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9.欠けている月の一夜

昼間にグレーテと会ってから、やたらとぼーっとしてしまっていた。


考えてしまうのだ。ヴェルナー様が私を抱かない理由を。


私に色気が無いから?

私を抱く気になれないから?

まだルイーザ嬢が忘れられないから?

それとも、私との子を望んでいないから?


思いつく理由は全て気分が沈むことばかりで、考えたくないから考えないようにしようとするとぼーっとしてしまうのだ。


その日の夜、眠れなくて窓から月を眺めていた。綺麗だった。満月から少しだけ欠けていて、それでも輝きは圧倒的で周辺の星を消してしまっていた。


完璧でない月。綺麗でも欠けている月。


(私達夫婦と一緒ね)


完璧でない夫婦。それに比べグレーテ夫婦は完璧な夫婦に見える。グレーテ夫婦にも悩みはあるのかもしれないけれど、私からしたら完璧に見えるのだ。私達に無い愛情を持っている。皆の前では笑顔で仲の良い夫婦を演じている私達に欠けているのは、私が欲しい愛情だ。



どのくらい月を眺めていたのか分からないけれど、突然扉をノックされ、反射的に返事をすると扉の向こうからヴェルナー様が姿を現した。


「まだ寝ていなかったのか?」


驚いた様子だった。それもそうだろう。今日は仕事で帰りが遅くなると聞いていた。そんな日は私は先に寝て、ヴェルナー様はそんな私に気を遣い自室で眠っていた。

ヘッセン侯爵領から戻っても、それから毎夜抱き締めて眠ってくれた訳では無い。王都はまだ夜や朝が冷える季節ではなかったから、「寒いので抱き締めて」は通用しなかった。


仕事で遅くなる日は別々で寝ていたし、一緒に寝てもただ隣で横になるだけだった。そうして一ヶ月が過ぎていた。


今日は私がまだ照明を落としておらず、扉から光が漏れ出ていたから顔を出したのだろう。


「あ、はい。寝られなくて考え事を……」


「窓際で体を冷やさないか?」


「月が綺麗だったので」


ヴェルナー様は私の側までやって来て窓から空を覗いた。


「確かに綺麗だな」


今、私とヴェルナー様との間に人が一人立てる分の距離がある。本当の夫婦ならこんな距離が空くことは無いのではないだろうか。体が触れる位の距離か、もしくは肩や腰を抱いたりするのではないだろうか。


私はヴェルナー様と近づけた気になっていたけれど、本当は違うのかもしれない。昔の、兄妹の様な距離のままなのではないだろうか。結婚の提案をしたことで都合の良かった兄妹という距離から離れてしまって、それが今になって兄妹の距離に戻っただけ……?


恋愛相談を出来る間柄だったあの頃と、ヴェルナー様の亡くなられた母君との思い出話を聞かせてくれたあの日、それは同じ距離な様な気がする。


つまりヴェルナー様にとって私は昔から変わらずに“妹”という立場なのではないだろうか。


(“妹”なら……抱けないわよね……)


何だか急に納得してしまった。



「手、冷えてるじゃないか」


考え事に夢中で、ヴェルナー様に手を取られていることに気がつかなかった。


「もう寝た方が良い」


手を引かれ促されるままにベッドに移動した。

自分の中で、ヴェルナー様にとって私が"妹"であると納得してしまったら、虚しさで取り繕うことが出来なくなってしまった。

いつもなら手を取られただけでドキドキしていたのに、今は自分が手を取られている様に感じない。人形にでもなった気分だ。


本当は「おかえりなさい」とか、「お仕事お疲れ様です」とか良妻らしく言うべきなのだろうけれど、声に出すことが出来なかった。ヴェルナー様は私を横にさせると寝具を掛けてくれ、照明も消してくれた。冷えてしまった私の体を気遣って世話をやいてくれているようだ。益々"妹"のような扱いだなと思ってしまう。


「寝られない程、何を考えていたんだ?」


それをこの方に聞かれるのも辛いものだ。


「……今日、グレーテに会いに行ってきました」


二人ベッドの上に並んでいる。私の体が冷えていると言ったけれど、侯爵領の時の様に私の体を抱き締めてはくれない。


何を考えていたと聞かれたからには黙っていることは出来ない。取り繕うことが出来なくなった私は、誤魔化す気力も湧かず、上手い嘘もつけそうにない。


「ああ、大佐のご令嬢か」


「はい。春に……子が産まれる予定なのです」


「そうだったのか。おめでたいことだな」


他人事の様な言い方だな、と思った。確かに他人の事ではあるけれど、この方は自分に重ねて考えたりはしないのだろうか。それだけこの方にとって重要な事では無いということだろうか。私の様に子を成さなければとの思いが無いということだろうか。


