表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/21

13.羨む気持ちと祈る思い

クリスティーネが生まれて半年が経った。


クリスティーネは侯爵家の遺伝子を強く引いているのか、とても可愛らしい顔をしていた。私の要素は性別だけではないかと思うくらいだ。さらさらの銀髪にくりっとしたグレーの瞳、長い睫毛、スッと通った鼻筋等々、ヴェルナー様に本当によく似ていた。


クリスティーネが一人座りが出来るようになった頃、兄の結婚式が行われた。あの荒々しい兄がエスコートなんて出来るのかと思っていたが、そこはもう成人した男性なだけありちゃんとこなしていた。

兄は軍に入ってから父の様に徐々に体が大きくなっていった。花嫁の子爵令嬢は少し体が小さく、「熊とウサギだ」と誰もが思ったことだろう。自身が小さいからこそ、荒々しく無骨そうで強い兄に惹かれたのだと、恥ずかしげもなく言える義姉がちょっと羨ましかった。

怖がることなく熊の様な軍人に猛アタックを仕掛けられるくらいだ。きっとリートベルク伯爵家を支えてくれるだろう。



それから数日後、二度目の結婚記念日がやって来た。今年も花束とアクセサリーをプレゼントしてくれた。


どこかで今年は何も貰えないかもと思っていたので、嬉しかった。まだ離縁されることはないだろうと。


でも、愛は無いのだろうとも感じていた。


医師から産後暫くして性交渉の許可が出た。でも勇気の出ない私は、それをヴェルナー様に伝えられなかった。伝えたらまるで「抱いて欲しい」と言っているようなものだから。ヴェルナー様から浜辺で「時間をくれないか」と言われてから今日まで何もアクションが無かったから、私から誘うような言葉は言いたく無かった。好きだと気持ちを伝えることもしていなかった。


それでも出産から半年が経ったのだから、もう良いだろうとさすがに分かると思うのだ。ましてや結婚記念日、夫婦で愛を囁き合ってもおかしくないのに、その日もヴェルナー様が寝室を訪れることは無かった。


妊娠中は時々私の様子を心配して訪れることはあったのに、出産してからまた無くなった。お腹に子どもが居なくなった私は、彼の興味を引けなくなってしまった。


冬の終わりのルイーザ嬢の命日は、今回も同じように邸の花を持って出掛けて行っていた。ルイーザ嬢は亡くなってもヴェルナー様の気を引けているというのに、私の何と情けないことだろうか。でもヴェルナー様は午前中に戻ってきていた。思い悩むことは無くなったのかもしれない。それはクリスティーネのお陰なのではないだろうか。


虚しさはあったけれど、結婚記念日のプレゼントで貰った花束の綺麗な花を選んで、今年も押し花にした。また一つ、思い出が出来た気分だった。





夏を前に今シーズンの社交も最後という頃、産後初めての夜会に参加することになった。


出産後弛んでしまったお腹をコルセットで無理矢理締めて、妊娠中に荒れて未だ治らない肌は化粧で隠し、艶が戻らない髪には香油を塗り込んだ。侍女の努力と技術のお陰で何とか人前に出られる仕上がりになった。お腹はキツくて苦しいけれど……。


ヴェルナー様と一緒に会場へ向かった。いつも通りに紳士的なエスコートをしてくれる。


「デリアと参加するのは久し振りだな」


「はい。緊張してしまいます」


「そういうものなのか?」


ヴェルナー様に微笑みながら頷いたつもりだったが、顔の筋肉が固まってしまいぎこちない笑みになってしまった気がする。


一年振りだけど、また社交界デビューをするような気分だ。


出産によって外見が変化してしまったせいで自信を失っていた。好き勝手陰口を叩かれることだろう。それに今日も変わらず美しいヴェルナー様の隣に立つのも劣等感を感じてしまう。


グレーテが参加してくれればまだ安心出来たかもしれない。でもグレーテは二人目を妊娠したので来ない。おめでたいことだし嬉しいけれど、不安で仕方がない。


(母にもなって、何甘えたことを……)


覚悟を決めて来た筈なのに後ろ向きになってしまった自分を叱責する。

そして容赦なく会場に到着した。


一年振りの華やかな夜会。

美しいドレス、華やかな髪型、煌びやかなアクセサリー。どの女性も自信を持って胸を張り、存在が輝いて見えた。


侯爵や実父が言い触らしたのか、様々な人に出産したことをネタに話し掛けられた。ヴェルナー様と二人、お祝いの言葉には感謝を伝え、経験談には共感を示し、アドバイスには肯定を返した。当たり障りの無い社交だ。時々棘を感じることもあったが、ヴェルナー様が躱してくれた。


