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2.恋愛相談は妹面で

大帝国のいつもより早期の侵攻は、終わりも早かった。


元々食糧難だったのだ。兵糧の確保だって難しかったに違いない。戦争を続ける体力はあまり無かったのだろう。

それでも図々しい大帝国は、停戦合意の条件に大量の物資支援を要求してきたそうだ。


春に出征した父と兄は、夏には無事に帰ってきた。勿論ヴェルナー様もだ。


兄とヴェルナー様は戦場を経験し思うところがあった様で、アカデミー卒業後に士官学校に行くことにした。もう十八になる年なので、直ぐにアカデミーは卒業をし、簡単な入学審査を受けて二人は士官学校に入学した。貴族でありどちらも父が軍部の偉い人なのだから、何の障害も無く寧ろ歓迎されて入学した。


戦場へ行くようになると家を任せられる妻が必要になる為、士官学生のうちに結婚をしてしまう人が多いそうで、兄もヴェルナー様も士官学校の同期に促されるままに結婚相手探しの為に社交の場へ度々参加するようになった。


ヴェルナー様は美しい銀髪に整った顔立ち、優雅な所作も相俟って社交界の令嬢からの注目を集めた。ヴェルナー様とダンスを踊りたい令嬢が周りに群がり、隣に居る兄を締め出して近寄れなくなる程だとか。あの粗野な兄が負けてしまう位に、令嬢の集団は怖いらしい。


我が国では令嬢の社交界デビューは十六歳からだ。私はまだ今年十五歳になるのでデビューするまで一年ある。この一年の間、ヴェルナー様が夜会に参加されるのを指を咥えて見ているしか出来ないのがもどかしくて仕方がなかった。昼間は士官学校、夜は夜会か勉強。以前程にヴェルナー様が我が邸に訪れる機会も減ってしまい、会えることも無くなってしまった。


そして、そんな中一番恐れていたことが起きた。


ヴェルナー様が恋をしたのだ。




「なあ、デリア。女性は何を贈られたら嬉しいだろうか?」


残酷だ。想いを寄せている人に恋愛相談されること程残酷なことは無い。


「何がお好きかお尋ねになってみてはどうでしょう」


それでも最近会えなくなってしまって寂しかった私は、こうして忙しい中でも妹として頼ってくれ会いに来てくれるのが嬉しかったので、溜め息を心の内に隠して笑顔で応える。


「いきなり何が好きかと聞くのか?」


兄もヴェルナー様もずっと剣を握ってきて、女性と接することがあまり無かったのだろう。特にヴェルナー様はお母様も居なかったので、女性が何を好むのか分からないのだろうと察する。


「まず、ドレスやジュエリー等身につけている物が似合っていると褒めて差し上げるのです。褒められたら嬉しいでしょう?よく同じ色を身につけていたら「その色が好きなのか」と尋ねてみるのです。何気ない会話から好きなものを拾い出したり、話を誘導して聞き出したりするのです」


「成る程」


グレーの瞳をキラキラとさせて私の話を聞いている。


こんな風にヴェルナー様の恋の後押しをして、私はどうしたいのだろうかとも思うが、頼られることを断れないのだ。臆病な私は断る理由を伝えられない。


「デリア、君のヘーゼルの瞳は綺麗だね。吸い込まれそうだ」


突然ヴェルナー様に甘い台詞を言われてドキッとしてしまった。


「こんな感じ?」


……練習台ですか……。


「顔、真っ赤だよ、デリア」


「ヴェルナー様が急に言うからですっ!」


「よし。褒めてみよう」


私で自信を得てやる気になるなんて……複雑だ。





「で、恋路の応援しちゃってるの?」


ズバッと言うのは従姉妹のグレーテ。


「だって……断れないもの」


「馬鹿ねぇ」


グレーテは私の二つ上の十七歳。昔から度々こうしてお茶をしながら話を聞いて貰っている。姉のような存在だ。


「それで、ヴェルナー様の想い人ってどんな方なの?」


グレーテはもう社交デビューしているので社交界については結構詳しい。ヴェルナー様が夜会で令嬢達に囲まれていると教えてくれたのもグレーテだった。


「ヴェルナー様の想い人はルイーザ・シュッセル。シュッセル伯爵家の長女で、凄く美しい女性よ。今年社交界デビューしたばかりの十六歳。女神のような美しさでデビューして早速話題となって、今一番人気がある令嬢ね。ヴェルナー様が心奪われても仕方がないわ。独身男性の中で一番人気のヴェルナー様と二人で話題独占状態よ」