「……私は、ヴェルナー様のお子を産む目的で結婚を提案しました。けれど、私達は……」


ヴェルナー様が子が欲しいと望まれた訳では無い。子が出来ればヴェルナー様も生きる目的を持てるのではと思ったから、私が提案をしたのだ。

だから子を作る行為を行わないことでヴェルナー様を責めるのは違うだろう。契約結婚に了承したからといって、気持ちが追いつかないのに求めてもどうしようもないことだってある。責めるような言葉は使いたくない。


「ヴェルナー様の今のお心を教えて頂けないでしょうか?どうしたら……私を、抱いてくださいますか?」


責めるつもりは無いけれど、どう思っているのか知りたかった。


顔は見られなくて、私は上を見たまま尋ねた。だからヴェルナー様がどんな表情をしているのか分からない。どうせ照明も消してしまって暗いので分かりづらいのだとは思うけれど。


寝具の中、無意識に胸の下で両手を組んでいた。祈る気持ちでもあったのだろうか。その手が僅かに震える。


こんなことを聞く私をはしたないと思うだろうか。


ギッとベッドが軋む音がして、上を見ていた私の視界にヴェルナー様の顔が割り込んできた。


「デリアが嫌でなければ、今、抱けるよ」


照明を消して暗いから表情は分かりづらいと思ったのに、月明かりに照らされた銀髪が美しく浮かび上がり、いつもと違う男の顔をしたヴェルナー様の顔が見えた。部屋の暗闇に目が慣れたからだろうか。


私の両サイドに両手をついて、支配されているような格好だ。初夜の時もそうだった。


「嫌じゃない」



そして私達は初夜から約半年振りに体を重ねた。

それにあの時とは違った。初夜は初めてだから痛くないように優しくしてくれていたのかもしれない。でも二度目はちょっと激しかったし、長かった。軍人だし体力があるからだろうか。


何故この日抱いてくれたのか。あっさり抱いてくれたのだ。あんなに一人で悩んでいたのに。何故これまで抱いてくれなかったのか。

もしかしたら抱くことで本心を話すことを避けたのかもしれない。知られたくない気持ちがあるのだろうか。


それにやっぱりこの日も唇へのキスは一度も無かった。



そしてその日からヴェルナー様が寝室を訪れなくなった。



◇◇◇



コンコンコンと扉をノックすると、直ぐに返事があって室内へと入った。


「呼び出して悪かったね」


「いえ」


「ソファに座りなさい」


促されソファに座った。執務机の椅子から立ち上がると私の斜めにある一人掛けソファに座ったのはヘッセン侯爵だ。


今日はヘッセン侯爵に執務室へ来るようにと伝えられ、こうして訪れたのだ。義父であるこの方とは一緒に暮らしているとはいえ忙しい身だ。久し振りに顔を合わした。


「大帝国との条約の件は聞いているか?」


「昨年の野盗による損害補償についての条約でしょうか?」


「そうだ」


昨年、結婚式を前にヴェルナー様や私の実父や兄が派遣された案件は、国境付近の村や町の略奪や破壊行為をしたのが捕らえた野盗から大帝国の敗走兵だと判明した。それによって受けた損害や軍派遣の経費等を大帝国側に賠償して貰う為に、補償金を支払って貰う条約を締結した。


「今になり大帝国側が補償金額を減額しろと要求してきた。夏に既に半分の金額の支払いは済んだのだが、残り半分を冬に支払う約束を今になって払わないと言ってきたんだ」


「踏み倒し、ですか」


「条約締結時もかなり渋られて時間が掛かったのにな。こちらが譲歩して減額したのに、困った国だ」


「侯爵様やヴェルナー様が最近お忙しいのは、それが関係しているのでしょうか?」


ヘッセン侯爵と久し振りに顔を合わせたが、それはヴェルナー様にも言えることで、私を抱いてくれたあの日から帰りが遅かったり軍舎に泊まったりと、あまり顔を合わせなくなった。ここ一週間は邸に帰ってきてすらいなかった。


「……そうだ。大帝国との国境では緊張状態になっている。あそこはもう雪が積もり初めているからお互い睨み合いで済んでいるが、今後はどうか分からない」


「……戦争になるのでしょうか?」


「したくは無いな。辺境伯軍はある程度雪に慣れているが、王都軍は慣れていない者が多い。それに大帝国側は補償金の支払いを拒むことでこちら側から戦争を仕掛けてきて欲しいのだろう。そうすれば停戦する時に仕掛けた側には責任が生じ、補償金の相殺が可能になる。万が一我が国が負けることがあれば相殺どころか多額の賠償金を課されるだろう」


