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2「想像力のない淑女は翼がないですわ!」

悪役令嬢と呼ばれた娘が拳で成り上がる話です。(全6章)

はい、夢じゃありませんでした。

 彼女はごく普通に起きて僕を起こし、一緒に階段を下りて家族と一緒に朝食を食べました。箸も持ってたし、納豆もキレイに食べておりました、はい。

 エーデルワイスが来た翌日は土曜日だったので、朝食の後は家族総出で買い物に行った。目的は彼女の日用品と服と靴を買うためだった。彼女は着のみ着のままこの世界に、彼女からしたら異世界にやってきたので、ドレスとハイヒール、あとは指輪が少しとティアラと扇子しか持っていなかった。

「転移するならもう少し用意しておけばよかったんじゃ?」

 という僕の問いに。

「あの時は緊急でしたの」

 と言っていたので、どうやらそんな暇はなかったようだった。

 まぁそんな訳だから買い物にももちろんドレスの恰好で行ったが、特に奇異な眼差しは受けずスムーズに終わった。世界均衡の理とやらが働いているのだろう。

 服は涼香が大喜びで選び「こんな平民のような服なんて嫌ですわ!」と言うと思っていたエーデルワイスはすんなりこの世界の、日本の平服というものを受け入れていた。

「町娘のようでかわいらしいですわ!」

 と、ワンピースがお気に召したようで涼香に言われるがまま買っていた。

 しかしどうにも、その金髪縦ロールの髪型にシンプルな服は相対的に地味に、もっと悪く言えば浮いて見えてしまい、決して似合ってはいなかった。

 どうやら下着も何着か買ったようだが、そこは着いて行っていないのでわからない。

 後は歯ブラシとかタオルとかちょっとした化粧品などを買い、帰りにコーヒー店のスターボックスへ寄った。

「オレンジモカグラペチーノノンファットミルクバレンシアシロップ追加ですわ」

 ごく自然に難しい注文をするエーデルワイスに家族は「さすがイギリス出身ね」などと構えていたが、僕には強烈な違和感が残った。

「なぁ、よくよく考えたらさ、君ってこの世界に最初からなじみ過ぎじゃないか?」

「あら、そうでしょうか?」

 元の世界がどのくらいの文明だったかは知らないが、普段着ていたドレスや貴族だったということを察するに近世に近い中世ヨーロッパ地方の水準のはずだ。それにも関わらず、このような大型商業施設や秩序だった人間の営み、最初にテレビを見た時も特別驚きもしなかったところを見ると、実はこの世界に近い水準の文明からやってきたのかも知れない。

 そんなことを聞いてみると。

「いえ、貴方の推察でおおよそ合っていますわ。わたくしの世界はこの世界でいう近世寄りの中世ヨーロッパに近い発展を遂げております。この世界は私には驚きの連続ですわ」

「なんでこの世界のヨーロッパとかわかるんだよ」

「えぇ。ゲートを通る時にあらかた頭の中に入ってきましたの」

「ゲート?」

「異世界に転移する際に通る穴のことですわ。バーレイが言うには、そこを通ると繋がる先の世界の言語、文化、歴史、法律、風俗、宗教、ガンター×ガンターがいつ連載再開するかなどの知識が勝手に頭の中に入ってきて自然と習得することができるらしいですわ」

「おい、最後のすぐ教えろ。いますぐ教えろ」

「そのような経緯ですから、わたくしも貴方とこうして普通にお話できるのですわ」

「異世界から来たはずなのに妙になじんでるから、やっぱり頭のかわいそうな娘だったんじゃないかと思い始めていたんだ」

「誤解が解けて重畳ですわ。ちなみに私の世界のビアー国ではバクガ語という言語を使用していたのですよ。この世界でいうとドイツ語に近いですわね」

「え、ドイツ語わかるの?」

「おそらくゲートを通った際にこの世界の言語は全てマスターしていますわ」

「おいおい、僕にも通らせてくれよ」

「ふふ、おかしな人。あんな酷い体験、他にありませんわよ?」

 なんてやり取りがあったが、これは本当に嵐の前の静けさだった。

 僕はエーデルワイスが世界均衡の理の力のせいで「交換留学生」として認識されていることを忘れていた。そう、本当に僕はバカだったのだ。


 一週間は特に何もせずに生活していた。

 僕は学校へ行き、その間、エーデルワイスは僕の部屋で何かをやっていたようだったが、それが何かは知らない。テレビゲームやスマートフォンの知識はあるが、習慣がないため、それで暇を潰そうとはしていなかったようだ。