久し振りの社交場でも何とか出来ていることに少し安堵した。



「ヴェルナー様!」


私達の元へ訪れる人が途切れたのを見計らった様に声を掛けてきた令嬢がいた。その令嬢は女の私でも見惚れてしまう程に美しく、そして可憐な笑顔を浮かべていた。


もしかしてどころか、一瞬で確信を持てた。柔らかな金髪にこの美しさ。初めて会うが誰かに問うまでもなく彼女があの"社交界の妖精"だと分かった。


「やあ、クラーラ嬢」


「お久し振りでございます」


親しげに話す二人の様子を、胸をざわつかせながら見ていた。この二人が並ぶと本当に美しい。

昔、ルイーザ嬢と並んでいた様も美しいと思って見ていた。それを思い出してしまう。必死にヴェルナー様への想いを断ち切ろうとしていた頃だ。私では敵わないと、嫌でも思い知った。


全く同じ思いだ。私では敵わない。

美しく手入れされ輝くような金髪がフワフワとして、デビューしたばかりの十六、七歳らしい若くハリのある肌。グレーテが言っていた様に顔は小さいのに瞳は大きく、幼い女の子が憧れる人形の様な可愛さと美しさの両方を兼ね備えていた。

ルイーザ嬢は落ち着いた雰囲気に完璧な礼儀作法で美しさが際立っていたが、彼女は男性を虜にする様な可憐な笑顔で可愛らしい印象が強い。


「デリアは彼女に会うのは初めてだろう。紹介するよ。シュッセル伯爵家のクラーラ嬢だ。ルイーザ嬢の妹なんだ」


凄く自然に紹介されたのに驚いた。ルイーザ嬢の名を躊躇いもなく口に出したのだ。浜辺で彼女のことを「愛している」と言っていたヴェルナー様はあんなにも苦しげだったのに。

もう苦しくないということ?

それは……クラーラ嬢のお陰……?


「彼女は私の妻のデリアだ」


ヴェルナー様に紹介されて、しっかりとクラーラ嬢と目を合わせた。大きな目を細め、艶っぽい唇が弧を描いて「クラーラ・シュッセルです」と微笑みながら言う彼女に、私は何一つ勝るものが無いと言われている気になってしまう。自分が醜い女に思えて仕方がない。クラーラ嬢と同じ歳の若かった三年前でもルイーザ嬢に敵う気はしなかったのに、髪も肌も体型も劣化した今の私ではクラーラ嬢と対面することから逃げ出したくなる位だ。


それでも貴族の矜持で笑顔の仮面を被り挨拶をした。


その後はヴェルナー様とクラーラ嬢が親しげに話すのを隣でただ聞いているだけで、ここに居て良いのかと、居るのが辛くなる程に除け者にされている気分だった。



どうにか夜会を終えて邸に戻った。


帰りの馬車の中、消えてしまいたい衝動に駆られ、目を瞑りずっと俯いていた。ヴェルナー様との会話も無かった。


邸に着いてドレスを脱ぎ、湯浴みをした。コルセットをきつく締めたせいか、腹回りに赤く痕が付いていた。こんなにまでならなければ夜会に出られる仕上がりにならないのかと、自嘲してしまう。


疲れていたけれど寝る前にクリスティーネの顔を見たくて寝顔を見に行った。


クリスティーネは乳母と共に寝ている。乳母はまだ幼い娘と他に四人の息子がいるが、クリスティーネが赤子の内は邸に住込んで貰っている。乳母の幼い娘は体が弱い為、給金が高い方が有難いと夜間も乳母がクリスティーネを見ていてくれ、乳を欲しがれば与えてくれていた。


夜も遅い時間なのに乳母は快く部屋に案内してくれ、今日のクリスティーネの様子がどうだったか等を話してくれた。


(私の、宝物……)


いつか、この子と別れる日が来るのではないかと、今日は特に強く感じていた。ヴェルナー様に生きて欲しくて望んだ子。でも、共に日々を過ごす内に手離すのが怖くなる。私だけ邸を追い出されたら、私はちゃんと受け入れられるのだろうか。