そんなにも美しい女性なのか。美しい人は美しいモノに惹かれるものなのかもしれない。いや、ヴェルナー様のことだ。外見の美しさだけに惹かれた訳ではないのだろう。その令嬢の何かがヴェルナー様の心を捕らえたのだ。私には無い、何か……。


「シュッセル伯爵って、元は連合国の貴族だったのでは無かった?」


「そうよ。まだ別々の国だった頃、シュッセル伯爵家は国を併合し連合国とする協定を結ぶ時の反対派だったけれど、世論は大帝国の脅威に対抗する為にはと併合へ賛成する声が多く、結局は連合国が成った。その反対派の中で新しい連合国の体制が受け入れられずにフレンス王国に流れてきた貴族の一つね。だから今でも連合国内には繋がりのある貴族や商家が多く、貿易によって莫大な資産を得ているらしいわ」


「お父様が以前、シュッセル伯爵家からの支援がなかなか受けられないってぼやいていたわ」


「シュッセル伯爵は貿易の利点となる海軍にばかり資金援助をしているそうよ。だから今回ルイーザ嬢が社交界デビューをしたことで、軍本部の上層部はルイーザ嬢との婚姻を狙っているの。大事な愛娘の結婚相手の職場になら資金提供もあるだろうと、シュッセル伯爵家からの支援を受けられるようになる為に軍の独身子息を夜会に送り込んでいるらしいわ。さらに海軍も資金援助を打ち切られたり減額されたりしては敵わないと、同様に独身子息を送り込んでいるって話よ」


さすが、グレーテの父も軍の上官である為、軍の事情にも詳しい。グレーテの婚約者も軍人だ。今は辺境伯軍に出向中で離れてはいるが、だからこそ軍内部だけでなく外側からの事情にも詳しいのだ。


莫大な資産を持つシュッセル伯爵家。美しい娘だけでなく縁を繋ぐにも最高と言える家門。それはヘッセン侯爵家にとっても同じだろう。軍関係者の貴族ならば皆考えは同じ。見事縁を繋げることに成功したらそれだけで功績となる勢いではないだろうか。


「相手が悪いわ」


「そうね。とても私には敵わないわ」


どう戦えと言うのだ。ただの軍人の娘でしかない普通の容姿の私では、何一つ優る部分等無い。


「まあ、ヴェルナー様にとってもライバルは多いのだから、選ばれないことを祈るしかないかしらね」


グレーテの言葉にモヤモヤとした感情が広がっていく。


(表面上ではヴェルナー様の恋路の応援をして、陰では叶わなければ良いのにと願うの?何て心の汚ないこと……)


そう思うのに願いたくなる気持ちに流されそうにもなる。これが嫉妬というものか。


ヴェルナー様の恋が叶う可能性はどのくらいなのだろう。叶ったら「おめでとう」と言えるのだろうか。叶わなければ妹という立場で慰めるしかない。



しかし、ことは一番不安になる結果へと繋がるものだ。人生とは辛くて決して甘くは無いらしい。

それから暫くしてヴェルナー様とルイーザ嬢が恋人関係にあるとの噂が流れた。





「デリア、デートには何処に行くのが良いだろうか」


噂は噂であって必ずしも事実では無い。

けれど、二人が恋人関係にあるのは事実であると、知りたくもないのに知ってしまった。それも、想い人自身の口から。


「今は社交シーズンで劇場も純愛物の演目で賑やかだと聞きます。お誘いしてみてはどうですか?または少しずつ春めいて来ましたし、暖かい日には庭園を散策してみたりとか」


それでも相も変わらず笑顔を浮かべて妹面をする私。


「劇場なんて暫く行ってないから、マナーもあまり覚えていない。段取りの悪さや格好悪いところを見て幻滅されないだろうか」


「寧ろ女遊びとは無縁なのではと、安心されるかもしれませんよ。士官学生なのですから、多少無骨でも反対に好感を持たれるのではないでしょうか。まあ、あくまでも私の意見ですけれど」