 ただ、風呂上がりの彼女を見るのは本当に目に毒だった。美しい。美しいということはすごいことなんだと思い知らされる。モデルやアイドルを軽々と凌駕するその美貌は、僕の心臓に悪かった。しかも同じ部屋の僕のベッドで寝るのでいやらしい気持ちも重なり、エーデルワイスがいるから聖なる儀式もできず、僕は悶々と、もう悶々とただ鼓動が激しい心音を聞いて寝なければならなかった。

 寝る間際、彼女はポツポツと、たぶん暇潰しに、自分が生まれ育ったビアー国の歴史を話してくれた。


 ビアー国は国王の祖先が建国した国で、その歴史は神話のように語り継がれている。初代国王エールは民が安心して暮らせる強い土地を求め歩いた。水はけがよく、山のふもとにあり、温暖よりは寒冷を、湿潤よりは乾燥を理想とした。これは堅固な城砦を作るのに適した気候で、エールは強力な軍団を組織することで国を守ろうと考えていた。

 ある日エールは旅の途中、理想の土地に出会う。しかしそこは神が住まう土地でもあった。エールは神にその土地を譲ってもらうよう請う。

 神は条件を出す。もう一度世界を旅し、その旅の中で「一度も空腹になったことのない者」からギガマギの穂、この世界でいう大麦に近いらしいが、を譲り受け、それを自分に渡せば土地を譲るということだった。

 エールはその後、二十年の時をかけ世界を旅し「空腹になったことのない者」を探すが見つけられず、再度その土地を訪れる。そして「そのような者はこの世界にただの一人もいなかった」と神に告げ、土地を諦めると言った。

 しかし神は「君にそれを知ってもらいたかった」と言い、土地を去る。

 こうしてエールは軍事力に偏らず「民に空腹を与えぬ国」を理念と掲げ、その神の名前から土地の名をビアー国と定め、永世国家として世界に名を轟かせた。


「そのような訳で、ビアー国では農耕や牧畜といった産業が一番尊い労働だとされていますわ。わたくしのように商業を取り仕切っているのは下賤に思われてしまいますのよ」

「ふーん、そっか。たいへんだったな」

「えぇ、たいへんだったですわ」

「ところでさ」

「なんですの?」

「そのさ、髪、下ろさないの?」

 下ろした方が似合っているよ、かわいいよ、なんて言えず。妙に後ろめたい気持ちでそう尋ねてみた。

「あぁ、私の平素の髪型ですわね」

「ま、まぁ。その、それに毎朝セットするのたいへんだろ?」

「いいえ、セットはしておりませんのよ」

「え! じゃあどうやって」

「六歳の誕生日にバーレイにお願いしたのですわ。毎朝同じ髪型に自然と元に戻る魔法をかけてもらいましたの」

「あ、あぁそういうことね」

 僕が起きたらすでにその髪型になっているのはそれか、と残念に思う。

「ドレスには似合いますが、平服には似つかわしくないのはわかっております。この世界では少々浮ついている、ということも。貴方も、そうおっしゃりたいんでしょう。この世界に合わせてこの魔法も解こうと思えば解けるのですが、いまのわたくしにはできません」

「どうして? 下ろした髪、似合ってるのに」

 会話の流れですんなりと言ってしまったが、恥ずかしかった。

「この髪型はお母さまと同じですのよ。もう戻れないあの世界とわたくしを繋ぐ、唯一の証ですわ」

「……そっか。ごめん」

「おーほっほっほ! あやまる必要はありませんわ! それに、淑女の髪を褒めるだなんて貴方にも殊勝な心掛けがあったのですわね!」

「その甲高い笑い声はどうにかならんもんかね」

「お生憎様! ピルスナー家の女系に代々続く勝利の勝ち鬨ですわ!」

 いくら美しいと言っても突然響くその笑い声だけはどうしても慣れず、まるで少女漫画に出てくる悪役のお嬢様みたいでせっかくの品位が台無しだと思ったが、なるほど代々続く伝統的な笑い声だったらしい。

 その後、どちらともなく黙ったのでそろそろ寝るのだなと思ったが、不意に「ありがとう」と聞こえたので耳を澄ますと、すでにエーデルワイスは寝息を立てていた。聞き間違いではないだろうが、何に感謝されたのかはわからない。


