20.明らかになった真相と結末
侯爵邸に戻り季節が移り変わり、それも過ぎていった。
「クラーラ嬢は修道院に行くそうね」
夏の終わり、秋の花が庭に咲き始めた頃にグレーテが侯爵邸を訪れてくれた。
私はグレーテの言葉に複雑な思いで頷いた。
クラーラ嬢はクリスティーネ毒殺の教唆者だけでなく、姉であるルイーザ嬢殺害の罪にも問われ、北部の修道院に送られる予定だ。辺境伯領に隣接する王領にある伝統ある修道院だ。冬の厳しい寒さに加え、戒律が厳しく脱走を試みた者も多いと聞く。しかし脱走に成功した者は居ないらしい。一度そこに入れば、もう一生をそこで過ごすことになるのだとか。
まだ若くて年頃の令嬢には厳しい刑罰であろう。
「まさか、あの"社交界の妖精"が実の姉を殺したなんてね」
クラーラ嬢は姉のルイーザ嬢が婚約者として紹介したヴェルナー様に惹かれた。まだ少女だったクラーラ嬢が見目麗しく優しくて紳士的なヴェルナー様に恋をしてしまった気持ちは分かる。しかし、玩具やリボンやドレスの様に、「私に譲って」は叶わなかった。
何をしても優秀で、また大変美しい令嬢であった姉が羨ましくて、度々姉のルイーザ嬢の私物を欲しがり無理に譲って貰っていたそうだ。でもルイーザ嬢はヴェルナー様についてはハッキリと断ったそうだ。物ではなく人であり、お互い惹かれ合っていた婚約者である。はいどうぞ、と簡単に譲れる訳が無い。
いつもは譲って貰えるのに今回は断られた上に注意もされたそうだ。当然であろう。妹を想うのであれば人として正しい道を教えようとするだろう。
けれどそれを素直に受け入れることが出来ずに反発し、姉に悪意を抱き、それが殺意に変わった。
人気の無い教会の裏手の階段に一緒に赴き、突き落としたそうだ。長く傾斜のある階段。危険だし薄暗いので余り人が寄り付かないところだ。
一緒について来ていた従僕は、突然の事態に事件の隠蔽に走った。教会での直接的な目撃者は居なかったが、階段の鍵を開け待機していた時に物音を聞いてしまったシスター見習いに口止めの為に金を握らせたそうだ。見習いはその教会から別の教会へと移っていたが、当時教会に席を置いていた者全員の所在を突き止め調べたところ、その見習いが自供した。別の教会では見習いからシスターへとなっていた。ずっと罪の意識があったらしい。事件から五年が経ちやっと償う機会が訪れ、神を信仰していながら神の意思に背く行為をしたことを懺悔していた。
そのシスターの証言では、シュッセル伯爵令嬢姉妹が教会に礼拝に訪れ、普段は危険な為に立ち入り禁止にしている階段の上に登り夕日を眺めたいと言われたので、特別に立ち入りを許可しシスターは階段下で待っていた。暫くすると令嬢の叫び声と物音が聞こえ何事かと思っていると今度は笑い声が聞こえてきた。少女特有の少し高い声だったと。貴族の方だし勝手に覗くのは良くないと思い、気にはなったが階段下で待機していると従僕が階段を下りてやって来て、「何も聞かなかったことにして、私達が来たことを口外しないで欲しい」と言われた。そして平民からしたらかなりの額のお金を握らされた。訳が分からなかったが従僕が下りてきた階段を見上げると、中腹の踊り場のところに令嬢が血を流して倒れているのを見てしまい、一気に恐怖が襲いそれ以上現実を見るのが怖くなった、と言う話だった。
人の死を目の当たりにする機会なんてそうそう無い。怖くなって当然だろう。まして、お金を握らされ口止めされたのだ。言ったら同じ目に遭うかもしれないと思ったことだろう。それに相手は貴族だ。逆らうことは出来なかっただろう。
「私も信じられなかったわ」
「一度過ちを犯し、何かが壊れてしまったのかしらね」
クリスティーネについては直接手を掛けなかったが、毒殺を計画し教唆をした。簡単に人の命を奪えてしまう人間になってしまったのか、もしくはもともと狂気を持っていたのか、どちらかなんて分からない。
「ルイーザ嬢の事件で罪を覆い隠せてしまい、自分は大丈夫なんだと過信し、他人の命を奪うことを厭わなくなってしまったのかもしれない」
