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1.軍人の娘の淡い恋心

ヘッセン侯爵邸の東にある応接間で対座するのは、次期侯爵であるヴェルナー・フォン・ヘッセン。太陽が西に傾いたこの時間、東の応接間は薄暗いのに彼の銀髪は僅かに射し込む光を取り込んでいるかの様に、室内で唯一輝いている。顔立ちは社交界で令嬢達が視線を逸らせなくなる程に整っており、そして引き締まった体は軍人としてこれまで培ってきた日々の鍛練の賜物であろう。


「婚約期間は一年、結婚期間は三年」


全てにおいて完璧とも言えるこの方を前に、私は笑顔を浮かべることもなく仮面を被り、話を続ける。


「その間に子が出来なければ離縁」


格式のある濃い色味の調度品も相俟って、応接間は薄暗く冷たい雰囲気だ。そして目の前のこの方の濃紺の軍服が背景と同化しそうであるのと同じく、表情も読み取れない程に影が差している。


「以上の条件で、私と、結婚してくださいませ」


表情は読み取れなくても生気を失った顔をしているだろうと分かるこの方に、私は一世一代の求婚をした。




◇◇◇




大陸の西に位置する我が国フレンス王国。北には大帝国が鎮座し、東には帝国に対抗するように連合国がある。大帝国は度々我が国フレンス王国に侵攻して来る為、軍事面を強固にする必要があり自然と政治面でも軍事色が強くなる。連合国とは友好な関係を築けており、我が国は連なることは無く独立してはいるものの、両国間の条約の基に相互援助を行い大帝国の侵略を阻んで来た。


私の家系も代々軍部に属しており、現リートベルク伯爵である父は陸軍少佐として軍に勤めている。ほぼ三年おき位に大帝国が我が国に侵攻して来る為、父の出征を見送るのに幼い頃こそ涙を流して父に泣きついていたものだが、十二歳にもなれば母と共に軍人の家族らしく毅然と見送れるようになった。


「次に出征する時はアヒムも一緒になるだろう」


近頃白髪が混じってきた父が、兄に向かって言った。兄は一歩前に進み手を胸に当てる。


「それまで訓練に精進いたします」


「家を頼んだぞ」


「はっ!ご武運を」


十五歳の兄アヒムは、父に倣いアカデミーに通いつつ軍養成所で訓練を行っている。この国では十七歳から出征が認められており、軍部に所属していなくても養成所での訓練経験があれば戦場へ行くことが出来る。養成所は貴族平民関係無く入ることが出来、戦場へと赴けば戦果によっては昇進することが出来る為、多くの国民が籍を置いている。

高位貴族の子息はアカデミー卒業後に士官学校に通い、軍の上官候補生として学ぶ。兄は血気盛んな性格もあり、士官学校には行かずに直ぐにでも戦場へ赴きたいらしい。


「では、行ってくる」


重い鎧を着け鍛練した父の体はとても大きく、昔はあの熊のような体で抱っこして貰うのが好きだった。


「ご武運を」


母と共に父に返せば、もう言葉無く背を向け馬に乗り、迎えに来た部下を引き連れ王都の邸を出発して行った。



男が戦場へ行くので、この国では女性が領地運営をするのが珍しくなく、我がリートベルク伯領でも母が多くを担っており、私も幼い頃から母より学んでいた。

我が国の貴族の半数以上が軍関係者なので、領地運営が出来る令嬢の方が縁談に有利だとも言われている。


父が出征して数週間が経ったある日、母と庭にテーブルを出し、今年の領地で収穫された茶葉の試飲をしていたら、馬が駆けてくる賑やかな音がしてきた。


「デリア!俺にも茶をくれ!」


こんなにも雑な馬の乗り方をし、こんなにも粗野で傲慢な感じなのは兄アヒムしかいない。


「お兄様!今は試飲をしているところなのです!」


勝手に飲まれたら困るので怒りながら兄に注意するが、兄の後ろを見てはっとする。


「こんなにも茶があるなら一杯くらい良いだろ。駆けてきて喉が渇いた」


「まったくアヒムは……!用意するからそちらに座って待ちなさい」


母は呆れたように兄に言いながら、使用人に新しいお茶を二人分用意するように指示をした。


「ヴェルナーと直ぐに鍛練するからのんびり座ってられないよ」


「落ち着きがない子ねぇ!」


「リートベルク伯爵夫人、突然訪問して申し訳ありません。私のことはお気になさらず。デリアも邪魔をしてしまい悪かったね」


兄と同じく軍養成所に通っているのに粗野な感じは一切無く、母に物腰柔らかく丁寧に接し、私にまで気を遣ってくださるのは、ヴェルナー・フォン・ヘッセン、ヘッセン侯爵家の一人息子で兄と同じ十五歳のヴェルナー様だ。