 次の日、いつものようにエーデルワイスに起こされると異様な光景を目にした。

 彼女が、ブレザー服を、うちの高校の制服を着ていたのだ。

「な、な、どうした、それ」

 一気に眠気が吹っ飛び、凝視してしまう。

「あら、わたくしも今日から貴方と同じ学校とやらに通うのですよ?」

「そんな、聞いていないぞ!」

「わたくしは交換留学生とやらで世界の均衡を保っていますから、通わなくてはならないと思いますわ」

 サーっと血の気が引いて毛布を剥ぎ、一気に一階まで降り立った。

「母さん、あいつも一緒に学校に通うって本当か!」

 朝のワイドショーを見ながらクッキーを食べていた母にそう問い詰めると、ものすごくかわいそうな子を見る目で返答された。

「エーデルワイスちゃんは交換留学生よ? そりゃ行くでしょ。時期外れだから制服ができるまで一週間もかかったのはちょっと痛かったわねぇ」

 だからか。だから一週間は何事もなくネコ型ロボットみたいな生活をしていたのか。

「いや、まぁ。うん。学校行くっていうなら仕方ないんだけど、あいつ何歳さ。同年代ってことはなんとなくわかるけど、まさか同じ学年にはならないよね」

「なに言ってんのよ! エーデルワイスちゃんはあんたと同じ十七歳よ! 学年はもちろん一緒だし、学校側が配慮してくれてクラスも同じところにしてもらったわ」

「はああああ! あいつと同じクラス! ちょっと待ってくれよ。どうなるかわかってんのか?」

「どうなるのよ」

「拳姫がめんどくさいことになる!」

「あら、両手に花じゃない」

「ああああ、もううううう!」

 いつの間に降りてきたのか、リビングでのたうち回る僕をゴミのように見つめながらエーデルワイスはため息を吐く。

「そんなにわたくしが学校へ行くのが嫌なのですか?」

「嫌じゃないけど、嫌」

「そこは嫌だけど嫌じゃない、ではないかしら……」

「ああ、もう。わかったよ。行けばわかるよ。君も」

「まさか日本でいうところの『いじめ』というやつでしょうか」

「そんなに甘いもんじゃないよ。あれは暴力だよ。暴力」

「まぁ、野蛮」

 もう世界均衡の理ではエーデルワイスは同級生という決定のようなのでじたばたしても仕方がない。僕は胃に穴が空きそうになりながらもなんとか登校の準備をした。あとはどうにか拳姫とエーデルワイスの仲を取り持って、うわ、想像つかねぇー、穏便に高校生活を続けられるかどうかだけを考えた。


 高校までは歩いて行ける。

 リュックサックを背負って学生服の二人が住宅街を歩く。ひとりは平凡な高校生。ひとりは髪型が金髪縦ロールのお嬢様。シュールだ、すごくシュールだ。

「この制服という服はよい造りをしておりますわね。耐久性も高そうですし、何年も持ちそうですわ」

「まぁ、三年間の使用に耐えられるからな」

「頭の中にある知識と実際に触れてみる体験は大違いですわ」

「うん、そうなんだろうな」

 なんて言いながら歩いていると、物珍しそうに周囲を観察している。

「どうしたんだよ。うろうろして」

「いまさらながら秩序だった建築物や区画、アスファルトの道路に驚きを隠せないのですわ。ビアー国でもこのような造りでしたらさぞ流通が捗っただろうと思いまして」

「この前、買い物に行った時そんな感じじゃなかっただろ」

「あれは貴方のご家族の前で恥をさらさないようにしていたのですわ。いくらイギリス国と日本国の文化が違うと言っても、文明水準に差はないのですからいちいち驚いていたら怪しいですわ」

「あぁ、そうか。悪いな、気を遣ってもらって」

「当然ですわ。一流の貴族は気配りも一流ですわ」

 いままで一流だの貴族だの特権階級の身分をひけらかさなかったエーデルワイスが急にマウントを取ってきやがった。一週間の付き合いだがわかる。これはおそらく本心ではない。たぶん照れ隠しだ。