そう言うのなら従僕の罪も重い。家の体面を優先して事件が公にならないようにし、少女が罪を認識し自省する機会を奪ってしまった。そして新しい事件を生み出してしまったのだ。今度はクラーラ嬢の計画を知っていながら止めることはせずに協力したのだ。主だから逆らえなかったということでは無いだろう。
「クラーラ嬢とは対面出来たの?」
私はグレーテの問いに首を振った。
「ヴェルナー様やお義父様に反対されて出来なかった」
私はクラーラ嬢に、何故私を殺さなかったのか聞いてみたかった。私ではなくクリスティーネの命を奪ったのは何故か、ずっと気になっていたから。それはクリスティーネを奪われたくなかったから奪われたことが悔しくて、それを責めたかったのかもしれない。
でもヴェルナー様と侯爵は、私がクラーラ嬢と会うことを許してはくれなかった。
私が侯爵家を出て失踪した後、何をどうしてもクラーラ嬢がヴェルナー様と結婚出来ず、終いには侯爵家からシュッセル伯爵家への執拗な調査や尋問が行われたことで、クラーラ嬢も私の居場所を探させていたそうなのだ。いろいろと知ってしまった私の口を封じる為に。
「でも、手紙を書くことは出来たわ。つい先日その返事も来たの」
「何て?」
「『貴女は値しないから』だそうよ」
「……よく分からないわ」
グレーテは首を傾げ、怪訝そうな顔をした。そんなグレーテに私は苦笑した。
グレーテは分からないと言うが、私は納得してしまった。クラーラ嬢は私を見下していた。出産後ヴェルナー様と共寝をしていないことを知っていたから。
初め聞いた時は何故知っているのかと疑問に思い、まさかヴェルナー様から聞いていたのだろうかと、二人がこっそり逢瀬をしていたのではないかと不安に思ったものだが、今思えば乳母から聞き出したのだろう。
ヴェルナー様から見向きもされなくなった女だと思われていたので、私さえ納得すれば離縁は簡単に成立すると思ったことだろう。態々手を汚してまで排除する必要性を感じなかったのではないだろうか。だから"値しない"。
反対にクリスティーネはとてもヴェルナー様に愛されていた。娘なのだから当然だと思うが、クラーラ嬢には邪魔だったのだろう。自分より愛されている存在が居ることを許せなかったり、私と離縁しても子どもは離さずに側に置くのではないかと思い、居なくなれば良いと思ったりしたのかもしれない。
短絡的だ。自分にとって要らないから排除する。
そして計画通りクリスティーネを毒殺し私に離縁状を書かせたけれど、ヴェルナー様との結婚が上手くいかず、"値しない"筈だった私が見つかると不都合なので先に見つけようと探し出した。
「グレーテのお陰でクラーラ嬢に見つからずに済んだわ。改めて、ありがとう」
唯一私の居場所を知っていたグレーテが、決して誰にも言わなかったお陰で、クラーラ嬢に見つかる前にヴェルナー様に見つけて貰えたのだ。クラーラ嬢に先に見つかっていたら、私だけでなく孤児院すらどうなっていたかも分からない。
「ヴェルナー様には見つかっちゃったけどね。残念」
「でも、幾らなんでも次期侯爵を門前払いして追い返しちゃうなんて……」
「だから何だって言うのよ。所詮、次期よ。現当主じゃないもの。私は大佐の娘よ?軍部は爵位より階級よ」
まあ、確かにグレーテの父親は大佐だけれど……グレーテは娘でしかないのよ、と言うのは飲み込んだ。
「だいたい、デリアが居なくなってから必死になっちゃって、情けないったらないわ!いつまでも妻が変わらずに愛してくれているとでも思ったら大間違いよ!」
あ、これ、旦那様と喧嘩でもしたのかもしれないな、と思った。この怒りはヴェルナー様に向けている様で、違う様な気がする。
「まあ、あれでデリアの大切さを思い知ったことでしょうね。良い気味よ」
……きっとグレーテの大切さを、旦那様も今頃思い知っていることでしょう。
何があったかは分からないけれど。
「今は、仲良くやってるんでしょ?」
グレーテにニヤつきながら顔を覗かれる。
「……うん」
「新婚気分?」
「今さら、ね」
「照れ隠し?」
「……そうね」
私とヴェルナー様は夫婦に戻った。けれど、もともと仮面夫婦みたいなものだったから今は本当の夫婦になれたと思う。
朝仕事へ行くのを見送る時ハグとキスが当たり前になり、休みの日は出掛けたりして一緒に過ごすし、殆どの日の夜を一緒に寝ている。