「そういうものか。じゃあ先ずは無難に庭園デートをしてから観劇に誘ってみようか」


ヴェルナー様は嬉しそうな顔をしているが、決してこれが私に向けられたものでは無いと分かっているので、辛くなる気持ちを抑えるようにヴェルナー様が土産で持参してくれたお菓子に手を伸ばした。柑橘系の爽やかな香りのする焼き菓子だ。


「それ、美味しい?」


「とても美味しいです」


「良かった」


この焼き菓子だって、ルイーザ嬢に贈る前に美味しいかどうか確認する為に持ってきたのだろう。私の反応を見て、これなら喜ばれるだろうと確信して贈るのだ。


(実験道具か、練習台か、味見…いや、毒見役か……)


そうだと分かっていても拒めない。

私に決して向けられることのない想いだと理解はしていても、妹として頼って、私だけに嬉しそうな顔を見せてくれるのは、最早中毒性がある。失いたくない。だから、精一杯力になろうとする。


「ルイーザ嬢は父である伯爵が貿易関係の仕事をしている為か、港へよく行くそうでとても詳しいんだ。港町の外れに地元の人が遊びに来る浜があるらしく、とても綺麗な砂浜なんだとか」


「行くのですか?」


「え?」


「えっ、て……。ルイーザ嬢はヴェルナー様と一緒に行きたくて話題に出したのではないですか?」


「そうなのか!?」


……鈍いな。まだまだ女性の機微に疎いらしい。


「こ、今度会ったら行こうと誘おう……!」


「デートの行く先の候補が増えて良かったですね」


“良かった”なんて、なんと表向きの台詞だろうか。本気で思っているとでも言うのだろうか、私は。


ただ、ヴェルナー様が喜ぶであろう言葉を掛けているだけだ。それは、これからも私を頼って欲しい、ここに私に会いに来て欲しいという欲からなのだろう。そうでもしなければ態々私に会いに来ることなんて無い。これまでにだって、兄に用事があったから邸に来たし、ヘッセン侯爵を招いたから一緒に食事をしていたのだ。


こんなことでしか繋がりを保てない。

ヴェルナー様に想い人が出来たから私に会いに来てくれるのだ。


ヴェルナー様が帰ってから、私はいつも虚しさに襲われる。





数週間後、邸にヘッセン侯爵が訪ねて来るとの先触れが届いた。


「え……私!?」


自室に居た私の元へ執事がやって来て、ヘッセン侯爵が父ではなく私を訪ねて来ると言う。


(どんな用事があって私に……?)


想像もつかなかった。恋愛相談を受けているヴェルナー様ではなく、ヴェルナー様のお父上であるヘッセン侯爵だという。

戸惑いはあったが直ぐにやって来るとのことでお待たせする訳にはいかない為、準備をするよう執事に伝え自身も慌てて身なりを整えた。


暫くして邸に到着し出迎えた先に現れたヘッセン侯爵は、ヴェルナー様と同じ美しい銀髪を太陽の日差しを受けて輝かせながら、私に向かって優しく微笑んだ。


「やあ、デリア嬢。突然すまないね」


「いえ、ようこそお越しくださいました」


邸に居た母と出迎えたが、ヘッセン侯爵は私と二人で話したいと言い、ヘッセン侯爵を通した応接間には私だけが入った。


使用人が入れてくれたお茶に口をつけるヘッセン侯爵はとても優雅で、やはりヴェルナー様に似ていた。

けれど、少し空気が重たく感じた。軍人らしい威圧感は無いが、その場を支配する空気感を醸し出していた。


静かな時間が流れ、何の用事で私を訪ねてきたのか見当もつかず気にはなるものの、私からは話を切り出すことは出来ない。いくら親しいとは言え、相手は侯爵家当主、私は格下の伯爵家の令嬢に過ぎないのだ。


じっと待っていると、ヘッセン侯爵は持ち上げていたソーサーの上にティーカップを戻すと、そのままローテーブルの上に置いた。


「突然来て驚いただろう」


「はい」


「君に、詫びなければと思って、な」


私に詫びる?

