18.狭い位がちょうど良い
花屋の息子が院長に伝えておいてくれると言っていたが、さすがに長く抜け出している訳にはいかない為、孤児院にヴェルナー様と共に戻った。
ヴェルナー様は私を直ぐにでも王都に連れて帰ると言った。けれど突然孤児院の仕事を辞めてしまうと施設に迷惑が掛かるので、院長と辞める時期を相談してからにしたいと伝えたが、ヴェルナー様は首を縦に振ってはくれなかった。
孤児院に着いて、まだお祭りが続いている為忙しそうな院長に申し訳なさがあったが、相談がある旨を伝えた。院長は優しげに微笑んで時間を取ってくれた。
ヴェルナー様は孤児院に着くなり子ども達が群がって大人気だった。なので子どもの相手はヴェルナー様に頼んで私だけ院長と話をした。
そこで私は、ここの領主の娘のグレーテと友人であり自分が貴族であること、そして今日訪ねてきたヴェルナー様が夫であること、それから王都に戻ると決めたことを伝えた。
院長はある程度察していたのか、さほど驚かなかった。
「もう今日王都に戻るのですか?」
「急にはご迷惑になるのではと思って……。でも主人が直ぐにでもと言っていて」
「そうですよね。ご主人は貴女を連れ戻しにいらしたのだからこのまま連れ帰りたいとお思いよね」
ニコニコしながら院長が言うものだから、恥ずかしくなって俯いてしまった。
「でも、そうですねぇ。子ども達も貴女とちゃんとお別れをしたいだろうから、一晩時間を貰って明日でも良いでしょうか?」
「明日でも良いのですか!?」
意外と早くても大丈夫だった。
「貴女が来る前に戻るだけですから。料理も洗濯も出来ない貴女が来た時はどうしましょうって思ったけれど、貴族だったのだから当然ですよね。でも頑張って仕事を覚えてくださって私達も楽しちゃってましたから、また元通りに慣れるまで時間が掛かっちゃうかもしれませんわ。それに貴女は子ども達にとっても優しくしてくれたから、子ども達は寂しがるかもしれませんね」
そうか。一年前に戻るだけなのか。
突然辞めたら迷惑が掛かると思っていたけれど、私が来たばかりの頃の方が世間知らず過ぎて教えなければならないことが多く、迷惑を掛けていたのだろう。
思い上がりも甚だしく、ちょっと恥ずかしくなる。
そんなことで一晩子ども達と別れを惜しみ、明日王都に戻ることになった。
お祭りのバザーは有難いことに完売し、かなりの収益になった。そのお金で少し豪華な夕食を作り、私のお別れ会を開いてくれた。
院長が私が辞めることを皆に伝えると泣いてしまう子も居て、嬉しいような寂しいような複雑な思いでその子を抱き締めてあげることしか出来なかった。ただ、私が貴族であることは内緒にしてもらった。ずっと親しくしてもらってきたのに、今更壁を作られてしまうのが嫌だったから。
恋物語の絵本が好きな子なんかは、見た目が格好良すぎるヴェルナー様が王子様に見えた様で、「王子様がデリアを迎えに来てくれたんだねっ!」なんて興奮して言っていた。当たらずとも遠からずで何と答えたら良いものか迷っていたら、ヴェルナー様が「そうだよ。私のお姫様を迎えに来たんだよ」って先に言ってしまった。職員を含めた女子達が悲鳴をあげていた。
私、姫なんて柄じゃないんだけど……。
ヴェルナー様も一緒に参加した夕食は、いつも以上にとても賑やかで楽しい時間だった。
夕食が終わり片付けをして子ども達を寝かしつける時、院長に「子ども達の様子に気を配ってあげて欲しい」と言われた。
孤児院の子ども達は、親を亡くしたり、親に捨てられたり、親を知らなかったりと様々。"別れ"というものに強い恐怖感を持ったり、過度に敏感になっていたりするそうだ。
いつもはバラバラで寝ている子も誰かにくっついて寝ていたり、丸まって自分を守るように寝ていたり、眠れなくて泣いてしまう子がいたりした。
眠れない子の背を撫でて眠れるまで付き添った。私にはそれぐらいしか出来ないから。
祭りの疲れもあったのか無事に皆が眠ったのを見届けてから与えられていた自室に戻った。部屋にはヴェルナー様が待っており、戻った私に「おつかれさま」と言った。
「宜しかったのですか、こんな狭い部屋で。どこか宿を取った方が良かったのでは?」
ヴェルナー様は一緒に居たいからと私のこの部屋に一緒に泊まらせて欲しいと院長にお願いしていた。この孤児院は男性の職員が居ない為、職員の部屋は女性ばかり。防犯上断られるのかと思いきや、あっさり了承されてしまった。
何でだろう?
