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4.貴方には生きる目的が必要

私と兄は、以前ヴェルナー様から教えて貰った海辺までの道を馬で走っていた。


ヘッセン侯爵には邸に戻って貰った。浜辺に居るかどうか定かでは無いし、もしかしたら邸に戻ってくるかもしれないので、邸で待機するのが良いだろうと兄と薦めたのだ。


緩やかな下り坂を、馬が軽快に走っていく。


私は軍人の娘ということもあり、馬は幼い頃から乗れるように教えられていた。領地に帰れば馬車に乗らずに馬で視察に行ったし、移動手段としても趣味としても頻繁に乗り回していた。


海辺は西の方角なので、赤くなり始めた太陽が正面にきてとても眩しかった。晴天だった今日は、夕日にも雲がかからず、目が痛い程だ。


港町の隣に王都はあるので、暫く走ると直ぐに海が見えてきた。海も夕日に照らされキラキラと赤みを映していた。

町の中心地へと続く道とは反対に、町外れの海沿いを目指して走る。さすがに海が近づくにつれ風も強くなり、王都の風とは違い冷たく感じた。


道が途切れそのまま速度を落として草地を進むと、浜辺に出た。


そこは、息を飲む程美しかった。


白く細かい砂の浜。青く広い海と空の境には夕焼けの赤やオレンジが広がり、宝石より美しい赤い夕日が浮かんでいた。

王都の街路樹は葉が落ちてまだ春を待っている状態なのに、この浜辺の木々は常緑樹らしく、風を受けて揺らす葉を夕日に照らされ光り輝いていた。


「結構広いな」


「そうですね……」


浜の端の岩場までかなり距離を感じた。この広い浜の何処かにヴェルナー様はいるのだろうか。取り敢えず見通しの良い波が届く場所には人の姿は見当たらない。


馬から降りて引きながら、サクサクと音を鳴らし浜辺を歩いた。浜辺を歩くのは初めてだった。我がリートベルク伯爵領に海は無いので浜辺も無い。浜の砂はこんなにも足が沈み込み歩きにくいものなのだと初めて知った。そして馬に乗るより息が上がる。


足が疲労から上がらなくなってきた時、一頭の馬が見えた。


「お兄様、あの馬……」


木の幹に馬が繋がれていた。周辺はゴロゴロと大きな岩とその隙間に低木が生い茂っている。その低木の陰の奥まった場所に、ヴェルナー様を見つけた。


「ヴェルナー!」


兄の声に驚いたのか、びくりと体を揺らしてからこちらを向いた。


「アヒム……デリアも……」


「ああ良かったぁ、居たよ~」


私と兄はヴェルナー様に駆け寄り近づくと、兄は分かりやすく脱力してその場にしゃがみこんだ。兄も相当心配していたのだろう。ヘッセン侯爵からヴェルナー様がよからぬことを考えていないかと聞かされていたのだ。


「どうして、ここへ……?」


「お前の父上である侯爵が、ルイーザ嬢の葬儀の後お前が居なくなったと邸を訪ねて来たんだ。それでデリアがここじゃないかって言って二人で来たんだよ」


「そうか……すまなかった」


砂の上に座り込んでいるヴェルナー様は、謝罪の言葉を言うと項垂れてしまい、顔が見えなくなってしまった。


立って横に並ぶと上を見上げる様に高い背なのに、今日は私が見下ろしている。

日々の鍛練で鍛え上げられた体は、肩幅が広く胸板も厚く、長い手足に引き締まった筋肉が付いていて大きく感じる。

でも今は、小さな少年の様に感じる。


「……ヴェルナー、帰ろう。侯爵も心配している」


「…………」


ヴェルナー様からの返事は無い。


兄が声を掛けこちらに気がつくまで、真っ直ぐ海を見ていた様だった。眩しそうに、そして固く口を閉じて。


夕日はどんどん海に近づいていく。明るかった空も東から夜が近づきつつあった。


「ヴェルナー」


「……彼女は、令嬢達から嫌がらせを受けていたそうだ」


兄が催促するように名を呼ぶと、ポツリとヴェルナー様が話し出した。


「それも、私が原因だと……」


声が、苦しそうだ。


知ってしまったんだ。ルイーザ嬢が隠していたことを。そして、ルイーザ嬢が心配していた通り、ヴェルナー様は自分を責めているんだ。


「今日、葬儀で、彼女の妹からそう聞かされた」


項垂れている体が、僅かに震えている。


「…………」


私も兄も何も言葉が出てこない。こんな状況でどんな言葉を掛けられるというのか。


「私のせいで、死を、選んだんだ……」


本当にそうなのだろうか。

ルイーザ嬢は分かっていた筈だ。ヴェルナー様がこんな風に悲しむことを。


本当にルイーザ嬢が自分で死を選んだのだとしたら、何故そんなことをしたのだ。愛する人をこんなにも悲しませて。


「……ヴェルナー。お前は、選ぶな」


ヴェルナー様は兄の言葉にびくっと体を揺らした。


選ぼうとしていたのを咎められたから?

迷っていたのを止められたから?

