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15.奪われた末路に

我がフレンス王国では、離縁状を書くことで離縁が成立する。離縁状は基本的に夫側が書くが、妻側から離縁を希望する場合は妻の父親が書くことで認められる。また貴族の場合は当主にも権限がある。

大帝国では夫側からの離縁しか認められないと聞いたことがある。それに比べれば我が国は妻側からも希望出来るのは、女性の地位や意思を尊重してくれる風潮があるからだと思う。


今回私の実父は戦場に居るので離縁状を書いて貰えない。しかし当主代理の立場である為、私の一存で離縁が出来、離縁状を書くことが出来るだろうと言いたいのだろう。


「貴女の代わりに用意しました」


「用意周到ですね」


「いつまでも動かないから背中を押しに来ましたの」


今日は微笑んでいるのに目が笑っていない。美しいのに、怖い。


「先程も言いましたが───」


「貴女、そんなに妻の座にしがみついて、みっともないとは思いませんか?」


私の言葉を遮って嫌みを言ってくる。

彼女にはしがみついている様に見えるらしい。

でも、そうかもしれない。私は未練がましく"今"から離れられないでいる。


「貴女みたいな人がヴェルナー様の妻だなんて、全く釣り合っていないわ。あんなに素敵な方なのよ?隣に立っていて恥ずかしくないの?」


そんなこと、私が一番分かっているし、何度も自分を卑下してきた。


それにしても、クラーラ嬢は段々と言葉遣いや言い回しが変化してきている。おそらく私を下に見て馬鹿にしているのだろう。


「お肌や髪のお手入れも全然出来ていないし。まあ、元の資質もたかがしれているのかもしれないけれど」


事実なので否定する気は勿論、反論も言い訳もする気も無い。けれどよくそんなはっきりと本人を前にして言えるものだ。もう私に遠慮はせず、猫被りはしないと決めたようだ。


「今の貴女に出来るのは、離縁して早く戦争を終わらせることではなくて?先日私の父に言いましたよね。『愛国心はないのか』と。貴女こそ愛国心があるのなら離縁して我が家からの援助を軍が受けられるようにしたら良いじゃありませんか」


「私との交渉になんて使わずに援助するべきではありませんか?」


「父が言っていた様に私達は"余所者"ですから。愛国心なんてありませんわ。私が愛しているのはヴェルナー様だけです」


「婚姻は夫婦の問題です。離縁は夫婦で話し合ってからでなければ決められません」


「話し合ったところで何か変わるかしら。引き留めてくれると思っているの?貴女みたいな女性がヴェルナー様に愛されているとでも思っているの?私、知っているのよ。子どもが生まれてから一度も寝所を共にしていないのでしょう?」


何故、この人はそれを知っている……?


誰かから聞いた……?


誰って……もしかして、ヴェルナー様……?


急に心臓が騒ぎ出した。私は動揺してしまっていた。


「ヴェルナー様はお優しいので子を産んだ貴女に感謝の気持ちはあるかもしれませんが、出産から後に女性の魅力を磨きもしていなさそうな貴女に、ヴェルナー様が見向きもしなくなったとしても何もおかしくありませんわ」


確かに産後、肌も髪も荒れて、体型も崩れた。それでも何もしなかった訳では無く、侍女が肌や髪のケアを頑張ってくれた。それでも完全には綺麗にならなかった。


私に女としての魅力を全く感じなくなったことを否定は出来ないだろう。元々愛されていた訳では無い。私を抱いてくれたのも、欲求が高まってだった。その欲求を、もしも他で解消出来ていたのだとしたら……私を抱かなくなったのにも納得がいく。


「仮にそうだとしても、私は夫から何も伝えられていないので真意は分からず、憶測でしかありません」


言いながら自分に言い聞かせているようだった。


クラーラ嬢は態とらしく大きく溜め息をつく。


「本当に図々しいわね。さっさと離縁してくれない?」


もう笑みも止めたらしい。私へ遠慮の無い言葉だけでなく態度もだ。腕を組んで見下すように顎を上げている。


「娘も居るのです。そう簡単に離縁は出来ません。そう言う貴女も夫への執着が凄いのね」


「娘?娘は貴女が連れて出ていってくれて構わないのよ。私がヴェルナー様と結婚したら邪魔だもの。貴女の子なんて育てたくないわ」


「貴女がどう思うかだけの問題では無いわ。夫は娘を大切に思っています。娘をどうするかは夫の意思も確認する必要があるでしょう!?」


「他の女が産んだ子どもを大切になんて出来ないわ。本当に貴女は余計なことをしてくれたわね。折角お姉様が死んだっていうのに突然貴女が現れて結婚してしまって、更に子どもまで産んで……計画が台無しよ!」


今……何て……?