「君は、きっとあっちの世界でもいい人だったんだろうな」

「いい人、ですか。そうだったら良かったのですが」

 表情は変わらないが明らかに落ち込んだのがわかった。

「あ、ごめん。なにか地雷だったか?」

「地雷。それは地上または地中に設置され、人や車両の接近や接触によって爆発して危害を加える兵器を指しますわ」

「ゲートで得た知識をウィキペディアみたいに言うのはやめろ! わかったよ。悪かった。何か僕が君に悪いことを言ってしまったんだろう」

「ふふ、今日の貴方はあやまってばかりですのね」

 不意に口角を上げたお嬢様はちぐはぐな髪型と制服のはずなのに、その、とてもかわいかった。

 

「えー、今日から我が校に転校することになったエーデルワイスさんです。イギリスからの交換留学生ということですから、みんな仲良くするように」

「ご紹介に預かったエーデルワイス・ルイ・ピルスナーですわ。イギリス国と日本国の文化の違いで不快に思われないよう尽力いたしますわ。みなさま、どうかよろしくお願いいたしますわ」

 教壇に立って教師に紹介されるエーデルワイスに激しい違和感を覚えながらも、どうやらクラスの連中はそうではなかったようだった。世界均衡の理のせいか彼女の浮いた髪型も当然のものとして受け入れられ、口調もまだ日本語に慣れていないせいだと思われているらしい。

 そうなるとエーデルワイスはただのとんでもない美少女なので、特に男子の目線が熱っぽかった。いやあれは熱っぽいというよりも、美しい絵画を眺めるような眼差しだ。女子も、アニメや漫画でありがちな羨望や嫉妬の対象ではなく、とんでもなく美人な留学生がやってきたという印象のようで男子とはまた違う浮足立ちだった。

 ぼうっとクラスを見回していると、右斜め前の席の拳姫だけがエーデルワイスを睨んでいた。またかという思いと、やはりなという思いが湧き上がる。どうにかしてあいつから彼女を遠ざけようか、解決策が出ないままこの日になってしまったから、なんとか臨機応変にするしかないだろう。

 世界均衡の理のせいだろうが、まぁ想像通りなのだが、偶然にも図らずもたまたま僕の隣の席が空席で、当然のごとく自然の成り行きでエーデルワイスは隣席になった。

「あら、ご無沙汰ですわね」

「はいはい、寂しかったよ」

「上手になりましたわね」

「そう言わんでくれ」

 エーデルワイスが隣になったのはどうでもいい。問題はこちらをずっと睨みつけている拳姫だった。授業中なにかしてくるほどモラルは低くないが、簡単に人を殴りつけてくるほど知能は低い。問題が起こるのは昼休みだろうなと、どこか他人事に思いながら僕はエーデルワイスの端正な横顔を眺めていた。


「ねぇ、この子、誰?」

 昼休みに入ると弁当を広げる間もなく拳姫が絡んできた。いよいよ来たなと思い僕はなんとかなだめることを考えた。

「この子、というのは?」

「エーデルワイスちゃんだっけ? あんたとなんか親しいみたいじゃない」

「親しい要素あったか?」

「ある。転校初日なのになんか話してたじゃん」

「それだけで親しいのか」

「いいから紹介してよ。いますぐ」

「いや、彼女はそういうのじゃなくてな、ほらイギリスから来たならまだ日本にも慣れていないだろうし、いきなりそういうのは良くないんじゃないかな」

「イギリスなら近代ボクシングの元祖じゃん。アメリカより好きだな」

「サッカーやらないブラジル人だっているだろ」

 なんとか水際で食い止めようとしていたが、それをぼんやり見ていたエーデルワイスが割って入ってきた。

「もしかして、わたくしのお話ですの?」

 制服を着ても学校の上履きでも、ピンと一本線を引いたかのように立つエーデルワイスは絵になったが、いまはそれどころではなかった。拳姫が興味を持ってしまう。

「そう! エーデルワイスさん! あなた、イギリスのどこ出身なの?」

「マンチェスターですわ」

「まさにボクシングの中心じゃない! あぁ、マンチェスター・アリーナ! いつか行ってみたいわ!」

 突如恍惚として遠くを見る拳姫にさすがに異常を感じたのかエーデルワイスはそっと僕に耳打ちした。

「あの、この方はなんですの?」

「こいつは拳姫と言ってな、その、ボクシング狂なんだ」

「まぁボクシング!」

「ゲートの力で知識はあるだろう。君からしたら野蛮なスポーツかもな」

「いいえ! 好都合ですわ!」

「……なにが?」

 彼女にとってなにが好都合なのかわからないが、とにかくエーデルワイスは拳姫に興味を持ったようだった。それはネズミが猫に興味を抱くようなもので非常に危ない。しかし僕の制止を振り切って彼女は拳姫に声をかけた。

