17.明かされる想い
メイン通りから離れて、路地裏の何処かの店の裏口の側に置かれた木箱の上に腰掛けて休んだ。
急に黙り込んで震え出した私を心配して、花屋の息子は何か飲み物を買いに行ってくれた。買ってきてくれたのはサッパリとした果実水で、飲んだら少し落ち着いた。
「大丈夫ですか?」
「……ええ。ごめんなさい」
大丈夫では無かったけれど、それ以外の返答は思いつかなかった。
「そろそろ、孤児院に戻りましょうか」
そう言えば結構時間が経っている。休憩は一時間との約束だった。
「……すみません。折角のお祭りにご迷惑を……」
「いえっ!そんなことは無いので!寧ろこちらが無理をさせてしまったのでは無いかと……」
物凄く気を遣わせてしまっているのを感じて申し訳無さがあるものの、貴族で無くなった私は笑顔の仮面を被れなくなり、その後は無言で孤児院まで歩いていった。
孤児院に着くといつもの賑やかな子ども達の声が聞こえてきた。
「あら、戻ったのデリア」
ちょうど院長が門の近くでお客さんの相手をしていた。
「遅くなり申し訳ありません、院長」
「いやっ!俺があちこち連れ回してしまって!」
花屋の息子が庇うように言ってくれる。
「あらあら、良いのよ。それより、デリアにお客様よ」
「私に……?」
孤児院の皆とは仲良くしているが、私を訪ねてくる程親しい人はこの町に居ない。町の人はとても良くしてくれているが、あれこれと詮索されたくなくて深く付き合うことはしてこなかった。唯一近寄ってくる花屋の息子は今隣に居るし。
「中庭で子ども達の相手をしてくれているわ」
門から少し入り中庭を覗き見た。子ども達が賑やかに大声を出して遊んでいる。その、中心───
「デリアさん、あんなにも格好良い人と知り合いなの?」
「本当に素敵な方よね!貴族の方なのかしら」
院長のお客さんが見惚れながら言う。でもそれに返答する余裕は私には無かった。
私に気づかれたくなくて背を向け走り出した。
「デリアさん!?」
花屋の息子の驚いて名を呼ぶ声が聞こえたが、無視をしてとにかく走った。
幻想では無かった。
見間違えでも人違いでも無かった。
さっき道で見掛けた銀髪の人は、やっぱりヴェルナー様だったのだ。
(どうしてここに……?)
私を訪ねてきた?どんな用事で?
あれから一年も経っているのに、何故今更?
クリスティーネを死なせてしまった報復?
離縁するのに何か不備があった?
勝手に邸を出ていったことを咎められる?
どうしてここが分かったのだろう?
グレーテしか知らない筈。グレーテが教えたのだろうか?
分からない。分からない!
とにかく顔を合わせるのが怖い。
……怖いのに、胸が高鳴る。
走っているせいじゃない。
怖いせいじゃない。
涙が出てきそうな程に胸がいっぱいになっているのは、久し振りに見た、優しげな笑顔のせいだ。
孤児院の子ども達と楽しそうに遊んでいた。子ども達もあんなにもはしゃいでいた。
(あんなの……狡い……)
諦めた気持ちが再燃してしまう。
息が乱れ呼吸が苦しくなる位走った。気がつけば町を出て辺りは農地が広がっていた。疲れて川の土手に座り込んだ。
(逃げてきてしまった……)
孤児院の仕事を放り出して、何をしているのだろうかと我に帰る。でも戻りたくは無い。しかし私が戻るまで居るかもしれない。私の帰る場所はもうあそこしかないのに。
「デリアさん」
急に名を呼ばれてビクッとしてしまった。でも居たのは花屋の息子で少しほっとした。
「デリアさん、足速いですね。なかなか追いつかなくて……」
息を切らしているようだ。心配して走って追い掛けてきてくれたのかもしれない。
彼は少し遠慮がちに、私の隣に座った。
「何か……お困りですか?力になれることがあれば何でもしますよ!」
今日一日様子のおかしな私に、何かあるのだろうと察してくれたのだろうか。でもとても話すことなんて出来ず、沈黙してしまう。
「院長も驚いていましたよ。心配していると思います」