「計画?貴女……ルイーザ嬢の死を、折角……?」


驚き、手が震えた。


「そうよ!いつも姉は私より上で、誰からも褒められて誰からも可愛がられていた。会う人皆が私じゃなくて姉を褒めるのよ。『素敵なお姉様ね』って。誰も目の前の私を見ない。悔しくて努力しても何も勝てなかった。完璧だった。そんなお姉様がずっと邪魔だったの!」


「もしかして……貴女が、ルイーザ嬢を死に追いやったの……?」


クラーラ嬢は不気味に笑った。美しい顔が歪んでいる様に見える。


「完璧なお姉様が、完璧な人と結婚するって聞いて、奪ってやりたくなったわ。父も喜ぶ様な縁組み相手に求婚されて、お姉様ばかりが幸せになるなんて許せないじゃない。令嬢からの嫌がらせにも動じずに聖女ぶって。令嬢達も嫌がらせの度合いが低いのよ。もっとやればいいのに。結局は露見することを恐れちゃって意気地の無いこと。やるなら完璧に、全てを奪う位じゃなきゃ」


そして命を奪ったと……?


だってルイーザ嬢が亡くなったのは四年前だ。クラーラ嬢は当時十二、三歳じゃないだろうか。


そんなことが出来てしまうの?邪魔だというだけで。


「貴女はルイーザ嬢から横取りしたかっただけなの?ヴェルナー様を愛しているのでは無いの?」


「愛しているわよ。私の様な誰からもちやほやされる令嬢に似合うのは、ヴェルナー様程の見目も家柄も全てが素晴らしい方でなくちゃ」


唖然としてしまう。


「貴女はルイーザ嬢が羨ましかったから奪いたくなっただけじゃないの?それは愛していると言えるの?」


「少なくとも、ヴェルナー様以上に欲しいと思う方は居ないわ」


"愛"を本当に感じているのか分からない。この人とヴェルナー様が一緒になって、ヴェルナー様は幸せになるのだろうか。


「言うつもり無かったのに、私の秘密を教えちゃったわね。貴女も早く決断することね。でなきゃ、やるなら完璧に、全てを奪うわよ」


ゾクリとした。

彼女は私の命まで奪うと言うのだろうか。彼女にとってはそんなに簡単なことなのだろうか。罪の意識や後悔は何も無いのだろうか。


「今なら父が温情で再婚でも邸でも望むものは用意してくれるみたいだからね。失うものが少なく済むし、得られるものもあるじゃない」


くすっと笑うその美しい筈の顔が怖すぎて、美しいと思えない。


「商売はタイミングが大事なのよ。貴女もタイミングを逃さないことね」


クラーラ嬢は私に警告をして去っていった。


クラーラ嬢の美しい金髪が遠く離れていくのを眺めながら、私は暫く立ち尽くしてしまった。




◇◇◇




一ヶ月が過ぎ、春が来た。

戦争はまだ終わっていなかった。


国境沿いも雪が溶け始め、激しくぶつかり合うことも増えたらしいと、噂で聞いた。冬の間は雪が深く、あまり動くこと無くにらみ合いが続いていたそうだ。戦況が大きく変わることは無く、食料や燃料等ばかりが消費されていたそうだ。