ヴェルナー様から結婚記念日に贈って貰ったアクセサリーは、ヴェルナー様の手で私に着けられた。いつまで経っても仕舞われたままになりそうだと、着けて貰いたいから買ったのだからと、もし失くしたらまた贈るからと、私の首と耳で今も輝いている。
さらにヴェルナー様は私に目の届くところに居て欲しいと言う。不安になるらしい。それは勝手に離縁状を置いて出ていった私に非があるし、クリスティーネを失ったせいでもあるだろう。トラウマなのだろうと思う。
クリスティーネもルイーザ嬢も、自身のせいで殺されたのだ。優しいヴェルナー様は自身を責めている。そして何がなんでも私までは奪わせないと思っているようだ。
もうクラーラ嬢が修道院に行くことが決まり事件も解決したのに不安は消えることは無く、私を側に置きたがる。私はそれを甘んじて受け入れている。そしてヴェルナー様に抱き締められながらクリスティーネを失った悲しみを二人で共有し、言葉は無いけれど慰め合っている。
「私があげたランジェリーは使ったの?」
「ぐっ……!?」
突然のそっちの話に思わず吹き出してしまった。
「その反応は……使った?」
「…………」
「使ったか」
今日一番のにやけ顔だ。止めて欲しい。
ランジェリーの存在をヴェルナー様にも侍女にもバレてしまい、隠しておいた筈のランジェリーはいつしか衣装クローゼットへと移されていた。
湯浴みを終えると侍女がランジェリーを用意して待っているなんてことが数回あり、「無理!」と言って断っていたのに、「新しいのを買って来ちゃいますよ!」と謎の脅しをされ、侍女の勢いに負け着たものの恥ずかしさから上に羽織って隠していたのに何故かヴェルナー様にバレてひんむかれた……なんてことも、あった。
男の人はいくら優しい人でも獣になる時はなるのだと、結婚をして知った。
「侍女とヴェルナー様、グルなの?」
「はっ、そういうこと!?」
主人と使用人の筈の二人は私から見ると立場が逆に見える。まあ、侍女は決して裏切らないだろうという安心感があるから親しみを持っているのかもしれない。私のことで本気で怒ってきた侍女だ。信頼しているのだろう。
侍女も侍女で私が何も言わずとも結婚記念日にヴェルナー様から貰ったアクセサリーを当然の様に毎朝着けてくれる。ヴェルナー様から指示でもされているかの様に、だ。
「幸せそうね」
グレーテが微笑んでくれる。昔から相談に乗ってもらい、沢山心配を掛けた。私にとってかけがえのない従姉妹であり親友だ。
私はグレーテに微笑み返した。
今日の夕食は侯爵と二人だった。ヴェルナー様は泊まりの仕事で今日は不在だ。
「シュッセル伯爵がブルバーレ王国に行くことになった」
「ブルバーレ王国に、ですか?」
侯爵がワインを飲みながら教えてくれた。
ブルバーレ王国とは連合国の隣国で、大帝国にも接している。我がフレンス王国とは連合国が間にある為、これまでさほど関係性が無かった。貿易を多少行ってはいたが、陸路は連合国を通らなければならず通行税が掛かるので海路が主だ。
「先の大帝国との戦争でブルバーレ王国と友好条約を結んだことで、これまでより貿易を活発化させる予定なのだ」
いつもより長引いた大帝国との戦争は、ブルバーレ王国との協力によって終結した。
私は侯爵家を飛び出し田舎の孤児院で働いていた為、社会情勢に疎くなっていた。戦争が終わったということは町の人が話していたのを聞いて知ったが、何があって終結したのかまでは分からなかった。でももしかしたら無意識に耳にしないようにしていたかもしれない。王都の情報を知るのが怖かったから。
大帝国は侵攻中にクーデターが起きたのだ。
数年前から穏健派のリーダーであった第三皇子は命を狙われブルバーレ王国に亡命していた。八年前の大寒波で大きな被害を受け国力が低下しているにも関わらず、我がフレンス王国に侵攻したことを非難した第三皇子は皇帝に幽閉された。兄やヴェルナー様の初出征をした、その時の侵攻だ。
幽閉されたのを好機と捉え、第三皇子の優秀さに嫉妬した皇太子や現政権の有力者が手を組み第三皇子の暗殺を目論んだが失敗し、第三皇子はブルバーレ王国に亡命した。