院長はグレーテからの紹介で私を雇ってくれた。領主からの紹介だから断ることは出来なかったのだと思う。でも身元が分からない私にも親切にしてくれ、受け入れてくれた。
その院長にも私の事情は一切伝えていない。だから真面目そうなヴェルナー様に警戒しなかったのだろう。
「……すみません」
「走り出したのは、あの孤児院に居た男の人と何か関係があるのですか?」
「…………」
「ごめんなさい!無理に聞くつもりは無くて……もし、不安に思うことがあるなら一緒に孤児院に戻りますよ!付き添います!それに、孤児院に戻るのが嫌とかなら、家に来て頂いても良いですし!」
「…………」
「あっ!家にって、そんな、変な意味じゃなくてですね!勿論家には他に家族も居るので、そんな、何も心配するようなことは無いですしっ!」
……慌てている。
「俺は貴女の力になりたいと思っています。今すぐにとは言いません。言える日が来たら貴女が抱えているものを教えて欲しい。俺は貴女を、ずっと……支えていきたい……!」
この人は本当に真っ直ぐな人だ。そして良い人なんだ。
こんな身元の分からない女に寄り添い理解しようと努力してくれ、一生懸命さが伝わってくる。
花を大切にする心優しい花屋の息子。この人と共に生きる人は幸せだろうなと思う。
けれど、それは私では無い。
「ごめんなさい。私……貴方の気持ちには応えられません」
「あっ……」
気まずくさせてしまった。けれど、期待させて何年も待たせ彼の将来を台無しにしてしまうのは申し訳無いのだ。いつか来るかどうかも分からない彼が望む未来を、私が応えてあげられる自信は無い。
「悪いが」
突然、ぐっと体が引っ張られた。えっ、と思う内に固いものに体が当たる。
「彼女は私の妻だ。諦めて欲しい」
頭の上から聞き覚えのある声がした。まさかと思い見上げると、綺麗な銀髪を風に靡かせたヴェルナー様だった。
「っ……!」
気づいて息を短くひゅっと吸うと全身が強張った。逃げようにも肩を抱かれヴェルナー様の懐に強く引き寄せられて動けない。完全に捕獲されてしまった。
「え……妻……?結婚、していたの……?」
花屋の息子が驚いた様に尋ねてくるが、それには私の方が驚いた。妻……?
「わ、私はっ、もう妻ではっ……!」
「私は承諾していない」
「離縁状を書いたじゃありませんかっ!」
「あんな一方的に紙切れ一枚を残されて納得出来ない」
「だって……だって……」
どういうことだか訳が分からない。
ヴェルナー様は承諾していない?
納得出来ないって、どういうこと?
クラーラ嬢と再婚は?
「デリア。ちゃんと話をしよう。君が出て行ったことはある程度推測出来るが、一人で決めないでくれ。戦場から戻ったらクリスティーネを失っただけでなく、君まで居なくなっていた時の私の気持ちが分かるか?もう愛するものを失いたく無いんだ」
愛する、もの?
貴女が愛していたのはクリスティーネだけではないの?
「私が……私が貴方との離縁をなかなかしなかったから……クリスティーネはっ……」
最愛の娘の名を口にしたら、涙が零れてきた。
私のせいで殺されてしまった娘。皆から愛されていた娘を皆から奪ってしまった。
「執事から聞いている。悪かった。君一人に辛い思いをさせてしまった」
ヴェルナー様に抱き締められながら背を撫でられると、涙が止めどなく溢れてヴェルナー様に縋る様に胸を濡らした。
「デリアさん」
少し泣いた後花屋の息子に名を呼ばれて、彼も居たことを思い出す。
「その……旦那さん?に、何か暴力を受けて逃げてきたってことでは、無いんですよね?」
ヴェルナー様に抱き締められたままなので、首だけ彼に向けてコクンと頷いた。
「じゃあ、ちゃんと話し合った方が良いと思いますよ。院長には俺から言っておくので」
どうしてそんなに優しいのだろうか。私は彼を振った女なのに。罵声の一つや二つ言われても私は文句も言えないのに。
「……ありがとうございます」