ヴェルナー様が真面目そうだから?
子どもに優しいから?
……格好良いから?
他の職員もませた女の子も、ヴェルナー様を見て頬を染めていた。「こんな格好良い旦那様がいて、デリアが羨ましい」と散々に言われたのだ。
「狭い位がちょうど良い」
手を引かれると抱き留められる。優しい抱擁だ。ドキドキとしてしまう。慣れない私は体を強張らせてしまう。
それに気がついてヴェルナー様がくすっと笑う。
「大丈夫だ。何もしないよ」
そう言ったのにベッドに連れていかれた。戸惑う私を横たわせると、いつかのように後ろから抱き締められた。
「壁が薄そうだからな。さすがに何かしたらバレて院長に追い出されるだろう」
…………。
夫婦といえど、"何か"を連想させられ恥ずかしくて堪らない。私の顔が見えなくて良かった。
(ヴェルナー様って、こんな方だったかしら……)
昔からヴェルナー様は紳士的で優しくて、時々ちょっと冗談を言う。
でも愛を伝えられてからこんなにも態度に表してくれる。甘い……感じ。
「明日は朝ここを出て馬で駆ければ夜には王都に着くだろう。荷物はどのくらいだ?」
「殆どありません。小さな鞄一つです」
荷物は全然無い。ここで着ていた服は持っていっても仕方がない。服や筆記具は明日職員の誰かにあげれば良いだろう。化粧品だって何も持っていない。宝飾品だって無い。
「……私の……その……侯爵家には、まだ物が……」
ここの物は持っていっても仕方ないけれど、そもそも邸を出た私の物は処分されていたら着る物も無いのでは、とふと不安になった。
「君の物はそのままだ」
「そうですか……ありがとうございます」
「必ず君を見つけ出すと君の侍女とも約束したからな。何も捨てたりしていない」
「えっ……」
侍女と?
「戦場から戻って君の侍女に怒られたんだ。俺が甲斐性なしだからデリアが出ていってしまったんだと」
「えっ!」
何と……!彼女はかなり私に肩入れしてくれていたけれど、邸の主人であるヴェルナー様に楯突いてしまうとは……。解雇されてもおかしくないだろう。
「かっ、彼女は……」
「心配するな。邸で君が戻ってくるのを待っている」
ヴェルナー様が優しい人で良かった。
「侍女だけではない。父も執事も他の使用人も、君の帰りを待っている」
全て放り投げて邸を出ていったのに、皆が待ってくれている?
「君はヘッセン侯爵家の仕事を完璧にこなしてくれていたし、使用人達にも親切だったから私より人気がある」
「そんなことは……」
たった三年の付き合いの私より、ずっと邸で働いている人からしたらヴェルナー様の方が親しみがあると思うけれど。
「執事は君が失踪したのは自分の力不足だと責任を取らせて欲しいと言って、職を辞すとまで言われてしまい、引き留めるのが大変だった」
「執事が……」
シュッセル伯爵に離縁を求められた時、私に優しい言葉を掛けてくれた執事。使用人の中で唯一契約結婚のことを知っていた。そして当主代理の補佐をして私を支えてくれた。
何もかもを放り出して侯爵家を出て、当主の仕事を執事に押し付けた様なものなのに、私を責めること無く自身に責任を感じさせてしまったんだ。
「父にも散々に叱られた。いつまでも煮え切らない態度で君を傷つけたと。そしてたとえどんな理由があろうと君を留まらせることが出来なかったのは、夫として力不足で至らな過ぎると。そして君を探し出す為に惜しまず協力してくれた」
私が契約結婚を提案した時も反対せず、婚約してからも結婚してからもずっと気に掛けてくれた侯爵。ずっと迷惑を掛けてしまって、さらに侯爵家の仕事を放り出してしまったのに、ヴェルナー様と協力して私を探してくれたんだ。
謝っても謝っても足りないかもしれない。それでもちゃんと謝罪しなければならないだろう。
「ヴェルナー様は、どうして私がここに居ると分かったのですか?」
ずっと気になっていたことを尋ねてみた。
「君がどこにいるかなんて、さっぱり分からなかった」
ヴェルナー様はギュッと私を抱き締める力を強め、私の髪に顔を埋めた。
「取り敢えず侯爵領には居ないだろうとは思った。そんな直ぐに見つかるようなところに君は行かないだろうと。実際お祖父様が君が失踪してから侯爵領をこっそり捜索したけれど何も情報を得られなかったと言っていたし。だからまず生家のリートベルク伯爵家を訪ねた。でも君の父上に怒鳴られ追い返されたよ。『デリアが居なくなったのはお前がだらしないからだ!デリアの居場所を知っているとしてもお前には教えん!』とね」
父がそんなにもヴェルナー様に怒りをぶつけたなんて……。それだけ父に心配を掛けてしまったからだろうか。あんなにも大切に想っていたクリスティーネを亡くしたばかりで、さらに娘まで行方不明になったのだ。誰かのせいにして八つ当たりしてしまったのだろうか。
「それでもアヒムに頼み込んでリートベルク伯爵領内を捜索する許可を貰って、侯爵家の人間を使って君を探した。アヒムに絶対に居ないと言われたが、その通り、見つけられなかったし何の情報も得られなかった」
何だかんだ言いつつ、私の兄だ。私の考えそうなことは分かるのだろう。ヴェルナー様と兄は昔から仲が良い。リートベルク伯爵家を頼り身を隠させて貰った場合、兄は比較的直ぐにヴェルナー様に言ってしまうだろう。隠し事なんて苦手で直ぐに顔に出るのだから。兄には伝えずに居たとしても、一応次期伯爵家当主だ。どこで耳にしてしまうかも分からない。そんな危険性があると分かっていて私が身を寄せる場所に選ばないと分かったのだろう。
それに兄も結婚をした。出戻りになりお嫁さんに迷惑になるだろうと気を遣ったのではと思ったかもしれない。それに兄が気がつかなかったとしても、きっと母がそう考え伝えていたかもしれない。
「次に君が一番親しかった大佐の娘を訪ねたんだ。『知りません。帰ってください』と言ったっきり取り付く島も無かった」
グレーテは言わなかった……?