「いえっ……水分補給してから、どうぞ鍛練へ」


丁度そこへ二人分のお茶の準備が整い、置かれたティーカップを直ぐ様兄は手に持ち、ゴクゴクと豪快に喉仏を上下させながら一気に飲み干した。貴族の優雅さの欠片もない。


「よし!ヴェルナー、鍛練するから早く飲め」


呆れた視線を兄に向けながらも音も無くスッと手に取り口をつけお茶を飲む姿は、さすが侯爵家の子息といった感じだ。


「美味しいですね。喉が渇いていた体に優しく浸透していく爽やかな風味です。ご馳走さまでした」


恐らくそのお茶より貴方の方が爽やかです、と言いたくなる笑顔を向けられ、私も女性使用人一同と惚けっと見惚れてしまった。


そんな女性達の反応に気がついているのか定かではないが、ティーカップをテーブルに静かに戻すと兄と共に庭の奥へと行ってしまった。


庭の奥には剣を振れる様にちょっとした訓練場がある。父も兄もよくそこで剣を振っている。危ないからと私や母はあまり近づかないようにと言われている。


ヴェルナー様と兄は幼馴染みで、昔からとても仲が良い。ヴェルナー様のお父上であるヘッセン侯爵は軍の連隊参謀の職に就いており、私の父とは軍に入った頃よりの友人で、頻繁に互いの邸を行き来している。ヘッセン侯爵はヴェルナー様を伴って来訪することが多かったので、自然と兄と仲良くなり、私とも仲良くしてくれた。兄よりも兄らしく優しいヴェルナー様を慕う気持ちは、思春期を迎えいつからか恋心へと変化していった。



半年が経ち、父が戦場から戻ってきた。

いつも冬を前に大帝国の侵攻は中止される。今回は踏み込まれることは殆ど無く、前線は保たれたままに終了した。

我が国は侵攻され奪われた土地を奪い返すことはあっても、大帝国の領土を奪うことはしない。ほぼ睨み合いで大きな戦闘には発展しなかったそうで、被害は少なかったそうだ。

父も変わり無く帰ってきた。



父はヘッセン侯爵を邸に招待し、食事会を開いた。これは戦地から戻った後の恒例の行事と化していた。


食事会では大帝国軍の戦法がどうだ、辺境伯軍が素晴らしかっただ、私には少ししか理解できない話で盛り上がり、兄やヴェルナー様が聞き逃すまいと真剣に聞いていた。


そんなヴェルナー様のお顔を向かえの席から望められるこの食事会は、話は理解出来なくとも私には得な時間だった。

ヘッセン侯爵によく似た銀髪と女性を惹き付ける顔立ち。このお二人が並ぶと存在感も凄いが、何より目を奪われてしまい食事の手も止まってしまう。


ヘッセン侯爵夫人も美しい方だったと聞く。ヴェルナー様をお産みになった際に体調を崩され数年療養をされていたが、ヴェルナー様が五歳の時に亡くなられたそうだ。


「デリア嬢はとても可愛らしいレディになったね」


突然ヘッセン侯爵から話を振られハッとすると、皆の視線が私に向けられていることに気がつく。


「これから益々夫人に似て美しくなるのだろうね」


「まあ、侯爵様。お上手ですわね」


「妻に似て器量の良さは感じるが、まだまだ子どもだ」


「いやいや、これからの成長が楽しみだ。私にもこんな娘が欲しかった」


"娘"と言われてドキッとする。


「こんな娘で良ければ貰っていただけると我が家としては有難いが」


父から"貰って"と言うのは、つまり、所謂、そう、あれか……?