彼は笑顔を向けてから去っていった。無理に作った笑顔であろうことは私にも分かった。
「……あの青年の告白を、デリアが断っているのを見てほっとしてしまった」
花屋の息子の去っていく後ろ姿を見ながらヴェルナー様が言った。
「デリアが受け入れたらどうしようかと思った。決闘でも申し込まなければならないかと心配になった」
「けっ、決闘!?」
とんでもないことを言う。
「彼は花屋の息子です!剣術なんて……軍人のヴェルナー様には敵いませんよ」
ヴェルナー様はフッと笑った。冗談だったのだろうか。
少し冷静になってきて抱き締められているという状況に恥ずかしくなってくる。
「あ、あの……もう、大丈夫なので……」
涙は落ち着いてきたので離して貰おうとヴェルナー様の胸を押すけれど、ヴェルナー様の腕の力は緩まなかった。
「駄目だ。また逃げられたらかなわない」
「逃げませんっ……!」
「やっと見つけたんだ。離すものか」
何だろう。何なんだろう。
何故こんなに……
これではまるで……
「……ク、クラーラ嬢との再婚はどうなったのですか?」
「する訳が無いだろう。シュッセル伯爵が態々戦場まで来て『軍とヘッセン侯爵家への援助をする引き換えに娘と結婚を』と言われたが、父と何を馬鹿げたことをと一蹴したさ。シュッセル伯爵の援助が無くとも終戦に向けての計画が進んでいたからな」
現場でどのような作戦が立てられどう進められていたのかは、敵国に漏れないよう秘匿とされていただろうけれど、いつもよりも長引いていた戦争に王都の貴族も不安になっていた。それは私も同じで、国や家の為にシュッセル伯爵の提案を受け入れるべきかどうか悩んだと言うのに、侯爵とヴェルナー様は一蹴してしまったらしい。
「その直ぐ後だ。お祖父様からクリスティーネが毒殺されたとの話を聞いたのは。私も父も君の父上も怒り狂ったさ。戦争なんてさっさと終わらせて毒殺した犯人を見つけ出してやるって、君の父上のリートベルク中佐は戦場で自ら先陣に立ち、暴れまわって多くの敵を屠ったらしい。血塗れで野営地に戻って来て治療班が手当てしようとしたら全部敵の返り血だったらしい」
父のまさかの狂気っぷりを聞かされ、若干引いてしまった。強いだろうことは知っていたが、実際の姿を見たことは無いのだ。
「ああ、悪い。あまり女性に話す内容では無かったな」
私のひきつった顔に気がついてか、バツが悪そうに謝ってくれた。
「夏にやっと戦争が終わって王都に戻る途中、侯爵領の領館に寄るよう言われ、そこでお祖父様から君が失踪した話を聞かされた。クリスティーネの死を伝えた時私達が怒り狂ったことを聞いたから、戦争が終わるまで伏せられていたんだ」
ヴェルナー様は私を抱き締める腕の力を強めた。
「そしてシュッセル伯爵が君に離縁をしろと取引しにきたこと、ルイーザ嬢の墓で君がクラーラ嬢と何かを話していたこと、クリスティーネを乳母が毒殺したらしいこと、その乳母の行方が分からないこと、それと、その後直ぐ君が居なくなったことを聞いた。王都の邸に戻ったら、私が結婚記念日に送ったメッセージカードが君に読まれること無く残っていた。花束は枯れて処分したと、侍女から聞いた」
「メッセージ、カード……」
私は結婚記念日に侯爵邸を出た。ヴェルナー様から花束を贈られていたとは知らなかった。それも戦場から手配してくれたということだろう。それに、メッセージカードまで……?
「私は……結婚の契約は三年で子を生すというものでした。クリスティーネが居なくなってしまい、もう契約期間も満了になるし、契約を履行出来なかった私は離縁すべきなのだと……」
だから契約期間の終わりである結婚記念日に出たのだ。
「……後悔した。君まで失って、やっと、君に一番伝えなければならないことを伝えそびれたことを」
ヴェルナー様は片手を私の頬に添え、優しく撫でる。
「私は、デリア、君を愛している」
(────!?)
信じられない。
ヴェルナー様が、私を……?
クリスティーネのおまけじゃないの……?
