序章7話
香月はアルバートが率いる騎士団と共に、王都へ向かう事になった。見知らぬ世界を小さな女児の身体で生きていくのは不可能なので、アルバートの提案に乗ることにしたのだ。
移動の間もアルバートとリーナ以外の人間に、悪魔憑きだと気づかれると面倒なので、王都に着くまでの間、荷物用の馬車の中でリーナと一緒に大人しくしていろとアルバートが命令した。香月は言われた通りに大人しくしているつもりだったのだが……。
「あの、リーナさん。できればそろそろ離してくれると嬉しいんですが……」
香月はリーナの膝の上で声を上げる。そう。馬車に乗ってからはリーナに抑え込まれて膝の上に座らされていた。リーナはあれからずっと、香月から離れようとしなかった。
「大人しくしてなきゃダメ」
香月はどうにかしてリーナから離れようとするが、リーナは両腕でがっちりと香月をホールドしているため逃れることが出来ない。
二人の乗っている馬車は、食料などの荷物を載せておくためのもので、スペースにあまり余裕はなかった。馬に乗れないリーナは行きもこの馬車に乗っていたので、リーナが座るための場所は確保されていたが、香月のためのスペースは用意されていなかった。とはいえ小さくなった香月なら、リーナと横並びで座れる程度の広さはある。なので態々リーナの上に座る必要はないのだが、リーナは香月を膝の上に乗せたがったのだ。
(リーナの考えていることが分からん)
相変わらずの無表情なので、リーナが何を思って香月に抱き着いているのか分からなかった。だが、香月に抱き着いてからのリーナは心なしか嬉しそうにしているのは感じられた。
(素手で触れる相手だから、触ることを堪能しているのだろうか?)
リーナは触れた相手を腐敗させてしまう力を持っている。そのため、素手で人に触れられるのは相手が怪我をしている時だけだ。もしかしたら、この少女は魔法の力のせいで過酷な人生を歩んできたのかもしれない。
(リーナについても分からないことが多いけど、ひとまずこの世界について色々聞いてみるか)
王都に着くまで半日かかる。ただ待っているだけでは暇なので、香月は王都に着くまでの移動時間で、リーナに色々と聞いてみることにした。
「リーナさん、この世界について聞きたいんですけど良いですか?」
「いいよ。」
リーナは二つ返事で了承した。アルバートからも不必要に情報を教えるなとは言われていないので、聞かれた事にはなんでも答えるつもりのようだ。
「マルシア王国ってどんな国なんですか?」
まずはマルシア王国がどんな国か知らなければならない。そう思って質問したのだが、リーナは質問の答えに迷っているのか、少し考えこんだ。
「……他の国と比べてご飯は美味しいらしい」
そして返した答えは、香月が求めていたものとは微妙に違うものだった。
「えっと……、らしいって事は、リーナさん自身は他の国の食べ物を知らないって事ですか?」
「そう。私は他の国に行ったことは無い。でも色んな人がマルシア王国のご飯が一番美味しいって言ってるのを聞いた」
「なるほど」
この様子だとリーナからマルシア王国について聞くのは難しそうである。そう思っていると、リーナが続けて口を開いた。
「私が村にいた頃は、人によって好き嫌いはあったけど、食べ物を不味いなんて言う人はいなかった」
「リーナさんが村にいた頃?」
どうやらリーナは、生まれた時からアルバートと共にいるわけではなさそうだった。
「うん。私の生まれた村。十二歳まではそこに住んでいた」
十二歳まで住んでいた。その言葉を聞いて香月は首をかしげる。香月はリーナの年齢を十二歳くらいだと思っていたのに、この言い方では十二歳より歳が上のように感じられたからだ。
「……リーナさんって今いくつ何ですか?」
「十六歳」
「じゅうろく!?」
香月には十六歳という発言に驚く。身長や顔つきを見るにとても十六歳には見えなかったからだ。この世界の人間は地球と比べて成長が遅いのだろうか。そもそも一年は三百六十五日なのだろうか。香月がそんな事を考え始める。
「私は魔法が使えるようになってから、成長が止まってるらしい。治癒の力のせいって言われた」
香月が様々な可能性について考えていると、リーナが自分の見た目と年齢がかみ合わない理由について教えてくれた。つまりリーナは十二歳で魔法が使えるようになり、その頃から見た目が変わらなくなってしまったらしい。
「成長が止まってるって……じゃあ、リーナは十二歳で魔法が使えるようになって、それから村を出てアルバートさんと一緒に働いてるんですか?」
「そう」
(十二歳からずっと騎士団で働いてるのか……)
なんとも波乱万丈な人生である。最初、リーナは香月を治療したのを仕事だと言っていた。騎士団と一緒に賊に襲われている村まで駆けつけるよう仕事を、十六歳の少女が行っている。それが当たり前のように行われている世界。アルバートは、リーナをそれなりの待遇で扱っていると言っていたが、日本ではまずありえない事である。
(マルシア王国ではこれくらいは当たり前なのだろうか?)
香月は、これから行くマルシア王国という場所が、日本のような平和な国ではないのだと察した。そして、もう一つ気になる事がある。リーナとアルバートの関係だ。アルバートの見た目は二十代後半だ。この世界の結婚適齢期が何歳なのかは分からないが、十六歳のリーナと親子という事は無いはずだ。
「アルバートとはどういう関係なんですか? てっきり親子かと思っていたんですけど」
「親子で合ってる。アルバートの養子になったらしいから」
「らしいからって――」
どういう意味ですか? 香月が聞こうとしたその時、リーナが口を開いた。
「私の本当の家族は、私が魔法を使えるようになったその日に、隣国から攻めてきた兵士に殺された」
「殺された……?」
リーナの突然のカミングアウトに香月は狼狽える。どうやら地雷を踏んだらしかった。
「そう。両親も妹も戦争の犠牲になった。私だけ魔法の力で生き延びた」
ぽつりぽつりと、リーナの口から語られるそれを、香月は飲み込むことが出来なかった。自分以外の家族がある日突然、敵国の兵士に殺される。平和な世界で生きていた香月には考えたことすらない悲劇である。
「……ごめんなさい」
リーナに対してかける言葉が思い浮かばず、香月はつい謝罪の言葉を口にする。
「なんで謝るの?」
香月の謝罪に対して、リーナは不思議そうに首をかしげた。
「俺が質問したばかりに嫌な過去を思い出させてしまったと思って……」
「大丈夫、このことを忘れたことは一度もない。この目で見たことは全部覚えている。だからカヅキは気にしなくていい」
リーナはそう言うと、香月をぎゅっと抱きしめた。香月にはそのハグから、リーナの優しさが感じられた。彼女の中では既にある程度の折り合いがついているようだった。
「そうですか……」
香月が気まずさから言葉に詰まると、リーナは香月を抱きしめる力を強めた。
「ちょ、リーナさん? 痛いんですけど……」
香月が抗議の声を上げるがリーナは力を緩めてくれない。抵抗しようか考えたが、されるがままにすることにした。
(両親だけでなく、妹も犠牲になったって言っていた……もしかしたらリーナは……)
リーナは香月に触れて、死んでしまった妹を思い出しているのかもしれない。そう考えたら、しばらくはリーナの好きにさせてあげようと思ったのだ。体は六歳の少女になってしまったが、心は二十歳のままである。見知らぬ世界に来たばかりで余裕のない香月であったが、それくらいの気遣いは出来た。