そう考えて更に胸がドキドキとしてきてしまった。


「本当か!デリア嬢が家族になってくれたら嬉しいな」


ヘッセン侯爵がニコニコとしながら言い、私に向かってウインクをした。


恐らくヘッセン侯爵は私がヴェルナー様に見惚れていたのに気がついてそう言ってくださったのかもしれない。

私は恥ずかしくなって下を向いてしまったが、ヘッセン侯爵に受け入れられて貰えた様で嬉しくて口が笑ってしまいそうなのをぎゅっと閉じて耐えた。


「なあ、ヴェルナー?」


ヘッセン侯爵は更にヴェルナー様に同意を求めに来た。


「そうですね、デリアが本当の妹だったら嬉しいです」


「…………」


きっと、ヘッセン侯爵も私の両親も、そういう意味じゃないだろうと心で突っ込んだことだろう。皆で言葉無くポカンとしてしまった。


「デリアはなかなか口煩いぞ?」


兄に言われ思わず睨んでしまった。


兄もヴェルナー様も、どうやら鍛練に夢中で色恋沙汰には疎いのかもしれない。


ヘッセン侯爵は再婚をしなかったので、ヴェルナー様にはご兄弟がいない。その為私を妹の様に可愛がってくれていた。最近は私が恋心を自覚してしまい恥ずかしさから少し距離を置いてしまっているが、昔はヴェルナー様を見ると走って飛びついていたものだ。


私のことは妹にしか見えないのかもしれない。


その事にショックを受けながらも、私はまだ十二歳で背は伸びたものの体つきはまだまだなのだ。子どもなのだ。女として見て貰うにはまだあれもこれもそこここも成長しなくてはならない。


それでもヘッセン侯爵や父から内定を貰ったような気分になり、嬉しかった。

ヴェルナー様に見合うレディになれるように、淑女教育も領地経営に関しても何もかも、出来ることは努力していこうと心に決めた。



そして二年後、再び大帝国が我が国に侵攻してきた。


「少し、早いですね」


父と兄が居間で話をしていたので、暖炉の前で本を読みながら聞き耳を立てていた。もう季節は冬から春に移り変わってきていたが、夜は暖炉の火が無いと寒い。窓の外は初春の風が強く吹いており、ガタガタと窓を鳴らしていた。


「予想はしていた。大帝国は大寒波で冬の作物の多くが駄目になったらしい。雪崩事故も多かったと聞く。備蓄倉庫も被害に遭い、盗賊に奪われたなんて情報もある」


大帝国の領土はとても広い。我が国フレンス王国と東の連合国を併せても足りない程の広さだ。しかし大帝国の領土の約半分の北部地域は極寒地帯で秋から春にかけて雪で覆われている。

今冬は寒波が広く南下してきたそうで、領土南部の寒冷地帯や僅かな温暖地帯にも厳しい冬が訪れたそうだ。我が国の北部も雪の影響があったと聞く。


「では食糧を求めて?」


「恐らくな。以前の侵攻からまだ二年、それにいつもならもっと暖かくなってから動き出すのに、まだ向こうは雪深い時期だ」


「頭を下げて支援を求めれば良いものを」


「ああも大国になると下手に出られなくなるのだろう。それよりも豊かな土地を奪い取ってしまいたいのだ」


我が国フレンス王国は豊かだ。豊潤な土地に気候にも恵まれ、西や南は海に面して海の幸も豊富で貿易も盛んだ。貿易国とは比較的友好な関係を結んではいるが、海賊がいるので治安維持の為に海軍もある。海軍の基地のある港はとても栄えており、王都の隣にも外港として大きな港町がある。王都から近いこともあり何度か訪れたことがあるが、とても美しく整備され、活気があり賑やかだった。

大帝国の北の海は船を出せない程に荒々しいとの噂だ。豊かな我が国が羨ましいのだろう。


「アヒム。お前も十七だ。準備をしておけ」


「はい」


父の言葉に思わず頭を上げた。兄は真っ直ぐな目を父に向けていた。


(十七……)


この国では十七歳から出征が認められる。武家の家だ。昔から戦地で活躍することを夢見て鍛練を重ねてきた兄だ。迷いや恐れよりもやっと赴けるとの焦がれた様な思いなのだろう。


そして私にはもう一人兄が……正確には兄の様な人がいる。


(ヴェルナー様も、きっと……)


