来ならここで決闘は終了しただろうが、ロマネコンは残った右手で殴ってきた。
これも避けて彼の拳を潰しても良かったのだが、僕にはそこまでできなかった。ロマネコンはおそらく、どちらかと言うと被害者だ。ピノノワールとのやり取りを見ていてもわかる。彼がいくら騎士団団長といえど貴族の権力には敵わない。
そしてロマネコンの人柄はそんなに悪くなく、違う出会い方をすれば友達になれたんじゃないか、なんて脳裏をかすったのだった。
「右手を潰したら聖なる儀式ができないもんな!」
僕は左手を脱力させ鞭のようにしならせて左フックを打った。その拳はロマネコンの顎の先端をかすめた。
「あ?」
ロマネコンは振り上げた右手をそのままに、その場に九の字で倒れた。
痛みもなく、持久力も無尽蔵なら一撃で倒さなくてはならない。ボクシング技術ではそれができる。脳を揺らすのだ。そこに耐久力や忍耐力なんて個人の差はなく、無条件で誰もが倒れる。顎の先端に打撃を加えれば脳は簡単に揺れる。
彼を優しく葬るにはそれしかないだろうと、涼香の話を聞いてから思っていた。
倒れてからピクリとも動かなくなったロマネコンを見て大臣は言った。
「それまで! 決闘の勝者はエーデルワイス・ルイ・ピルスナーの代理決闘者、篠原信一!」
「ロマネコン!」
ピノノワールが控室から飛び出してくる。
「ロマネコン! ロマネコン!」
愛する婚約者が打ち倒され抱擁するのかと思いきや、ピノノワールは彼を足蹴にした。
「このダボがぁ! せっかくミード様にいただいた薬をダメにしやがって! 二度も負けたら言い訳できんやろうがぁ!」
先ほどまでは観客にわからないように演技していた彼女だったが、土壇場にきて地が出てしまったようだ。ロマネコンを蹴り、踏み、聞くに堪えない罵倒の数々を並べていく。
それを見た観客たちは一様にみな困惑していた。
周囲の変化にピノノワールは気づいたのか、はっとした顔をして柔らかい笑みを向けた。
「あは! みなさま申し訳ありません! お見苦しい所をお見せしました! 今日はロマネコン様の調子が悪かったみたいで、また後日決闘を再開させていただきますね!」
「そうは行きませんことよ」
控室からエーデルワイスがピンと一本線を引いたかのように歩いてきた。
「なんですって!」
そういうピノノワールを無視し、彼女は国王と大臣の方に向いて片膝をついた。
「国王様。大臣閣下。この決闘では『お互いの取り仕切る全ての権利』を賭けられております。いかがでしょうか」
大臣は国王の方を見て、国王が何も言わないのを確認してから言った。
「そうである。そのため今後、シャトー家が取り仕切った農業の権利その全てをピルスナー家に譲渡するものである」
「ピルスナー家当主エーデルワイス・ルイ・ピルスナーはその権利を放棄し、さらにその権利をシャトー家へ譲渡いたしますわ」
「なんと?」
大臣も観客も一斉にどよめく。
「長く商業が卑しい仕事だと思われましたこと、それはピルスナー家代々の努力不足。国民に悪役令嬢と呼ばれしはわたくし個人の努力不足。主役令嬢ことピノノワール・ノル・シャトーが国民感情を汲んで決闘を挑んだこと、それはピルスナー家当主たるわたくしエーデルワイス・ルイ・ピルスナーの不出来によるものです。わたくしは商業を一から立て直し、国民の皆様に安心して流通を利用していただくことをここに誓いますわ」
「し、しかし決闘の結果は……」
たじろく大臣をよそに、観客たちからはまばらに拍手が起こった。
「悪役令嬢ー!」「良く言ったわ!」「素敵だー!」
「エーデルワイスはそれでいいのか?」
「えぇ、良くってよ。それより信一、早くこの場から去りましょう」
エーデルワイスは僕の腕をひっつかんで走り出した。
「どうしたって言うんだ急に」
「このままでは議会にかけられて無理やりシャトー家の権利を押し付けられてしまいますわ! 国民が湧いている今、とんずらこいて議会に口出しできないよう逃げるんですわ!」
「そういうものなのか?」
「行きますわよ! 信一!」
そうして僕は控室に戻り、バーレイの魔術でエーデルワイスの城へ転送された。
二日経ったそうだ。
その間、バーレイは城に魔術をかけて誰も出入りができないようにしていた。
僕と涼香は中世ヨーロッパ風の建築物で生活ができることを最初はよろこんでいたが、食事とトイレと寒さには参ってしまった。