それとも単に驚いただけ?


「お前はヘッセン侯爵家の唯一の後継ぎだ。お前には家を継ぎ、子をつくり、次に繋げなければならない義務がある。それに俺達はまだ学生でも軍人だ。現役でいるのなら死ぬのはこんなところではなく、戦場だ」


ヴェルナー様は手をぐっと握った。


共に軍人になる為に切磋琢磨してきた友人だからこその言葉なのかもしれない。

女の私は、たとえ戦場でも死んで欲しくは無いと思ってしまうけれど。でも、そんな気概がなければ命の奪い合いをする場所へなんて行けないのかもしれない。


暫くしてゆっくりと上げた顔は、夕日に照らされて怖いぐらいに美しい顔立ちだったが、“無”だった。感情を押し殺しているのだろうか。


恐らく納得も出来ていないし、気持ちの整理も出来ていない。悲しみが癒えることも、前向きになることもまだまだだろう。

ただ、貴族の使命として生きる道を選んだだけだ。

どう生きていくのかも曖昧で、簡単に引き戻されてしまいそうに見える。脆く、朧気だ。


立ち上がったヴェルナー様は、私達に向かって「すまなかった」とだけ言って、馬に跨がった。


そして誰も何も声を発すること無く夕暮れの中帰った。王都に着いた頃には空は夜に支配されていた。



邸に戻ってきて兄が言った。


「あいつにも、侯爵みたいに子が居れば、また違っただろうか」


そうかもしれない。

悲しみの深さは変わらないだろうけれど、生きる気力は多少は持てたかもしれない。


これから幸せな想像しか思いつかない結婚目前の婚約者を亡くしたのだ。


軍人の家族なら戦場で命を落とすかもしれないと、多少の覚悟は持っている。


どちらも命の重さは変わらないし失う悲しみも変わらないだろう。それでも心構えがあるか無いかで絶望への受け止め方は違うのでは無いだろうか。


生きる気力。生きる目的。


侯爵家を継ぐというのは、どれだけヴェルナー様を支え生かすことが出来るのだろうか。

今日のヴェルナー様はあっという間に折れてしまいそうだった。


奪われた未来を、また掴もうと思える日は来るのだろうか。



◇◇◇



春が来て、王都の町も貴族の邸の庭にも、色鮮やかな花が咲き乱れ、芽吹いた柔らかい葉で木々は賑やかになった。


ルイーザ嬢の死は社交界を賑わせた。新聞にも大々的に載り、多くの憶測が飛び交った。自殺であったと正式に公表されたものの、嫉妬に狂った令嬢の嫌がらせの話がどこからか流れ、それが原因なのではといった説と、自殺に見せかけて殺されたのではといった説もあった。

ヘッセン侯爵も夫人を亡くしていることもあり、呪われた家だと噂されたりもして、ヴェルナー様との縁談を躊躇う家が多く、ヴェルナー様自身も社交の場に出ることが無くなった。

兄の話では、笑顔を失くし、ただひたすらに勉強して剣を振っているらしい。


兄もヴェルナー様も士官学校に入って二年になる。夏を前に修了となる。そして軍に正式に入る。士官学校の修了証があると入って直ぐに適性に合わせ上官の補佐役に配属される。


大帝国の侵攻から二年が過ぎたので、そろそろまた侵攻があってもおかしくはない。つまり、戦場へと行く事になる。


あの日、浜辺で兄がヴェルナー様に言った。「死ぬのはこんなところではなく、戦場だ」と。


私は心配だった。ヴェルナー様は戦場に死に行こうとしてはいないかと。死んでも構わないと思っているのでは無いかと。



士官学校の修了を目前に、私はヘッセン侯爵家を訪れた。ヴェルナー様に会う為だ。会うことを断られるかとも思ったが、それは無かった。士官学校の講義が終わった夕刻前ならと時間を取ってくれた。


ヘッセン侯爵邸の応接間に通され、濃紺の軍服姿のヴェルナー様と対座した。士官学生も軍人である為、父や侯爵と同じ軍服を着る。ただ学生は青色のネクタイを締める。兄はネクタイを緩く締めてシャツすらも上のボタンを留めなかったりと着崩しているが、ヴェルナー様はきっちり着ていた。


「急にどうしたんだ?」


声は優しげではあったが、雰囲気は暗かった。部屋が東向で薄暗いせいもあるが、表情は読み取れなくとも笑顔では無いことは察することが出来た。


私がヴェルナー様と会うのは、あの浜辺以来だ。あの日と同じ"無"を感じた。


「今日は、ヴェルナー様に契約の申し出に参りました」


「契約?」


「はい。唐突ですが契約結婚の提案です」


「契約、結婚……?」


"結婚"という単語にぴくりと、反応をした様子だった。


「婚約期間は一年、結婚期間は三年。その間に子が出来なければ離縁。以上の条件で、私と、結婚してくださいませ」


「デリアと……!?どういうことだ……?」


驚きの反応を見せてくれたことに、少し安堵した。何もかもを諦め、全てにただ頷くだけの意思の無い脱け殻では無かった様だ。それはそれで容易く契約成立させることが出来たのだろうけれど。