我がフレンス王国側から大帝国側へ終戦の働き掛けを度々しているが、大帝国はそれを拒んでいるらしい。


もう少ししたら一年になる。こんなに長い戦争、私は初めてだ。



いよいよ私は追い詰められていた。国の為、戦争を終わらせるのなら離縁を受け入れるべきだ。


でも離縁状を書いて良いのか分からない。

当主代理だけれど、勝手に書いて良いのだろうか。


クリスティーネを連れて出ていけとクラーラ嬢は言っていた。本当に良いのだろうか。ヴェルナー様や侯爵や前侯爵夫妻に愛されているのに。

でも置いていったらクラーラ嬢に何をされるか分からない。


クラーラ嬢とルイーザ嬢の墓で会ってからこの一ヶ月、毎日の様に離縁状を眺めていた。


眺めたところで答えも出ずに、溜め息ばかりが出て、吹き出物まで出てくる始末だ。


今日も決断することが出来ずに離縁状を執務室の引き出しに仕舞った。


クラーラ嬢は「タイミングが大事」と言っていた。その内タイミングを逃した私を嘲笑うかの様に殺しに来るかもしれない。


(その方が、楽かもしれないわね……)


それならそれで良いとすら思えてきた。


クラーラ嬢はルイーザ嬢が嫌がらせを受けていたことをヴェルナー様に教えた。まるで嫌がらせが原因で自殺をしたのだと示唆するかのように。自分の犯行を覆い隠す為なのか。その嫌がらせがヴェルナー様が原因であることをもだ。それでヴェルナー様が傷つくとは思わなかったのか。


(もし私が死んだらヴェルナー様は少しは悲しんでくれるのかしら)


そんな馬鹿なことを考えてしまっていた。



すると、何処からか誰かの叫び声がした。


何事かと思って椅子から立ち上がり、執務室から出ていった。すると廊下を取り乱した様子の使用人が走って此方に向かってきた。


「おっ、おくっ、奥様っ!」


「何事なの?」


「ク……クリッ、クリスティーネっ、さまがっ……!」


相当動揺しているのか目が怖い位に見開き、全身震えている様に見えた。


「どうしたの?落ち着いて」


「血っ……、血をっ……、しっ、しっ、死んでっ……」


「え───」


今……『死んで』と……言った?


何かを考えるより廊下を走っていた。


今は乳母に任せて子ども部屋で遊んでいた筈だ。


必死に走るのに足がついていかない。ドレスが重くて仕方がない。


子ども部屋に近づくと泣き声が聞こえてきた。これはクリスティーネの泣き声じゃない。大人の泣き方だ。


子ども部屋に着き中に入ると、床に敷かれた絨毯の上で横たわり、口から血を吐いて絨毯を汚しているクリスティーネの姿があった。


「っ、クリスティーネ!」


足をもつれさせながら近寄り体に触れる。けれど、いつもは元気いっぱいの体に反応が無く動かない。まだ一歳なのにもう美しい顔に、赤みが無くなっていた。


「奥様っ、申し訳ありません!私っ……」


いつも乳母と一緒にクリスティーネの面倒を見てくれている使用人が、泣きながら何かを言おうとするが、言葉が出てこないようだ。


でも私も耳を傾けてあげられる余裕は無かった。


私の頭にはクラーラ嬢の言葉が浮かんでいた。


『やるなら完璧に、全てを奪うわよ』


奪うのは私の命だと思っていた。


「奥様っ!」


執事が走って部屋に入ってきた。


「乳母が姿を消しました!おそらく乳母がクリスティーネ様に毒を盛ったものと思われます!今全力で捜索させておりますっ!」


毒……。


こんな、幼い子に?


乳母が……?


何故?クラーラ嬢と関係があるの……?



訳が分からなくなった。


私のせい?私のせいでクリスティーネは毒を盛られたの?私が決断のタイミングを逃したから……?


私の全て……

私の宝物……


そして皆から愛されていた、子……


私が奪ってしまった。


ヴェルナー様と同じ銀髪。微かに開かれた目の縁には長い睫毛。


いつもは頬を赤くしているのに、今は青白い。血が通っていない。生気がない。


そう……もう、生きていない。


私は自分の娘の小さく、いつもより体温の低くなってしまった体に縋って、泣いた。


邸中にその涙が広がって、光が失くなった。




それから執事が悲しみを堪えて調査を行ってくれた。


クリスティーネの面倒を見てくれていた使用人が、乳母に任せてその場を外して、一時間程で戻ったらクリスティーネが血を吐いて倒れていたそうだ。既に息は無く、ピクリとも動かなかったらしい。近くにはおやつが転がっており、それに毒を混ぜ与えたのではないかとのことだった。