「君にずっと伝えたかった。なかなか伝えられずに戦争が始まってしまって。戦場から戻って君に気持ちを伝えられなかったことを本当に後悔した」
勘違いじゃなかった。
これではまるで……愛されている様だ、と感じていたのは勘違いではなかったんだ。
「契約なんてもう関係無い。侯爵家に戻ってきてくれないか?君が以前私を慕っていると言ってくれたのはもう過去の話だろうか?こんな私ではもう嫌気が差してしまっただろうか」
「嫌気なんて……私は……」
嫌気が差すなんて、一度も無かった。
ただ、愛されたいと思っていただけ。一人で勝手に嫉妬して悲しくなって自信を無くしていた。
この町に来てからも、いつもいつも思い出していた。ちょっとしたことをヴェルナー様との思い出に被せて見ていた。
私から邸を出て行ったのに、恋しくて会いたくて仕方がなかった。
「でも、私……何で?どうして……?貴方に愛される様なことは、何も……」
「特別な何かが必要なのか?」
「私はルイーザ嬢やクラーラ嬢のように美しく無いし」
「デリアは美しいだろう」
「美しくなんか無いです!クリスティーネを産んでから肌は荒れて髪も艶が無くなって、体型だって崩れて……」
「出産というものがそれだけ女性の体へ与える影響が大きいということだろう」
「でもっ、……ヴェルナー様は一度も共寝をなさらなかったから、私にはもう女としての魅力を感じないのかと……」
産後半年経っても何も無かった。結婚記念日にも何も無かった。つまり、抱きたいと思えなかったということでは無いのだろうか。
「私は君を抱きたかった」
真っ直ぐ目を見て、欲を含んだ声で言う。
「嘘……」
「嘘じゃない。出産後、いつからなら体に負担がないかとか分からなかった。今日こそはと、何度も思った。けれど、君を愛しているのだと自覚してから、どう接して良いのか分からなくなったし、誘いを断られたらどうしようかと不安になったりしていた。結婚記念日に贈った宝飾品を一度も着けてはくれなかったしな。それでも君と夜会に行った日、美しく着飾った君を見てもっと触れたいと思った。君にちゃんと『愛している』と伝え想いを寄せ合わせたいと思って君の寝室に行った。けれど、疲れた様子の君を見て、身勝手に欲求をぶつけるのはと思って結局何も伝えられなかった。その後直ぐ家に帰れなくなりそのまま出征した。本当に後悔したんだ。あの時、ちゃんと伝えていれば良かったと」
そんなこと、全然知らなかったし、全然気がつかなかった。
いつか私は家を出されるのだろうと思い込んでいた。
寝室をずっと訪れなかったのは、不安に思っていたから?
失くしてしまうのが嫌で一度もアクセサリーを着けなかったことで余計に不安にさせていた?
「でも、それは……情が移っただけで、愛とは言ってもルイーザ嬢に抱いていたものとは違うと……いつか、冷めてしまうのではありませんか?」
ヴェルナー様は優しいから、一緒に居て情が湧いてきただけのように思う。
どうしてもヴェルナー様が私を愛しているのだとは信じられない。
「確かにルイーザ嬢とは違うかもしれない。彼女へは一瞬で恋に落ちた。初めてだったし、楽しくて夢中になっていた。でもデリアにはゆっくりと愛が芽生えた。何か特別なきっかけがあった訳じゃない。けれど、婚約してから君が側に居てくれるのが自然になり、結婚してからもルイーザ嬢を愛していた筈なのに君に惹かれていく自分が許せないと思う位に君の存在が大きくなった。妊娠が分かってから毎日を当たり前に共に過ごし、お腹の子の話をして生まれてくるのを一緒に楽しみに待って、そしてあんなに可愛い子を産んでくれた。クリスティーネを共に慈しみ、侯爵家に笑顔を運んでくれた。君と共に過ごす日々は幸せそのもので、君とクリスティーネを守りたいと思ったんだ」
私も幸せだった。辛いこともあったけれど、同じ部屋で穏やかに過ごす何気無い日々が幸せで、ずっと続いて欲しいと思っていた。
一時期吹っ切れた思いにもなったが、やっぱりあの幸せを失うのが怖くなった。優しいヴェルナー様と愛しいクリスティーネが居て、皆の笑顔が周りにあって、いつか失くしてしまうことを不安に思っていた。
「……っ!」
涙が溢れてきてしまう。
ヴェルナー様も同じ時を同じ様な気持ちで過ごしていたということだろうか。
ヴェルナー様は私の涙を指で拭うと、その手で私の手を取り口づけた。
「デリア、愛している。私の元に戻ってきてくれ。また共に過ごして欲しい」
契約結婚を私から提案したので、愛の告白もプロポーズも何も無かった私達。
こんな日が来たら良いと願っていたけれど、本当に来るとは思わなかった。
「……はい」
嬉しくて嬉しくて、喜びが涙となり溢れて止まらなくなる。ヴェルナー様に取られている手と反対の手で嗚咽を抑える様に口元を覆った。
「デリア。顔を隠さないでくれ」
無理なお願いだ。泣き崩れてしまいそうな位涙が止まらないのだ。嗚咽で苦しくて声も出せず、首を振った。
ヴェルナー様は徐にポケットからハンカチを取り出して、私の涙を拭いてくれた。
ある程度拭いてハンカチが私の顔から離れて、私の目にヴェルナー様が握るそのハンカチが映り、思わず目を見開いた。
「そ、それ……」
見覚えのあるハンカチに驚きで涙が止まり、見開きすぎて目に溜まった涙が乾燥していく様だった。
「覚えているか?」
覚えているも何も、私の記憶が正しければそれはヴェルナー様ではなく兄に渡したものの筈だ。
「な、何で……」
見覚えのある刺繍。鷲のつもりで刺繍したけれど、上手く出来なくて兄に「カエルの目みたい」と言われた失敗作。
そう。兄とヴェルナー様が初めて出征した時に贈ったものだ。失敗作を兄に、まだ上手く出来た方をヴェルナー様にあげた……筈だった。
「初めて出征した時にアヒムから君からだと渡された。上手い方は俺が貰うとか言ってアヒムに取られた。けれど私は結構気に入っている。ちょっと間抜けな鷲の刺繍は戦場での癒しだった」
間抜け……ええ、そうですよね、間抜けですよね。
分かります、分かります……
(ってか、お兄様の馬鹿ー!)
