学園にて・1
『こくり堂』で奏と会っておよそ一週間が経過した。あれからは奏の忠告通り、ヤツカをなるべく人目に出さないようにしていた。
とは言っても、元々買い出しなど、外行きの用事は漱がこなしていたこともあり、この奇妙な共同生活に特にこれといった変化はない。
だから今日も、いつも通りヤツカと二人で朝食を済ませる。
「ご馳走様、今日も美味かったよ」
「おそまつさま、でございます。あるじさまのおくちにあったようで、さいわいでございます」
漱の言葉に、ふわりと嬉しそうにヤツカは微笑む。ゆったりと立ち上がり、食器を重ねようと手を伸ばす前に、漱が二人分の食器を重ねて、それを流し台まで運ぶ。
「あるじさま、あるじさま、おかたづけはわたくしが」
慌てたように、とてとてと漱の方へと近寄り、困ったような表情でそう訴える。
全て任せきりは流石に申し訳ない漱はこのくらい、とやろうとするが、ヤツカは自分の役目だと引かない。
結局、二人並んで洗い物をする、と言うのがすっかりいつもの光景になっていた。
***
片付けを済ませた後、漱は家を出て学校へと訪れていた。
とは言っても、別に不思議な話はなく、単に夏休みが終わり、二学期が始まった、と言うだけである。
彼の通う学校、『吹寄学園』は津雲町内の山の麓付近の一角を切り拓いて建てられた広々とした学園だ。
中高大一貫のこの学園は、学園長の趣味、要するに金持ちの道楽で作られた学園で、その為もあって、学費が安く、また特待生になれば学費は全額免除、懐に優しい私立学園である。
漱の家からは裏手の森を経由することで、自転車を使えばおよそ40分ほど。一人暮らしの為ならと、多少の苦労を呑み込んだ結果が今の状況だ。
「にしても、暑いな」
高等部の校舎の3階にある一学年の教室、そのうちの一つに漱はいた。
だれるように、窓際の、だいたい真ん中あたりにある自分の席に座り込んで、パタパタと持ち込んだ団扇を扇いでいる。
既に人がある程度集まった教室は騒がしく、それが余計に、教室内の温度を上げているような気さえしてくる。
「そうっすね、暑い暑い」
隣の席では、漱と同じように団扇を扇ぐ少年がいた。
やる気のなさそうな気だるげな瞳は黒に近い茶色で、眦は垂れている。濃い茶色の髪の毛は胸のすぐ下くらいまでの長さがあり、それを三つ編みに纏めて垂らしている。
前髪は真ん中で分けられていて、飾り気のない赤いヘアピンで留めていた。
儚げな美少年と言った顔立ちに、それなりに長い髪から時折女と間違われがちであるが、正真正銘の男、漱がこの学園に通い始めて、一番最初にできた友人が、この少年、平沢泰斗である。
漱の言葉に同意した彼は、漱の方へとチラリと視線を向ける。
「こうも暑いとダレるよねぇ……いっそのことマグマとか熱した鉄板のほうがいいっすわ」
柔らかな声音から告げられるのはどことなくふざけた言葉。夏休み明け、久々に会う級友の発言は、あいかわらずぶっ飛んでいた。
「それ、お前だけなんじゃねえかなぁ……」
「中途半端は気持ち良くない、違う?」
漱は、呆れたような、否、馬鹿を見る目を泰斗に向けるが、当人は何処か興奮したような様子。
出会った頃はまだまともだった気がするが、数ヶ月ほどでメッキが剥がれ、今ではこれである。
「そんな苦行喜ぶのがそもそも一部だけだと思うんですけど」
「長身むちむちお姉さんに命令されたらって考えると興奮するよ。するでしょ。するんだよ」
「うーん、極まってる」
「また二人して馬鹿な会話してるのか」
男子学生二人、馬鹿な会話に興じていると、漱の後ろから、呆れた声が聞こえてくる。
女にしては低くて、男にしては高めな、中性的な声に、二人はそちらへと視線を向ける。
「よう、奏」
「九十九さんおはようやで」
漱は片手を軽く上げて、泰斗はヒラヒラと団扇を振ると、声の主である奏ははよ、と短く返して、漱の後ろの席にそのまま座る。
「なあなあ、九十九さんも長身むちむちお姉さんに命令されたらそれがどんな苦行でも興奮するしご褒美だと思うよねぇ?」
「いや、普通に引くんだが」
「なん……だと……!?」
賛同者を増やそうと、先ほどの発言をする泰斗だが、奏は明らかに引いたような表情を浮かべる。そりゃそうよ、と漱は思ったが、割と真面目にショックを受けた様子の泰斗が面白いのであえて追撃もフォローもしない事にする。
「漱くんも九十九さんもさては異端者やね」
「少なくともこの空間において異端はお前だと思う」
「ロリコンともマゾヒストとも一緒にされたくはないんだけど」
己こそが正義だと言わんばかりに、手に持ったままの団扇を漱と奏の方に向けて言うも、漱は冷静に事実を突き返し、奏は嫌そうな顔を浮かべて不服そうに告げる。
「んー、辛辣。もっと言って?」
「ロリコン扱いやめろマジで」
こちらにも向かってきた棘に切実な気持ちを込めて物申す漱に対して、泰斗はもっと言えと要求するあたり、自分の欲望に忠実である。
「そういうこと言ってるからモテないんだよ平沢。ガワはいいのに」
「こう……大きなお姉様受けするようなサイズ感が良かったんですけどぉ……」
「いやほんとブレねえな……?」
そうやって、特に内容がない、くだらない会話を繰り広げていると、重厚な鐘の音が鳴る。
吹寄学園での、始業と終業の合図。敷地内の中央にある時計塔の、その最上部にある鐘が鳴らされて、その直後にガラガラと戸を開く音がする。
「ほら、お前ら席につけ。夏休みも終わったことだし切り替えていけよー」
ずかずかと中に入ってくるガタイのいい男性教師の声で、教室内の喧騒はすん、と消える。静まり返った教室からはあまり物音が聞こえず、満足したように男性教師は頷いて、口を開く。
「んじゃ、SHRを始めるぞー」
淡々と教師が連絡事項を告げていくのを、漱は真面目に聞いてはいたものの、隣の席の友人が変顔を浮かべているのが視界に入り、思わず噴き出した。
「ったぁ!」
「あぁん!」
「真面目に話を聞け馬鹿」
流れるように投げられたチョークが漱と泰斗の額に命中して、じんじんと痛み、教師の口からは忠告が飛ぶ。
周りはすっかり慣れているのか、気にした様子もなく、教師も忠告の後は二人の様子を無視して、淡々と続きを話しだした。
漱は文句をつけようとしていたのだが、無言の圧力に敗北した結果、改めて、真面目に話を聞く事にする。
隣で楽しそうに放置プレイだのなんだの言ってる声は聞こえないフリをした。