自分一人でどうしようもないことを考えて悲しくなっていても仕方がないと、クリスティーネから離れて寝室に行った。


寝室の扉を開けると、まさかのヴェルナー様がいた。


「ああ、デリア。大丈夫か?」


私の元に近寄ってきて肩に触れる。その手は温かくて、今の私には苦しく感じた。


「元気が無いな。疲れたか?」


「……はい。今日は、久し振りの夜会でしたから」


「……そうだな」


「今日はいろいろとフォローしてくださりありがとうございました」


「いや、特別なことはしてない。君が頑張ってくれたから」


相変わらずヴェルナー様は優しい。でも、優しいのは私にだけじゃない。それはもう、よく、分かっている。


何も話題が見つけられず、私は黙り込んでしまう。大した時間じゃ無いのかもしれないが、沈黙が怖い。


「……今日は、疲れてしまったのでもう寝ますね。気に掛けてくださりありがとうございました」


「……そうか」


ヴェルナー様はそれだけ言って私をベッドに寝かせると、額にキスをして「おやすみ」と言った。そして照明を消して寝室を出ていった。


額にキスをされたのはいつ振りだろうか。嬉しい筈なのに、何故?と思ってしまう。


愛があるなら一緒に寝た筈だ。

キスだけされたのは、今日を労ってだろうか。


クリスティーネとヴェルナー様といつか別れる日が来ると覚悟して開き直っていた筈なのに、こんなことをされたら覚悟が揺らいでしまう。


「愛している」と言って貰えないのなら、優しくしないで欲しい。




その翌日から、ヴェルナー様は邸に帰ってこなくなった。



◇◇◇



二週間程が経ち、大帝国が我がフレンス王国へ侵攻してきたとの発表がなされた。派遣は約三年前にあったが、侵攻されたのは五年振りだ。


ヴェルナー様と侯爵は参謀という立場であるので、大帝国の動向を察知し、侵攻された際の戦略や対策の為に軍舎に泊まり込む様になったのだろうと察した。三年前は侯爵が詳しく教えてくれたが、緊急性が高かったのもあるだろうが三年前の派遣の時とは違い、情報漏洩を懸念して私への説明が無かったのだろう。


そして出征の日を迎えたが、二人は一度も邸に戻っては来なかった。


出征の前日、実父がヘッセン侯爵邸を訪ねてきて、クリスティーネを抱っこしていった。


「二人は戦争が終わるまで戻れんだろうな。二人の分まで俺が抱いていこう」


実父はそんなことを言っていたが、冗談なのか本気なのか分からず苦笑いを返してしまった。


そんな実父にハンカチを差し出した。


「とても遅くなってしまいましたが……刺繍したハンカチです。嫁ぐ前に渡す約束でしたのにごめんなさい。せめてものお詫びにリンドウを刺繍しました。クリスティーネは秋生まれで、リンドウは秋の花であり花言葉は"勝利"です。ご武運をお祈りしております」


実父は嬉しそうに受け取ってくれた。


いつも出征の日は邸から実父を見送っていた。けれど、参謀という立場ではそれも叶わないらしい。「ご武運を」と伝えることも出来ずに慌ただしく戦場へと行ってしまう。私は、ただ、無事に帰ってきてくれるのを祈ることしか出来ないのだ。


「今度の戦争は、おそらく長くなる」


「……そうなのですか?」


「ああ。しっかりな」


侯爵家をしっかりと守れと言う意味だろう。私は「はい」と答えた。




出征の日は邸で変わらない日常を過ごしていた。リートベルク伯爵邸に行って見送りをしようかとも考えたが、実父には前日に会えたし、もう兄のお嫁さんも居る。実家に帰るのも気後れしてしまうのだ。


午前中に執務室で仕事をしていたら、執事がやって来た。


「ヴェルナー様からのお手紙です」


手紙を貰えるとは思っていなかったので驚いた。婚約していた三年前の派遣の時にも貰ったが、それ以降は侯爵領から絵葉書を送った返事で貰った手紙だけだった。


封を開けて手紙を開く。急いで書いたのか以前より字が乱れていた。


何も事前に連絡出来ずに戦場へと行くことになったのを詫び、クリスティーネに会えなくなることを寂しいと言い、クリスティーネと家のことを頼むと書かれていた。

そして最後に愛する二人の元に必ず帰ると書かれていた。


(愛する、二人……)


胸が騒いだ。"愛する"なんて言葉、初めて聞いたのだから。


でも直ぐに思い上がるなと自制した。所詮私はクリスティーネのおまけだろう。この手紙の半分以上はクリスティーネに関することだ。誰がどう見ても娘を溺愛する父親の手紙だ。娘ばかりを気に掛けていることへの罪悪感から私を入れて"二人"にしたのだろう。


