序章2話
「げほっ、がほっ……。痛つつ……。死んだかと思った……」
香月は目を覚ました。体中が痛みで悲鳴を上げているが、どうやら無事だったらしい。
「眩しい……」
瞼をさす光と全身から伝わってくる硬い感触が、自分が地面の上にうつぶせに倒れているという事を伝えてくれた。
(いくら田舎だからと言って、朝まで放置とかありえるか?)
つまり珍走団に轢かれてから日が昇るまで放置されていたという事になる。香月は生きていたことに対する安堵と、放置されていたことに対する不安を胸にゆっくりと瞼を開けた。痛みで寝返りを打つこともできそうにないが、だんだんと目が慣れてきて周囲の状況が見えるようになってくる。
そしてそこに見えたのは……。
(なんだよ……これ?)
目に入ったのは、ボロボロになった家であった。それも木造や鉄筋コンクリートではない。藁で出来た屋根に土を塗り固めた壁でできた古臭い建物である。あたり見回すと、同じような建物がいくつもあり、その全てが破壊しつくされている。どうやら香月は廃村のような場所で目が覚めたようだ。
(一体どこだよここは……?)
通いなれた住宅街の生活道路ではなく、どこかの発展途上国の廃村のような光景を見て、香月は慌てふためく。一瞬、珍走団たちが事故を隠すために香月を何処かの外国に島流しにでもしたのかと考えたが、そんなことをするくらいなら殺して山に埋めるなり海に捨てるなりするだろう。となると、香月は何故自分がこんなところにいるのか理解できなかった。
(と、とりあえず、周囲を調べてみるか……)
香月が痛む体に鞭を売って立ち上がろうとしたが、折れてしまっているのか、手も足もまともに動かすことが出来ない。どうにかしてうつぶせのまま手を顔の前まで持ってくると、視界に映った自分の手と、着ている服が見慣れないものであることに気が付いた。
(なんか……手……小っちゃくないか? それに服も、俺の服じゃないぞこれ……?)
周りを見るのに必死で気が付かなかったが、どうやら服も剥ぎ取られてぼろい麻か何かで作られた、ワンピースのようなものを着せられているようだった。まるで、中世の奴隷か貧民のようである。
(いや、まあそれはとりあえず後回しでいい……。とりあえず、状況を把握しない……と)
しかし、香月の身体は未だに足の先から首までが痛みを上げており、目が覚めたばかりだというのに、またしても意識が朦朧としてきた。結局立ち上がることもできず、地面の上で藻掻くことしかできない。
(っ……)
そして、香月はまた意識を失った。もしかしたらこれは、事故に遭ったショックで見た変な夢なのかもしれない。次に目が覚めたら、病院のベッドの上かもしれない。そんなことを思いながら……。
それから幾何かの時が過ぎて。
「一通り、村の中を調べてきた」
「おかえり。他に生きている人はいた?」
(誰かの声が聞こえる……)
香月は虚ろな意識の中、自分の近くで誰かが話をしているのを聞いた。
「……いいや。そいつだけだ」
「そう……」
(男と女の話し声……)
声の様子から二人の男女が自分の近くにいることを理解した。
(俺は、助かったのか?)
先ほどの硬い地面ではない、布製のなにか柔らかい物に、仰向けで寝かされている感覚を肌で感じ、香月は自分が何者かに助けられたのだと悟った。
(起きなきゃ。目を開けて、ここが何処なのかを確認しないと……)
香月は自分のいる場所が病院のベッドであり、さっき見た廃村のような光景は夢だったのだと確定づけるために、恐る恐る目を開けた。
(知らない天井……どころかきれいな青空か……)
香月の目に映ったのは青空であった。つまり、屋外のどこかで寝かされていたという事である。少なくとも病院ではないのが確定した。
(さっきの廃村のような場所じゃないのか?)
香月が首を回して周囲を確認する。どうやらここはどこかの草原で、香月はそこで寝袋のようなものを敷いた場所に寝かされていたようだった。
「あ、起きた」
香月が起きたばかりのぼやけた頭で周囲を確認していると、誰かがそれに気づいて香月の元まで近寄ってきた。どうやら先ほど話をしていた女のようだ。
(十二歳くらいか?)
女というより少女である。金髪のロングヘアーで、日本ではあまり見ないポンチョのようなものを肩にかけていた。ポンチョ下も昔の外国人が来ていたような小洒落た格好をしており、革製の手袋をしている。そして、きれいな顔をしているが、その顔色からは感情が読み取れず、少し冷たいような印象が特徴的であった。
少女は、目が覚めたばかりの香月の元までやって来ると、手袋を付けたままの手で、寝たままの香月の頭をそっと撫でた。ゴワゴワとした感触が香月の頭を襲う。
「な、なにを!?」
まさか自分より若い女の子が、頭を撫でてくるとは思ってなかったため香月は驚いた。
「大丈夫。もう危険はない。怪我も治したから」
しかしそんな香月の様子などお構いなしに、少女は香月の頭を撫で続ける。ずっと無表情なので何を考えているのか分からないが、発した言葉の内容から香月を心配してくれているというのは何となく伝わった。
(危険? 怪我?)
少女に言われて、香月は自分の身体が痛みを発していないことに気が付いた。どうやらこの少女が手当てをしてくれたらしい。
「あ、ありがとう……」
「気にしないで。仕事だから」
香月がお礼を言うと、少女は無表情のままそう言った。
(仕事? 中学生くらいの女の子が?)