「その、もし」

「あぁ、ごめんなさい。自己紹介もまだだったね。私は川村拳姫。みんなはヒメって呼ぶけど好きに呼んで」

「あら、お姫様だったのですね」

「そう。拳闘に愛されし拳の姫。で、エーデルワイスさんはボクシングに興味とかあったりしない?」

「ありますわ!」

「そう! それはいいわね! じゃあ、やる?」

「やりますわ!」

「おいちょっと待て!」

「なんですの?」

 彼女は生粋のお嬢様だ。ボクシングのような野蛮なスポーツをさせられない。「奴隷が闘っているのは楽しいですわ!」と観戦するなら話はわかるが、まさか自分がやりたいだなんて言うとは思っていなかった。ゲートの知識でボクシングがどんなものかはわかっているだろう。だが、知識と体験は別だ。拳姫のところでボクシングなんてやったらきっと、ケガをしてしまう。

「あんたねぇ、エーデルワイスちゃんがボクシングやりたいって言うのになに口出してんの?」

「あ」

 マズい。拳姫がキレた。

 拳姫がなぜ危険なのか。それは彼女の狂信的なボクシング愛による。

 彼女はボクシングが好きすぎて周囲にそれを強要する。具体的には圧迫的な勧誘。この学年の女子はだいたいそれを受けている。だいたいの女子はそれをやんわり断るが、たまにボクシングに興味を抱く女子もいる。だがその内、拳姫の崇拝にも似たボクシングに対する姿勢に引いてしまい、距離を取られる。

 距離を取られてもグイグイ行く拳姫は次第に嫌われるのだが、その時に女子に好かれたい男子が割って入ると平気で殴る。普通に殴る。ごく自然に殴る。

 これまで何人の負傷者を出したかわからないが、なぜか学校側からのお咎めはなし。そんな訳だから男女関係なくみんなから嫌われている。

 学内で唯一会話できるのはたぶん僕だけだろう。

 その拳姫の暴力を引き出さないようにしていたが、まさにいま、その状況になってしまった。ボクシングをやりたいエーデルワイスと、それを阻止したい僕。拳姫は僕をどうやったって殴るだろう。

 体を半開きにし、左目に焦点を置いた。いま、殴る気だ。

「あんたには関係ないでしょ!」

 左ジャブ、は当てる気がない。本命は右ストレート。

 僕は彼女の肩の動きをみながらダッキングで回避した。追撃に左フックも入れてきたがバックステップで距離を取る。

「ふーん、やっぱりね」

 髪をかき上げ事もなげに拳姫は言う。

「いまのはなんですの?」

 ひとり置いて行かれたエーデルワイスは混乱していた。

「これがボクシングの実演よ! どう? もっと興味でた?」

「いえその、貴方の動きがなんと申しますか……」

「それはいいんだ。とにかく、見ただろう。こんなに暴力的なスポーツなんてやらない方がいい。殴り合うんだぞ。君は詩でも書いている方が似合っている」

「あら、カチンと来ましたわ」

 僕の言い方がまずかったのかエーデルワイスは笑顔でそう言った。

「ヒメ様。わたくしにボクシングを教えてくださらない? わたくし、人を殴る技術に興味がありますわ」

「すごい! エーデルワイスちゃんさすが! じゃあ今日から毎日うちに通ってね! 会費はいらないよ!」

「うち、と言うのは?」

「あぁ、私の家、ボクシングジムなの」

「それは重畳ですわ! おーほっほっほ!」

「あ、あんたも久しぶりに顔出しなさいよ」

「そういうことに、なるんだろうな……」

 エーデルワイスが行くとなったら僕が着いて行かない訳にはいかないだろう。どんな問題を起こすかわからないし、何に巻き込まれるかもわからない。

 ただ、彼女がなにをどうしてボクシングに興味を持ったのか。元の世界で似たような競技があったのか、見てきたのか、実は淑女の嗜みとやらでやっていたのか。それを知るのはかなり後になってからだった。

2/6章 終了

この話は6章で完結しますが、続きが書けるようにも設定しています。

もしご感想やご意見がいただければ続きを書くつもりです。

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