詫びられるようなことを何かされた記憶は無い。そもそも滅多にお会いする機会も無いのだ。

疑問が浮かんだ顔でヘッセン侯爵を見返す。


「私は……君が家族になってくれたら嬉しいと、本気で思っていた」


それは二年前の大帝国の侵攻後の食事会で言われたことだ。恥ずかしいのに嬉しくて、忘れられなかった。いつかそんな日が来たらどんなに嬉しいかと希望を持ち、ヴェルナー様に見合う令嬢になれるよう努力しようと強く思った。


「けれど、ヴェルナーは他の女性に心惹かれてしまったようだ。ヴェルナーから婚約をしたいと言われたよ。私は、あいつの純粋な気持ちを認めてやろうかと思う」


婚約───。


いつか訪れるとは心のどこかで思っていた。悲しくなるから考えないようにしていたけれど。


贈り物をし、デートにも出掛けて、すっかり恋人関係だったのだから、婚約を結ぶのは当然の流れだろう。


恋人ならちょっとしたことで別れるかもしれないが、家と家とで結ぶ婚約となれば滅多なことでは解消されない。つまりはいずれ結婚をするということで、私の想いは完全に届かなくなるということ。


「以前、君に思わせ振りなことを言ってしまい大変申し訳なく思う」


「いえ……」


言葉は殆ど出てこない。


「相手のご令嬢の家のことは、正直私はどうでも良いと思っていてね。私が恋愛結婚だったからね、ヴェルナーにも好いた女性と幸せになって貰いたいんだ」


"幸せ"───。


そうだ。自分の想いが届かないからと言って、ヴェルナー様に不幸になんてなって欲しくは無い。大切な人の不幸を願う人間になんてなりたくは無い。


「私も……ヴェルナー様の幸せを、望みます」


「そうか。デリア嬢が本当の娘だったらな……けれど、そうそう希望通りの結果にはならないものだな」


ヘッセン侯爵は軍では参謀という立場だ。指揮官を補佐し軍略を立て、大勢の兵士や敵を駒のように操り思い描く盤面に導く。

そんな人でも人の恋心というものを操ることは出来ないらしい。



ふと、ヘッセン侯爵が軍服のポケットに手を差し入れハンカチを取り出すと、それを私に差し出した。


(ハンカチ……?)


「涙を、拭いなさい」


(涙……?)


そう言えば視界は少し滲んでいた。

そう言えば頬に違和感があった。

そう言えば重ねられた手の上に、水滴が落ちた感触があった。


私はいつの間にか泣いていたらしい。


(どこから……?)


気がつかなかった。体と心と感情がバラバラなのかもしれない。淑女らしい姿勢を保とうとする体と、ヴェルナー様の幸せを願う心と、私の恋心が叶わないのだという悲しい感情が、この身体の中で共存しているようだ。


ハンカチを受け取る手が震えていた。

泣くなと思えば思う程、涙は流れ体が震えた。


ヘッセン侯爵はそんな私を優しく包み込んでくれた。お父様の様な大きな体で、そしてヴェルナー様の様な優雅さで。


「嫁に来て貰うことは叶わなかったが、私にとっては娘みたいなものだ」


きっとこの涙は失恋の悲しみの涙だけでは無いのだろう。

ヘッセン侯爵が優しく私の頭や背を撫でてくれるので、涙が溢れてきてしまう。


この方は私に「申し訳ない」と言う。何も悪くないのに。私がヴェルナー様を振り向かせられなかっただけなのに。




それから数日後、ヴェルナー様とルイーザ嬢が婚約し、社交界の話題となった。




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