香月が少女の発言を疑問に思い聞き返そうとすると、近くにいたであろう男が香月の元までやってきた。
「目が覚めたか。無事なようで何よりだ」
(この声、さっきこの子と話しをしていた男か)
目覚めたときに少女と話をしていた男のようだ。少女の保護者だろうか。男は二十代後半くらいの見た目で、中世の物語に出てきそうな鎧を着ており、腰には簡単な装飾が施された剣をぶら下げていた。赤い短髪に日本人離れしたハンサムな顔立ちをしているが、その顔は仏頂面をしており、少女に続いてこちらも表情から感情が窺えなかった。
(鎧に剣か……いよいよここが何処なのか分からなくなってきたな)
香月は男の格好を見て、軽く絶望をする。外国の昔話に出てきそうな恰好をした金髪少女が現れた時点で、ここが日本ではないと薄々感づいていたが、男の剣と鎧を見てそれが確信に変わった。日本どころか地球ですらなさそうだ。
香月が改めて周囲の様子を見ると、馬車のようなものに馬がつながれていたり、槍をもった騎士のような格好の人間が周囲を警戒するように歩いているのが見えたりした。最初に目が覚めた時に見た廃村のようなものも、少し離れたところにあるのが確認できる。
(少なくともこれが夢ではないのは確定か……)
「……おい、大丈夫か? 俺の言ってることが分かるか?」
香月が男の格好と周囲の様子を見て絶望していると、男は返事をしない香月を心配するようにもう一度声をかけてきた。
「あ……大丈夫です。すみません」
男の問いに、香月は慌てて返事をした。香月は赤の他人に対しては人間不信だが、心配してくれている相手を無下にするようなことはしない。むしろ人間不信だからこそ、見知らぬ人間から余計な不興を買わぬように丁寧に接することにしている。
香月が寝たままでは失礼に当たると思い、起き上がろうとすると、
「ああ、まだ寝たままでいい。治療したとはいえ、あれだけの怪我だ。しばらくは安静にしていた方がいい」
と言って止めた。香月の容態を気にしているという事は、少なくとも敵ではないようだ。香月はそのことに安堵して、男と少女に感謝の気持ちを伝える。
「お気遣いありがとうございます。あなた方が助けて下さったんですね」
しかし、そんな香月の思いとは逆に男は香月の返事を聞いて眉をひそめた。
「……そうだが。お前、歳の割に随分と丁寧な話し方をするな」
どうやら香月の話し方が気になるようだ。
「歳の割にって……、そんなに若く見えます?」
香月は男の言葉を聞いて首をかしげる。確かに目の前で話している男に比べればまだ若いが、それでも二十歳を越えている。日本人は若く見えるというが、そこまで驚かれるほど童顔ではないと香月は自認していた。この場所では香月のような典型的な日本人は幼く見えるのだろうか。
「リーナ。そいつから離れろ」
男は先ほどまで香月の頭を撫でていた少女に言って、香月から距離を置かせた。少女は少し残念そうにしながら、男の言葉に従って香月から離れる。
(なんだ? 急に警戒感むき出しにしてきたぞ)
香月は他人から向けられる感情の機微に敏感である。数えきれないほどのお客様を相手してきた結果、こちら側に害をなそうとする人間の雰囲気を感じ取れるようになった。香月の発言の何が気に障ったのかは理解できないが、男が香月を警戒すべき相手として見ていることは察せた。
男は香月に仏頂面を向けたままこう言ってきた。
「お前にはいくつか聞きたいことがある。質問に答えてくれるか?」
どうやら男は何か思うところがあって香月の事を疑っているようである。
(もしかして不法入国とかそういうのか?)
香月は自分の置かれた状況から、男が自分に対し何を警戒しているのか予想する。香月自身、目が覚めたらいきなり知らない場所にいたのだ。男はぱっと見で騎士のような恰好をしているし、犯罪の取り締まりなどもしているのかもしれない。不法入国者として疑われているのではないかと考えた。
「……構いません。答えられる限り答えます」
香月は男の態度が急変したことには驚いたが、相手は剣と鎧で武装した人間である。下手に抵抗などせず、今は従順な姿勢を見せていこうと思った。
「……やはりか」
しかし香月の返事を聞くと男は何かを確信したような発言をし、不機嫌さを増していた。
「少しこの子と話をする。兵たちは声の聞こえない距離まで散開しろ!」
男は、わざわざ近くにいた兵士たちに命令を出して人払いを行い始めた。兵士たちは突然の命令に困惑し、中には香月の事を心配そうに見ている者もいたが、男の立場はとても偉いのだろう。全員が命令に従って移動していった。
(一体何だっていうんだ?)
香月は男の言動にいささか不信感を覚え、逃げ出したほうが良いかとも考えたが、ここは見知らぬ土地だ。仮に目の前の男から逃げだせたとしても野垂れ死になる可能性の方が高い。大人しく兵士達が散るのを見守ることにした。
香月と男、そしてリーナと呼ばれていた少女以外の人間が周りにいなくなった後、男は矢継ぎ早に質問を飛ばしてきた。
「名前は?」
「信濃香月です。信濃が性で、香月が名前です」
「どこから来た?」
「すぐ近くの村……です」
「歳はいくつだ」
「見た目通りです」
香月は男の態度を不審に思いながらも、男の質問に淡々と答えていく。見知らぬ相手に個人情報を垂れ流すのは気が引けたため、名前以外は嘘にならない程度に濁して答えた。最初のやり取りの時点で男の態度が急変したため、何が地雷なのか分からないというのもある。
「はぁ……」
質問を答えた時点で男がため息をつく。そして、
「面倒なことになったな」
と呟いた。
「面倒って……何か分かったんですか?」
男の様子から香月は、自分があまり望まれていない存在なのだという事を察しつつ、男に質問した。
「ああ、お前が悪魔憑きだという事がな」
(悪魔憑き?)
香月は、碌でもなさそうなその単語を聞いて、目の前の男の言う通り、自分が面倒くさい状況に身を置いているのだと理解した。