まだ訓練生で正式に軍に所属をしている訳ではない。見習いの様なもので、いきなり前線に立てられることは無いだろう。それでも戦場は何があるかは分からない。


父は強く、少佐という大隊を率いる立場だ。いつも必ず無事に帰ってくる強い男だ。毎回当たり前のように出征を見送ってきたが、兄やヴェルナー様も出征するとなると私の心に動揺が広がった。


武術を習わなかった女の私は、戦地に行くことは無く家で帰りを待ち、家と領地を守るのが役目だ。

無事に帰ってくることを、ただ、祈って。



それから半月後、庭の花が咲き風が温かく感じる頃、父と兄が出征する時が来た。


これまで送り出す側に居た兄が、送り出される側に居る。不思議な感じだ。

粗野でいい加減な兄は、戦場で無謀な行動を起して早々に命を落としてしまわないかと心配になる。そんな妹の心配に気づく様子もなく、兄はすっかり軍人の顔をして父にそっくりな目を向けている。


「よく、お父様の言うことを聞くように」


「分かっている」


兄の素っ気ない態度に母も思わず溜め息をつく。


「お兄様」


「デリア、母上を頼んだぞ」


それ、お父様に言われるやつ。

すっかり家長の様な態度ではないか。


「これをお持ちください」


ハンカチを兄に差し出した。


「あの……ご武運を祈って刺繍しました」


「…………鳥?」


ハンカチを受け取った兄は食い入るように私が刺繍をしたところを見て言った。


「……鷲、です。一応」


ブハッと吹き出すと、後は豪快に笑い出した。


「アハハハハッ!鷲……鷲かぁ!蛙みたいな目だぞ!」


そこまで馬鹿にして笑わなくても良いのに!

しかも父と母もハンカチを覗き込んで笑い出した。


「やだ!デリアったら、刺繍そんなに下手だったかしら」


別に刺繍は苦手じゃない。でも、いつもはもっと草花の比較的簡単なモチーフばかりだったから、難なく仕上がっていた。今回初めて動物にチャレンジしたのが悪かったのだ。鷲がこんなにも難しいとは知らなかったのだ。

家族に散々に馬鹿にされ沈丁花にでもすれば良かったと少し後悔する。でも戦場に行く男性に贈るのに可愛らしい花を刺繍するのは違うような気がしちゃったのだ。こんなところで武家の娘らしさを出しても仕方がないのに。


恥ずかしさを我慢しながらもう一枚のハンカチを差し出す。


「あの……お兄様。こちらをヴェルナー様にお渡し頂けますか?」


「ヴェルナーにもか?」


私にとってはもう一人の大事な兄だ。そして、必ず無事に戻ってきて欲しい方。


「おい、こっちの方が上手いじゃないか」


ヴェルナー様にあげる方のハンカチの刺繍を見て兄に突っ込まれてしまった。


「当然です。お兄様のは練習で、ヴェルナー様のが本番です」


「実の兄は俺だろうが」


「実の兄以上に優しくしてくださっているのはヴェルナー様ですから」


「俺、こっちが良い」


「駄目です」


そんなところで我が儘を言わないで欲しい。


「デリア、お父様には無いのか?」


兄の隣で父が寂しそうに聞いてきてハッとする。


「あ、あのっ……次の出征までには準備しておきます!」


そう言えばこれまで何度か父を送り出してきたが、一度も渡したことが無かったなと思い返す。


父と母と兄と、私の刺繍のせいで盛り上がってしまい、これまでに無い程緊張感の欠片もない見送りとなってしまった。せっかくの兄の初出征だというのに、だ。


そして父と兄に「ご武運を」と伝えて、二人は馬に乗り邸を出発して行った。


馬に乗る兄の後ろ姿は、父と比べるとまだ小さいが、背筋が伸び堂々としていた。

父と兄の姿が見えなくなった時、隣から嗚咽が聞こえてきた。隣を見ると母が泣いていたのだ。


「お母様……」


「ごめんなさい……。やっぱり、息子の出征を見送るのは……喜びばかりではないのね」


さっきまで皆で笑っていたのに、母は哀しみや不安を押し隠していたのだろうか。

私達女は家で帰りを祈りながら待つしか出来ないのだ。母に掛ける言葉は何も思いつかなかった。

十四歳になった私はいつの間にか母と同じ背丈になった。泣いている母は、寧ろ私より小さく見えた。


私は母を抱き締めて、春の暖かい風を感じながら暫く無言で立っていた。



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