それを寂しいと思う自分に嫌悪する気持ちもある。元々の目的であるヴェルナー様に生きて貰う為に子を成し、そして"必ず帰る"と言ってくれているのだ。自分の命を軽視すること無く生き抜く意思を持ってくれたのだから、私の目的は達成されたと思って良い。だから寂しいと思うよりも、喜ぶべきなのだ。


(良かった……)


そう思いたくて心の中で繰り返した。寂しいと思う自分を排除したくて、喜ぼうとした。


目尻に浮かんだ涙を無視するようにヴェルナー様からの手紙を畳み直し、封筒に戻した。そして引き出しに仕舞うと、仕事の続きを再開した。



◇◇◇



今回の戦争は実父の言った通り、長かった。いつもは雪の季節が来る前の秋になると終結するのに、辺境伯領に雪が降り始めても終わる気配が無かった。


今年の侵攻は本気で我がフレンス王国を落とすつもりなのかもしれないと、王都の貴族達が噂をし合っていた。


先日クリスティーネの一歳の誕生日に、母がヘッセン侯爵邸を訪れてくれ一緒にお祝いをした。こんな時勢であっても子どもが明るい雰囲気を作ってくれるのがとても有り難かった。


ヘッセン侯爵領にいる前侯爵夫妻は王都まで来られなかった。ヘッセン侯爵領は辺境伯領の隣にあり、軍の補給拠点の一つでもある。有事に備え侯爵領を離れられないのだ。二人がクリスティーネに会えずとても残念がっている雰囲気が手紙から読み取れた。会いに行けない代わりに沢山の贈り物をくれた。


クリスティーネは伝え歩きであちこちへ冒険してしまうのを乳母が慌てながらも見守ってくれている。クリスティーネは好奇心が旺盛で、気になったもののところへ一目散に向かう。まだ一人歩きが出来ないから真っ直ぐ向かえず、どうしたらそこまで行けるのかと考えるのだろう。時にはまだハイハイをして、都合の良いものを見つけては伝え歩いて目的地へと到着する。


好奇心旺盛なのは私に似ていると母が言った。危険を顧みずにやんちゃな兄アヒムの後を追っている内に、一歳になる前に一人歩きが出来るようになっていたらしい。


母はよく孫のクリスティーネを見ながら、「デリアはこうだった」「アヒムはこうだった」と懐かしげに言うのだ。嬉しそうに目を細めて、愛おしそうに見つめて。でもどこか寂しげなのだ。戦場にいる息子を想っているのかもしれない。


クリスティーネは娘だったから、軍人になる可能性は低い。勿論女性軍人もいるし、力さえあればなれる。クリスティーネも父親を見て軍人を目指す可能性はゼロでは無いが、父親や祖父の過保護ぶりを見ると軍人の道を選ばせない気がする。


我が子を戦場へと送り出す気持ちは、私は完全には分からないのだろう。


それと男児を産めなかった負い目も多少ある。クリスティーネを産んだことを皆が喜んでくれ、男児が良かったとは誰にも言われなかった。それでも軍人の家系だし、ヘッセン侯爵もヴェルナー様も参謀という職で、王国としては有能な軍人の遺伝子を残し役立てて欲しいと思っているのでは、と勝手に考えてしまう。


(気にし過ぎね……)


気にしたところでどうしようもない。

グレーテだって一人娘だけれど優秀な軍人を婿に取った。そういう選択だって当然ある。


じゃあもう一人産もうにも、ヴェルナー様は私を抱かないだろう。私には、産めない。私には……。


クリスティーネは私の元までやってきて無邪気に笑う。だからクリスティーネを抱き上げて頭にキスを贈る。


「この子は沢山の愛を受けて幸せね」


母の言う通りだ。

今日の誕生日を祝って、わざわざ戦場からバースデーカードが届いた。ヴェルナー様と侯爵と実父から。そういったものを送れるということに驚いた位だ。戦場からの手紙を実父から貰ったことは今まで無かったし、ヴェルナー様からも貰ったことは無かった。

慌てて書いたのか誕生日を祝う言葉だけの短文だった。もしかしたら情報漏洩の為か規制されているのかもしれない。検閲があって書ける内容が限られているのかもしれない。

詳しいことは分からないけれど、私は一度も貰ったことの無いものを、クリスティーネは貰っている。愛されているのだ。


「一日でも早く戦争が終わることを願うわ。クリスティーネの父親も祖父達も、こんなに大きくなった姿を見たら驚くでしょうね」


母と二人、クリスティーネを抱きながら神に祈った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