上手く出来た方をヴェルナー様に渡してと言ったのにあの人は勝手なことをしてくれたものだ。
さっきまで泣いていたのに、今度は恥ずかしさで顔が真っ赤になっていくのが自分でも分かった。
「出征や派遣では必ず持って行った。前回の出征の時もだ。君の父上に、君からクリスティーネが生まれた秋の花の刺繍がされたハンカチを貰ったと自慢されたが、私もこれを自慢してやったよ」
やめてください、やめてください!
自慢出来る様なものじゃありません!
この方は私を羞恥で死なせる気なの!?
兄の初出征の日、兄だけでなく父にも母にも散々に笑われたのだ。この鷲は可哀想にまた父に笑われたことだろう。
出征や派遣に必ず持って行ったって……確かに生地が色褪せ、刺繍が所々ほつれている。
「君が居なくなってから、君を探しに出た時にも必ず持っていた。だから今日も持っていたんだ。君から貰った大切なものだから」
こんな不出来な刺繍のハンカチを大切なもの……?
恥ずかしさと照れと嬉しさとで感情が入り交じってもう訳が分からない状態だ。両手で顔を隠してしまった。
「耳が真っ赤だ」
誰のせいですか!?
「顔を隠さないでくれ」
「むっ、無理です!」
顔も耳も真っ赤だし、涙で目の周りは痛い位にぐちゃぐちゃだ。
「何故?やっと君に会えたのに」
急にそんな口説き文句みたいなこと言わないで欲しい。さっきまで意地悪な位辱しめていたのに。
顔を隠したまま、ブンブンと首を振った。
「顔は赤いしっ、目も腫れてるだろうしっ……。ここに来てから日に焼けて何も手入れもしてないし、化粧だってしてないっ……!」
そうだ、もうずっと化粧なんてしていない。とても見せられたモノじゃない。
なのにヴェルナー様は私の手首をガシッと捕まえて、隠していた顔をさらけ出してしまった。
「気にする必要なんか何も無い。私には可愛く見えて仕方がないから」
「かっ、可愛くなんかっ……!」
さらに顔が紅くなりそうなのでこれ以上口説き文句の様な褒め言葉は言わないで欲しい。
「さっきの青年も自然の君に惚れていたのだろう?自分を卑下する必要は無い」
「そっ、それはっ……!」
そう言えば、花屋の息子は私のどこを気に入ってくれたのだろうか。謎だ。
「日に焼けたのも、この手の荒れも、孤児院で働いていたからだろう?子ども達の為に一生懸命だったからじゃないのか?とても尊いことだと思う」
そう言ってヴェルナー様は私の額にキスをした。
「孤児院の子ども達と少し遊んたが、あんな風に笑顔になれたのは久し振りだった。クリスティーネと君が居なくなって悲しみに暮れ、君を探し出すことだけに希望を持って生きてきた。君が孤児院に来たのも分かる気がしたよ」
私が居なくなってヴェルナー様をさらに悲しみの中に突き落としてしまったんだ。
確かに私は孤児院の子ども達から生きる力を貰っていた。もう叶うことの無いクリスティーネの成長を見る機会を、孤児院の子ども達を通して見ていた。
「もう、あんな思いはごめんだ。どこにも行くな」
もう何も反抗する言葉を言えなくなってしまい、ただヴェルナー様を見上げているだけの私に、ヴェルナー様の顔が近づいて唇同士が触れた。
結婚式の誓いのキスから一度もしていなかった唇へのキスだった。
緊張し過ぎて訳が分からずに一瞬で終わった誓いのキスとは違い、唇の柔らかさとヴェルナー様の温かさを感じた。