それから六年が経ち先の戦争が起こったが、大帝国の侵攻はかなりの大規模だった。大帝国は我がフレンス王国の北部を侵略するつもりだったようで兵の大半を国境に移動させた。それによって連合国やブルバーレ王国との国境の守りが薄くなっていた。その隙をついてブルバーレ王国が第三皇子を支持しクーデターを起こして皇帝と皇太子を捕縛した。
「先の侵攻を食い止め戦争を終わらせた功績としてブルバーレ王国との独占交易権を与えると王から話を頂いたが、我が侯爵家は海運業はそこまでだからな。各国とは情報交換が主で貿易はカモフラージュで行っているだけだ。国の利益になる様な交易を行うには向かない」
何を隠そう、大帝国のクーデターを計画し第三皇子やブルバーレ王国を誘導したのはこの侯爵だ。八年前の大寒波よりも前から第三皇子に皇位を継がせる計画を練っていたそうだ。そして今回その機が巡ってきて実行に移した訳なのだ。
さすが、我が国の軍部が誇る参謀である。
侯爵は大帝国側に計画を知られぬ様、情報を操作した。王都の貴族は誰も知らなかったし、戦時中の新年に行われた戦勝祈願の献金パーティーも、大帝国の目を引く為だった。我がフレンス王国に潜り込んでいる大帝国のスパイに、我が国が豊かであることや貴族達が大帝国の侵攻に危機感を持って噂し合っているのを見せる為だった。この侵攻に全面的に応戦している姿勢を見せていたのだ。裏でブルバーレ王国と密書のやり取りをしているのを悟られない為に。
終戦の働きかけも向こうに不利な条件を吹き掛けて断るように仕向けていたそうだ。これも大帝国の意識を引き付ける為に。
実父が出征前に私に『今度の戦争は長くなる』と教えてくれたのも、中佐という立場の為計画を知っていたからだろう。ブルバーレ王国とは離れているので、密書のやり取りにどうしても時間が掛かってしまう。
このブルバーレ王国との密書のやり取りには侯爵家が関わっていた。侯爵家の商人としてブルバーレ王国へ出入りしていたのだ。それは私には当然知らされていなかったので全て前侯爵が行っていた。だからクリスティーネが亡くなった時に確実に侯爵とヴェルナー様に連絡をすることが出来たのだろう。ブルバーレ王国との秘匿ルートは侯爵家が持っていたのだから。
「なので王には独占交易権を断った。それに侯爵家が軍の秘匿ルートを持っていることは公にしたくないからな。これからの軍略に支障が出ては困る。なのでシュッセル伯爵を王に推したのだ。伯爵なら国に多大な利益をもたらすだろう。奴には思うところもあるが、商売に関しては素晴らしい能力を持っている」
「そうですね」
伯爵にとって商売が全ての様に感じる。
長女を次女に殺され、次女が犯罪者となり修道院に行くことになったが、商魂逞しい伯爵は変わった様子無く商売をしていた。クラーラ嬢がクリスティーネ毒殺の教唆者で捕まった時こそ保証金を出して邸に戻したが、ルイーザ嬢殺害の罪が明らかになるとそれ以上彼女を庇うことは無かった。
「ブルバーレ王国との交易拠点の開拓の為に現地に数年行くことになった。妻とまだ幼い息子を連れて。ブルバーレ王国との交易権を王に推薦する代わりに、侯爵領を手に入れるのを諦めろと伝え、それでも狙ってくるようなら全力で潰すと言ってやった」
わおっ……なかなか好戦的で驚きだ。
侯爵もクリスティーネを亡くした悲しみと恨みを抱え、普段は抑え込んでいるのだろう。あんなにも孫を愛してくれていたのだ。
「侯爵家にはデリアの様な真面目で家の為に一生懸命になれる嫁が必要なのだ」
侯爵は私に笑顔を向けてウインクをした。それは昔、生家のリートベルク伯爵家に侯爵とヴェルナー様を招いた食事会で、『デリア嬢が家族になってくれたら嬉しいな』と言ってくれた時に見たウインクと同じだった。
侯爵家は軍の為にあらゆることをしている。それを全て理解し行動する必要がある。少しずつこうして教えてくれるのは私を認めてくださったからだろう。軍人の家の嫁として、これから任されることも増えていくことだろう。
あれから約十年。この恐ろしい参謀の思い描いた形に、私はすっかり嵌まってしまっていたのではと思えてならないウインクだった。