食事は基本的に風味を感じられないほど質感のないパンと野菜くずを煮た味のないスープ。トイレは、どうやらエーデルワイスの強い要望で専用の部屋を作ったそうだが、それでも壺のような容器にするもので衛生面がひどい。石でできた城は冷たく隙間風がひどかった。
僕もそうだが、涼香はこの世界における魔術知識を全て習得したため、バーレイと四六時中なにか議論していた。涼香は魔術の才能が極めて高いらしく、バーレイは涼香の一挙手一投足全てに「素晴らしいぃぃぃ!」と恍惚な表情をして書物に書き込んでいた。涼香も魔術の研究は楽しいらしい。
僕は、だいたいエーデルワイスと一緒にいた。そして赤茶を飲んで一緒に色々なことを話した。僕が闘技場でやったボクシングの技術なんかも話したが、多くはこの状況についてだった。なぜシャトー家から権利を奪わなかったのか。なぜあの場からすぐ逃げたのか。
エーデルワイスの話ではこういうことだった。
現在、ピルスナー家に仕える人間は三人。ひとりは執事のカスクさん。もうひとりはメイドのアイラさん。そして専属魔術師のバーレイ。カスクさんとアイラさんは軍属上がりだそうで、この騒動が起こってからカスクさんはシャトー家の、そしてアイラさんは王国の密偵を行っていた。
そこで発覚したのはシャトー家と王国上層部の密接なつながり。
決闘はシャトー家と王国上層部で内々に決められたものであり、王国上層部側はシャトー家がピルスナー家を吸収することを望んでいた。
当初こそ「同じ日同じ時間に生まれた令嬢」を持って融和を狙っていた国王一派だったが、それが敵わないのであればシャトー家が全てを取り仕切った方が手早いと思ったらしい。
おそらくその考えはまだ変わっておらず、あの場でエーデルワイスが勝ち名乗りを上げれば一旦はシャトー家を接収できるだろうが、謀反を企てたとか因縁をつけて国王一派がピルスナー家を取り潰す恐れがあった。
だからエーデルワイスは権利を放棄し、国民感情がまだ温かい内に逃げることで権利を一方的に押し付けられることを避たということだった。
エーデルワイスは勝ったのにも関わらず自分に非があったと国民に伝えたため、こうして城に籠っている間に国民は勝手にピルスナー家を持ち上げて自分が言った通りのことになるだろうという目算があるらしい。
「あぁ、あと、ピノノワールも何とかしなくてはなりませんわね」
「あのお嬢様をか? 結構救えない感じだったけどな」
「カスクの報告ではまだ情報不足ですが、ピノノワールも長年シャトー家専属魔術師ミードに操られていたとみる方が妥当ですわ。それだとあの子がかわいそうですから」
「それが本当なら、そうだなぁ。あ、ロマネコンはどうなるんだ?」
「そうですわねぇ。ロマネコン自身に何か追及されることはありませんけれど、おそらく騎士団団長は辞任するでしょう。その後は、領民に戻って畑を耕すか流浪の旅に出るかですわね」
「僕はロマネコンも救ってやりたい」
「信一がそう言うなら、わたくしができることはやりましょう。あら、もうカップが空ですわ。赤茶のおかわりはいかが?」
「もう四杯目だからいいよ」
「遠慮しなくてもいいじゃありませんこと」
「美味しいんだけど、結構キツい味だよこれ」
「そんなんじゃ貴族になれませんことよ」
なんて、平穏に過ごしていた。
三日後。
国王一派の特使が来たということでバーレイは城の魔術を解き開城した。
僕はただの代理決闘者であっただけなのでさすがにその会合には参加できなかったが、なぜかちゃっかり涼香は魔術師見習いとして参加した。
会合はものの数十分で終わり、特使は帰っていった。
「どうだったんだ?」
「お兄さま、大出世だね!」
「え?」
「わたくしも鼻が高いですわ!」
「え?」
「私もスズカ嬢の師として兄のあなたを祝いましょう!」
「えぇ?」
つまりどういうことかと言うと、僕はビアー国の騎士団団長に抜擢された。
特使が言うには、本当はシャトー家の権利を全て譲渡されるのが筋だが、国民感情的にそれをやるとマズいので今回は見逃す。あと、あの代理決闘者がめちゃくちゃ強かったからうちの騎士団の団長としてよこせ。
ということだった。
「なんだよそれ。それでOKしたのかよ」
「えぇ、ばっちりしましたわ」
「僕には元の世界の生活もあるんだぞ」