「でも……ヴェルナー様はここへ……?」
「彼女だけ俺を責めなかったから、何も言わないで帰そうとするのは何かを知っているからじゃないかと思って、何度も訪ねて頭を下げたんだ。まあ、基本的に門前払いで彼女の旦那が見かねて彼女をなだめてやっと対話の席を設けて貰えたんだけれどな。それでも君の居場所は教えてくれなかった。自分で探せと言われたよ」
ヴェルナー様はグレーテに頭を下げてまで私を探してくれたんだということ、それにグレーテは私の為にヴェルナー様に頭を下げられても教えることはなかったんだ。
二人の思いに嬉しさもあるけれど、本当に迷惑を掛けてしまったのだと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「どこで情報を仕入れたのか、彼女はリートベルク伯爵領内を侯爵家の人間を使って探させたことを知っていて、彼女の家の伯爵領内を同じように漁られるのは嫌だと言って、私自身で探し回ってくれと、そうでないと捜索の為に領地に入ることは許可出来ないと言ったんだ」
グレーテったら……。
意地の悪いことを言ったものだ。
いつも私の話を聞いてくれ、ヴェルナー様と上手く行くように味方にもなってくれた。
ヴェルナー様に対する嫌がらせの気持ちがあったのだろうか。途中で諦めると思ったのだろうか。どうせ見つかりっこないと思ったのかもしれない。
グレーテは私とヴェルナー様の味方だった訳じゃない。私の意思だけを尊重してくれたんだ。
「それから仕事が休みの度に伯爵領を訪れて君を探していた。伯爵領に君が居るという確証は無かったけれど、他に当ても無かったし、とにかく虱潰しに探すしかないと沢山の町を訪れた。お陰で伯爵領にだいぶ詳しくなったと思う」
「ではここには当ても無く訪れていたのですね」
「ああ。何処に行っても何の情報も得られなかった。町を一つずつ捜索して、伯爵領内でも王都から離れたこの地域だけになってしまい、ここに来た時はこの地域で見つからなかったらどうしたら良いだろうかと不安しかなかった。日が昇る前に邸を出て馬を駆けて隣の町に着いたが何も情報は無く、そして昼にこの町に辿り着いたんだ。そしたらここで君の容姿に良く似た女性が一年前から孤児院で働いていると聞いたから直ぐに孤児院に向かった。それでやっと君に会えた」
ヴェルナー様は私を抱き締めながら私の手を握り、指先に軽くキスをした。
「孤児院で子ども達と遊んで君が戻るのを待っていたら、誰かが君の名前を呼んでいる声が聞こえて咄嗟に声のした方を見たら、君の走っていく後ろ姿があった。折角見つけたのにまた居なくなってしまうと思って直ぐに追い掛けた。そしたら俺より前に君を追い掛ける青年が居るし、その青年は君に告白してるしで、とにかく焦ったんだよ。君が断ってくれてどれだけほっとしたことか」
ヴェルナー様は後ろから抱き締めていた腕の力を弱めて、私の体の向きを変え、お互いの顔が見えるように向き合わせた。灯りの無い部屋、月の明かりの中でもヴェルナー様の銀髪は少ない光で輝いている。
「もう居なくなったりしないでくれよ。ずっと側に居てくれ」
ヴェルナー様は私の頬を優しく撫でながら懇願した。
母を亡くし、婚約者も亡くし、愛娘まで亡くした人。居なくなることに不安になっているのかもしれない。ここの子ども達と一緒なんだと思った。
「ずっと、側に居させてください」
私の頬を撫でてくれている優しい手に手を触れ、この方の不安を和らげることが出来るのが自分であるということに喜びを感じた。
ルイーザ嬢が亡くなった時は私では代わりの存在になんてなれないと思い、でも子を生せば生きてくれると思った。その子を生す為のお飾りの妻になろうとした。
でも今は私自身がルイーザ嬢やクリスティーネの様な存在になれたんだ。
ここの子ども達の側には居てあげることは出来ないけれど、この方の側にはずっと居たい。