なんて幼稚な考えなのだ。戦争によって金儲けでもしているようではないか。そもそも敗走兵が野盗となったのも、帰郷しても生活が困窮しているからではないだろうか。国を豊かにする方法を戦以外に見出だすことが出来ないのだろうか。


「王都から軍を動かせばそれだけで開戦と見なされる可能性がある。だから動かさないつもりではあるが、もし不本意でも始まってしまえば動かざるを得ない。その為いつ号令が掛かっても対応出来るように軍舎に詰めていなければならない」


ヴェルナー様と近頃会わなくなり、寝室を訪れることも無くなったのは、私が遠回しに「抱いて欲しい」と言ったからだと思っていた節があった。本当は抱きたくないから、また話を求められるのが嫌だったから、等と勝手に思い込んでいた。


戦争になるのは出来れば避けて欲しいことだが、そう言った理由があるのだと知れ、少しホッとしている自分が居た。


「家のことは私にお任せください」


「ああ。負担を掛けてすまない」


「構いません。それが務めですから」


「……嫁としての務めか?」


「そう、ですね」


(嫁、か……)


子どもを成すと言って結婚したのに、未だに気配が無い嫁だ。そんな私に出来ることは家を精一杯守ることだ。後継者を産めていないのに守れているとは言いきれないけれど。


「嫁なのならば、父と、呼んで欲しいものだな」


侯爵の言葉に目を見開いて見つめてしまった。


「デリアは結婚して暫く経つのに、未だに私を"侯爵"と呼ぶ。少し寂しく思ってな」


「……申し訳、ありません」


「謝ることではない。デリアが居なくなってしまいそうな気がして、と言うか、居なくなっても良いようにと、一時の家族なのだと一線を引いているような気がしてしまうのだ」


「…………」


確かに一時の家族なのだと、いずれ離縁されるだろうとどこか覚悟している部分はある。表向きは良い夫婦で、家族であるように演じているけれど。


侯爵や前侯爵夫妻が私に親切にしてくれる度に、未だに本当の夫婦になれないことへ申し訳なさを感じる。私から契約結婚を提案しておきながら、目的を達成出来る気配が無い。情けない。


「今は紛れもなく家族だ。父と、呼んでくれ」


情けない私に、こんなにも温かい言葉をくれる。


「はい、お義父様」


侯爵は満足そうに微笑んでくれた。


「三年経って子が出来なくて離縁しても、養女として迎え入れようか」


「そ、それはさすがに気まずいかと……」


夫婦だったのに離縁して兄妹になるということだろう。いやいや、恥ずかしいし気まずい。


「じゃあヴェルナーを追い出すか」


「駄目ですよ!直系子息なんですから!?」


「安心しろ、冗談だ」


本当に冗談かどうか、分からなくなってきた……。


「それにリートベルク伯爵が許さないだろう。伯爵領で匿ってしまいそうだからな」


「そんなことは無いかと……多分」


「いや、中佐になってさらに鋭さが増した。君が独身に戻ったら狙う男や中傷する者から全力で守るだろう。それが伯爵の部下だったりしたら半殺しにされるんじゃないか。怒らせたら怖いぞ」


そうなのだろうか。


実父は以前侯爵が話してくれた通り、春に中佐に昇任した。


結婚してから実家である伯爵家へは全く行っていないので、結婚式以来実父とは会っていない。ヘッセン侯爵領から絵葉書を送り、その返事の手紙を母と揃って送ってくれたのが唯一のやり取りだ。その手紙も短いもので、侯爵が言う程娘を大事にしてくれている様には思えないのだけれど……。

侯爵が大袈裟に言っているのではないかと思っておこう。



侯爵とのこの話以降、侯爵もヴェルナー様も暫く邸には帰ってこなかった。


侯爵はとても丁寧に状況を説明してくれ、家を頼むと言って邸を出ていったが、ヴェルナー様からは何も便りが無かった。だから、侯爵は私に家族愛を持ってくれているが、ヴェルナー様は私には愛情が無いのではないかと余計に感じてしまった。


二人が邸に帰ってきたのは、それから二ヶ月後、年が明けてからだった。


戦争は起きなかった。我がフレンス王国側が大帝国の誘いに乗ることは無く、辺境伯軍も睨み合いを続け手を出すことは一切無かった。支払いを拒んだ補償金の半分は、支払い期限を来夏に延ばす提案をし、大帝国側もそれを了承した為、一先ず戦争は回避された。






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