「今のヴェルナー様はとても見ていられません。生気がない。これでは戦場に行っても直ぐに死ぬでしょう。次期侯爵家当主としてそれでは駄目です。貴方には生きる目的が必要です」


「……だからと言って、何故、結婚?」


「結婚が目的ではありません。子が目的です。今のヴェルナー様は他の令嬢を愛することなんて無理でしょう。ヘッセン侯爵様は貴方が居たから夫人の死にも耐えられた」


「それで君と結婚をして子を作れと?……デリア。君はもっと自身を大切にすべきだ。そんな結婚を君がする必要は無いだろう」


真面目なヴェルナー様らしい反応だ。


でも、私の幼い頃からの恋心に気がついていないこの方は、私に一方的に負担が掛かるのだと思っているのだろう。


「私にとってもその結婚には利点があります。社交界デビューをして一年目が終わりますが、なかなか疲れるものでした。結婚相手を見つける為の社交を終わらせられるのならとても有難いです。それに貴族は好きになった相手と必ずしも結婚出来るとは限りません。この先、合わない相手やずっと年上の方に嫁ぐ可能性もあります。それよりも昔からよく知っているヘッセン侯爵家に嫁げるのなら嬉しいのです。それに侯爵様にも娘になって欲しいとも言われていましたし」


ヴェルナー様は額を押さえて大きく溜め息をついた。


もう一押しだろうか、と思う。


「ヴェルナー様。私を愛する必要はありません。これは契約結婚ですから。子を作ることを第一優先し、出来なければ遠慮無く離縁してください。その頃には心の傷も癒え、新しい恋愛が出来るようになっているかもしれません」


「でもそれは君の人生を奪うことになる。子が出来ずに離縁したら、女の君に再婚は難しいだろう」


確かに子どもを作れない女を欲しがる家はそうそう無いだろう。物好きな方が後妻として娶るか、何処かの高位貴族の邸で侍女として終身雇用で働くか、リートベルク伯爵家に出戻りしても兄が結婚をしたら私は邪魔になるので、もう後は修道院に入るか、だ。


「再婚など出来なくて構いません。私は……私にとってもう一人の兄である貴方に立ち直って頂きたいのです。妹の我が儘として契約を受け入れてくださいませんか?」


「しかし……君も……彼女と同じく、何か嫌がらせをされるかもしれない」


自分のせいでまた人を傷つけるのを恐れているのだろう。


「私は軍人の家系のリートベルク伯爵家の娘です。そんな嫌がらせに負けはしません。それに、私には従姉妹のグレーテがいます。彼女は立ち回りが上手なのでとても強い味方で頼りになります」


再びヴェルナー様が大きく溜め息をついて、背凭れに背を預けた。私には何を言っても無駄だと悟ったのかもしれない。


「……父上は、反対すると思う。君を娘のように大切に思っているからな」


「侯爵様は私が説得いたしましょう」


「君のご両親も反対するのではないか?」


「では、侯爵様と両親からの承認を得られたら結婚してくださいますか?」


「……ああ」


とうとう頷かせることが出来た。私の決意が固く、思い直させることは不可能だと思ったのだろうか。

いや、もしかしたら侯爵様と両親から承認を得られないと思ったからかもしれない。




今度はヘッセン侯爵にお会いして話したいことがあると連絡をし、時間を取って貰った。


契約結婚の話を聞いても、ヘッセン侯爵は決して声をあらげなかった。


「……それは、デリア嬢にとって辛い日々になるだろう」


「覚悟の上です」


「ヴェルナーが承諾したのなら私は何も言わないよ」


「……反対、されないのですか?」


「貴族の結婚なんて、そんなものだろう。何らかの利点があるから婚姻を結ぶ。政略結婚も契約結婚も似たようなものだ。それに君が娘になってくれるのなら喜んで受け入れよう。君がただ辛いだけの結婚にならないように、君を我が家に温かく迎え入れるよ」


温かい言葉に、またヘッセン侯爵の前で泣いてしまいそうだった。


「……ありがとうございます」


涙はなんとか堪えて笑みを返した。


「一つ、約束をして欲しい」


「はい」


「誰かに嫌がらせをされるようなことがあれば、必ず報告しなさい。私が持てる全ての力を使って黙らせるから」


予想外の言葉に驚いてしまった。

参謀であるこの方は恐ろしく頭が切れる。侯爵家という権力だけでなく、軍部内でも人脈と権限がある。たかだか伯爵令嬢一人の為に、そこまでされると嬉しいより萎縮してしまう。


「ヴェルナーに二度も同じ苦しみを味わわせる訳にはいかないからね」


私が萎縮して我慢してしまうことまで見越して、ヴェルナー様の名を出したのだろう。そうすれば私も報告を義務に感じられると。


「……はい」


何枚も上手のこの方には、頷くことしか出来なかった。

そんな私を見てヘッセン侯爵は満足そうに微笑んだ。その笑顔は、今は失ってしまったヴェルナー様の笑顔と瓜二つだった。



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