ヴェルナー様は私にキスをした。
ずっとヴェルナー様にキスをされないことに悩んでいた。私に対して愛が無いのだと思い知らされるようで辛かった。だからこそ、今キスをして貰って愛されているのだと実感することが出来た。
「君の邸の荷物はそのままなんだが、君の居場所の手がかりが何かないかといろいろと漁ってしまった。すまない」
何かを思い出したようにヴェルナー様が突然言った。
「いえ。仕方がないと分かっております」
私が勝手に失踪したのだから、手がかりを探ろうとしたのは当然だろうし、私を探そうとしてくれたことが嬉しかった。
「君の侍女が一緒に立ち会って君の部屋の棚やらクローゼットやら、それから机の引き出しも」
侍女が立ち会うとは、ヴェルナー様が律儀なのか、侍女の使命感が強いのか。
「そうしたら鍵の掛かっている引き出しがあったから、ここになら何かあるかもと他の引き出しを漁って鍵を見つけて開けたんだ」
……鍵の掛かる、引き出し?
記憶を頑張って探った。何を入れていたっけ。何か大事な物を入れていたっけ……?
「鍵で解錠に成功して引き出しを見たら袋が出てきて、侍女も不思議そうな顔をしているから見覚えの無い物なのだと思って袋を開けてみたんだけど」
そこまで聞いてサーッと顔から血の気が引いていくのが分かった。
思い当たる物は一つしかない。
ヴェルナー様の顔を見ていられなくなってクルッと体を反転させてヴェルナー様に背を向けた。
「中からとんでもない物が……デリア?」
背を向けた私の顔を覗き込むように少し体を起き上がらせてきたので、顔を見られないように必死に背けた。ベッドが狭いから逃げたくてもそれ以上は離れられず、出来ることは顔を背けることだ。背け過ぎてほぼベッドに顔を付けているような状態だ。
アレだ。アレしかない。
いつぞや、グレーテが私に買ってくれたランジェリーだ。そんなことすっかり忘れていた。
ヴェルナー様に見つかるなんて……!最悪だ!
それに侍女も驚いたことだろう。私の鍵の掛かる引き出しからどんな大事な物が出てくるのだろうかと思っていたら、ランジェリーが出てきたのだ。
恥ずかしくて恥ずかしくて穴があったら入りたい……いや、もう埋まりたい。私はこのベッドに埋まってしまいたい。
「ねぇ、デリア。あれは、何?」
私が恥ずかしがっているのを察してか、ちょっとからかうように耳元で囁く様に聞いてくる。
「……あれはっ、グ、グレーテがふざけて……」
言い訳ではない。事実だ。でも言ってる私が言い訳をしている様な気分なのは……ランジェリーという性を想像させてしまう物だからだろうか。しかも、ちょっと恥ずかしい感じの、男性を喜ばす目的の様に感じてしまうデザインだからだ……。
容赦なくヴェルナー様は私の肩を引いて顔を向かせようとする。小さな抵抗で両手で顔を覆った。
「デリア?」
「恥ずかしくて邸に帰れません……」
「それは困る。ちゃんと連れて帰る」
くるりと体の向きを変えられ再び向き合う形になった。両手で顔を覆っている私に構わず抱き締めて、手で隠しきれなかった額にキスを落とす。
「明日は長時間馬に乗るから、しっかり休んで体調を万全にした方が良い。もう寝よう」
ポンポンと背を軽く叩いた。子どもをあやすような優しさで。
からかい過ぎたと思って詫びのつもりなのかもしれない。優しさで誤魔化そうとしているのかもしれない。
「邸に戻ったら着て見せてね」
「っ!?」
やっぱり違った!!
詫びの気持ちは無かった!!
しっかりと抱き締められてしまっているのでもう背を向けるのは難しい。だから今度はヴェルナー様の胸に埋まる勢いで顔をくっつけた。
恥ずかしいけれどヴェルナー様の胸の鼓動が聞こえてきて、またそれが心地好かった。
いつ振りの温かさだろうか。
ずっと眠れない長い夜を過ごしていたのに、今日は温かくて簡単に眠りについてしまった。