そして乳母の姿が見えなくなり、乳母の犯行であると疑っているが、未だ見つからず現在も捜索中らしい。乳母は娘の体調が悪いと連絡が入ると、一時帰宅をすることがあった。なので警備の者も何も怪しむことなく外出をさせてしまったらしい。騒ぎが起きる前だったので仕方がないだろう。


乳母が誰かに唆されたのか、もしくは初めから送り込まれた刺客だったのか、それも確認のしようが無いので分からないそうだ。

一応乳母の身辺を調査しているらしい。


前侯爵夫妻には執事から連絡をしてくれ、二人も相当な衝撃を受け悲しんでいるとのことだ。そして前侯爵から軍部の伝を使い侯爵とヴェルナー様に報告出来ないか試してみると言ってくれたそうだ。家族の訃報であれば本人に届けられるそうだが、戦略の関係で誰が何処に配しているのかは秘密にされていたり、現場からの報告が正しいという保証もないのだとか。だから本人に届けられるまでに時間が掛かったり、最悪届かないこともあるらしい。


また軍関係の連絡手段は機密性が高くそれを維持する為にも限定的であり、一般的に私用では利用出来ない。だから戦場から手紙が届くことは無いし、こちらからも送ることが出来ない。クリスティーネに届いた簡素なバースデーカード位なら検閲を通れば送ることが出来るのだろう。


前侯爵も元軍人だ。今も侯爵領で軍を援助し、出来うる限りの協力をしている。私には分からないが、何かしら手段の当てがあるのかもしれない。


私はそれらを、寝込んでしまった為にベッドの上で聞いた。



乳母はきっと見つからないだろう。

もしクラーラ嬢が黒幕だったとして、足が付かない様に乳母に逃走先を用意するか、もしくは口封じをしている可能性が考えられる。


今の状態では状況証拠しかない。あくまで乳母が犯人であるとは推論でしかない。誰も見ていたかったのだ。それは勿論私も含まれる。


危険を察知して側を離れなければ良かったのに。私は自分の命が狙われているのだとばかり思っていた。もっと用心すべきだったのだ。


毎日毎日、そんな後悔ばかりしている。


ヴェルナー様によく似た可愛らしい顔で笑い掛けてくれなくなってしまった。

まだ話せず何が原因で泣いているのか分からなくて困惑することも無くなってしまった。

歩けるようになり、あちこちへ冒険してしまうので目を離せなかったのに、もう心配して後を付けることも無くなってしまった。


(守れなくて……ごめんなさい)


痛かっただろうか。辛かっただろうか。

クリスティーネに何度謝ったか……。

そして、クリスティーネを愛してくれた家族達に……。誰よりもヴェルナー様に。


再び悲しみに沈ませてしまうだろう。

お母様を亡くし、婚約者であったルイーザ嬢を亡くし、そして愛娘のクリスティーネまで亡くしたのだ。生きる目的を与えたくてクリスティーネを産んだのに、結局また悲しみの渦に突き落としてしまうことになった。


全て私のせいだ。


それに、契約を履行しなければならないだろう。もうじき契約期間が満了する。


私に選択肢は残されていない。




◇◇◇



数日後────


「奥様ー!」


最近は邸中が沈んだ空気だったけれど、久し振りに気持ちが高揚する様な花束が届き、奥様を喜ばせたくて、そして少しでも元気になって貰いたくて、その花束を抱えて奥様の部屋に入った。


「奥様、お加減はいかがですか?今日は何の日か覚えていらっしゃいますか?」


昼も近くなってきたけれどまだ閉めきられているカーテンをシャッと開けて春の日差しを窓から取り込んだ。


「ヴェルナー様からメッセージカードとこんなに大きな花束が……」


明るくなった部屋のベッドを見て言葉を失った。

もぬけの殻だったのだ。


手にしていた花束をテーブルに置いて、メッセージカードだけを握り部屋を出た。「奥様!」と何度も声を上げながら廊下を走り、執事を探した。

そして騒ぎを聞きつけた使用人皆で大捜索が行われ、執事と共に奥様の執務室の机の上に封筒を見つけ、慌てて中を確認すると、サインが書かれた離縁状だった。


その日、離縁状を残し奥様が邸から失踪したのだ。

三度目の結婚記念日の朝だった。




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