「そうですわねぇ。これは政治的な駆け引きでもあるのです。つまり、信一は騎士団団長でありながらピルスナー家の人質でもあるのですわ」
「どういうこと?」
わざとらしいため息をつきながら涼香が言う。
「お兄さまは本当におバカだね。国王一派は本当ならピルスナー家にシャトー家の権利を預けて、その上で謀反の疑いをかけて取り潰したい。でもそれができなくなった。じゃあピルスナー家の人間をうちの預かりにして、何かあったら文句をつけて取り潰してやる。そういうことだよ」
「おいおい、なおさらそんなことできる訳ないだろ」
「でもロマネコンを副団長にする条件で飲みまわしたわ」
「それ言われると弱いなぁ」
すうっ、と息を吸い込んで叫ぶようにエーデルワイスが言った。
「今日は宴ですわね!」
「複雑な心境だが、それは楽しみだ」
「でも誰が料理を作るの? 私はあまり得意じゃないよ」
「私の魔術では料理はできませんよ?」
「決まっているじゃありませんか。領民のみんなに手伝ってもらうんですわ!」
「祭りか!」
「感謝祭だね!」
「歌と踊りはお任せください!」
それからエーデルワイスは領民たちに祭りの準備をさせ、その夜は食べ、飲み、歌い、踊り、楽しいひと時を過ごした。たいがい満足したが、バーレイの歌を誰も聞いていないのだけは少しかわいそうだと思った。
次の日。
僕と涼香はこの世界の魔術の知識を全て知っているので、ゲートを作って元の世界に戻ることにした。ただ、僕はあまり魔術の才能がないらしく、ほとんど涼香に作ってもらった。
「異世界転移の魔術って便利だねぇ。他の世界も色々と旅してみようかな」
「そうだなぁ。僕は白い砂浜と青い海の世界がいいな」
「沖縄でいいじゃん」
「異世界ってところがいいんだよ、異世界ってのが」
などと話していると、エーデルワイスが近づいてきて何かを渡した。
「これは?」
小さな木製の箱の中に何かの種のようなものが入っている。この世界の知識の全てが頭に入っているはずだが、これが何の種なのかわからなかった。
「花の種ですわ」
「しかし、何ていう花だい? この世界の花じゃないだろう?」
「エーデルワイスという花の種ですわ。日本にいた時にわたくしと同じ名前の花だと知って種を買っておきましたの。もしいつかこの世界に戻る日が来たら、この種を植えてから死のうと。そう思っておりましたが、そうはならなくなりました。こちらの土に合うかどうかわかりませんから、そちらの世界で咲かせてください。できれば写真を撮ってきていただけたら嬉しいですわ」
「へぇー。うん、わかった」
「ふふ、それでは旅立つ前に何か言い残しておくことはありますか? まぁ、信一はビアー国の騎士団団長でもありますから、何度もこちらに戻ってきてもらわなければ困りますが」
「あぁ、それな。それなんだけど少し考えてさ」
「やめるのですか?」
「いや、兼任でいいか?」
「どういうことですの?」
「元の世界でプロボクサーを目指そうと思ってさ」
「信一、それって」
「あぁ、色々なことがあって、エーデルワイスと拳姫のこととか、ロマネコンとの決闘とか。いや、本当は前から決心してたんだけど、僕は元の世界でプロボクサーになることに決めたよ」
「うふ、うふふ!」
「な、なんだよ」
「素直に嬉しい時は、こうやって笑うものですわ!」
そう言ってエーデルワイスは僕に抱き着いてきた。
「お兄さま、行くよー」
「あぁ、わかった!」
このままだとゲートが自然消滅してしまう。急いで向かわなければ。
「じゃあ、行ってくるよ。エーデルワイス」
「えぇ、信一。また明日」
「いや明日はさすがに難しい」
「毎日会ってくれなきゃ嫌ですわ」
「めんどくさい彼女かよ」
「もうお兄さまー」
「はいはい」
僕はゲートに右足を突っ込んで、徐々に半身まで浸かってから振り向いてエーデルワイスに言った。
「また明日」
そうして彼女は満面の笑みで答えた。
「えぇ。待っていますわ」
まさかこの時、彼女が、エーデルワイスが、そして、こちらの世界では悪役令嬢と呼ばれ蔑まれた異端の娘が掴んだ栄光が、こんなに小さな幸せだったとは、誰もが思いもしなかっただろう。
そして僕は、これから彼女がもっと大きな栄光を拳で掴んでいく姿をみせつけられるのだった。
6/6章 終了
この話はこれで完結しますが、続きが書けるようにも設定しています。
もしご感想やご意見がいただければ続きを書くつもりです。